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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

羽内遺跡

2012年03月19日 | 遺跡
羽内遺跡付近
 推古天皇の薬猟行宮か? 撮影日;2012.03.18

 2006年の発掘調査で、古墳時代後期(6~7世紀前半)の大型建物跡が見つかっています
羽内遺跡 比較的大きい二棟の掘立柱建物と一棟の大壁建物の跡が出土しました
 大型建物跡は、豪族の居館にしては規模が大きすぎ、紀路(古代の幹線道)から離れ立地条件もよくない
 土器などの遺物も少なく「数日だけしか使われなかった仮の宮」と考えられています
 周辺の地形が、薬草の自生に適した高低さのある地形で、近くにある「波多甕井神社」は平安時代初期の文献『大同類聚方』に薬草の自生地として紹介されていることから、薬猟行宮説が有力です

 参照;ドン・パンチョさんのページ

★所在地;高市郡高取町羽内
★交通;近鉄「市尾」駅下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★問合せ;


池田遺跡

2011年08月04日 | 遺跡
 築山古墳を北に望む福祉ゾーンの一帯に広がる遺跡です 撮影日;2011.07.23

 後期旧石器時代から江戸時代まで、二万二千年もの間にわたる遺跡です

 古墳時代の地層(4~6世紀頃)からは、10数基に及ぶ前方後円墳・方墳・円墳など小規模な古墳が発見されました
 古墳は開墾によって削平されていましたが、堀からは、かつて墳丘に立てられていた埴輪が転がった状態で出土
 兜を被った盾持人・大型の鶏・巫女・盛装した男子などの形象埴輪も出土しています

 古墳時代の生活面の下に堆積した遺物包含層からは、後期旧石器時代の国府型ナイフ形石器や縄文時代草創期から晩期に到るまでの各時代の土器、弥生時代の打製石剣の半製品など大量の遺物が出土しています

池田遺跡説明板 ★所在地;大和高田市池田
★交通;近鉄大和高田駅下車 徒歩15分
★駐車場;有ります
★問合せ;0745-53-6264(大和高田市 生涯学習係・文化財係)

 南側に領家山古墳が有ります


石塚遺跡

2011年05月01日 | 遺跡
 握りこぶし大から人の頭サイズの石を積み上げて造られています 撮影日;2011.04.10

 車坂峠の頂上にある直径約30m・高さ7mの塚です

 大峯信仰、山上詣での「第一の行場」として、南東の金峯山上ヶ岳を伏拝し、道中の安全と満行を祈念したと云われています
 大正12年までは役行者を本尊とする行者堂がここにあったことを示す「奥之院一之行場跡」の記念碑が立っています

 かつて当地に立っていたと考えられる「鈴ヶ森行者堂」に移された五輪塔の地輪の銘文から、鎌倉時代後期には寺院などの施設が付近に並んでいた事が分かります
 この鎌倉時代の銘文がある五輪塔が、同じ塔の火輪・空輪のかけらを使って、石塚付近に復元されています

石塚遺跡一の行場跡 石塚遺跡説明板

 平成2年(1990)7月、信仰遺跡としての価値が認められ、町指定の文化財となりました 

★所在地;吉野郡大淀町下渕車坂・桧垣本高見台
★交通;近鉄下市口駅下車 徒歩25分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-52-1522(大淀町教育委員会事務局)


尾山代遺跡

2011年04月05日 | 遺跡
 奈良時代から平安時代にかけて(8~12世紀)の集落遺跡です
 「おやみでいせき」と読みます

 発掘調査をもとに建物などを復元しています
 (史跡公園として整備されています)

 昭和60年に丘陵の南斜面で発見され、発掘調査が行われました
 竪穴式の建物3棟、掘立柱建物1棟、土坑などの遺構が有りました
 竪穴式の1棟はカマド状施設を持つ小さな建物で、鍛冶をしていたようです

 出土物は、奈良時代前半から平安時代の土器・鍛冶の道具・鉄滓(てっさい、鉄くず)・漁網のおもり・土馬など
 なかには、今の岐阜県で焼かれたと思われる、「美濃」と刻印された須恵器杯もありました

 古代の月ヶ瀬には平城京の寺院に木材を供給する杣(そま)がありました
 この遺跡は杣の人々の集落であったと考えられています

 古代山間の生活を知るうえで重要な遺跡であることから、県の史跡に指定されています

復元建物 説明タイル版

★所在地;奈良市月ヶ瀬尾山3835
★交通;近鉄奈良駅より バスで「尾山診療所前」下車 徒歩7分
★駐車場;スペース3台ほど有ります
★入場料;タダです
★問合せ;0742-34-5369(奈良市役所 文化財課)


大川遺跡

2011年03月08日 | 遺跡
 名張川河岸の縄文時代草創期の集落遺跡です 撮影日;2011.02.20

 遺跡から多くの遺物が出土しています
 土器では大川式土器として近畿地方のこの時期の指標土器となったほか
 石器は縄文時代最古級の遺物群として大変重要視されています

 昭和31年に発見されてから数度発掘調査が行われています
 遺跡の中央部から縄文時代早期の住居跡二軒のほかに集石炉や焼土壙が確認されました
 住居跡は深さ40cm前後でほぼ円形に直径3~3.8mほど地面を掘り下げ、上屋を構築した竪穴式です
 内部に炉を設けず、集石炉や焼土壙などが住居の周囲から発見されました

復元竪穴式住居 大川遺跡説明板

 土器は底が尖った深鉢形で、彫刻した小さな円棒を用いて文様を施され
 「大川式」と呼ばれる押型文土器です 

 ≪カントリーパーク大川≫
 大川遺跡を公園化、桜もきれいです
 竪穴式住居や管理塔内のパネル展示で、縄文時代の生活をうかがうことができます
 名張川沿いは、魚釣り・キャンプ・バーベキューなどが楽しめます

★所在地;山辺郡山添村中峰山1736
★交通;名阪国道五月橋ICから2Km
★駐車場;有ります(無料50台)
★入場料;無料
 キャンプ(フリーサイト1区画);日帰り…1000円/1泊1500円
 バーベキュー;500円
★休館日;水曜日、毎年12月~2月
★開館時間;
★問合せ;0743-85-1021 (カントリーパーク大川管理事務所)、0743-87-0548 (山添村緑の文化協会・森林科学館内)



上之宮遺跡

2011年01月22日 | 遺跡
 聖徳太子が20年間居所としたとされる宮跡です 撮影日;2011.01.08

 現在は静かな住宅地に「上之宮庭園遺跡」として一部保存されています
 平成4年に市史跡に指定されています

 石敷遺構と高床式を含む16棟の建物跡が確認されています
 一辺100m程の方形区画の中に収まっているところから、6世紀後半~7世紀初頭にかけての豪族居館の跡と推定されています
 同時に出土した木簡・琴柱・ベッコウ等の貴重品や、この地が昔から上之宮と呼ばれて来たことから
 聖徳太子が幼少・青年期を過ごした「上宮」の候補地の一つとして注目される遺跡です 

★所在地;桜井市上之宮
★交通;近鉄桜井駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;


参考;聖徳太子ゆかりの宮跡・上之宮遺跡広報「わかざくら」発掘調査現場からNO.6***

三河遺跡

2009年05月13日 | 遺跡
 平成8年に新たに発見された遺跡です 撮影日;2009.5.3

 弥生時代から中世にいたる複合遺跡です
 弥生時代中期の方形周溝墓、古墳時代後期の円墳などが発掘されています 

★所在地;磯城郡三宅町三河
★交通;近鉄石見駅下車 徒歩10分
★問合せ;0745-44-2001(三宅町役場)

 寺川と飛鳥川に挟まれた微高地上に位置します

 二重の周濠を持った6世紀前半の円墳が出土
 二重の周濠のある円墳は全国でも珍しく九州地方に数例あるだけで、近畿地方で発見されたのはこれが初めてだそうです
 古墳丘上部は、中世以降に削られて畑地となっており現在では確認できない

 古墳に重複して弥生時代後期から古墳時代前期の溝、土拡などもみつかっています

 遺跡付近は、古墳時代には大王家の直轄地・屯倉(みやけ)のあった場所です
 埋葬者は「屯倉の経営にあたった有力者の墳墓ではないか」といわれています

 奈良時代の筆立ての付いた円面硯の一部が出土
 筆立てつきの硯は、全国的にも出土例は少ない
 硯の円径12.2cm、高さ約5cm
 硯の下に台座があり、墨をする面の外側に直径約2.5cmの筆立ての部分が付けられていて約8mmの太さまでの筆が立てられるようになっています

 三河古墳群の模型と筆立てのついた円面硯の複製が三宅町文化ホールに展示されています 


 参考;三宅町のページ

石見(玉子)遺跡

2009年05月12日 | 遺跡
 5世紀後半から6世紀初期にかけての祭祀遺跡のようです 撮影日;2009.5.3

 昭和5年(1930)8月の水害により、翌年に復旧工事を行ったところ、桑畑から埴輪片が発見されました

 昭和40年頃より住宅開発に伴い発掘調査が行われ
 新池の南側から埴輪円筒・盾・馬・鹿・家・人物や多数の木製品など倒壊した状態で出土しました

★所在地;磯城郡三宅町石見
★交通;近鉄石見駅下車 徒歩5分
★問合せ;0745-44-2001(三宅町役場)

 古墳跡ではなく、治水か豊作か生産に関連ある祭祀儀礼の営まれた遺跡としての性質が考えられるそうです 

 従来古墳に立てるものと考えられていた埴輪が、祭祀遺跡にも樹立されていたと解釈されています


 参考;三宅町のページ

脇本遺跡

2009年04月06日 | 遺跡
 縄文晩期から古墳時代にまたがる複合遺跡です 撮影日;2009.3.18

 春日神社を中心にした大規模な遺跡のようです
 纒向遺跡と同時期の遺跡です  

★所在地;桜井市脇本
★交通;近鉄大和朝倉駅下車 徒歩10分
★駐車場;
★問合せ;0744-24-1101(橿原考古学研究所)

 第21代雄略天皇の「泊瀬朝倉宮跡」の候補地
 5世紀後半~6世紀初頭の時期と思われる大型掘立柱建物や石溝・柵列など宮殿跡?が発掘されています
 2007年には、弥生時代末期~古墳時代初頭の銅鐸破片や青銅器の鋳型が発掘されています

 銅鐸片は1~4cm大で、竪穴式建物跡(一辺6~8m)から3点出土
 復元すれば全長1m前後になる大型銅鐸の一部とみられます
 弥生時代の銅鐸は完全な形のまま地中に埋められたケースが多く、破片の状態で出土した今回のケースは、古墳時代になって意図的に破壊された可能性が高いそうです
 銅鐸をリサイクルした跡のようです 


 脇本遺跡 記者発表資料【PDF形式、555KB】

飛鳥寺瓦窯跡

2009年02月23日 | 遺跡
 飛鳥寺の瓦を焼いた所です 撮影日;2009.2.1

 昭和28年に瓦窯が発見されました

★所在地;高市郡明日香村飛鳥
★交通;近鉄橿原神宮前駅より 徒歩35分
    飛鳥周遊バスで飛鳥大仏前下車 徒歩3分
★駐車場;
★問合せ;0744-54-2001(明日香村役場)

 二基の登り窯の跡が発見されています
 その造りは百済の瓦窯に瓜二つだそうです

 斜面にトンネル状の穴を掘った「登り窯」形式で、トンネルの下で燃料を燃やす部屋(縦2.3m、横2.2m)だけが見つかりました
 粘土に石や瓦を混ぜて補強した壁が高さ20~30cm残り、周辺から7世紀後半の軒丸瓦や平瓦の破片が約800点出土しました
 この瓦の「複弁八弁蓮華文」などの文様が、約100m北西の飛鳥寺の旧寺域内の「東南禅院」推定地で1993年に出土した瓦数千点と一致し、禅院の瓦窯と見られます

 「東南禅院」は、我が国に般若心経を伝えたとされる僧・道昭(629~700)が662年に建立しています


 飛鳥寺から南東へ3分ほどの位置です

 参考;飛鳥池遺跡の遺構と遺物のページ