60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

若者の憂い

2009年01月27日 09時29分41秒 | Weblog
彼は2人兄弟(姉弟)、34歳で独身である。郊外の6軒併設のアパートに1人で暮らしている。
近くに実家は有り両親とも健在である。彼が結婚しから同居できるように2階は全て空けてある。
「わざわざアパートに住まなくても実家から会社に通えば?」それが親の望みなのは判っている。
しかし「親元に居れば自立できないから」そう言ってあえて一人で住み始めた。もう6年になる。
親は「彼女はいるの?」「何時結婚するの?」「周りで、まだ結婚していないのは貴方だけよ」
子供が結婚に本気にならないと勘違いするのか、何時も一番神経に触る言葉を投げつけてくる。
そんな言葉は聞きたくない、聞けば聞くほど滅入ってくる。だから実家から出て行ったのである。
昔の友達も、周りの同年代も皆んな結婚して行って、自分だけが取り残されていく感じがしてくる。
「俺だって結婚したいと焦っているんだよ! しかし結婚出来ないのだから仕方ないだろう!」
親にはそう言い返してやりたい。しかし子にも子のプライドがある。親には弱音ははけないのである。

彼には以前つき合っていた女性がいた。
その彼女は勤めていた会社の人間関係の縺れから辞め、それから家に閉じこもるようになった。
家族と彼と2、3の女友達だけにしか気を許さなくなり、世間との接触を閉ざすようになる。
何時かは立ち直ってくれるだろう。自分がその手助をしてやる。そう思って支えてきたつもりだった。
しかし何時まで経ってもその引きこもりもは改善することなく、時間だけが経過しとうとう8年になった。
30歳を過ぎて、このままずるずると時を重ねても仕方ない。そういう焦りから結婚を申し込んだ。
しかし彼女は「私などと一緒になれば足手まといになり、いずれ嫌われてしまうから・・・・」と言って、
頑なに彼の申し込みを拒否し続けたそうだ。そして仕方なく別れることを決断したのである。

8年間のブランクを埋めるべく、心機一転して彼女(結婚相手)を見つけようと活動を始めた。
コンパ、企業の仲立ちする合コン等、恥も外聞も捨て、積極的に出て行くようにしたという。
しかし、自分を打ち出すことが苦手な性格から、そのような集まりにはなじまなかったようである。
結婚目的と割り切った実利的な出会いの場、なんとも言えぬ虚しさを感じることもあったと言う。
彼の勤め先は女性社員も少ない中小企業。行動範囲も狭く女性との出会いの場も少なかった。
学生時代は仲間とつるんで遊んでいた。しかし彼らも皆結婚し子供ができ家族単位になって行く。
そして仲間達は家族同士で定期的に集まっている、しかし1人の彼は仲間とも疎遠になって行った。
結局、彼は家族から離れ、彼女から離れ、昔の仲間からも離れて孤立するようになったのである。

彼にとって、結婚は今後の人生のスタート地点、これが決まらなければその先に一歩も進めない。
ドライブに行く、共通の趣味を持つ、マンションを買う、子供ができる、仕事を頑張る、家族で遊ぶ、
そして昔の仲間の集いの中に家族を連れて復帰して行く。それが彼の願望で夢になっている。
したがって結婚というステップを踏まない限り、何をやっても本気になれず、むなしく空虚なのである。

日曜日、アパートにいると周りの部屋からはコトリとも音は聞こえてこない。
「あ~ぁ、アパートでこの日曜日、何処にも行かず居るのは俺だけなのか」と焦燥感が起きてくる。
会社に行けば、仕事もあり、しゃべる相手も居るから、不安を感じず時間が過ぎて行ってくれる。
しかし、休みになると自分の孤独な現実があからさまにになり、居ても立っても居られない。
「しょうがない、スロットに行くか」駅前のパチンコ屋に行き9時を過ぎるまで時間を潰す。
「これではいけない。なにか趣味を持たなければ、何か打ち込めることを見つけなければ」そう思う。
お正月、義兄に使い古したゴルフセットをもらった。「そうだ今年はゴルフを覚えるんだ」と言う。
私が「おじさん臭い趣味は止めて、自転車とかもっと若者らしい運動をすれば・・・」と言った時、
「私だってゴルフが本当にしたいわけじゃあないんですよ。ゴルフをすることで、集まりに参加できる。
それが年に1回でも良いんです。何かをやらなければ滅入ってくるし、それだけ苦しいんですよ」と、
強い口調で言い返された。

なぜこの若者はこれだけ苦しまなければいけないのだろうか?
結婚を前提とした人生設計の考え方に間違いがあるのだろうか?
何が問題で、どうすれば彼が望むような人生の構築ができるのであろうか?
彼と話すときに何時も考えさせられる問題である。
彼はあまり面白味はない方かもしれないが、しかし誠実で真面目なタイプである。
女性からすれば「外れ」では無いと思うが、かと言って積極的にアプローチされる方でもないようだ。
考えてみると、我々の年代の方がまだ結婚には楽だったように思う。
昔と比べて何が変化したのだろうかと、考える。

昔は「結婚しない」という選択肢はほとんどなく、結婚が人生の前提になったいたように思う。
だから、本人も家族も親戚を含めた周りも、結婚ということに積極的に関わりを持っようにしていた。
とりあえず世帯を持たせる。そうしないと一人前の大人としては認められない。そんな風潮だった。
戦後になってからも、我々や団塊の世代まではそのような風潮が色濃く残っていたように思う。
結婚は家の問題、両親の了解を必要とする案件。当人同士より親の方が正しい判断ができる。
しかし戦後教育の影響なのか「個人」という意識が強くなり、結婚に対しての考えも変わっていった。
今の30~40歳の団塊ジュニアの世代はそんな意識が変化していく過渡期にあったのだろう。
「個人の意思を尊重する」「結婚は本人の問題で当人同士が決めること」という考えがが大勢である。
やがて周りは結婚のことから手を引き関わらなくなった。親でさえ子供の意思に任せるようになった。
周りからの推薦や支援が無くなった若者は自力で伴侶を見つけなければならなくなったのである。

二番目は女性の意識の変革であろうか。
共学で対等意識の中で育った来た女性達は同年代の男性に頼りなさを感じるのではないだろうか。
物足りない。尊敬に値しない。自分を持っていない。夢がない。将来を託せない。そんな意見が多い。
女性も仕事を持ち、自立するようになって、ますます相手を見る目が厳しくなってきた。
意に染まぬ結婚、好きでもない相手とは絶対に結婚しない。女性には断固とした意識ができている。
そんな中でフルイに掛けられ、誰の網にも掛からず、落ちて行く若い男性が多くなったのだろう。
昔なら、フルイから落ちた場合でも救済のネットワークがあった。今はそれがなくなってしまった。
世の中、結婚願望が強い女性も多いはず、出来ればそんな2人を巡り合わせ組み合わせて見たい。
時々そんなおせっかいなことを思う時もある。しかし自分の結婚生活さえうまくいかないのに、
人のことをかまっていいのか、と自問自答してしまう。やはり、人も動物、生存競争は激しいのだ。
自分の伴侶は自分で見つけざるを得ないのだろう、と思い直してしまう。

彼はこの3月で35歳、「この1年で目途をつける」 年明け浅草寺で決意表明をしてきたそうだ。
そのために結婚のサポート会社に申し込みをすると言う。何とか希望がかなえばと願ってやまない。


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