和音が絶えず変化してゆくことイコール音楽的な豊かさ、という点でルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、そして20世紀のヨーロッパの音楽において共通だと考えてみる。
つまりこれらの音楽は主に3度の音程で積み重ねられた和音が時間的に変化してゆくことがその音楽の美しさを保つ点で必要不可欠だったとしてみる。
しかし少しだけ目を外に向けてみると、たとえば同じヨーロッパであってもハーディーガーディー、あるいはバグパイプのような楽器で奏される音楽の場合、そこではドローンと呼ばれる保続音が常に鳴っており、和音が絶えず変化する、ということとは様相が異なっている。
しかし、そこに西洋音楽の和音の用法が欠落しているということにはならない。
なぜならば単純なドローンは西洋的な和音の変化を極度にまで簡略したものと考えられるからである。
このように考えるとやはり芸術的な音楽、大衆的な音楽に関わらず、少なくとも西洋においては和音の変化、というものは音楽の構造と密接不可分の関係にあるように見える。
つまりこれらの音楽は主に3度の音程で積み重ねられた和音が時間的に変化してゆくことがその音楽の美しさを保つ点で必要不可欠だったとしてみる。
しかし少しだけ目を外に向けてみると、たとえば同じヨーロッパであってもハーディーガーディー、あるいはバグパイプのような楽器で奏される音楽の場合、そこではドローンと呼ばれる保続音が常に鳴っており、和音が絶えず変化する、ということとは様相が異なっている。
しかし、そこに西洋音楽の和音の用法が欠落しているということにはならない。
なぜならば単純なドローンは西洋的な和音の変化を極度にまで簡略したものと考えられるからである。
このように考えるとやはり芸術的な音楽、大衆的な音楽に関わらず、少なくとも西洋においては和音の変化、というものは音楽の構造と密接不可分の関係にあるように見える。