ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

キリスト教綱要第4篇、第2章

2017-07-06 23:49:09 | キリスト教綱要第4篇
<2017年4月22日~2017年7月6日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第4篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
40~53頁

<第4篇、第2章>

今回の箇所には、カトリックの教会の批判が載っていました。
カルヴァンが生きていた当時のカトリックは、腐敗していたのでしょう。
今のカトリックは、当時ほどは、腐敗していないと思います。

キリスト教綱要第4篇、第1章

2017-04-21 21:40:08 | キリスト教綱要第4篇
<2017年4月10日~2017年4月21日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第4篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
1~39頁

<第4篇、第1章>

今回の箇所は、教会について書かれていました。
教会には、救われた人だけではなく、救われてない人も存在するとのこと。
ただ、それを人が判断してはいけないと書かれていました。
人を裁いてはいけないのです。

あと、教会員となってから、罪を犯す場合もあるとのこと。
僕もそうだと思います。
ダビデは救われていたと思いますが、重大な罪を犯しました。
姦淫と、殺人の罪を犯しました。
これは、死罪に当たります。
でも、ダビデは、救われたのです。

なので、人が何か罪を犯しても、その人が罪を認め反省するならば、教会は、赦しを与えなければなりません。

キリスト教綱要第3篇、第25章

2017-04-09 21:56:15 | キリスト教綱要第3篇
<2017年4月9日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
504~527頁

<第3篇、第25章>

今回の箇所は、死後、人はどうなるかについて書かれていました。
僕は、死後、天使のような全く新しい体が与えられると思っていました。
そして、記憶と魂とか心とかが、その新しい体に引き継がれると思っていました。

カルヴァンは、それとは少し違うことを書いていました。
肉体は、死ぬ時に一時的に腐敗などをするけど、蘇ると書いていました。
今の肉体は、死後の世界にも引き継がれるようです。
ただ、死んだ時の肉体とは、性質が異なることになるとのこと。

実際どうなるのでしょうね。
これは死んでからのお楽しみですね!

さて、このキリスト教綱要の第3篇は、2011年7月9日から、読み始めました。
ようやく、今日、2017年4月9日、読み終わりました。
長かった。
5年以上かかりました。
でも、まだ、キリスト教綱要は、続きがあります。
第4篇があります。
気の長い話です。

キリスト教綱要第3篇、第24章

2017-04-08 21:38:06 | キリスト教綱要第3篇
<2017年4月8日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
477~503頁

<第3篇、第24章>

今回の箇所も前回に引き続き、予定について書かれていました。

予定に関しては、人の理解を超えている部分があります。

それに対しカルヴァンは、最終的にこう答えています。

「ああ人よ、神と争うお前は何者なのか」(ローマ9:20)

神様の考えが分からないからと言って、神様を糾弾するのは、おかしいと思います。

キリスト教綱要第3篇、第23章

2017-04-07 22:59:37 | キリスト教綱要第3篇
<2017年4月7日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
456~476頁

<第3篇、第23章>

今回の箇所には、神様から遺棄される人のことについて書かれていました。
もし、物事が神様の計画の通りに進んでいて、必然しかないのなら、
救われない人の存在は、不公平ではないか。

生まれる前から、人が救わるかどうか決まっているとは、あまりにも不公平です。
救われない人は何をしても救われない。

これに対し、人を救うか、救わないかは神様の意志によるのです。
その意志は、人間には分からないのです。
なぜそうなるのか、分からないのに、不公平だと断定するのは、人間のおごりではないでしょうか?

神様が人を救うか救わないか、その理由は、ちゃんと存在するのかもしれないです。
ただ、それは人には分からないのです。

キリスト教綱要第3篇、第21~22章

2017-04-07 01:10:41 | キリスト教綱要第3篇
<2017年2月23日~2017年4月7日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
425~455頁

<第3篇、第21~22章>

今回の箇所では、予定について書かれていました。
カルヴァン神学の核となる部分ですね。
カルヴァン主義と呼ばれるものは、この箇所の内容から来ていると思います。

人が救われるかどうかは、生まれる前に決まっているとカルヴァンは主張します。
僕もそう思っています。
そもそも、神様は、我々の時間軸とは別の時間軸の中にいると思われます。
なので、神様とって、過去も現在も未来もないような気がします。

ここで、注意しなくてはならないのは、救いが生まれる前から決まっているからと言って、
伝道しなくても良いとはならないと言うことです。

神様の計画があり、すべては決められているとしても、人にはそれが分かりません。
その中でも、人は、伝道すべきです。

キリスト教綱要第3篇、第20章

2017-02-23 00:03:17 | キリスト教綱要第3篇
<2017年2月15日~2017年2月22日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
348~424頁

<第3篇、第20章>

今回読んだ箇所には、祈りについて書かれていました。
神様に対して祈るのですが、その心構えが書かれています。
おそらく、自分の益になることを祈っても聞かれないかもしれません。
キリスト教は、ご利益宗教じゃないので、例えばお金をくださいと
祈っても聞かれないかもしれません。
ただ、僕は、厚かましくも、お金をくださいと祈ったことが何回かあります。
その都度、お金が貰えました。
ただ、これは、僕がクリスチャンとして未熟だったので、祈りが聞かれたのではないかと思います。
クリスチャンとして、成熟していくにつれ、そういう自己中心的な祈りは、聞かれなくなっていくと思います。
今では、他者のことを自然に祈るようになってきたと思います。

話を少し変えます。
祈りの基本は、主の祈りだそうです。
この主の祈りにそって祈ると良いそうです。
特に、「日ごとの糧を与えたまえ」が印象的でした。
神様は、一度に大量のお金を与えてはくれないかもしれませんが、日々生活をしていく上で必要なお金は、与えてくれます。
イスラエルの民が出エジプトした後、荒野を旅している時、マナが与えられました。
マナは、食料になりました。
天から降ってきます。
でも、一日分しか取れません。
次の日の分も残そうとしても腐ってしまったそうです。
安息日の前日は、二日分取っても、腐らなかったそうです。

このように、日々の糧を必要な分、その都度、神様が与えてくださいます。
下手に、大金を与えてしまうと、神様から心が離れてしまうかもしれません。
お金があると、どうしても傲慢になったり、不遜になったりしがちです。
必要な分を日々与えることで、神様に従うことを日々意識するようになります。
神様に従うことの訓練になります。
この訓練により、我々の人格は、整えられて行くと思います。

神を知るということ

2017-02-16 17:16:39 | 神を知るということ
<2016年5月4日~2017年2月14日に読んだ箇所>
「神を知るということ」
J・I・パッカー著
渡部 謙一 訳
全頁読みました

<神を知るということ>

この本は、以前、「神について」と言う名前で出版されていたものです。
長いこと絶版になっていましたが、去年(2016年)改訂され、新しく出版されました。
内容は、クリスチャンの人向けです。
少なくとも5年以上、クリスチャン生活をしている人が読むと良いと思います。
特に、プロテスタントの福音派のクリスチャンが読むための本だと思います。
信仰が試されるような本です。
自分自身が不信仰に陥っていないか、この本を読んで考えてみると良いと思います。

クリスチャンであるとは

2016-01-16 16:24:06 | クリスチャンであるとは
<2015年12月5日~2016年1月15日に読んだ箇所>
「クリスチャンであるとは」
N.T.ライト著
上沼昌雄訳
全頁読みました

<クリスチャンであるとは>

この本は、最近、キリスト教内で注目を浴びている本だそうです。
キリスト教の入門書のようであり、それでいて、クリスチャン生活が長い人にとっても、信仰が刷新されるような感じを受けました。
キリスト教を斬新な切り口で説明してあります。
この本は、3部作の第1作目のようで、残りの2作も翻訳されましたら読んでみたいと思います。

総説 現代福音主義神学(再読)

2015-12-04 19:02:25 | 総説 現代福音主義神学
<2015年9月20日~2015年12月4日に読んだ(再読した)箇所>
「総説 現代福音主義神学」
宇田 進 著
全頁読みました

<現代福音主義神学>

この本は、以前、この「ふかごろうキリスト教神学日記」を書き始める前に読破しておりました。
なので、今まで、この日記には、書いておりませんでした。
でも、最近、再読したので、感想を記しておこうと思います。

この本は、総説とあるように、神学の今までの流れや歴史を簡単にまとめてあります。
神学を本格的に記述するとなると、もっと多くの文章が必要になると思いますが、この本は、的確に、様々な本を引用し、今までの神学の歴史を簡単に記述してあります。

また、これからの、福音主義神学の展望を記述し、本の記述が閉じられています。

神学書ではありますが、他の神学書に比べ、読みやすいと思います。
日本人の著者が書いてあるので、日本語が読みやすいのかもしれません。

福音派のクリスチャンで、神学を勉強したいと思っている人は、まず初めに、この本を読んでみることをお勧めします。