浪漫飛行への誘(いざな)い

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自利利他と我利我利

2019年12月22日 06時29分30秒 | 人生

 

21日、久しぶりに近くの仏教教室を覗いてみた。テーマは、「歎異抄」の教えの一部と親鸞聖人の教行信証にある「難思の弘誓は難度海を度する大船」の話が中心であった。前にも聞いたことがあるテーマなので、よりわかりやすく頭に入ってくる。司馬遼太郎は、戦地で愛読したのが「歎異抄」で、「無人島に一冊の本を持っていくとしたら、「歎異抄」であると絶賛しているが、解説書だけで700冊以上出版されているという。しかし、映画にもなったと高森顕徹さんが書いた「歎異抄をひらく」が発行されてからは、その手の本がとんと発行されなくなったとのことである。歎異抄」は、親鸞聖人の弟子の唯円が書いたものとされるが、カミソリ聖教と言われるほど誤解を招く恐れがあるとして、8代目の蓮如上人は約500年前に封印をして、世の中に出てきたのは、明治以降である。


教行信証の冒頭に出てくる難度海の話は、何度か聞いているが、よく理解できる。生まれた時から、難度の海(荒波の絶えぬ海=苦しみの連続の人生)に放り込まれ、家庭や職場での面倒な人間関係、子育ての不安、病と老いとの闘い、家族の介護、交通事故、地震、台風、火事など、次から次へと「苦難」「困難」「災難の荒波に襲われる。我々は、海に浮かぶ丸太、板切れ(金、財産、地位、名誉、健康、家族、仕事、趣味、生きがいなど)にしがみついて、どう生きるかばかりを考えているが、いつひっくり返るかわからないし、高波をかぶるとそれから引き離され、塩水を飲んで苦しむことになる。だから、絶対にひっくり返らず、絶対の幸福を約束してくれる大船に乗ること(阿弥陀仏の本願)が必要である。誰でもこの大船に乗ることができるとされるが、どうしたら、大船に乗って絶対の幸福を得られるか、まだ、その答えを得ていない。


今回の教室で目を引いた言葉に、「自利利他(じりりた)」と「我利我利(がりがり)」がある。「自利利他」とは、「幸せになりたければ、相手を思いやりなさい」ということで、相手の幸せを思いやってかけた言葉や行動は、必ず、あなた自身に思いやりとなって返ってくる。一方、「我利我利」とは、「自分さえよければ他人なんてどうなってもよい」ということで、相手を踏みつけにしても、自分だけが儲かりたい、認められたいということである。字利利他は、幸せになる道で、我利我利は、不幸になる道で、自利利他の生き方をするか、我利我利の考え方で生きるか、これが幸せと不幸せの分かれ道ともいえる。これがお釈迦さまの教えであり、100%納得できる。自分自身、最近は、「自利利他」を心がけているが、いつも「がりがり」君との葛藤があるので、まだまだである。「我利我利」という言葉は、是非、トランプ大統領に捧げたい。

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