人生の根源的な問いに答えを示し、世界を魅了しつづける名著『歎異抄』について、仏教や歴史の知識が全くない「はじめての人」でも理解し、答えにまでたどりつけるという入門書「歎異抄ってなんだろう」が昨年12月に発行された。図書館で借りて読もうかと思い、予約を入れていたが、なかなか順番が回って来ず、待ちきれずにヤフオクで購入することにした。定価は1760円だが、オークションなので、送料込で1480円で買えた。図書館では2週間しか借りられないので、この手の重要な書籍は購入して手元に置いておくことが正解であると判断した。
アニメ映画にもなった「歎異抄をひらく」(高森顕徹著)は、図書館で何回か借りて読み、アニメ映画も2回見たが、十分消化できていなかった。親鸞聖人の教えは、講座に参加したり、ユーチューブで勉強したり、初心者なりに一部をかじっているが、悟りを得るにはほど遠い感があるので、入門書的なもので再勉強したいと思っていたところ、この新刊が出たので、飛びついたものである。
歎異抄は親鸞聖人の教えの全体像をわかっている前提で書かれたものなので、教えの全体像を理解するのに役立つのがこの入門書である。この本では、教えの全体像が理解できるように、例え話がいろいろ紹介されている。例えば、すべての人は、2つの難病にかかっており、一つは治らない難病でもう一つは治る難病である。治らない難病とは、「煩悩」という難病で、すべての人は108の煩悩の塊である。時代・人種・年齢によって変わらないし、死ぬまで減りもしなければ、無くなりもしない。特に、三毒の煩悩と言われるのは「欲」「怒り」「愚痴」である。限りなく広がる「欲の心」のなかでも深くて強いのは、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲という五欲と呼ばれるものである。このような「欲」が妨げられると出てくるのは、「怒り」の煩悩である。次の「愚痴」の煩悩とは、「ねたみ」「うらみ」「そねみ」である。誰もが他人の不幸をひそかに喜ぶ醜い「愚痴の心」を持っているのである。
口や体に出さなければ、心で思うぐらいは良いのではと思いきや、仏教では、口や体の行いは、心の指示によるものであるから、「心」が最も重要であるという。仏の眼は心の奥底まで見通しているのである。親鸞聖人によると、すベての人は、煩悩という治らない難病に侵され苦しんでいる「心の悪人」であり、仏の眼から見られた悪人であるという。人間とは死ぬまで煩悩の塊であるといえる。親鸞聖人によると、人間の苦しみには、「根本」と「枝葉」の2つがあるが、一生治らない難病である煩悩は苦しみの枝葉であって、根本ではないという。苦しみの根元(根本)は「死後が暗い心の病」であるが、こちらは治る難病であると言い切る。すべての人の苦しみの根元は、「無明業障の病」(死んだらどうなるか分からない死後が暗い心の病であるが、この難病は生きている時に完治できる「治る難病」であると説く。死後の世界がわからず未来が暗いままでは、現在を明るくはできないのである。本書はこんな風に例え話でわかりやすく解説してくれているので、理解しやすい。すべての人は、「難病人」で、名医の案内者が「釈迦」であり、名医とは、「弥陀」のことであると解説が続いていく。我々素人にとってもわかりやすいので、しっかりと読み上げていきたい。