勤務先の大学で担当している授業のひとつに、合奏(リコーダー)というものがある。
教職課程の必修科目である。普段は声楽やピアノ、管弦打楽器を専攻している学生諸君が週に1回、この授業を履修する。
後期だけの授業なので15回の授業のなかだけで基本的なリコーダー奏法とレパートリー、そしてアンサンブルの方法について学ぶというものだ。
後期の授業も残すところあと5回というところまで到達したのが12月8日の金曜日だった。
授業開始は10時50分。
ひとしきり基本的な音階や分散和音、イントネーションを合わせる練習や、今までに授業のなかでやった曲を練習した。
ここまではいつもの授業と同じ。
授業は12時20分まで。
ちょうど12時が少し過ぎた頃に僕は学生諸君に向かって言った。
「20世紀を代表する日本人作曲家のひとり、廣瀬量平が1975年に書いたメディテーションという曲がありますが、これを聴いてみたい人は居ますか?」
学生諸君はしーんとしてた。
それはそうだろうと思う。
もしかしたら、廣瀬量平という作曲家の名前を知らない人も居るだろうし、ましてやいきなり「メディテーション」などと言われても戸惑うだろう。
僕は学生諸君にメディテーションの楽譜を見せた。
小節線もなく、なにやら見慣れない記号や図形が沢山並んでいる。
楽譜を見せながら、20世紀にリコーダーが復興して来たこと、ちょうど時期を同じくしてヨーロッパだけではなく、日本でもルネサンスやバロック音楽の復興と並んで現代的な作品が書かれ始めて、そこには当時の西洋音楽の最先端だったであろう図形楽譜や偶然性といった考え方、そして日本の伝統的な横笛や尺八の奏法が取り入れられていることなどなど、そんなことを話した。
学生諸君はそれでもまだまだ、あまり興味なさそうだった。
でも、もうそれは良い、と僕は思った。
授業の大きな目標は基本的なリコーダー奏法を習得することにあるのだけれども、そのためにはやっぱり、リコーダーとはどんな楽器なのか、どんな可能性を秘めた楽器なのか、ということを学生諸君に知って欲しいのだ。
僕は言った。なるべく感情を入れないようにして、冷めた調子で。
「はい。授業中だけど、今日はこれからミニコンサート。曲は廣瀬量平のメディテーション。メディテーションの意味は瞑想。ミニコンサートだから演奏が終わって、良いな、と思ったら遠慮しないでわ~~~っと拍手ください。管楽器専攻の人はこっちに来て楽譜見ながら聴いてください」
演奏した。
多分、演奏時間は多分、5分ちょっとくらいの間。
でも最後の音が終わってから、自分で言うのも何だけれど、ものすごくカッコイイ無音の時間があった。
教室の外からかすかに、遠くを走る車の音や、鳥の鳴き声や、学生諸君の誰かの椅子が動いてきしむ音がした。
そして、なんだか言葉にするのがもったいないような学生諸君の拍手が起きた。
そこには何か大切なものがあった。
僕も思わず拍手をしてしまった。
拍手をしてくれた学生諸君に対して。
そして曲を作ってくれた今はなき廣瀬量平先生に対して。
そして、その時間と空間に対して。
すごく、口はばったいのだけれども、祝福された空間というのはこういうものなのではないかと思った。
でも今、思い返すと、拍手をしてくれている学生諸君に向かって拍手をしている僕はまるで呆けたような、間抜けな顔をしていたのではないだろうか。
テレビで芸能人みたいな人が沢山、出演するような番組で、それぞれの出演者が紹介される時に、自分が紹介されて、自分で拍手をする芸能人を見て、「バカみたい」と僕は思っていた。
でも、僕自身がそうなってしまった。
皆の拍手につられて僕も拍手してしまった。
昔、昔、そのまた昔、日本列島には人があんまり住んでいなかったので、道端で人に会うと、互いに手を叩いて喜び合ったと聞いたことがある。
もしかしたら、ほんの少しだけ昔の日本人の気持ちに近づくことが出来ただろうか。
でも、そのきっかけは1975年当時、時代の最先端をゆく前衛音楽 廣瀬量平作曲 無伴奏リコーダーのための「メディテーション」
もうずいぶん長い間、この楽器を演奏して来た。
でも「メディテーション」はしばらくずっと吹いてなかった。
なんだか、この曲、おどろおどろしい曲だと、僕は思い込んでしまっていたのだ。
でもそうじゃないのかも。
僕はこの曲を長い間、読み取り損なっていたのだ。
2023年12月8日、その場に何かのチカラが降りて来て、「メディテーション」と再会した日。
追記:再会する、ということは自分自身が新しく生まれ変わることと似ているのだ
教職課程の必修科目である。普段は声楽やピアノ、管弦打楽器を専攻している学生諸君が週に1回、この授業を履修する。
後期だけの授業なので15回の授業のなかだけで基本的なリコーダー奏法とレパートリー、そしてアンサンブルの方法について学ぶというものだ。
後期の授業も残すところあと5回というところまで到達したのが12月8日の金曜日だった。
授業開始は10時50分。
ひとしきり基本的な音階や分散和音、イントネーションを合わせる練習や、今までに授業のなかでやった曲を練習した。
ここまではいつもの授業と同じ。
授業は12時20分まで。
ちょうど12時が少し過ぎた頃に僕は学生諸君に向かって言った。
「20世紀を代表する日本人作曲家のひとり、廣瀬量平が1975年に書いたメディテーションという曲がありますが、これを聴いてみたい人は居ますか?」
学生諸君はしーんとしてた。
それはそうだろうと思う。
もしかしたら、廣瀬量平という作曲家の名前を知らない人も居るだろうし、ましてやいきなり「メディテーション」などと言われても戸惑うだろう。
僕は学生諸君にメディテーションの楽譜を見せた。
小節線もなく、なにやら見慣れない記号や図形が沢山並んでいる。
楽譜を見せながら、20世紀にリコーダーが復興して来たこと、ちょうど時期を同じくしてヨーロッパだけではなく、日本でもルネサンスやバロック音楽の復興と並んで現代的な作品が書かれ始めて、そこには当時の西洋音楽の最先端だったであろう図形楽譜や偶然性といった考え方、そして日本の伝統的な横笛や尺八の奏法が取り入れられていることなどなど、そんなことを話した。
学生諸君はそれでもまだまだ、あまり興味なさそうだった。
でも、もうそれは良い、と僕は思った。
授業の大きな目標は基本的なリコーダー奏法を習得することにあるのだけれども、そのためにはやっぱり、リコーダーとはどんな楽器なのか、どんな可能性を秘めた楽器なのか、ということを学生諸君に知って欲しいのだ。
僕は言った。なるべく感情を入れないようにして、冷めた調子で。
「はい。授業中だけど、今日はこれからミニコンサート。曲は廣瀬量平のメディテーション。メディテーションの意味は瞑想。ミニコンサートだから演奏が終わって、良いな、と思ったら遠慮しないでわ~~~っと拍手ください。管楽器専攻の人はこっちに来て楽譜見ながら聴いてください」
演奏した。
多分、演奏時間は多分、5分ちょっとくらいの間。
でも最後の音が終わってから、自分で言うのも何だけれど、ものすごくカッコイイ無音の時間があった。
教室の外からかすかに、遠くを走る車の音や、鳥の鳴き声や、学生諸君の誰かの椅子が動いてきしむ音がした。
そして、なんだか言葉にするのがもったいないような学生諸君の拍手が起きた。
そこには何か大切なものがあった。
僕も思わず拍手をしてしまった。
拍手をしてくれた学生諸君に対して。
そして曲を作ってくれた今はなき廣瀬量平先生に対して。
そして、その時間と空間に対して。
すごく、口はばったいのだけれども、祝福された空間というのはこういうものなのではないかと思った。
でも今、思い返すと、拍手をしてくれている学生諸君に向かって拍手をしている僕はまるで呆けたような、間抜けな顔をしていたのではないだろうか。
テレビで芸能人みたいな人が沢山、出演するような番組で、それぞれの出演者が紹介される時に、自分が紹介されて、自分で拍手をする芸能人を見て、「バカみたい」と僕は思っていた。
でも、僕自身がそうなってしまった。
皆の拍手につられて僕も拍手してしまった。
昔、昔、そのまた昔、日本列島には人があんまり住んでいなかったので、道端で人に会うと、互いに手を叩いて喜び合ったと聞いたことがある。
もしかしたら、ほんの少しだけ昔の日本人の気持ちに近づくことが出来ただろうか。
でも、そのきっかけは1975年当時、時代の最先端をゆく前衛音楽 廣瀬量平作曲 無伴奏リコーダーのための「メディテーション」
もうずいぶん長い間、この楽器を演奏して来た。
でも「メディテーション」はしばらくずっと吹いてなかった。
なんだか、この曲、おどろおどろしい曲だと、僕は思い込んでしまっていたのだ。
でもそうじゃないのかも。
僕はこの曲を長い間、読み取り損なっていたのだ。
2023年12月8日、その場に何かのチカラが降りて来て、「メディテーション」と再会した日。
追記:再会する、ということは自分自身が新しく生まれ変わることと似ているのだ