<2017年4月7日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
456~476頁
<第3篇、第23章>
今回の箇所には、神様から遺棄される人のことについて書かれていました。
もし、物事が神様の計画の通りに進んでいて、必然しかないのなら、
救われない人の存在は、不公平ではないか。
生まれる前から、人が救わるかどうか決まっているとは、あまりにも不公平です。
救われない人は何をしても救われない。
これに対し、人を救うか、救わないかは神様の意志によるのです。
その意志は、人間には分からないのです。
なぜそうなるのか、分からないのに、不公平だと断定するのは、人間のおごりではないでしょうか?
神様が人を救うか救わないか、その理由は、ちゃんと存在するのかもしれないです。
ただ、それは人には分からないのです。
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
456~476頁
<第3篇、第23章>
今回の箇所には、神様から遺棄される人のことについて書かれていました。
もし、物事が神様の計画の通りに進んでいて、必然しかないのなら、
救われない人の存在は、不公平ではないか。
生まれる前から、人が救わるかどうか決まっているとは、あまりにも不公平です。
救われない人は何をしても救われない。
これに対し、人を救うか、救わないかは神様の意志によるのです。
その意志は、人間には分からないのです。
なぜそうなるのか、分からないのに、不公平だと断定するのは、人間のおごりではないでしょうか?
神様が人を救うか救わないか、その理由は、ちゃんと存在するのかもしれないです。
ただ、それは人には分からないのです。
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