古代の墨坂とされる場所に「墨坂伝承地」の石標が立っています 撮影日;2011.01.23
日本書紀によれば、神武天皇即位4年春、鳥見山中に霊畤(まつりのにわ)を築き、天皇自ら皇祖天神を祭祀され「この地を上小野榛原(かみつおのはりはら)下小野榛原(しもつおのはりはら)という」とあります
その下小野榛原が墨坂の地だそうです
佐野命の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍がいこり炭(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し菟田川を堰き止め消火して進軍した所でもあります
この墨坂の神(大物主神)は饒速日尊のことと思われ、佐野命東遷時にはすでに祀られていたと伝えられています
兄磯城(ゑしき)がここに陣を張っていることから、兄磯城も天津神の子孫と考えられています
近くに『伊勢街道』の小さな標柱があり、人々の往来があったことがしのばれます
室生山第八十八ヶ所霊場も有ります

★所在地;宇陀市榛原区あかね台1丁目
★交通;近鉄
「榛原」駅下車 徒歩*分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;
万葉の住坂もこの地と言われています
近くにある小学校のグラウド脇に石碑があります
『君が家に わが住坂の 家道をも われは忘れじ 命死なずは』(巻4-504)柿本人麻呂の妻
日本書紀によれば、神武天皇即位4年春、鳥見山中に霊畤(まつりのにわ)を築き、天皇自ら皇祖天神を祭祀され「この地を上小野榛原(かみつおのはりはら)下小野榛原(しもつおのはりはら)という」とあります
その下小野榛原が墨坂の地だそうです
佐野命の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍がいこり炭(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し菟田川を堰き止め消火して進軍した所でもあります
この墨坂の神(大物主神)は饒速日尊のことと思われ、佐野命東遷時にはすでに祀られていたと伝えられています
兄磯城(ゑしき)がここに陣を張っていることから、兄磯城も天津神の子孫と考えられています
近くに『伊勢街道』の小さな標柱があり、人々の往来があったことがしのばれます
室生山第八十八ヶ所霊場も有ります

★所在地;宇陀市榛原区あかね台1丁目
★交通;近鉄

★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;
万葉の住坂もこの地と言われています
近くにある小学校のグラウド脇に石碑があります
『君が家に わが住坂の 家道をも われは忘れじ 命死なずは』(巻4-504)柿本人麻呂の妻