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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

柿本人麿公屋敷跡

2012年11月17日 | 古跡
柿本人麿公屋敷跡
 JAならけん巻向支店の前庭に石碑が建てられています 撮影日;2012.11.12

 柿本人麻呂が詠った歌に「纏向」を詠ったものが多いことから、顕彰碑的なものでしょうか
 柿本人麻呂が居住していた可能性は否定できませんが、それを裏づける証拠はありません

 石碑のある地は、上ツ道に面しており古代のメインストリート沿いです
 周辺は纏向遺跡で、駅の西側では発掘調査もされています 

★所在地;桜井市巻野内235-8
★交通;JR巻向駅下車 徒歩1分
★駐車場;1台程度
★入場料;見学自由
★問合せ;


金剛山頂の国見城址

2012年11月10日 | 古跡
金剛山国見城址
 大阪平野の南部(河内平野)が見渡せる絶景の地です 撮影日;2012.11.03

 正慶元年(1332)、楠木正成が築いた城砦
 天正12年(1584)に佐久間安成が根来寺衆徒・雑賀軍を率いてここに篭城し、岸和田城主・中村式部少輔一氏と合戦を行ったという
 正成は、金剛山一帯にいくつもの要塞を築き、その指令所として千早城を用いたと伝えられています
 国見城もその要塞の一つだったようです

 本丸跡とされる広場に、海抜1125mの金剛山頂標識が立てられています
 (最高点は葛木神社の神殿背後です) 

金剛山頂 金剛山頂眺望

★所在地;御所市高天(金剛山頂付近)
★交通;高天彦神社より郵便道を登山 徒歩2時間弱
 大阪側から登るほうが楽です(ロープウェイも有ります)
★駐車場;高天彦神社に10台程度あり
★入場料;タダです


黒渕の黒木御所跡

2012年11月01日 | 古跡
黒渕の黒木御所跡
 黒渕春日神社の境内に碑が建てられています 撮影日;2012.10.21

 南北朝時代、西吉野・天川・十津川に黒木御所が有りました
 (十津川村の黒木御所跡天川村の南朝黒木御所跡
 黒木御所とは、黒木(皮を削っていない木材)を用いて建てられた天皇の御所のことで戦時や政変時などのの行宮のことをいいます
 ここには後村上天皇・長慶天皇の二帝が住まわれたと伝えられています

 その後「祟福寺」という寺院が建てられ、現在は春日神社が鎮座しています 

★所在地;五條市西吉野町黒渕852 (黒渕春日神社
★交通;JR五条駅より 十津川方面行きバスで「黒渕」下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 近くに常覚寺が有ります


穿邑伝承地記念碑

2012年10月14日 | 古跡
神武天皇聖蹟 菟田穿邑顕彰碑
 穿邑(うかちむら)は神武天皇ゆかりの地です 撮影日;2012.10.07 

 神武天皇は穿邑に宮を造り暫く滞在したそうです
 参考;穿邑顕彰碑

 丘上に『神武天皇聖蹟 菟田穿邑顕彰碑』が建てられています

穿邑顕彰碑が建てられている丘 丘に弁才天が祀られています

 すぐ北側に牛墓1号墳「105-83」が有ります
 円墳・径12m 高4.5m
 横穴式石室、盗掘抗 石材は持ち去られていて、馬蹄形に大きく窪んでいる
 相当大きな石室だったようです

 近くの八坂神社の本殿背後にも古墳「105-89」円墳・径20mが有ります

★所在地;宇陀市菟田野宇賀志
★交通;近鉄榛原駅より バスで宇賀志下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★入場料;タダです
★問合せ;


 

飽波神社の聖徳太子腰掛け石

2012年04月14日 | 古跡
聖徳太子腰掛け石
 太子所縁の地です 撮影日;2012.04.06

 境内の北側に、長さ約120cm・高さ40cm程の石が横たわっています
 聖徳太子が愛馬の黒駒とともに休んだという伝承のある腰掛け石です

 飽波神社は太子道(筋違道)沿いに有ります
 推古天皇の13年(605)聖徳太子が斑鳩宮に移り住まれ、それ以降飛鳥小墾田宮(あすかおはりだのみや)に通われた道だとされています

 三宅町の白山神社にも太子の腰掛石が有ります 

★所在地;生駒郡安堵町東安堵1379
★交通;JR法隆寺駅より バスで東安堵下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


参考;飛鳥へ続く道

纏向日代宮跡

2012年04月01日 | 古跡
纏向日代宮跡
 大和盆地が一望できる場所です 撮影日;2012.03.25

 =案内板=
 紀元730年、第12代景行天皇・大足彦忍代別命(オオタラシヒコヲシロワケ)が即位後この地に宮を設け、大和朝廷による全国統一を進められた。
その立役者は、皇后の播磨稲日太郎姫(ハリマノイナヒヲイラツメ)との間に生まれた日本武尊である。
景行天皇の業績で注目すべきことは、日本の国の真の歴史並びに天成(アマナリ)の道(宗教・政治の理念)を子々孫々に遺すべしとの日本武尊の遺言に従い、
五・七調の神代文字で記された秀真伝(ホツマツタエ)文献を、三輪君の祖となる大直根子(オオタタネコ)に命じて編纂させ、後世に遺したことである。

 すぐ東にカタケヤシの地(相撲神社の場所)が有ります

★所在地;桜井市穴師
★交通;JR巻向駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 珠城山古墳群から穴師座兵主神社へ行く途中に碑が建っています


猿目の櫛羅経塚

2012年02月19日 | 古跡
 葛城第23号経塚です 撮影日;2012.02.12

 金剛山中を中心に、法華経塚が有ります
 役行者が「法華経」一部八巻二十八品を書写させ、品(ほん)毎に葛城の秘所に奉納したという塚です
 (品とは仏典の中の、章節にあたるものをいいます)

 塚の上には五輪塔が建てれれており、傍らには天文19年(1550)の五輪塔地輪部と、同時代の石仏が有ります
 「ほけきょう塚」と刻まれた宝暦5年(1755)の石標も有ります
 この塚には「薬王品」が納めれているそうです

櫛羅23号経塚 櫛羅経塚横の地蔵 

★所在地;御所市櫛羅
★交通;近鉄「御所」駅より バスで「猿目」下車 徒歩1分
★駐車場;なし
★入場料;参詣自由
★問合せ;


 参考;葛城経塚28宿巡礼のページ

役小角たらいの森伝承地碑

2012年02月12日 | 古跡
 役小角の産湯に使った盥を埋めた場所だそうです 撮影日;2012.02.05

 小さな土壇に石碑が建っています
 土地の人はこれを『たらいの森』と称し、霊蹟としてあがめています

 近くに『杓の森』も有るそうです
 村の西入り口(公民館の辺りか?)に老ナツメの木が生えている土壇があるそうです
 役行者誕生の時に産湯を汲んだ木杓(しゃく)を埋めた所と伝わります

 小角が生まれたという茅原寺(現在の吉祥草寺)は、北へ3分ほどのところです 

★所在地;御所市玉手
★交通;JR玉手駅下車 徒歩1分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;


筒井順慶みそぎの滝「不動の滝」

2012年02月08日 | 古跡
八柱神社の不動の滝

 落差5~6mの美しい段瀑です 撮影日;2012.01.29

 天正8年(1580)に、大和領主だった筒井順慶が伊賀攻めの際に戦勝祈願を行ったと伝えられます
 滝の右側に、不動明王像が祀られています

 滝の手前には供養塔が建てられています
 伊賀攻めに参加した地元民戦死者の霊を慰める為に建立されたと伝承されます

八柱神社の供養塔 八柱神社の滝不動

 八柱神社の拝殿前にあるムクロジは「鉾立ての木」と称されます
 順慶公が戦勝を祈願する際に、鉾や武具を立てかけた木だそうです

 境内は、山添村の史跡に指定されています
 白樫の巨樹群生は、一箇所にまとまって生息していることは、植物学的な価値があるとされます

八柱神社境内のムクロジ 八柱神社境内にある亀石 

★所在地;山辺郡山添村大字岩屋772
★交通;名阪国道「神野口IC」より約4km
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-85-0049(山添村教育委員会事務局)


下笠間古墳

2012年02月06日 | 古跡
 跡地に石碑が立てられています 撮影日;2012.01.29

 旧笠間小学校の裏「金比羅山」には古墳形の小丘があり、横穴式石室基底部のみ残存していました
 下笠間古墳は南帝皇后の塚であるという伝説が残されています

 今から約670年前、国は南朝北朝に分かれて争っていました
 その時、南朝の後醍醐天皇は笠置の城が落城したため、吉野に向かって移動していましたが、皇后は道に迷って笠間の里(今の上笠間)に落ち延びたそうです
 しかし、皇后はここで病にかかり、当時の里人は金比羅山を皇后の行宮として奉迎し、数年間食物や医薬を運びました
 その甲斐なく皇后は崩御されましたが、里人は小丘をつくって葬りました
 それが今の金比羅山であるといわれています
 今でも頂上には祠が祀られ、その名残をみることができます  

★所在地;宇陀市室生下笠間
★交通;名阪国道「小倉IC]より(地図参照)約9km
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;