吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

教室の発表会

2024-07-13 | 日常雑記


今日は教室で生徒さん方と一緒に稽古の日でした。
11月には発表会があるので、そこに向けて鋭意、練習中です。

最近、始めた方もおられるのですが、着実に進歩があり頼もしい限りです。

今日は個人レッスンで時間の隣合っているおふたりの方に了承をいただいて少しだけアンサンブルの稽古もしてみました。
理論的な本や記事を読むのも良いのですが、やはり同じ空間で一緒に音を出すことの大事さを痛感しました。

初見の練習もそうなのですが、ピッチを合わせる練習などはどうしても自分ひとりだけでやるのは限界があり、もうひとり一緒にやってくれる人がいると良いです。
小さな教室ですが、生徒さん方に集ってもらえる場が出来て良かったと思います。

生徒さん方が帰った後はひとりでピアノの練習しました。
アーノルド・クックという20世紀のイギリスの作曲家のリコーダー協奏曲です。

近い将来、きっと生徒さんの中からこのような曲を演奏できる人も育って来るのではと思います。

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ところで2019年から使っていたノート型のコンピューターがうまく起動しなくなってしまいました。
DAWソフトをインストールしていたので、外で手軽に録音するのに重宝していました。

自分で直せそうな予感が全然なかったので買った店に持っていって修理をお願いして来ました。
うまく直って来てくれれば良いのですが。

道具はやっぱり大事です。

以前、著名なヴァイオリンの先生と話をさせてもらった時に「弦楽器は、それを拭く楽しみというのがあるんですよ」と教えてもらいました。
私はヴィオラ・ダ・ガンバも弾くので、練習終わった際にはいつも拭きます。

でもそれを楽しみにしている奏者の存在にはすこし驚きました。

ただ使えれば良い、ただ音が出れば良い、というだけではなく、その道具を拭く、ということに楽しみを見いだせる感性の持ち主はすごいと思いました。

でも最近、私自身もそうなって来ました。
今使っているヴィオラ・ダ・ガンバは2013年に出来たものなので、まだ弦楽器としてはとても新しい部類なのですが、それでも出来立ての頃よりは外見がほんの少しだけ濃い感じの色に変わって来ました。

「俺も歳とってゆくんだけどさ、お前もなあ、だんだん歳とって来たなあ。もうしばらくは一緒に歳を取ってゆこうな」というような感じもあります。

そこで「拭く楽しみ」というものが生まれる訳なのであります。

コンピューターの話だったのですが、道具の話題ということでちょっと話が飛んでしまいました。

鹿児島地方はまだまだ雨模様ですが、梅雨も終わり近いです。
もう7月も半ばになりました。

庭の千草

2024-07-11 | 対話
「太郎、ヴィオラ・ダ・ガンバの新しい編曲が出来たのだ。聴いてくれ」
「おお、良いよ。じゃあ、早速弾いてくれよ。その前に曲名教えてくれよ」

「アイルランドの伝承曲”庭の千草”だ。じゃあこれから演奏するから」
「おお、良いなあ~拍手、拍手」

「♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~」
「拍手、拍手~~~~~~~~」

「太郎、珍しいな。お前にしては、俺の演奏の最中、眠らなかったのは」
「いや、眠たかった。でもいざ眠ろうとしたら曲が終わってしまってとりあえず、拍手した」

「お前は俺の演奏を聴いてなかったのか」
「最初の20秒くらいはちゃんと聴いてたぞ!しっかり聴いてたんだぞ!」

「最初の20秒くらいだけか」
「あんまり良い気持ちになって来たもんだからな。ついつい眠気が。しかし、毎回、眠り込むのもお前に申し訳ないから無理やり目を開けてたらなんか目が疲れて来た」

「お前は俺の新しい編曲と演奏についての感想はないのか」
「・・・・最初の20秒くらいだけだったらな・・・・とりあえず良い音だったよ」

「とりあえず良い音だった、それだけか?お前の感想は?じゃあ、もう1回弾くからもちょっとちゃんとした感想を頼む♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~♪ ♪ ♪ ♪~~~~~~」
「ふ~~~~~やっと終わったか」

「あのな、この曲4分ちょっとくらいしかないんだぞ。そのくらい我慢出来んのか。お前は。学校で何を習って来たんだ」
「あのな。じゃあ感想を言うよ。なかなか良いと思う。でも何というのかな。俺は音楽のことお前みたいによく勉強してないからよくわからんけど、フレーズ?っていうの?音のまとまりのこと?

「フレーズがどうしたんだよ」
「なんだか、フレーズが途中で切れてるところがあったように思った。後は良いと思う」

「おお!お前もやっとまともな感想が言えるようになったな!フレーズに関しては俺もそう思っとった。でもそれはもう良いのだ。それ以外の点で表現することがあるからな。ふふふ」
「お前見てると、なんだか生きてるのが楽しそうで良いなあ・・・・・」

「お前は生きてるのが楽しくないのか?」
「俺なんかただの勤め人だしなあ・・・・拍手もらうこともないしなあ・・・・・・」

「俺だって、最近そんなに拍手もらってないよ。仕事はもう教えることばっかりだもん」
「でも、あれだろ。舞台で拍手もらうのを体験すると、やみつきになるほど気持ち良いだってな?」

「そんなことないよ。拍手もらうのは有り難いと思うけど、気持ち良いとはあんまり思わない」
「じゃあ、何のために音楽やってんの?」

「音楽やってないと、なんか気分が下がっちゃうんよ。だからとりあえず音楽やってる感じ」
「とりあえず、やってるだけでそんな演奏出来るのは良いなあ・・・」

「でも夏のボーナスも冬のボーナスもないし・・・」
「お前は音楽家のくせにそんなこと言うのか」

「退職金もないし・・・」
「それはもう、あきらめろ。音楽なんてやってる以上、それはもう仕方ない」

「仕方ないこと沢山あるなあ・・・」
「あるけどなあ・・・・でも良いんじゃないの。とりあえず生きてれば」

「そうだな。生きてればな」
「おお、そうだ、明日はベルギーのブリュージュでお前の曲の初演があるんじゃないの!すごいじゃん!」

「おお、忘れとった」
「自分の曲の初演の日のことも忘れてるのか。いいなあ・・・・・マイペースだなあ・・・・・」

「もう梅雨も明ける時期になって来たなあ・・・・・都知事選挙も終わったしなあ・・・・・・」
「いろんな候補者が居たなあ・・・・・・・でも、みんなそれなりに頑張ってたんだろうなあ・・・・・・」

「よし、俺らも、あと40年くらいは頑張るか!」
「うひょ~~そんなに現役やるつもりなのかよ」


明日は大学

2024-07-10 | 日常雑記

明日は大学で授業、そしてそのあとは教室で生徒さんと一緒に稽古です。
授業と稽古のある日は何も自分のことは出来なくなりますが、若い諸君と時を過ごすのは喜びです。

授業では様々な楽式の構造や厳格対位法入門など、音楽理論に関する分野を多岐に渡って学びます。
教室での稽古は昔ながらの修練の方法(1対1)で通奏低音の数字の読み方や、バロックのソナタの練習をします。

鹿児島地方は今、雨模様です。
来週あたりには晴れて来るようです。


感傷的な曲を感傷的な顔で演奏するとどうなるか

2024-07-10 | 音楽教室
感傷的な曲を感傷的な顔で演奏するとどうなるか、ということについて書きます。

顔はその人が何を感じているのか、とかあるいは、何を考えているのかな、ということを映し出します。

指揮者はお客さんにお尻を向けていることが多いので、顔はあまり問題にならないかもしれません。

ですが、オーケストラのメンバーや合唱のメンバーにとっては指揮者の顔は丸見えです。なのでやっぱり問題です。

管楽器は顔の一部(口)に楽器があるため、口の周辺では表情を作ることは難しいですが、口から少し離れた箇所(例えば、目とかおでこ、とかそのあたり)では表情を作ることが出来ます。

ピアニストやチェリストは自由自在に顔を作ることが出来ます。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者も。

ヴァイオリンなどは顎で楽器を固定する必要上、少し限られるかもしれません。
少し前、録画でしたが大変な美人ヴァイオリニストが口を半開きにして、眉間にうっとりとしたしわを寄せながらヴァイオリンを弾いているのをみました。

それは恍惚の表情とも言えるものにみえました。

問題は奏者の表情が演奏上の必然性から来るのものであれば、それはもう仕方ないのではないか、ということになりそうです。

私自身は演奏者が音ではなく、顔で何かを表現するのは、個人的にあまり好きではありません。
感傷的な曲で、感傷的な表情されたり、楽し気な曲で楽し気な表情されるとなぜか、つまらなくなるのです。

もし、一瞬だけ、だったら良いかもしれません。

普段は絶対に乱れないような学級委員長みたいな彼女が突然、何らかの拍子に取り乱したりするのは大変ドラマチックです。

顔は大事です。身体の動きもそうです。
そこには、その奏者がそれまでたどってきた生き方のようなものが見えてしまうからです。

聴き手は「わかってしまった」ものには興味を示しません。
「わからない」からこそもっとわかりたいという願いみたいものが生まれて、それが聴き手の興味につながります。

感傷的なものを感傷的な態度で演奏する、というのはあまりにもわかりやすいです。
それでは演奏という行為に秘められているべき「謎」がなくなってしまい、奥行きのないものになってしまいます。

普段の教室の御稽古ではなかなかこのようなことを生徒さん方と話す時間が持てないので、こんなところに書いてみました。

隙間の時間に

2024-07-10 | 音楽教室
Arnold COOKE concerto for treble recorder(piano reduction)


隙間の時間にはピアノの練習をしています。
こちらはアーノルド・クック作曲のリコーダー協奏曲です。
本来はオーケストラですがピアノ版が出ているので、そちらで練習します。

近い将来、このような曲に挑戦する生徒さんが出てくることを期待します。

何故か、音楽の世界には旋律楽器奏者は間違っても良いけれど、伴奏者は間違ってはいけない、という空気があります。
あまり意味のないものと言ってしまえばそれまでですが、別の言葉で言うと、伴奏者は旋律楽器の奏者よりも1枚も2枚も格上の音楽家であって欲しい、ということなのかもしれません。

細かい理屈は置いて、とにかく稽古あるのみです。

鹿児島地方は今、2024年の梅雨の合間で晴れています。
なんだか夏らしい雲も出ています。