浪漫飛行への誘(いざな)い

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生まれて初めての海外旅行~沖縄・台湾・香港・マカオ

2022年04月15日 20時55分51秒 | 旅行

 

学園紛争で1970年の3月卒業が2か月遅れて5月になったことを利用し、卒業旅行として、3月5日~4月2日まで約1ヵ月かけて沖縄・台湾・香港・マカオへ初めての海外旅行(一人旅)に出かけた。当時知合いのいた沖縄に東京から琉球海運の船で出かけ、本島は、北は辺戸岬から南は南部戦跡まで一回りした後、石垣島まで初めて飛行機に乗った。南西航空のYS11でスチュワーデスが2人乗務していたが、えらく美人に見えた。飛行高度が低いため、青いサンゴ礁の海を眼下に見て、感動したことを鮮明に覚えている。航空会社への就職が決まっていたが、それまでは飛行機に一度も乗ったことがなかったので、体験搭乗を兼ねたものである。石垣島では、川平湾に行ったこと位しか覚えておらず、竹富島まで足を延ばし、1泊した。石垣島からは、また船旅で台湾の基隆のいう港町から上陸した。台湾海峡は荒海で有名なようで、船酔いだけでなく、荷物が揺れるたびに移動してしまうほどで、生涯で一番厳しい船旅となった。

今までに102ヵ国(国と地域)の海外旅行を経験しているが、1ヵ国目がまさにこの台湾であったので、印象深い思い出がよみがえる。基隆から台北まで移動し、台北では、YMCAの安宿に泊まった。卒業旅行は、長期にわたったこともあって、お金は少し貯めたが、コスト削減でいかざるを得なかった。台北では、故宮博物館や中山祈念堂や龍山寺等を見て回り、温泉地として有名な新北投温泉にも1泊した。台北からは、日月譚まで足を延ばし、大きな湖と民俗舞踊を見た記憶がある。そこからは、当時最新の特急列車に乗って、彰化⇒台中⇒台南を経て、高雄まで行った。途中何処で泊まったかも覚えていないが、高雄では、澄清湖に行ったことは覚えている。この特急列車の車内で初めて耳にした中国語による車内アナウンスが流れるように美しく強烈な印象を受けた。台湾では、中国語でも最も美しい北京語が使われており、その魅力に取りつかれた感がある。男性の喋る中国語は聴くに堪えないが、若い女性の喋る中国語はうっとりするほど流れるような響きがあり、世界一美しい言葉ではないかと感じたほどであった。台湾滞在中に知ったのが、当時その美しい歌声で人気のあった「鄧麗君」という歌手であった。後に、日本でもデビューしたアジアの歌姫「テレサ・テン」である。日本でのデビューは、1974年のことなので、デビュー4年前からのファンといえる。

レコード屋に行くと鄧麗君のレコードやカセットテープがいっぱい並べられていて、その歌声もお店に流れていたのを覚えている。当時は、日本の歌謡曲を中国語で歌ったものが沢山出回っていた。メロディは聴いたことがあっても、中国語の歌詞を聴いていると何という曲だったかわからないものである。鄧麗君も「世界多美麗(世界は二人のために)」とか「恋愛季節(恋の季節)」とか日本で流行っていた曲を数多く中国語で歌っていた。鄧麗君の他にも日本の歌を歌っている歌手もいろいろいて、印象的だったのは、「一路順風(花笠道中)」と「說聲對不起(女の道)」であった。特に「女の道」については、小姐(シャオチェ)から中国語を教えてもらうことができ、今でも中国語で歌える唯一の歌謡曲となっている。その後、台湾や香港に旅行に行くたびに、中国語で歌う日本の歌謡曲の入ったレコードやカセットを買いまくっては、悦に聴いていた。今やその数は200曲を超え、自分のHP上にも整理してリストアップしている。200曲の内、テレサ・テンが歌っている曲も70曲近くあり、お気に入りのコレクションになっている。

台北から香港へは、ノースウェスト航空を利用したが、一番チケットが安かったのだと思う。香港が2か国目となったが、滞在中、マカオにも足を延ばしたので、当時の旅行で3ヵ国を訪問したことになった。香港では九竜のネーザンロードに面した安いホテルに泊まったが、北は油麻地界隈、香港島では、ビクトリアピークやレパルスベイまで行ったような気がする。マカオは日帰りだったので聖ポール天主堂跡に行った程度であった。香港の街でもレコード屋に行って、中国語による日本の歌の入ったレコードを探した記憶がある。

香港からは那覇までは就職先の飛行機に初めて搭乗し、オリエンテーションの準備を兼ねた。初めての搭乗なので、感慨深いものがあった。那覇には3月30日に戻り、3泊したが、滞在中、驚きを持って知ったのが3月31日のよど号ハイジャック事件の発生であった。羽田発福岡行のB727が赤軍派によりハイジャックされ、北朝鮮に強制着陸した例の大事件である。事件の進捗が右往左往している4月2日に不安の中、那覇から羽田に戻り、卒業旅行は完結した。日本初のハイジャック事件の発生により、就職後の前途に暗雲が立ち込めた印象を抱いた。7月1日の入社まで、さらに3ヵ月近くの学生身分でフリータイムをエンジョイすることができたのはラッキーであった。就職も決まり、何でも好きなことができた期間で、大阪の万国博覧会にも1週間泊りがけで行くことができた。毎日早朝から会場に行き、全パビリオンを訪問することもできた。あれから最早50年が過ぎたが、古き良き時代であった。

 

「世界多美麗」(鄧麗君): https://youtu.be/RPDN5D5tUwE

「說聲對不起」(唯一の中国語で歌える曲): https://youtu.be/jG8ixH2KKsY

中国語による日本の歌謡曲200選:http://romanflight.web.fc2.com/Japanese-Songs-in-Chinese-series.html

 

 


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