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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

岡松家長屋門

2008年04月02日 | 史跡
 岡松家は野原の代官でした 撮影日;2008.3.18 

 建立年代ては、明らかではありませんが
 焼失した主家は桃山時代を下らない時期と考えられ、長屋門も同時期のようです

 県の文化財に指定されています

★所在地;五條市野原町
★交通;JR五条駅より 徒歩25分
    バスで金剛寺下車 徒歩すぐ
★駐車場;
★入場料;非公開(外観のみ見学可)
★問合せ;0747-22-4001(五條市役所商工観光課)

 長屋門の内側に、主屋と書院が建ちます
 江戸前期の様式です


 花の寺として知られる金剛寺が近くです

太安萬侶の墓

2008年03月22日 | 史跡
 茶畑の中に有ります 撮影日;2008.3.11 

 昭和54年1月23日に
 「左京四条四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳」
 と刻まれた墓誌が出土しました⇒太安萬侶墓の墓誌の画像

 墳丘は径約4.5mの円墳
 
 昭和55年2月19日国の史跡に指定されました
 
★所在地;奈良市此瀬町
★交通;近鉄奈良駅より
    水間方面行きバスで田原横田下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)

 案内板転載
史跡 太安萬侶墓
 太安萬侶墓は、東山山中の田原の里に所在する奈良時代の火葬墓である。昭和五四年一月、竹西英夫氏によって茶の改植中に発見されたもので、出土した銅製墓誌により、古事記の編者として有名な太安萬侶の墓であることが明らかになった。墓誌には「左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之書養老七年(七二三年)十二月乙巳」の四一文字が刻まれ、居住地、位階と勲等、死亡年月日、埋葬年月日を記してある。
 墳丘は直径四・五メートルの円墳と推定され、埋葬施設は中央部に墓拡(?)を掘り、底に木炭を敷いて墓誌を置きその上に木櫃(きびつ)を安置し、四周と上面を木炭で覆った木炭槨であった。さらに、その上の墓?全体にうすく木炭を敷いた後、砂質土を版築状に硬くつき固め、木櫃の中には火葬骨、真珠等が収めてあった。
 奈良時代上級官人の墓としては、このように規模、構造、遺物の出土状況等が明らかにされた例は極めて稀であり、昭和五五年二月一九日史跡に指定された。
 昭和五六年十一月 奈良県教育委員会




大安寺塔跡

2008年03月16日 | 史跡
 大安寺八幡神社の南側に基壇が有ります 撮影日;2008.3.4

 版築で構築された基壇は1辺約21m、高さは推定1.8mです
 凝灰岩切石の延石・地覆石・羽目石が出土して、最上級の壇上積みです(国史跡) 

 100mを超える七重塔が建っていたそうです

 天平神護2年(766)東塔に落雷焼失
 天暦3年(949)西塔が雷火で焼失
 寛治4年(1090)に七重宝塔1基(東塔)、金堂など主要伽藍を再興
 元久元年(1204)七重宝塔修理勧進
 文応元年(1260)この頃までに、別当宗性、塔を修理
 永仁4年(1296)東塔雷火で焼失
 慶長元年(1596)の地震で東塔は倒壊したそうです 

★所在地;奈良市東九条町1316
★交通;JR京終駅より 徒歩20分
★駐車場;20台(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-61-6312(大安寺)

 2種類の金銅の風鐸が出土しています
 一つは相輪を飾った風鐸で全長30cm、ほば完全な形で残ります
 もう一つは、軒の四方に吊った風鐸で、破片から復元すると全長55cmになります 全国最大です


 参考;「がらくた」置場のページ

笠置山の巨岩

2008年03月14日 | 史跡
 2000年前から信仰の対象でした 撮影日;2007.12.21 

 笠置寺の本尊仏である弥勒磨崖仏を含め
 1周800m(30~40分)の修験場巡りができます

★所在地;相楽郡笠置町笠置山
★交通;JR笠置駅より 徒歩40分
★駐車場;30台(笠置町観光協会管理・普通車1日500円)
★入山料;大人300円
★問合せ;0743-95-2848(笠置寺)

 【千手窟】

 1200年来の修行場であり、奈良東大寺「二月堂のお水取り」の行法も実忠和尚がここで行中に感得されたものです

 【虚空蔵磨崖仏】

 弘仁年間(810年代)弘法大師が一夜で彫られた「磨崖菩薩像」です
 高さ12m、幅7mの「虚空蔵石」が断崖絶壁に立っています
 天衣をひるがえして坐し、奈良時代の優美な彫り線を見事に刻んでくっきり表しています

 【胎内くぐり】

 笠置山には滝がないため、ここの岩をくぐり抜けることにより身を清めたそうです
 現在の「胎内くぐり」は、安政年間(1850年代)に続発した前後13回の「安政の大地震」、特に安政2年(1855)10月2日の大地震で天井岩が落下した以後切り石の天井となっています
 狭くて長い10数mの岩のトンネルをくぐる事によって身が清められます

 【太鼓石】

 岩の窪みを叩くと不思議な音がするそうです

 【ゆるぎ石】

 奇襲に備えるための武器としてここに運ばれて来た石だそうです
 重心が中央にあって、人の力でも動くため「ゆるぎ石」と云われています

 【平等石】

 昔、行者が「平等石」の周囲を廻って行をしたと伝わります
 上へ登ると視界が開け、ここからの眺めは素晴らしい
 江戸時代には月見の場所でもあったそうです

 【蟻の戸わたり】

 まさに蟻の行列の様に一列になって進まないと前に行かれません

 【貝吹岩】

 修験者が「貝吹き岩」の上で法螺貝を吹いたと云い
 元弘元年(1331)の「元弘の変」の折りには、後醍醐天皇方の武士が士気をたかめるために、この岩上よりさかんに法螺貝を吹いたとも云われています



笠置寺の弥勒磨崖仏

2008年02月26日 | 史跡
 「笠置寺」の本尊仏です 撮影日;2007.12.21 

 今は巨大な光背の形だけを残しています
 高さ20mの巨岩中15mの石面に「弥勒如来」が彫刻されていました

 1331年の「元弘の乱」等、三度の火災で磨滅

 奈良時代に東大寺の良弁、実忠の両和尚の指導のもとに大陸から渡来した人々によって線刻されたようです
 日本最大の天人彫刻像と伝えられ、平安時代は笠置詣りで多くの信仰を集めました

 【十三重石塔】

 「弥勒如来大磨崖仏」の向かって左側に建っています

 元は
 建久7年(1196)解脱上人の懇願により
 源頼朝が建立した
 「木造本瓦葺の十三重塔」が建てられていました

 元弘元年(1331)「元弘の変」で焼失

 現在の「十三重石塔」は鎌倉時代に建立されました

 一段目の四面に薬師、釈迦、弥陀、弥勒の四方仏が彫られています

 重要文化財に指定されています


 ★所在地;相楽郡笠置町笠置山
 ★交通;JR笠置駅より 徒歩40分
 ★駐車場;30台(笠置町観光協会管理・普通車1日500円)
 ★入山拝観料;大人300円
 ★問合せ;0743-95-2848(笠置寺




 

安倍寺瓦窯跡

2008年02月20日 | 史跡
 安倍文殊院建立用の瓦を焼いた窯です 撮影日;2008.2.1 

 鎌倉時代の平窯式とよばれる窯(ロストル式の瓦窯)が五基残存しています

 昭和45年3月11日に国の史跡に指定されました

★所在地;桜井市安倍木材団地1-86
★交通;JR桜井駅より 徒歩25分
★駐車場;
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市観光課)

 安倍寺跡は、旧阿部地区二階堂に仲麿屋敷と称する方形の土壇が有り
 昭和42年度の発掘で、中門・塔・金堂跡が判明しました
 北に講堂跡が推定され、法隆寺様式の伽藍配置だったことが分かっています


 安倍寺講堂推定地の西にあります

山田寺跡

2008年02月19日 | 史跡
 法隆寺よりも半世紀もさかのぼる寺院跡です 撮影日;2008.2.1

 蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の創建
 皇極二年(643)建立

 塔と金堂が南北に一直線に並ぶ伽藍配置です

 大正10年3月3日・昭和27年3月29日、特別史跡指定
 現在は、史跡公園として整備されています

★所在地;桜井市山田944
★交通;JR桜井駅より 飛鳥方面行きバスで山田寺跡下車 徒歩2分
★駐車場;20台程度
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市観光課)

 回廊の一部が倒れたままの完全な姿で発見されています(昭和57年)
 平成9年4月に、近くの飛鳥資料館に再現されました

 興福寺所蔵の銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部です


 参考;万葉散歩のページ

吉備池廃寺

2008年02月16日 | 史跡
 飛鳥時代の寺院跡です 撮影日;2008.2.1 

 基壇の大きさや瓦の年代などから、舒明天皇11年(639)に建てられた「百済大寺」とする説が有力です

 1997年、池の護岸工事に伴う発掘調査で、池の南辺の東と西に大きな土壇が並ぶことが確認されました

★所在地;桜井市吉備
★交通;近鉄大福駅より 徒歩12分
★駐車場;
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市観光課)

 池の東南部には、飛鳥時代の瓦が散らばっていることが古くから知られ
 瓦窯があるのではないかと考えられていました

 東側の基壇は東西37m・南北約28mあり、寺院の金堂跡とされ
 西側は一辺約30m四方あり、九重の塔が建っていたと推測されています

 塔基壇の中央には、心礎の抜取穴もみつかりました
 南面の回廊も発見されています
 

 北側に吉備春日神社が有ります


安倍寺跡

2008年02月13日 | 史跡
 建物跡の基壇が復元されています 撮影日;2008.2.1 

 古代豪族・安倍氏が7世紀半ばから後半ごろに創建した寺跡です
 鎌倉時代に火災で焼失
 建立は山田寺の創建時代(641~685)とほぼ同じ頃です
 伽藍が整備されたのは、阿部朝臣御主人の時代にいたってから

 寺の範囲は約二町(200m)四方
 昭和42年度の発掘で金堂・講堂・塔・中門・回廊などの建物跡が確認されています
 配置は東に金堂、西に塔を配し、北に講堂という法隆寺式あるいは川原寺式に近いと考えられています

 昭和45年3月11日に国の史跡指定、史跡公園として保存されています

★所在地;桜井市安倍木材団地1-86
★交通;JR桜井駅より 徒歩30分
★駐車場;
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市観光課)

 出土品としては唐草文の瓦や弥生式土器・土師器・須恵器・鉄器等
 他に中世の灯明皿や、金堂跡南側から磚仏の破片も出土したそうです


 安倍文殊院から300mほどの所です

柳生徳政碑「疱瘡地蔵」

2008年01月16日 | 史跡
 民衆が刻み残した資料として歴史的価値が大きい碑文です 撮影日;2007.12.21

 碑文は疱瘡(ほうそう)地蔵の右下方に縦33cm×横21cmの長方形の枠内に4行27文字が印刻されています
 「正長元年ヨリ/サキ者カンへ四カン/カウニヲ井メアル/ヘカラス」

 大正14年に柳生町の研究者、杉田定一によって解読された文意は
 「正長元年(1428)より先は神戸四箇郷(春日社領の大柳生・柳生・阪原・邑地)に負目あるべからず」 

 正長の土一揆により徳政を勝ち取った百姓らが記念に彫った物とされます 

★所在地;奈良市柳生町
★交通;近鉄奈良駅より 柳生行きバスで終点下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-94-0002


 
 「疱瘡地蔵」は

 3m近い岩に彫られた大磨崖仏です

 疱瘡よけを祈願して彫られました

 柳生街道を数百m進んだ所に有ります