大空を見上げて

日頃感じていること

母の面影(幼き想い出)

2021-10-19 | Weblog

 数年前のある日、その日は素晴らしく良い天気だった。
以前より、台風15号の影響で我家の屋根が気になっていた。
ジョイフル本田で瓦専用の接着剤を買ってきて屋根に上ったら、3枚ほど割れてずれていて、ほかにもひびが入っていた瓦があり全部直しました。
自宅の屋根の補修の為ベランダから梯子をかけて青空のもと、二時間位のんびり修理をしながら、遠い昔の田舎の幼い頃の事を思い出した。

「勝ちゃんが又屋根に上っている!」近所のオバサン達によく言われた。
物覚えがつく幼い四才の頃もうすでに母はいなかった。
父はよく私に言った「勝義、天国に行った母ちゃんがいつも見ているよ」私が何か悪さをして父が叱る時の言葉だった。
又「天国の母ちゃんが悲しむ。誰も見ていなくても母ちゃんは見てる」といつも聞かされた。
幼い頃住んでいた所は、二階建て長屋の会社の社宅で角に鉄ばしごが付いていた。
私は6歳頃から小学校高学年頃まで暇さえあれば昼夜を問わず頻繁に屋根の上にいた様な気がする。
父にあぶないから屋根に上がってはいけないと何度か怒られたが、私は隠れて登っていた。
ある日屋根の上に居たところを見つかり私を叱りながら「何故屋根に登るのか?」
私は「天国の母ちゃんに逢いたいから!」と。
その時父は涙目で「あぁ そうか!」と言って黙って私の頭を撫でたのを覚えている。

私は天国に少しでも近い屋根で青空、雲、夜空の星を見て母の面影を求めていた記憶がある。
その後、父は私が屋根にいても何も言わなくなったが、明治生まれの父はその時、私に武士の子だ。「強く、正しく、朗らかに」生きよ!と言われた。
         
 (写真:幼い頃いた故郷の社宅に似てる建物)
 
 遠き亡き母の面影を追っ手!
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父は先祖の一員「長州藩士、松田清左衛門」(元冶元年1864)幕末の志士の墓がある為、京都にお参りに連れて行かれた。
京都の秋の紅葉は素晴しく日本紅葉三景の一つと言われている。
その歴史の京都に私の先祖の一員「長州藩士、松田清左衛門」(元冶元年1864)幕末の志士の墓がある。
 京都長者町新町入ル(国司勢)34歳にて戦死(毛利家重臣、槍術師範)
 京都東山霊山護国神社に長州藩士の吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎、久坂玄端、大村益次郎達と並んで眠っている。


   
                 松田家家紋、源氏義経同)   
  家訓「正しく、強く、朗らかに生きよ!」亡父より
                       
   霊山にて
  京都東山霊山護国神社(先祖松田家一族、清左ヱ門)
幼い時、京都靖国へ父と数回行きました。
 
故郷山口県防府市毛利庭園
  

 


         長州魂しいで頑張った! 全日本銃剣道教士七段
月の砂漠  





コメント (2)
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