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日頃感じていること

裁判員を経験して

2017-07-20 | Weblog

今日の読売新聞の気流の欄。

67歳の男性の投稿で裁判員を経験をして見たい、心待ちしているのに一向に声がかからない。

たとえ裁判員候補に選ばれても最終的に裁判員になるのはほんの一部 で宝くじのようなものらしいと書いてあった。 

 

  実は 3年前私に最高裁判所より26年度の裁判員候補の通知が来ました。

その年候補者として東京の最高裁判所より書留で、千葉の裁判所に来るようにと日にち指定で連絡があり行きました。

当日裁判所に行くと選ばれた候補の人達が90名いました。

必要書類や面接など終えて半日で帰宅しましたが、この中から6名が裁判員として決まるとの事。

その後千葉地方裁判所より書留で私に本格的に裁判員に指名の連絡が来ました。

それから二週間、裁判員として本格的に日本国民の代表として一生懸命勤めました。

私の父は戦前20年間刑務官で、私が生まれた時は刑務所の所長でした。
終戦直前退官、戦後帰国後は会社員になりました。
叔父は戦前朝鮮で検事や判事をしていて、戦後は山口、島根、大阪の地方裁判所で裁判官をやっていました。
従兄弟たちがいましたので、幼い頃よく官舎に遊びに行った思い出があります。
こういう環境ですので、父は人の道に外れた事が大嫌いで、「正しく、強く、朗らかに」といつも言われ、嘘を言ったり悪い事したら尻を力いっぱい叩かれ厳しく育てられました。
不思議な事に頭や顔は一回も叩かれませんでした。
本当に尊敬できる素晴らしい愛情に満ちた父親でした。

裁判の内容は秘密厳守なので、書けませんし誰にも口外していません。

親族にも話していませんが一つだけ!我々裁判員が判決文を作成したのを

裁判長と裁判官二人で修正して完成するですが、殆どそのまま決定したのには驚きました。

司法に関係した親族がいましたので、裁判員をさせていただいたことは私の人生の中でも素晴らしい経験ができたと感謝しています。

 

                



              瀬戸内海の海 「 我がふるさと(山口県)角島大橋」
 

コメント (2)
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