~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

忘我の愛と知識がまじった愛 どちらがいいのか!

2018-11-02 08:34:47 | Saranyaのひとり言
おはようございます。
昨日の三人の男の話はいかがでしたか。




「もうだめだ!」と言った男は、われわれを守ってくださる神がおられる、ということを知らなかったのだ。
「神に祈ろう」と言った男はジュニヤーニだ。彼は神はこの世の創造主であり、維持者であり、破壊者であるということを知っていたのだ。
「祈りで、神を煩わせることを欲せず、木に登ろう」と言った男が、神への忘我の愛の持ち主である。

人を自分の最愛の者より自分のほうが強いと考えさせるのが、まさにこのような愛の性質である。
彼は常に、彼の最愛の者が苦しまないよう気をつけている。
彼の生涯の唯一の願いは、最愛の者が足のトゲを刺すことさえないよう、彼を守ることだ。

と応えられました。


私たちにも、ありがちな事ですね。
すぐに諦める。それは常日頃より、すべて自分の力で行い、進めていると自負している証拠です。
私は苦境に陥ると、できない苦境を神様は与えないだろうと、とても元気になり、原因の探求やその原因をどのように解決するか一生懸命になります。
解決方法がどうしても分からなくなった時、瞑想して神に問いかけます。そのようにしていくと意外と上手くいきます。いかない時もありますよ。
努力や一生懸命さこそが神を知ることです。まだまだ、準備や条件が整っていないと善い結果は獲得できません。ですから、神を信じることができなくなるかもしれません。しかし、心身が受け入れる準備が整っていない場合は成就しませんが、準備、条件が整えば必ず神は私たちに成就という成果を与えてくださいます。

だから、困難な事に出くわすと、直ぐに神頼みして努力をしようとしないことは自分を信じていない、自分の中に神を感じていない証拠です。
知識として『神』の存在を知っていることは、絵に描いた餅を見て、餅を確認はしたが美味しく味わっていないことになります。

日頃から、嫌なことから逃げず、苦手な事を率先して実行していく努力を惜しまないことです。
男たちのように、突如トラが現れても第三の男のような判断ができるようになるためです。

神頼みする前に自分の出来る事をしましょう。
神様の前では、常日頃から奢らず、その結果は全てお見通しであることを自覚し、神様にカミングアウトをすればいいのではないでしょうか。

幼い頃、両親が見ていなくても「お空から神様が見ておられるから、悪ことしたらあかんよ。お見通しだからね」と諭されたものです。

神様の存在を信じることです。太陽のように、お金持ちだから、善い人だから、頭いいからといって、沢山の暖かい温もりをくれる訳ではない。
地域、民族、性別、年齢、財産有無などで別け隔てをすることなく、皆、植物も動物も平等に優しく照らしてくれます。
神様も同じです。いつも私の内に存在しています。
日頃から、忙しさに振り回されないように心掛け、神様に集中して神と共に行為し、神の御心を直感できるように暮らします。
そこには真智(エゴではない知識、苦痛を生じない知恵)が自然に現れるといわれます。