ひと言だけ・・・福岡ソフトバンクホークス応援ブログ

野球、音楽、映画のことなど一言よかですか?ホークスファンの、ホークスファンによる、ホークスファンのためのブログ

ユーミンが町にやってきた!

2010-05-27 01:14:33 | エリア
このブログを始めてもう5年を過ぎようとしている。今までプライベートな話題は極力避けてきたんだけど、ちょっと今回はそうもいかないなあ。まあ隠すほどの男でもないんだけどね。

博多の鷹男児こと私が生まれ育ち、今なお住み続ける町は博多区の美野島、住吉地区。
昭和の風情を残す店舗が建ち残る一方、一極集中や再開発が進む天神、博多駅に隣接する地域でもあり、ここ数年の町の様変わりは著しい時代の流れを感じずにいられない。

そんな自分の出生地でもある美野島商店街にあのユーミンこと松任谷由実がやってキターーー!

でも、なんで、なんでなんよ!?2日前から情報は入っていたんだけど、地元KBCの深夜番組「ドォーモ」のロケなんだって。ちなみにユーミンが九州でロケ地を訪問するなんて初めてのことなんだとか。当たり前よね、ユーミンがロケ地に出回るなんてこと自体信じられないもん。

それにしても、福岡の商店街といえば、西新、川端、柳橋あたりがメジャーな所なんだけど、なんで美野島なの・・・実はユーミン、以前から福岡でのライブの時なんかはよくこの美野島、住吉にお忍びでいらしていたという話はよく聞いていた。何軒かハマった店があったそうだけど、ホントだったんだなあ。

ユーミン自身は八王子の呉服店が実家だよな。「荒井呉服店」ってファンなら誰もが知ってるもんな。八王子がどんな所が知らないけどおそらく美野島商店街も八王子に通じるような空気があるのかも。

さて、肝心の生ユーミンはというと・・・5時半頃のロケと聞いていたんだけど、ちょっと遅れてしまった。うわー、もう帰るところやん・・・なんとか後ろ姿は見れた・・・残念・・・詳しくは「ドォーモ」で観るとするか。

いやいや、でもユーミンが美野島、住吉って所を知っている、ということだけでも幸せだし、地元の人間として誇り高いよ。今回はロケということだったんだけど、何か新しい発見はあったのかなあ?それとも昔ながらの町並みに「あの日にかえりたい」なんて気分にでも浸ったのかなあ。



能古島の片想い

2009-10-12 01:15:19 | エリア
いやいや、日曜日にデーゲームでホークス戦ないと、遠出できるよな。ということで今日はアウトレットのマリノアシティへ。別に買いたいモノなんてないんだけど・・・う~ん、でもやっぱり海はいいな。マリノアから見る海の向こうには「能古島」がほんの手に届きそうな所にある。確か船で10分ちょいだったっけ。人気のショッピングモールと四季の移ろいを感じさせる大自然の島とをこんなにも近くに結ぶ福岡。「適当に都会で、適当に田舎」なんていわれるけど、これが全国的にも評価の高い福岡の街の特徴だ。

能古島・・・いやあ、もう5年くらい行ってないなあ。若い頃はよく「のこのしまアイランドパーク」行っていたけどねぇ。小さな島なんで1日あればほぼ島全部制覇できると思うけど。ミニ動物園はまだあるのかな?あそこに「リスザル」って小型サルがいるんだけど、悪知恵の働くサルにあってリスザルは水が苦手なんだよな。なのでリスザルたちに檻は不要。サル山の周りは小さなため池みたいになっていたよな。(笑い)大人から子供まで楽しめるゲートボールゴルフの「のこのこボール」もあったな。それから能古島というとあの「火宅の人」壇一雄が晩年を過ごし終の棲家にしたことでも有名。

♪つきせぬ波のざわめく声に今夜は眠れそうにない
 浜辺に降りて裸足になればとどかぬ波のもどかしさ
 僕の声が君にとどいたらステキなのに

「能古島の片想い」・・・地元福岡出身の井上陽水の隠れた名曲。もう40年くらい前の作品なんだあ。確かに、この作品の中の陽水の声、青いし、若いよ。歌詞も今では信じられないほど繊細で青春してるよなあ。(笑)誰でもそんな時代ってあるんだなあ。ただ、ホントにいい曲だ、せつなさが痛いほど伝わる。自分自身もこの曲聴くたびに能古での思い出がよみがえるよ。ちなみにこの「能古島の片想い」、CDも島の売店でも売っているよ。ぜひ能古を訪れた思い出に!




中洲JAZZナイト

2009-08-31 01:43:12 | エリア
今週末は選挙をはじめ、地元中洲での地域イベントやもちろんソフトバンク・ホークスの戦いなど、この夏一番の慌ただしさだった。

まず、衆院選だけど予想通り民主党の圧勝。まあ当然といえば当然だけどね。民主どうこうというよりも自民党がもう終わった政党だからね。選挙のことについては言いたいこと山のようにあるんでまた日を改めて・・・それにしても事前の世論調査とか週刊誌の当落予測の正確性にはビックリやね。

ホークス、今週は厳しい戦いだった。ハムに負け越しで優勝争いから大きく引き離されたわけだけど、王会長の「あきらめるな!まだチャンスは十分にある」という言葉は重い。クライマックスシリーズを睨みつつ9月末頃の最後のハム3連戦までに逆転優勝の可能性を残すような戦いをしてほしいものだ。

さてさて、今日はこの話題で決まり!土曜日の「中洲ジャズナイト」は熱かった!

長引く不況や若者の洋楽離れなんかの影響で、福岡の誇る老舗ジャズ喫茶「COMBO」やブルーノートを引き継いだビルボードライブなどジャズの大舞台が相次いで閉店している。自分自身、ジャズはスタンダートを聴く程度なんだけど「COMBO」は一度行っておくべきだったよな。何度も誘われてはいたんだけど・・・ビルボードの閉店もホントに残念だけど、「やっぱりダメだったな」というのが正直な本音。だって敷居の高かったブルーノートと全く同じ轍を踏んでるもん。ビルボードの開店前は誰でも気楽にリーズナブルなライブハウスという触れ込みだったと思うけど・・・ブルノ、ビルボードあわせて20回くらい訪れたけど、結局、店名が変わっただけで中身は全く変わってないように感じていた。

やっぱり、東京、大阪でないと無理なのかな、福岡程度の街では・・・

いやそんなことはないはず。昨日の中洲でのストリートライブの熱気はすごかった。スペシャルゲストの日野さん、オーラがすごい。地元のアマバンドにもいくつか興味を持った。そして、こちらも百年の一度の不景気の中洲だけど、いつもはまず見かけないような若い女性や子供、もちろんオヤジも。こんな中洲初めて。あのホークスの優勝パレードにも負けないほど人波。そうそう、祭り好きなんだよ、音楽好きなんだよ、博多の人間は。スポーツや文化が景気の善し悪しで左右されるような街であってはならない。今回のリーダーは県議の井上さんだっけ?アンタ、国政に出たいんなら毎年、いや年に2回くらいこんなイベントやんなきゃいかんですバイ。来年もヨロシクお願いしますよ。これをきっかけにブルノでもビルボードでもまた復活してくれれば・・・

行ってみたいな、飛んでイスタンブール

2008-07-21 00:50:58 | エリア
「世界の住みやすい都市」というイギリスでの調査によると1位コペンハーゲン、2位ミュンヘン、3位東京・・・そしてなんと福岡が世界の17位だって!マジかよ~、この調査は生活の質という基準での評価みたいだけど・・・う~ん、福岡での生活がどうのこうのなんて考えたこともないけど、まあイギリス人が言ってるんだからそうなんだろうな。(笑)

僕は福岡以外に住んだことがないんで他の都市と比較が出来ないんだけど、中心地の天神、博多から地下鉄で10分で空港に到着する利便性は世界一とかいわれている。適当に都会で適当に田舎というところもいいのかも。食べ物もおいしいともいわれてるなぁ。ただし、夏は暑いし、暖かいと思われている冬は結構寒い。ホークス以外に何もない街なんて思ってたなぁ。便利さが当たり前のように暮らしている福岡の街にもっと感謝せんといかんかな。(笑)

もし福岡以外にどこか住んでみたい都市は?と問われるとイタリアとかトルコかなぁ。どちらもヨーロッパでありながらどこか日本に共通する文化や精神を感じるよな。特にトルコは幻想的でおとぎ話の世界そのものの雰囲気がするんだよなぁ。庄野真代の「飛んでイスタンブール」って曲もあるくらいだしね。

それにトルコって世界一の親日国ともいわれてる。トルコとの友好関係の原点となったのが明治時代の日本へのトルコ特使派遣船の遭難事故における和歌山県での救助、介護という歴史的事実ということだそうだ。そりゃ日本人にしてみれば当然のことをしたまでのことだとは思う。ただ、そんな100年以上も前のことを現在に至っても胸に秘め続け、子供の世代にも受け継がせる精神は日本人以上のサムライかもね。トルコ、行ってみたいなぁ

♪おいでイスタンブール 人の気持ちはシュール 光る砂漠でロール
 好きよイスタンブール どうせフェアリーテール 夜だけのパラダイス・・・




 
 

福岡天神、旧岩田屋跡どうなる

2008-02-13 01:37:19 | エリア
福岡の中心地天神の老舗百貨店の旧岩田屋が空きビルとなってもう4年もなるのか。まだ正式な決定にはなっていないようだけど、一応あの「パルコ」が内定したそうだ・・・

それにしても旧岩田屋跡地を所有し放置してた「都築学園」にもあきれるよな。福岡の一等地をこれほど遊ばせておいて、しまいには色ボケ学長のわいせつ事件にと・・・学校経営って、よほど儲かるんだろうな。でももう教育を語る資格はないな。

ただ、どうして今さらパルコなの?空きビルのままよりかはましかもしれないけど、個人的にはそれほど歓迎という気にはならないなぁ。数年前、広島のクラブ「クアトロ」にライブ鑑賞に行ったんだけど、そのクアトロを運営しているのがパルコなんだ。ということは、福岡もクアトロ開業ってことか。(うれしいのはこれくらい)パルコってビル自体は十代から二十代前半くらいの客層をターゲットにした商業施設という印象だったなぁ。天神にはパルコと同じような「ビブレ」や「天神コア」といったビルがあり、さらに数年後には「丸井」など若者向けのビルの出店が予定されていて、かなりダブるようなことになるんじゃないかなぁ。

パルコって、今は森トラストの運営みたいだけど、やはりまだ西武の印象が強いな。どうせなら西武百貨店にでも来てほしかったなぁ。まあ、今は森財閥ということで、「天神ヒルズ」とか「博多セレブ」なんてビルはどうかな。ちょっと趣味悪いっすかね。(笑)



桜の季節のいい話

2007-04-02 01:03:05 | エリア
3月の卒業シーズンも終わりいい季節になってきましたね。
別れと出会いのこの時期って、なぜかいまだにそわそわした気持ちになるんだよなぁ。(笑)自分たちの学生時代の定番ソングといえば「贈る言葉」なんだけど、今はどんな歌なのかなぁ?

♪暮れなずむ町の光と影の中 去りゆくあなたに贈る言葉
「贈る言葉」のはじまりの歌詞は、武田鉄矢がアマチュア時代に福岡の中心地天神にある伝説のフォーク喫茶「照和」での演奏にあけくれていた頃、ライブハウスから外に出たときの天神の夕焼けがまぶしかった思い出をこめたものといわれています。僕も「照和」の前を通るたびにこの曲が浮かぶんですよねぇ。

3,4日前の西日本新聞の社説に載っていた話なんですが、あまりにいい話だったんで書かずにいられません。

福岡市南区の柏原中学校の卒業式でのことです。
「巣立ちの歌」、「旅立ちの日に」を歌って式が済んだところで、突然生徒会長が立ち上がり「すみませんが少し時間を下さい。最後の卒業生として校長先生も退職されます・・・」

その後、校長には内緒にしていた「もうひとつの卒業式」が始まったそうです。
壇上に上がった校長に対し、「時に厳しく、時に優しく、教えてくださいました」と感謝状を贈り、卒業生全員で「仰げば尊し」を歌ったそうです。校長も卒業生も涙が止まらなかったことはいうまでもありません。

そして最後のあいさつで校長は「40年近く務め、つらいこともありましたが、今日ほど教師をしてきて良かったと思ったことはありません」と締めたそうです。

♪仰げば尊し 我が師の恩・・・を歌うことは生徒会で話し合って決めたそうです。自分たちが送られる式で歌う歌と一緒に2週間かけて練習してたそうです。校長先生にとって人生最大の「贈る言葉」だったんでしょうね。

ホントいい話ですよね。最近の教育現場でいい話題なんて全くといっていいほど聞かれませんが、まだまだ捨てたものじゃないですよね。


太宰府をぶらぶら

2006-11-08 02:29:14 | エリア
太宰府って何年ぶりかなぁ・・・天満宮の近くに国立博物館が建てられ、街もかなり賑わっている、なんて聞いて久しぶりに行ってみたくなりました。3連休中ということもあり太宰府駅から天満宮までの土産物店や飲食店はどの店も大繁盛!やはり噂通りの活気だなぁ。

太宰府といえば受験生の頼みの綱「太宰府天満宮」ですよね。
太宰府天満宮は平安時代、太宰府に左遷され、この地で亡くなった学問の神様・菅原道真を祀る全国天満宮の総本社です。この天満宮の起源は、道真が亡くなったとき、忠臣として仕えていた味酒安行(うまざけやすゆき)が道真の柩を牛に乗せ、安楽寺四堂の側に葬ろうとやって来たところ、安楽寺の境内に入るとその場から牛が動かなくなったそうです。安行はこれを天の啓示ととらえて、その地点に柩を埋葬し、その後その墓の上に祠(ほこら)を建てたということです。この墓所が天満宮本殿のある場所だそうです。

 東風(こち)ふかば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

この歌は、道真が太宰府への左遷が決まったとき、家族との別れを悲しんで京都の紅梅殿で詠んだものです。道真はこの歌を短冊にして梅の枝に結びつけたそうです。この梅が主を慕って京都から太宰府まで一夜のうちに飛んできたという伝説の花「飛梅」です。今でも引いたおみくじを木の枝に結びつけますよね。これは菅原道真にちなんでいるんですね。風流やねぇ。

子供の頃、歌の意味も分からずに百人一首大会によく出ていたんですが、この道真の歌は、太宰府大会でのみ「序歌」(競技の最初に詠まれる歌で、百の歌には含まれていない。)として詠まれるんですよ。いい歌だよなぁ。道真は百人一首の中では「菅家」という尊称で収められているけど、この歌の方が断然いいですね。

それから太宰府といえば、名物「梅ケ枝餅」に決まってますよね。これを食べないと帰ろうにも帰れない。(笑)普段、餅や饅頭なんて食べないんですが、この「梅ケ枝餅」だけは好きなんですよねぇ。餅米粉と米粉を練って薄い皮をつくり、それにあんこを包んで焼く、というシンプルなものなんだけどこれがいくつもいけるんですよねぇ。太宰府を訪れた際はぜひ!

今回はあまりゆっくり出来なかったけど、神社やお寺って安らぐし、落ち着きますよね。子供の頃、参拝って好きじゃなかったけど、なんだか好きになりそうです。

福岡のミステリーゾーン

2006-08-10 02:24:56 | エリア
8月に入って暑い日が続きますよね。夏らしい夏です。
やっぱり夏といえば海・・・といいたいところですが、今回は「怖い話」で盛り上がりましょう。

大抵のヒトって、この手の話好きですよね。僕も大好きなんです。映画のジャンルもミステリーものが一番好きだし、TVのサスペンスドラマなんてのも男のくせに好きなんですよねぇ。(苦笑)でもどうして、みんな奇妙で、不思議で、恐ろしいような物語に興味を持つのかなぁ?日常生活に不満でもあるからかなぁ?ドキドキ感を求めてるからかなぁ。そんなことどうでもいいか。(笑)

全国各地に伝わる怪奇現象は多いと思います。人に聞いた話ではありますが、福岡で語られる「ミステリー」をいくつか紹介しましょう。

 「鱒淵ダムの幽霊トンネル(北九州市小倉南)
実際に行ったことはないんですが、小倉南区の鱒淵ダム付近には、「幽霊トンネル」と呼ばれているトンネルがあるそうです。車やバイクでトンネルを通過すると、後部座席に男性の霊が乗る、というそうです。ある日、トンネルの先で警察が「ネズミとり」をしていたところ、2人乗りのバイクが暴走。追いかけて捕まえた時には、うしろには誰も乗っていなかった、というようなことが頻繁に起こっているとか・・・(キャー!)

 「ゆうれい坂」(遠賀郡岡垣町)
これはTVなんかでも何度か紹介されたことのある不思議な坂です。
岡垣町の成田不動寺へ向かう坂道に、地形的なひずみで、実際は上り坂なのに下り坂のように見える「ゆうれい坂」があります。空き缶なんかを横にすれば、コロコロと坂を上がっていくんです。というか、上がっていくように見えるんです。(ホー、摩訶不思議!)

 「犬鳴峠」(糟屋郡久山町)
これは福岡県人ならば知らないヒトはいないほどの代表的なミステリーゾーン。
犬鳴峠にまつわる怪談はあとをたたないほどです。車の天井がバタバタと音をたてるので、降りて天井を見ると、手の形をした血痕がびっしりついていたとか、ガードレール沿いの壁に女性の影が浮かび上がるとか、あるカーブにかかると車のライトが消えるとか・・・もちろんその原因は不明です。(無言)

でも僕、一度もミステリー体験がないんですよねぇ。(笑)

キャナルシティにはラーメン食べに行くのかな?

2006-06-18 00:48:19 | エリア
あいかわらずよく道を尋ねられるよなぁ・・・
そんなに尋ね易そうな人間に見えるのかなぁ?「チョイ不良オヤジ」へはまだまだ程遠いなぁ。(苦笑)

よく聞かれる場所というのが、博多駅とキャナルシティです。今、住んでいるところがちょうどこの辺りということもあるんですが、やはり今日も「キャナルってここからどれくらいですか?」と問われた。しかし、この道順の説明が結構難しいんだなぁ。中洲付近とはいえ、かなりへんぴな所にありますもんね、キャナルは・・・

それにしても、みんなどこから来てるんだろう?長崎?大分?山口?もしかして四国?キャナルってそんなに大した所じゃないと思うけど・・・でも親戚を初めてキャナルに連れて行ったときなんて感激してたよなぁ。

みんな「ラーメンスタジアム」がお目当てなのかなぁ?
僕も何度か行ったことはあるんだけど、正直いってここのラーメンって味は確かなんですが、どこの店も高すぎると思う。

福岡の人間って、ラーメンに対する思い入れは全国一ともいえると思いますが、ラーメンって、決していわゆる「メインディッシュ」ではないんだと思う。
昼食や小腹がすいたとき、お酒を飲んだ後に食べるモノ・・・などという印象がラーメンにはあります。

確かにラーメンスタジアムのラーメンはおいしいが、1杯千円近くもするようなラーメンはノーサンキューです。決してラーメンスタジアムを否定している訳ではないけど、自分の中では、ラーメンって五百円以内でいかにおいしいかがポイントです。福岡の人間なら僕のような意見って結構多いのでは・・・

親富孝通り(親不孝通り)

2005-12-24 01:37:51 | エリア
福岡市中心部の天神から長浜や舞鶴までを結ぶ「天神万町通り」を通称「親富孝通り」といいます。もともとは「親不孝通り」と名付けられていましたが、不孝(不幸)という語感の悪さもあり「親富孝通り」と改称されたようです。この名の由来は、この通りのすぐ先に大手予備校があったせいもあり、その学生達で商店街がにぎわっていたことからきているそうです。僕はもともとの「親不孝」というほうが良かったような気もしますが・・・

僕が学生だった頃がこの通りの最盛期だったでしょうか。当時、日本一といわれたディスコがあったり、おしゃれなアパレルショップや居酒屋が建ち並んでいましたが、徐々に治安が悪化し現在ではあやしげな風俗店や飲食店などが中心となっていて近づきがたい場所になっています。また最近では商店街のイメージチェンジを図った新しい取り組みなんかも始まっているようですが・・・

最後に「親富孝」に行ったのはいつだったかなぁ?3月のドラムロゴスでのbirdのライブ以来かなぁ?ほんとに行くようなことなくなったなぁ。