吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

無調の曲について

2018-01-27 | 音楽制作覚書
いわゆる「無調」と呼ばれる曲であっても、あるまとまりが反復されることによって、そこには何か有機的な意味のようなものが生まれる。

反復の際にはもちろん高さを変えることも出来るわけで、このようなことを考えてみると、調性のある曲だから、とかあるいは無調の曲だから、という切り口で全く作曲法が異なるわけではないことがわかる。

現に今まで伝わっているルネサンス、バロック、古典派などの曲であっても作品によっては部分的に無調に近いような音の動きを見ることは可能。

前に進む感じとテンポの関係、そして聴き手の興味をひきつける強さ

2018-01-12 | 音楽制作覚書
前に進む感じとテンポの関係、そして聴き手の興味をひきつける強さ、これらの関係はどうなっているのだろうと考えてみる。

前に進む感じとテンポは別の要素なので相関関係はなさそう。

テンポの速い曲でも前に進む感じのないものもあれば、テンポが遅くても前に進む感じのある音楽もある。

しかし前の進む感じと聴き手の興味をひきつける強さには互いに関連があるとしたらどうなるだろう。

聴き手は常に何か新しいものを聴きたい、という欲求があるのだとしたら、それは常に「耳に入って来る音楽は新鮮であってほしい」ということがあるかも。

「前に進む感じ」という表現を一歩すすめて「疾走感」という言葉を使ってみるとどうなるだろう?
こういう言葉からはいやおうなしに絶対的なテンポがある程度速いものを想像してしまいたくなる。

それはもう一度「前に進む感じ」という言葉に戻してみよう。

たとえば4分の4拍子と書いてある曲を8分の拍子っぽく演奏してみる時と、文字通り4分の4拍子らしく演奏してみる。

この時は具体的にどういうことが起きるのだろう?
絶対的なテンポを全く変えないで同じ曲を4分の4拍子ぽく演奏したり、8分の8拍子っぽく演奏することは可能なのだろうか?


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■いずれにしても聴き手は常に何か新しいものを求めている、何か新しいものを聴きたい、という欲求があるのだと仮定してみることによって作曲、演奏にどんな違いが生まれてくるだろうか?
それとも生まれてこないだろうか?

■それでは意図的に同じ曲をつまらなく演奏するための具体的な手続きとはどのようなものだろうか?

■意図的につまらなく演奏するための方法がみつかったら、それはより面白く演奏するための反面教師として活かすことができるだろうか?

■作曲の場合、意図的につまらない曲を書くためには具体的にどうしたら良いのだろうか?

■その方法の反対を行えば、面白い曲を書くことが出来るのだろうか?

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少なくとも演奏者と聴き手が明確に区別されているような形態では聴き手の興味がいったん失せてしまった場合、それは演奏としては失敗であると考えてみる。

聴き手の興味が失せる原因のひとつとしては、やはりその音楽(作曲の次元でも、演奏の次元でも)が適切な在り方で「前に進む感じ」を備えているかどうか、ということがあるのではないだろうか。

ただし、これはさきほども書いたように単純なテンポの問題ではない。(テンポはもちろん関係しているけれども)

より一般的に考えてみると、人間の耳は「何かが時間を追って変化していることを求める」性質があるように見える。

何も変化のないサイン波のようなものを長い時間、聴かせられるのは苦痛以外の何ものでもないだろう。

でもあまりにも激しく変化し過ぎると、今度は支離滅裂となってしまってそれも面白くないわけなのだ。