花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

カメラ散歩 新緑の多賀山公園 2023/04/15(鹿児島)

2023-04-17 18:28:39 | 史跡巡り
4月15日(土)市民文化ホールからの帰り道、多賀山公園に立ち寄りました。

稲荷川の北側にある多賀山 以下の画像は4月15日に撮影


多賀山公園に行く前に、石橋公園を流れる稲荷川を河口まで歩きました。朝方雷雨のためか、いつも見かける釣人の姿はありませんでした。

石橋記念公園(2000年に開園)の西田橋


平成5年(1993年)の大水害により甲突川に架かる五石橋の内、新上橋と武之橋は流出。残る玉江橋、西田橋、高麗橋について、撤去か現地存続かで大きな社会問題となりました。

玉江橋、高麗橋は狭かったこともあり移転やむなしだが、文化的に価値の高い西田橋は現地に残すべきだ・・・移設保存の飾り物ではなく、現地に残し人や車が利用し続けてこそ石橋の存在価値がある・・・移設反対運動が巻き起こり、移設に至るまでは大きな苦労がありました。

今にして思えば30年も前のこと・・・あのまま狭い道を残していては交通のネックになり、広い代替橋を短期間で設置できるはずもなく・・・鹿児島市の発展にそぐわず、移設保存が正解でした。

高麗橋、玉江橋は稲荷川をはさんだ北側に移設保存されています。

稲荷川河口の砂州


桜島はまだ雲隠れ、朝方までの雨で濁っていましたが川の水量は多くありませんでした。引き潮時で、わずかに砂州が伸びていました。

多賀山公園(東福寺城跡)


石橋公園から歩いても10分程度、入り口が狭い坂道なのが少し難点です。大型観光バスの出入りは難しいと思われます。

ツツジが花盛り


今年は花の開花が例年より少し早く、公園などのツツジも多くは開花ピークを過ぎる中で、ここは今が花盛りでした。

猫を数匹見かけた


普段餌をもらっているようで、人慣れして逃げることもなく動きはのんびり。

先に多賀神社に行く


国旗掲揚台の先を50mほど進むと、半分木に隠れたような鳥居があります。

迫力ある狛犬 「阿(あ)形」


こちらも力強い狛犬 「吽(うん)形」 


神様から向かって左側が、口を開けた「阿形」。神様から向かって右側は、口を閉じた「吽形」とのこと。いずれも迫力があって多賀山に来たときは立ち寄っています。

今日は旭日旗が揚がっていた


旭日旗について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように記されています。

太陽および太陽光(旭光)を意匠化した旗。光線(光条)が22.5度で開く16条のもの(十六条旭日旗)がよく知られている。

他にも4条・8条・12条・24条など光線の本数が多彩に渡るものが存在している。

日本では大漁旗や出産・節句の祝い旗等の日常生活の場面で使われる。古くよりハレを意味する縁起物であり日本の伝統的な旗である。

明治維新以降は軍旗としても用いられるようになった。(引用終わり)

右手上には東郷元帥の銅像


穏やかに鹿児島湾を見つめる銅像


右手の鹿児島港に護衛艦「あけぼの」が寄港、一般公開


8年ぶりの寄港で、15日と16日には一般公開がありました。

東郷元帥の墓所


日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破ったことは、我が国の興廃に掛かる歴史的勝利でした。

シベリヤへの強制連行、北方領土の不法占拠、最近ではウクライナへの軍事侵攻など残虐非道な勢力を打ち破りました。

仮にバルチック艦隊が無傷であったとしたら、その後の日本の運命は危ういもので、その後の歴史を塗り替えたことでしょう。

今こそ、当時の功績を振り返る時ではないでしょうか。憲法9条を唱えるだけでは国は守れません。

東福寺城跡


自然のままに残る林


東郷銅像とは反対側にあり訪れる人は少なく、桜島は木々に隠れて良く見えません。城山の遊歩道のような感じでゆっくり散策するには良い場所です。

途中には桜並木の広場があり、ちょっとした花見の隠れ名所です。駐車場の車両数に比べて、公園で出会った人の数は少なく気になりました。

駐車場を公園利用以外に使用しないよう警告表示があり、守られずに利用制限されるとなれば残念なことです。

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2 コメント

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国をまもる (さつまのぎく)
2023-04-18 14:05:48
敗戦時2歳8か月。保護者不在の為、他所の家を巡り、雑穀のオニギリで命を繋いで80歳まで生き永らえ手います。《J-ALERTが響く時、既に日本のどこかの原発が爆発》と云うことのないように祈るばかりです。
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戦後が長く続いたが・・・ (harman@管理人)
2023-04-18 17:13:59
先日朝方のアラートは驚きました。北海道にミサイルが落ちそうだとの情報でしたが、結果的には実害はなかったようです。戦後何年という表現は日本だけだと言われることがありましたが、最近では耳にしなくなりました。平穏な日々が一日でも長く続きますように。
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