秋晴れが続いている。陽ざしは強いが、湿度が低いので、朝夕は肌寒いくらいになる。
昨日は、この地区の氏神様の例大祭、秋祭りだった。我が家から見える青木神社の杜が、年に2度、お正月と秋祭りは前夜からぼんぼりに火が入って華やかになる。
そして、昨日は、朝から神輿や子供みこしが神社に集まって、奉納太鼓が終日賑やかに聞こえていた。
秋晴れが続いている。陽ざしは強いが、湿度が低いので、朝夕は肌寒いくらいになる。
昨日は、この地区の氏神様の例大祭、秋祭りだった。我が家から見える青木神社の杜が、年に2度、お正月と秋祭りは前夜からぼんぼりに火が入って華やかになる。
そして、昨日は、朝から神輿や子供みこしが神社に集まって、奉納太鼓が終日賑やかに聞こえていた。
毎日予定が入っていて、充実した1週間だった。
14、15日は月末に行く予定の北海道旅行の打ち合わせに、次女が来てくれて盛り上がった。15日の敬老の日は、娘や孫それぞれから励ましのメールをもらった。
16日、美術講座で鎌倉女子大学に出かけた。残暑が厳しく暑かった。
バロック美術の魅力(2) -巨匠カラヴァッジオの世界ー 3 ローマ時代(後編)
ローマで有力なデル・モンテ枢機卿の援助を得たカラヴァッジオは、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂における一大プロジェクトを任される。これらの仕事を大成功に収め、一躍ローマ画壇の寵児になるが、生来の気性から暴行事件などでたびたび裁判沙汰になり、今後の人生に大きく影響することとなる。
代表作品 《コンタレッリ礼拝堂》(1599~1602年)
《チェラージ礼拝堂》(1601年頃)
《エマオの晩餐》 (1601年頃)
《聖母の死》 (1602~1606年頃)
など、多くの作品の画像を見ながら、楽しい講座だった。
17日、着付け教室。8月は夏休みだったので、2か月ぶりの着付けをした。今月は、着物だけ単衣で、下着・襟・小物は冬物になる。少し余裕も出てきて楽しい。
18日、俳句会。月1回の俳句会で、祐天寺まで出かけた。6人中1人が病気でお休みだった。
そして今日は、5月から続いている歯科治療に出かけた。もう少し続きそうだ。
日中は日差しがあるとまだ暑く感じるが、朝晩はすっかり秋の気配になって、開け放してあると肌寒いくらいになった。今年は 秋の訪れが早い気がする。近くの彼岸花の蕾を見つけた。お彼岸に彼岸花が咲くのは珍しい。
昨日は、日比谷シアタークリエへ、ミュージカル「シェルブールの雨傘」を観に行った。シアタークリエは、日比谷シャンテに隣接して、宝塚劇場、日生劇場の向い側と知っていたが、訪れたのは初めてだった。
1964年カンヌ国際映画祭グランプリなど数々の賞を受賞した、ミュージカル映画の舞台で、松井るみさんの装置が、可愛らしくきれいだった。また、全編をミシェル・ルグランの哀愁を含んだメロディが流れ、運命に翻弄される恋人たちの甘く切ない物語は、主演の井上芳雄さん、野々すみ花さんの熱演で素晴らしかったが、余りにも甘すぎて、ちょっとついていけない部分もあった。主人公のギイ役をサポートし、後に妻役を演じた大和田美帆さんも上手だった。表題にもなっている雨傘が、各シーンでうまく使われているのが印象的だった。
昨夜は、お世話になっている美容院が年に1回開催している、「ハイナインナイト」に、若いお友達を誘って出かけた。
場所は大船のバー/ライブハウス「ハニービー」で、軽く食事をすませて訪れたときは、まだそれほど人は多くなかったが、店長によるDJが始まっていた。
その後、今回初めて参加の手際のよい素晴らしいマジックに感嘆の声を上げた。
お店のスタッフにのライブや、私たちが応援しているNOBUさんのライブなどを、おつまみとお酒をいただきながら楽しんだ。
帰途に着いたのは22時過ぎ、最近こんな時間に外を歩くことはないが、大船の仲通りはまだ賑わっていて、細かい雨が降り始めていた。
先週の火曜日、美術講座の日が晴天だったが、その後1週間は曇りや雨のうっとうしい日が続いた。
今日は久しぶりに晴れて、日差しは強かったが、風は気持ちよかった。
昨日は、鍼灸治療に出かけた。中華街は朝早くの関帝廟通りも、帰りの大通りも、いつもより人出が多い気がした。中秋の名月で、各店の販売店では月餅の呼び込みが目についいた。
横浜公園は、わずかにベンチで休む人がいるだけ、木々や草花も変化なく静まり返っていた。
そして昨夜は満月は見られなかった。
今日は、美術講座2回目に出かけた。早くも秋の気配は日増しに濃くなっている気がする。
通学路では、先週は気がつかなかったデイゴの花が咲いていた。
また、女子大学構内の金糸梅の返り花が、とても多く目について驚いた。
季節の花と言えば、紫式部がきれいだった。
バロック美術の魅力(2) -巨匠カラヴァッジオの世界ー ローマ時代(前編)(1492~1600年)
1584年、12歳のカラヴァッジオは、ミラノで活躍していた画家シモーネ・ペテルツァーノお工房に弟子入りする。その後、1599年までに歴代教皇による大規模都市計画が進んでいたローマに移住し、フレスコ画家として活躍していたカヴァリエーレ・ダルピーノに雇われたとされる。また裕福で知識人であった枢機卿フランチェスコ・デル・モンテをパトロンにするチャンスを得て、安定な生活をしつつ、彼のために多くの初期作品を制作する。
代表作品《病めるバッカス(1593年頃)》《果実を持つ少年(1593年頃)》《ユーディットとホロフェルネス(1598年頃)》《メデューサ(1599年頃)》などの作品を見ながら、画家の特異なエピソードを楽しく聞いた。
追加:今夜も満月は無理かとあきらめていたが、雲間から一瞬、大きな月(スーパームーン)を見ることが出来た。感激!
9月9日 20:13