我々が最初に耳にしていた国はチェコスロバキアという名前の国であったが、1993年1月1日をもって、チェコ共和国とスロバキア共和国に分離された。チェコの首都はプラハ、スロバキアの首都は、ブラチスラバであるが、プラハの名前は知っていても、ブラチスラバの名前を知っている人は少ないと思う。チェコとスロバキアとでは、歴史的遺産や観光資源は、個人的実感としては、その魅力に雲泥の差がある。分離の背景は詳しくは知らないが、今、スロバキアの政治体制が大きな問題となっている。
9月30日にスロバキア総選挙が実施され、NATO加盟国にロシアへの経済制裁などに反対する親ロシア政権が誕生する可能性がある。ロイターによると、開票が98.66%まで進んだ状況で、スメルが得票率23.37%、プログレッシブスロバキア(PS)が16.86%、いずれも単独過半数には届かない見通しで、連立政権樹立に向けた協議が今後の焦点になる。結果次第でウクライナ政策が変更される可能性があり注目される。スメルの党首はロシア寄りとして知られるフィツォ元首相で、国内経済に悪影響があるとしてロシアへの経済制裁に反対しているほか、ウクライナへの武器供与を中止する考えを示しているというから政治の混乱は必至である。
チェコに旅行したのは2006年7月、スロバキアに旅行したのは2007年10月のことだが、街を歩いていて雲泥の差を実感していた。チェコでは、首都プラハ、クトナーホラとチェスキークルムロフを訪れたが、歴史的建造物は文化遺産として保存され、街も綺麗で観光地としても魅力があり、再訪したいと感じさせるほどである。一方、ブラチスラバには、ウィーンから足を運んだが、ブラチスラバ城がある程度で、観光的魅力に欠け、街も素敵なプラハと比べるとすさんだ印象を受けた。歴史的景観や街の綺麗さと政治体制とは相関関係がある実感する。NATOに加盟している立派なヨーロッパに国々の間にも相当な格差があることがよくわかる。政治体制の後戻りにより、スロバキアの衰退は加速度を増すものと思われる。
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