
品川宿界隈に住み始めてから35年になる。当時、勤務地は羽田、本社が東京という環境の中で家探しをしていたが、辿り着いたのが品川宿界隈であった。最大の魅力は、足回り、それに江戸情緒と再開発地域の調和であった。当時、臨海副都心線(現りんかい線)の開通(1996年3月30日実現)、りんかい線と埼京線が大崎でドッキングする計画(天王洲アイル駅までの延伸は2001年3月31日、ドッキングは2002年12月1日に実現)や東海道新幹線の品川発着計画(2003年10月1日実現)もニュースになっていて、あらゆる情報を精査した上、品川宿界隈がベストであるとの結論に至った。
品川宿の足回りは、都心に近く、神奈川県、千葉県、埼玉県にも近く、羽田、成田にも近いので、日本各地、世界各地にも近く、新幹線で名古屋にも近いという文句なしの状況にある。ちなみに、
最寄駅(我が家から3分と7分の2駅)から、東京まで17分、銀座まで14分、新宿まで24分、大宮まで55分、横浜まで19分、お台場まで5分、ディズニーランドまで20分、羽田空港まで19分、成田空港まで1時間18分(車だと55分)、名古屋まで1時間53分(リニアだと45分)、大阪の空港まで1時間40分、千歳空港まで2時間10分といった具合である。
品川宿は、日本橋を出て、東海道五十三次の最初の宿場であり、我が家も旧東海道に面している。旧東海道は、歌川広重が浮世絵で紹介したように、どの宿も魅力があり、今でも当時の面影を残す魅力あふれる街道になっている。家の前の道を参勤交代の行列が通っていた当時を想像するだけでもワクワクする。道は狭いが、一方通行なので、車の通りも少なく、街道周辺には神社、仏閣もたくさんある。品川宿は、北の吉原に対し、南の品川(それで美南見ともいわれた)は遊郭街でもあった。落語(居残り佐平次や品川心中)や映画(幕末太陽傳)で有名な土蔵相模(相模屋という遊郭)もあった。江戸六地蔵やパリ万博に出展された鐘楼のある品川寺や昔五重塔も建っていた天妙国寺を始め、歴史ある名所、旧跡があり、江戸情緒が未だに色濃く残る界隈でもある。9月には宿場まつりも行われ、江戸風物を楽しむことができる。
一方、品川宿は、天王洲アイル、品川シーサイド、品川港南の高層ビル群など再開発された地域にも隣接しており、まさに近代と江戸時代が微妙にバランスされた雰囲気を持っているのが魅力の一つとなっている。週末になるとウォーキングで旧東海道を巡っている人をよく見かける。江戸情緒があるので、テレビでのロケ取材も多い。あまりにも便利な地域に住んでいるので、他の地域への引越しは全く考えられない。
写真は、歌川広重の描いた品川宿(1833年頃)
品川宿の足回りは、都心に近く、神奈川県、千葉県、埼玉県にも近く、羽田、成田にも近いので、日本各地、世界各地にも近く、新幹線で名古屋にも近いという文句なしの状況にある。ちなみに、
最寄駅(我が家から3分と7分の2駅)から、東京まで17分、銀座まで14分、新宿まで24分、大宮まで55分、横浜まで19分、お台場まで5分、ディズニーランドまで20分、羽田空港まで19分、成田空港まで1時間18分(車だと55分)、名古屋まで1時間53分(リニアだと45分)、大阪の空港まで1時間40分、千歳空港まで2時間10分といった具合である。
品川宿は、日本橋を出て、東海道五十三次の最初の宿場であり、我が家も旧東海道に面している。旧東海道は、歌川広重が浮世絵で紹介したように、どの宿も魅力があり、今でも当時の面影を残す魅力あふれる街道になっている。家の前の道を参勤交代の行列が通っていた当時を想像するだけでもワクワクする。道は狭いが、一方通行なので、車の通りも少なく、街道周辺には神社、仏閣もたくさんある。品川宿は、北の吉原に対し、南の品川(それで美南見ともいわれた)は遊郭街でもあった。落語(居残り佐平次や品川心中)や映画(幕末太陽傳)で有名な土蔵相模(相模屋という遊郭)もあった。江戸六地蔵やパリ万博に出展された鐘楼のある品川寺や昔五重塔も建っていた天妙国寺を始め、歴史ある名所、旧跡があり、江戸情緒が未だに色濃く残る界隈でもある。9月には宿場まつりも行われ、江戸風物を楽しむことができる。
一方、品川宿は、天王洲アイル、品川シーサイド、品川港南の高層ビル群など再開発された地域にも隣接しており、まさに近代と江戸時代が微妙にバランスされた雰囲気を持っているのが魅力の一つとなっている。週末になるとウォーキングで旧東海道を巡っている人をよく見かける。江戸情緒があるので、テレビでのロケ取材も多い。あまりにも便利な地域に住んでいるので、他の地域への引越しは全く考えられない。
写真は、歌川広重の描いた品川宿(1833年頃)
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