60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

葬儀

2012年11月02日 10時16分17秒 | Weblog
 今週の火曜日、一緒に仕事をしたことのある仲間の葬儀があった。彼は61歳(享年62歳)、独身で両親もすでに他界し、今年の春には実の弟さんも亡くなっている。血縁のある身寄りと言えば、東京に住んでいる妹の娘さん(姪)だけである。彼はアル中といっても過言ではないほど、無類の酒好きであった。多分それが原因なのだろう、60前から体調を崩し、仕事から遠ざかってしまっていた。そして最近の情報では、一人での生活が難しいほど悪くなって近所の病院に入院したと聞いた。そんな矢先、「先週の土曜日に亡くなりました」と、姪御さんから元の会社に連絡が入る。死因は肝硬変の悪化だそうである。「さもありなん」、誰もが納得する病名である。彼と関係が深かった何人かが葬儀に参列することになった。

 彼は家としては仏教系のある宗派に属していたのだが、彼自身は無宗教を貫いていたようである。生前姪御さんにも、「戒名も何も要らないから、お骨にして墓に入れてくれればそれで良い」との遺言であったようである。
 当日斎場に集まったのは20名弱であった。予定の時間になって施設内にある安置所に案内される。そこは冷房がしっかり効いていて、壁面に3段の棚があり、名前が書かれた7~8体の棺が納められていた。安置所の中央にはすでに台車に乗せられた彼の棺が置かれていた。一通りの挨拶があってから、お盆に乗せた切花を参列者は故人の傍に手向けていく。彼の顔は黒ずんで、頬はこけ、白髪が目立ち、小さな方だった体は、棺の中ではより小さく見える。全ての花を入れ全員がそろって合掌し終わると、葬儀社の人は棺に蓋をし台車を押してそのまま焼き場に向かう。一同もその後に続いた。

 焼き場には火葬炉がずらりと並び、その左から2番目の炉に棺は収められた。鋼鉄の扉が閉められてその前に焼香台が置かれてから参列者は最後のご焼香をする。焼香台に飾られていた彼の小さな遺影は、この半年以内に撮られたものだろう。ブレザー姿の顔は笑っているようにも見えるが、げっそりと痩せた頬と落ち窪んだ目、やはりその衰えは隠しようもない。焼香が終わると、「しばらく時間がかかりますから、控え室でお待ちください」と言われ、控え室に案内された。部屋にはお茶やジューズやビールが並び、つまみやお菓子も袋のまま置いてある。お茶を飲みながら待つこと40分、やがて案内があり全員は再び火葬炉の前に集まった。

 炉が開けられて台車が入り、散乱した遺骨が引き出される。係りの人の手で頭部を別に分けたあと、2人一組で箸で骨を拾って骨壷に収める。一通り拾い終わると係りの人が残りの骨を骨壷に収め、最後に頭部の骨を一番上に置いて蓋をした。骨壷は桐箱に入れられ、白い風呂敷で包み、貼箱に収めてから姪御さんに渡された。最後に姪御さんがお礼の挨拶をして全ての葬儀が終わる。斎場に来てから2時間弱のセレモニーであった。
 
 彼は印刷物の製作過程の中で版下作業を受け持っていた。デザイナーが描いたデザインを印刷物にするための刷版の原稿製作で、この版下の校了後に製版が行われる。誤植はその後の印刷工程の全てダメにしてしまう。だから版下製作は間違いが許されない仕事である。彼は一人で部屋にこもり、コンをつめたち密な作業の毎日であった。常に納期に追われ、徹夜をすることも日常茶飯事であったようである。彼は時に営業のいい加減な仕事の泥を被ることがあっても、仕事に対してはひたむきで誠実であった。しかし生活面ではルーズで、一人身の寂しさと仕事でのストレスからか、彼は酒におぼれてしまった。仕事帰りには必ず行きつけの居酒屋へ行き、最低3合の日本酒を飲む。その居酒屋が定休日のときは別の店へ、仕事が休みの日は地元で行きつけの飲み屋へ、1日3合のお酒は欠かしたことは無かったようである。たぶん生涯で3合X360日X40年=43000合(43石)約7700リットル以上のお酒を飲んだことになる。

 私は彼とは20年近くの付き合いである。その間に50回程度は一緒に飲んだだろうか。そんなことからすれば、彼が肝硬変になった一端の責任は私にもあるのかもしれない。飲めば故郷の大垣のことやを語り、会社の昔を語り、今の会社の憂いを喋った。彼は基本的には日本酒党である。枡の中にグラスをセットし、そこになみなみと冷酒を注いでもらう。こぼれたお酒が枡に溜まり、それに口を添えて愛おしそうに、実に美味しそうに飲むのである。この時間が彼にとっての至福の時であったのだろう。

 葬儀が終わって、参列者の中から「寂しい葬儀だったね」という言葉が聞こえてくる。確かにそうかも知れない。しかし彼にとっては一番相応しいように思うのである。無宗教を通す彼には大勢の人が集まっての告別式の方が不本意なことなのであろう。孤独に生きてきた彼にとってはひっそりと静かに送られるほうこそ本意のように思うのである。

 今回のように自分より若く身近な人の死に接すると、さて自分の葬儀はどうしたらいいのだろう、どうして欲しいのだろう?と考えてしまう。人に集まってもらい、お坊さんを頼んでお経を上げてもう。果たして高い葬儀代を払ってまで戒告別式を行う必要があるのだろうか? お布施を納め戒名をもらう、家に仏壇を置き、霊園かお寺に墓地を買って墓を作り、そこに埋葬されるべきなのだろうか? 両親が入る先祖代々の墓は新潟にあり、今は弟が継いでいる。だから今の私には菩提寺も無ければお寺との関わりもまったく無い。たぶん子供達は我が家がどこの宗派なのかも知らないであろう。

 残る子供達に負担はかけたくないという思いもある。それと別に、死んでいく自分には何の見得も、はばかる外聞もなくなっているだろう。そして死んだあとには意識も魂も残らず、私を構成していた全ては霧散していくものだと思っている。だから後は残る子供達の納得の問題だけであろう。白洲次郎が遺言で「葬式無用、戒名不要」と残したそうであるが、私も「葬式簡素、戒名不要」で良いと思っている。歳とともに付き合いも少なくなるのだから葬式は内輪だけで簡素にやれば良い。後は今回のように焼き場で遺骨にしてもらい。遺骨は故郷の下関の海に散骨してもらうか、所沢近辺の山に樹木葬が良いように思うのである。今の健康状態では、もう少し考える時間はあるだろう。ある程度自分の寿命を悟って来たときは、こんなことを家族に言って置こうと思っている。

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