大空を見上げて

日頃感じていること

SLの汽笛

2008-07-22 | Weblog
  いよいよ猛暑の8月目前、例年の通り終戦記念日が近づいて来ました。
私は終戦時、韓国のソウルより少し離れたインチョン(仁川)にいました。
4歳の時ですから、あまりはっきり覚えていませんが所々頭にあります。
又亡き父からその時の事何回か聞かされました。父はテグ(大邱)で公務員を永くやっていましたが、召集令状が来た為インチョンの日本鉄道住宅に引っ越して来ました。
20年の3月にソウルの日本軍駐屯地に軍人として召集されたそうです。
母親と桜が咲く頃面会に行った事を姉から聞き、少し覚えています。
8月15日終戦となり軍隊も解散となるはずでしたが、朝鮮人があっちこっちで暴動を起こす為、部隊長のお願いで、進駐して来た米軍の兵隊と協力して一緒にソウルの街の警備をしたそうです。 
10月暴動はますます酷くなり、父にも日本に引き揚げるよう通達があり、私達家族も亡くなった祖母、母、弟の遺骨と当座の荷物をリュックに詰め、私も小さなリュックを持たされ、真夜中線路づたいに隠れ隠れ、集合地まで逃げてきたそうです。
日本人住宅に火の手が上がり、逃げ遅れた日本人は襲われ何百人も死んだそうです。
それからも危険な事は幾度もありましたが、ソウル~プサン(釜山)港そして何とか引き揚げ船に乗る事が出来ました。

私達(父と姉二人)は無事日本の福岡の門司港に着きました。
私は日本は始めてです。
父から私の国日本だと言われた事覚えています。
皆で安心の笑顔になった事も記憶にあります。
それからSLのポーポーと汽笛を聞きながら、何時間も夜汽車にゆられました。
SLは真っ黒な煙をはき、トンネルにきたらあわてて窓を閉めました。
父や姉は此れからどうしようとおそらく話していたと思うのですが、私も幼心にこれから自分たちはどうなるのだろうと汽笛を聞きながら不安になった事をはっきり覚えています。

現在SLは歴史の乗り物として観光地では凄い人気ですが、私はあの煙とポーポーと言う汽笛を聞くととても寂しく不安な気持ちになります。
残念ながらSLマニアみたいに感動はありません。
これも私の人生の思い出での一コマです。
      
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