ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

肉体と魂を描き切る―エゴン・シーレ展を観て(1)―

2023年02月09日 | 展覧会より


 東京都美術館で開催中の「エゴン・シーレ」展を観た。実は私はシーレの作品をあまり観ていない。俯瞰的な視点からの人物像、官能的な女性像などの印象は強烈だが、同時に挑発的とも言える作品は、若さのなせるところにも思え、きちんと向き合ったことがなかったのだ。1890年に生まれ1918年には亡くなるという短い生涯で、常に挑むような作品を描き続けた作家には、未完あるいは途上というイメージがあり評価しかねていた。28歳といえば、日本の青木繁も同じ年齢で亡くなっている。共に夭折が惜しまれるが、青木にはすでに完成した作家という安定感を感じるのも、その作風の違いのせいだろう。


     (参考)死と乙女(1915年)


     モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)(1914年)
     
 
 今展は、世紀末から20世紀初頭のウィーン美術を中心に集めたというレオポルド美術館の所蔵品展である。オーストリア・ハンガリー帝国の混乱と凋落の中、ヨーロッパ全体に新しい芸術が胎動し、伝統的で保守的な芸術への文化的抵抗がウィーン分離派や、さらに新たな潮流を生み出した時代だ。おそらく最も有名な《死と乙女》こそないけれども、シーレを特徴づける作品と、それを取巻く同時代の作家の作品は充実している。圧倒的に人物画が多い中、初めて見た風景画は何処かファンタスティックで静かな情感を湛えていた。また、時代の寵児クリムトに心酔しながらも、その影響が希薄だったことがずっと疑問だったが、年代順に概観することができ、作風の変遷もわかりやすかった。


     頭を下げてひざまずく女(1915年)

 油彩画はしなやかな曲線と繊細な色使いながら、筆の運びは迷いがなく、こしの強い太い筆でぐいぐいと塗り込んでいる。思っていた以上に荒々しく、強靱で、意志的だ。人物ドローイングでもクリムトとの違いが明快だ。必要最小限の細く柔らかな線で対象の最も表現したい部分を一瞬にして捉えたクリムトと、強く途切れることのない線で難しいポーズを捉え切るシーレのデッサン。さらにそこにはモデルの激情までも込められている。それは1911年頃からいっそう明確になっている。この頃、ドイツ表現主義展に参加したり、ゴッホの《ひまわり》からインスパイアされた絵を描いており、シーレの志向に少なからず影響を与えたようだ。その作風はクリムト等の象徴主義に対して、オスカー・ココシュカと共に、オーストリア表現主義といわれている。このオーストリア表現主義というのを私はよく分からないのだが、そもそもドイツ表現主義にしても絵画区分としては印象が薄いのは、じきに抽象表現主義や超現実主義が現れ埋没したように見えるからだ。とはいえドイツ表現主義とも異質だ。目指すものが違いすぎたのではないか。ただ「表現主義=Expressionism」は「印象主義=Impressionism」に対立して現れた概念であり、その点では内面表現へと向かったシーレを、少なくともクリムトと分ける区分とはなるのだろう。
 またドイツ表現主義の作家たち、特にキルヒナーと比べてみると、その身体表現や色彩感覚が桁違いに優れている。キルヒナーの内面の不安は時代に連動し、それを表現したいがために絵画的表現は二の次になってしまったように思える。作品としての共感を得ることは難しい。シーレがそれに与しなかったのも当然だろう。彼は極めて個人的な人間の内面に迫ると共に、それを持った身体にも同様の価値を認めていたのだろう。さらにどんなにグロテスクであっても、陶酔するような美をそこに見出そうとしていたのではないだろうか。そうしたシーレの特質を最もよく表わしているのが自画像だと思う。今展でも彼の独自性を強烈に印象づける優れた自画像を見ることが出来た。かつて坂崎乙郎は「ルノアールは肉体しか描けなかった。シーレの自画像は苦痛に満ちている。肉体と魂を共有する人間を描いている」と言ったが、これほど突き詰めていては肉体と魂を共有しきれないのではないか、と言う予感は果して当たっていた。(続く)