我が家は毎年女房の実家(大和市)に行き、お正月を迎えるのが恒例になっている。
しかし今年は末の娘が風邪で熱を出した。実家には高齢のおばあちゃんが居るため
うつってはまずいからと、実家には行かず、娘と2人で我が家で正月を過ごすことになる。
元旦に診療する病院を探して娘を連れていく。新型インフルエンザの可能性もあるからと
翌日も検査(発熱して12時間以上経過しないと判定できない)に病院へ連れて行く。
その後は毎日の弁当や飲み物を買ってきてやればオヤジとしての役割は終了である。
そんなことから今年のお正月はのんびりとTVを見たり、本を読んだりして3ケ日を過ごした。
お正月らしいセレモニーは何もなく、したがって意識の切り替えも今年の目標も定まらない
ままに平成22年を迎えた感じである。
休み中に読んだ本で「リンゴが教えてくれたこと」という本が面白かった。
著者の木村秋則氏は絶対不可能と言われたリンゴの無農薬・無肥料栽培を成功させ、
一躍時の人になった。もともと青森のリンゴ農家を継いだ当初はまわりの農家と変わらず、
農薬を使っていた。転換のきっかけは家族が農薬によって健康を害したことに始まる。
大量の農薬を使わなければいけない農法に疑問を抱いた彼は以後農薬の量を少しづつ
減らしていった。年に13回だった農薬散布を6回に、翌年は3回と、様子を見ていった。
しかし農薬散布の回数を減らしてもさほど収穫量は落ちなかった。これならいけると、
農薬を全く使わない自然栽培に踏み切ったのである。しかし自然栽培に切り替えてからは
ただの1個のリンゴも実をつけることはなかった。楽観的な読みは外れ、無収穫の年が
その後9年間続き生活は困窮して行く。その間、北海道などに出稼ぎに行き、なんとか
生活費を稼いで、その日暮らしの生活が続くことになった。
6年たったころ、もう不可能と諦め、迷惑をかけた人達に死んでお詫びしようと山を登って、
ロープを木に掛けようとした時、その木がリンゴの木に見えた。(実際はドングリの木であった)
ところがこの木は自分の木と違って虫の被害もなく、見事な枝を張り、葉を茂らしている。
あたりに土の匂いが満ち、足許がふかふかで柔らかく、湿気がありクッションを敷きつめた
ような感触だった。木村氏はその時に「これが答だ」と直感したそうである。
それまでは木のことしか考えていなかった。雑草を刈り、葉っぱの状態ばかりが気になって、
リンゴの木の根っこの部分は全くおろそかになっていた。雑草は敵だと思い込んでいた。
それがとんでもない間違いだったと気づいたという。ドングリの木の周辺に目をやると、
そこには生命があふれ、すべてが循環しているのだと気づいた。山の自然は何の肥料も
農薬も施していない。落ち葉とか枯れ枝が朽ち、それを微生物が分解して土を作っている。
それをリンゴ畑にも応用しようと、まずリンゴ畑の下草を刈るのをやめた。
その草が伸びた頃、初めてリンゴの木の葉っぱが落ちなくなった。下草がリンゴの葉を
病気から守ってくれるようになったのである。通常、夏場の暑い時には土の表面温度は
35度にも上がる。ところが、草ぼうぼうの畑の土の温度は10度くらい低い。
また草によって土が乾かないので散水も必要がなくなった。ミミズも増えたので土も軟らかく
変わって行く。翌年も下草を刈らなかった。この年は通常の木の三分の一ほどは葉っぱが
残り、1年後に1本だけだが、7つの白い花を咲かせ2個のリンゴを実らせてくれた。
そして翌年ついに無肥料・無農薬に移行した畑がリンゴの花で満開になったのである。
自然には何一つ無駄なものはない。リンゴの木は大きな自然の循環の中でこそ生き生きとし
立派な実をつけてくれる。今までの農業は効率と成果を追求するあまり、大量の肥料を使い
大量の農薬を使う。そんな農業を脱皮して自然の循環に身をゆだね、我々はその循環が
うまくいくよう手助けしていくことこそが重要であると悟ったのである。今はコメや野菜へとその
農法を展開するとともに、日本各地や海外までその農法を指導しているそうである。
風邪の娘も4日目には熱が下がったので、話題の3D映画「アバター」を見に行くことにした。
「アバター」はジェームズ・キャメロンの『タイタニック』以来12年振りの劇場用監督作品である。
ストーリーはいかにもハリウッド映画、主人公の男女が一緒になってハッピーエンドで終わる。
しかし2億ドル(200億円)掛けたといわれる、鳴物入りの3Dの映像は素晴らしいと思う。
入場すると入り口で専用メガネを渡される。昔あった赤と青のセロハンが張られた簡易型の
メガネではなく、ちゃんとしたフレームの偏光グラスの入ったメガネである。
映画が始まり、そのメガネをかけると字幕がスクリーンの一番手前に飛び出して見える。
立体感のある映像は3時間という長い上映時間中も臨場感をともなって飽きることはない。
特に近距離撮影の方が立体感ははっきりしていて、その場にいるように錯覚するほどである。
しかし遠距離撮影の映像はメガネなしで見るのとさほど違いはないように感じた。
今年は「3D元年」と言われる。この技術は今後の映画界の大きな変革になるように思った。
翌日インターネットで、なぜ立体的に見えるのか調べてみた。
原理はプロジェクターの前に偏光板を置き、時分割で左右の眼に入る映像を高速でスイッチ
するらしい。映画は通常24フレーム/秒であるが、3Dでは、左右のぞれぞれの目に対する
映像を72フレーム/秒(合計144フレーム/秒)、時分割し交互に表示することで、左と右で
角度の異なる映像を見ることになり、そのことで立体感が得られるようである。
この技術はやがて家庭のTVにも普及していくらしい、今後家電メーカーはこの手のTV開発で
しのぎを削ることになるのであろう。
2010年の幕が開けた。年明け、これからどんな年になっていくだろうと考えてみた時、
一つは地球温暖化に伴い、今までの行きすぎた人間活動の是正が行われていくのであろう。
「リンゴが教えてくれたこと」ではないが、自然回帰、安全安心、エコなど、大きく地球全体を
捉えての自然の循環の中に我々の生活を組み込んでいくという流れが活発になるであろう。
もう一つはインターネットなどの通信や自動車の変革、映画の3Dのような映像、医学等々、
飽くなき技術の進化ではないだろうか。二つの大きな流れがうまくかみ合い融合しあえば
良いのだが、それがねじれになってしまえば混迷はますます激しくなるのかもしれない。
リーマンショック後、迷走する日本の政治や経済、その中で翻弄されながら年老いていく私は
はたしてどういう老後になるのだろうか、全く先が読めない。もう波乱万丈は望まない。
もう私の生まれ育った「昭和」には戻れない。この先どういう展開になるのであろうか?
この歳になると、世の中の進むべき方向が定まり、私の歩むべき道が見えることが望ましい。
そして今はその道をゆっくりゆっくりと歩いていきたい心境である。
しかし今年は末の娘が風邪で熱を出した。実家には高齢のおばあちゃんが居るため
うつってはまずいからと、実家には行かず、娘と2人で我が家で正月を過ごすことになる。
元旦に診療する病院を探して娘を連れていく。新型インフルエンザの可能性もあるからと
翌日も検査(発熱して12時間以上経過しないと判定できない)に病院へ連れて行く。
その後は毎日の弁当や飲み物を買ってきてやればオヤジとしての役割は終了である。
そんなことから今年のお正月はのんびりとTVを見たり、本を読んだりして3ケ日を過ごした。
お正月らしいセレモニーは何もなく、したがって意識の切り替えも今年の目標も定まらない
ままに平成22年を迎えた感じである。
休み中に読んだ本で「リンゴが教えてくれたこと」という本が面白かった。
著者の木村秋則氏は絶対不可能と言われたリンゴの無農薬・無肥料栽培を成功させ、
一躍時の人になった。もともと青森のリンゴ農家を継いだ当初はまわりの農家と変わらず、
農薬を使っていた。転換のきっかけは家族が農薬によって健康を害したことに始まる。
大量の農薬を使わなければいけない農法に疑問を抱いた彼は以後農薬の量を少しづつ
減らしていった。年に13回だった農薬散布を6回に、翌年は3回と、様子を見ていった。
しかし農薬散布の回数を減らしてもさほど収穫量は落ちなかった。これならいけると、
農薬を全く使わない自然栽培に踏み切ったのである。しかし自然栽培に切り替えてからは
ただの1個のリンゴも実をつけることはなかった。楽観的な読みは外れ、無収穫の年が
その後9年間続き生活は困窮して行く。その間、北海道などに出稼ぎに行き、なんとか
生活費を稼いで、その日暮らしの生活が続くことになった。
6年たったころ、もう不可能と諦め、迷惑をかけた人達に死んでお詫びしようと山を登って、
ロープを木に掛けようとした時、その木がリンゴの木に見えた。(実際はドングリの木であった)
ところがこの木は自分の木と違って虫の被害もなく、見事な枝を張り、葉を茂らしている。
あたりに土の匂いが満ち、足許がふかふかで柔らかく、湿気がありクッションを敷きつめた
ような感触だった。木村氏はその時に「これが答だ」と直感したそうである。
それまでは木のことしか考えていなかった。雑草を刈り、葉っぱの状態ばかりが気になって、
リンゴの木の根っこの部分は全くおろそかになっていた。雑草は敵だと思い込んでいた。
それがとんでもない間違いだったと気づいたという。ドングリの木の周辺に目をやると、
そこには生命があふれ、すべてが循環しているのだと気づいた。山の自然は何の肥料も
農薬も施していない。落ち葉とか枯れ枝が朽ち、それを微生物が分解して土を作っている。
それをリンゴ畑にも応用しようと、まずリンゴ畑の下草を刈るのをやめた。
その草が伸びた頃、初めてリンゴの木の葉っぱが落ちなくなった。下草がリンゴの葉を
病気から守ってくれるようになったのである。通常、夏場の暑い時には土の表面温度は
35度にも上がる。ところが、草ぼうぼうの畑の土の温度は10度くらい低い。
また草によって土が乾かないので散水も必要がなくなった。ミミズも増えたので土も軟らかく
変わって行く。翌年も下草を刈らなかった。この年は通常の木の三分の一ほどは葉っぱが
残り、1年後に1本だけだが、7つの白い花を咲かせ2個のリンゴを実らせてくれた。
そして翌年ついに無肥料・無農薬に移行した畑がリンゴの花で満開になったのである。
自然には何一つ無駄なものはない。リンゴの木は大きな自然の循環の中でこそ生き生きとし
立派な実をつけてくれる。今までの農業は効率と成果を追求するあまり、大量の肥料を使い
大量の農薬を使う。そんな農業を脱皮して自然の循環に身をゆだね、我々はその循環が
うまくいくよう手助けしていくことこそが重要であると悟ったのである。今はコメや野菜へとその
農法を展開するとともに、日本各地や海外までその農法を指導しているそうである。
風邪の娘も4日目には熱が下がったので、話題の3D映画「アバター」を見に行くことにした。
「アバター」はジェームズ・キャメロンの『タイタニック』以来12年振りの劇場用監督作品である。
ストーリーはいかにもハリウッド映画、主人公の男女が一緒になってハッピーエンドで終わる。
しかし2億ドル(200億円)掛けたといわれる、鳴物入りの3Dの映像は素晴らしいと思う。
入場すると入り口で専用メガネを渡される。昔あった赤と青のセロハンが張られた簡易型の
メガネではなく、ちゃんとしたフレームの偏光グラスの入ったメガネである。
映画が始まり、そのメガネをかけると字幕がスクリーンの一番手前に飛び出して見える。
立体感のある映像は3時間という長い上映時間中も臨場感をともなって飽きることはない。
特に近距離撮影の方が立体感ははっきりしていて、その場にいるように錯覚するほどである。
しかし遠距離撮影の映像はメガネなしで見るのとさほど違いはないように感じた。
今年は「3D元年」と言われる。この技術は今後の映画界の大きな変革になるように思った。
翌日インターネットで、なぜ立体的に見えるのか調べてみた。
原理はプロジェクターの前に偏光板を置き、時分割で左右の眼に入る映像を高速でスイッチ
するらしい。映画は通常24フレーム/秒であるが、3Dでは、左右のぞれぞれの目に対する
映像を72フレーム/秒(合計144フレーム/秒)、時分割し交互に表示することで、左と右で
角度の異なる映像を見ることになり、そのことで立体感が得られるようである。
この技術はやがて家庭のTVにも普及していくらしい、今後家電メーカーはこの手のTV開発で
しのぎを削ることになるのであろう。
2010年の幕が開けた。年明け、これからどんな年になっていくだろうと考えてみた時、
一つは地球温暖化に伴い、今までの行きすぎた人間活動の是正が行われていくのであろう。
「リンゴが教えてくれたこと」ではないが、自然回帰、安全安心、エコなど、大きく地球全体を
捉えての自然の循環の中に我々の生活を組み込んでいくという流れが活発になるであろう。
もう一つはインターネットなどの通信や自動車の変革、映画の3Dのような映像、医学等々、
飽くなき技術の進化ではないだろうか。二つの大きな流れがうまくかみ合い融合しあえば
良いのだが、それがねじれになってしまえば混迷はますます激しくなるのかもしれない。
リーマンショック後、迷走する日本の政治や経済、その中で翻弄されながら年老いていく私は
はたしてどういう老後になるのだろうか、全く先が読めない。もう波乱万丈は望まない。
もう私の生まれ育った「昭和」には戻れない。この先どういう展開になるのであろうか?
この歳になると、世の中の進むべき方向が定まり、私の歩むべき道が見えることが望ましい。
そして今はその道をゆっくりゆっくりと歩いていきたい心境である。