吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

ここ、こう来るだろうなと相手に予想されてしまって、そう行ってしまう

2017-07-20 | 音楽制作覚書
ここ音楽の場合、どうなのだろう?
「***華」編曲作業進めながら思う。
この曲のサビの部分があまりにも良いので全部で6回ある繰り返しのどこかでアドリブっぽい展開にしたいのだけれどもなかなか難しい。
1番でいきなりアドリブにするのはちょっと考えられない。
2番でアドリブにしても良いのだけれどもまだ必然性が足りない感じがする。
大きいサビの後にくるサビでアドリブっぽい感じにするのであれば良さそうだけれども、これだと聴き手に完全に予想されてしまってその通りやってしまうということになりそう。

こんなこと考え始めたらアドリブっぽい展開を入れる場所がなくなりそうなのだ。
もとは歌の曲なので歌詞が変わり、伴奏が変化したりしている。旋律それ自体は変化していない。

しかし全部で6回というのは僕の基準ではあまりにも多すぎる。
変化のない繰り返しが6回。
もしクラシックのような様式でこれをやったら少なくとも2回まではOKだけれども3回目あたりで聴き手の耳にはふたがかぶさってしまうのではないか。

そういう時の聴き手は聴いているふりをしながら何か別のこと考えている感じになってしまう。
表現する側としては完全に負けパターンである。

難しい。。。。。

こういうことと似たことあるな、と書きながら思い出した。



「こう来るだろうなと予想されてしまって、そう行ってしまうという」というのは恋愛における負けパターンそのものではないか。

ああ・・・
この記事についてブログを書く
« アドリブ | トップ | 編曲作業におけるふたつの態度 »