「アンマスク」の場面。
「湖には 一艘の小舟 そして一人の男が乗っていた」
あたりでクリスの目が好奇心に輝いています。
「暗がりの中にいる あの人影は誰かしら?」
<うわあぁ・・・追いかけっこしてますね。ひいぃ・・・!
「よーーうし、とっちゃお!ほらほら・・・!(後ろから忍び寄って)そうれ♪とっちゃった!!!」的なやんちゃなクリス。
昨夜何かあったのか?な香りの映画版とは随分違いますが可愛いです。
子供の好奇心という感じです。仮面の下に重大な秘密があるとは思ってもいない、と言うか「こんなのつけちゃって面白ーーい」みたいな?(^^;
仮面をとられたファントムは怒ってクリスを追い掛け回します。結構あちこち行ってます。
「呪われろ!恩知らずの腹黒い蛇め!
お前に自由はない!忌々しい!呪われろ!」
で床に倒れるファントム。怒っているだけでなく、何か不穏な想念が渦巻いていそうです。
「お前が夢でさえ見たこともない顔を持つ私
お前に私を見る勇気があるか
私を思い出すのに耐えられるか・・・」
「この忌まわしい怪物は 地獄の業火に焼かれながらも
秘かに 天国に憧れている」で蛇のようにクリスににじり寄るファントム。
<この人マジで恐いーーーーー!!!!!!!!!!!!
不気味で恐いです。良いです。「地獄から這い上がってみせる」的な気迫を感じます。
そういう阿修羅のごとき「妄執」みたいなものを感じさせるがいいですね。こういうの好きです。自分も他人もすべてが憎い!!世界が滅びればいい!!くらいに怨念を持っている。でも、自分でもその暗さに耐えかね、この苦境をなんとかしたいんだ、と言う印象を受けました。
次に「クリスティーヌ」と手を差し伸べるが、クリスティーヌは後じさっております。
こ・・・これは恐いでしょう。でも恐いくらいがよいのです。
「恐怖が愛に変わることもある
お前になら きっと見えるようになる
きっと 見つけられる 怪物の背後にいる人間を・・・・」
勝手な願望のような事を押し付けているのが不気味です。恐いでしょう。私も恐怖です。この顔(一応化け物と呼ばれるレベルであると想像しています)でこの歌詞(恐怖が愛に変わる)では。
きっとファントムの「そうであって欲しい」という希求なのでしょう。
「クリスティーヌ・・・愛してるんだ。私の望みをかなえてくれるだろうね?(ちょっと期待している)」と切ない想いで手をクリスの近くに差し出します。
クリスは顔をスッと背けます。拒絶です。まあ、突然そんな自分勝手な事を言われても困ります。恐いし、不気味です。
「・・・」ファントムはちょっと意外な様子で、拍子抜けした感じです。ですがたまたま鏡に自分が映ったので、その醜さに驚き・怯える。「ああ、クリスティーヌ」と小さく叫び、小さく縮こまるファントム。
ここで怒りと自分の心情を切々と歌い上げる事に熱中して我を忘れているのも恐いです。手で顔を一応隠しているのですが・・・。ここでやっと正気に戻っている感じです。
(ばたっと倒れてから鏡を見るまでは、自己憐憫に浸り、地獄で蠢く化け物の妄執・哀歌を歌っているのかもしれません)
『ファントムにもまだ幼い部分があるというか、ファントムにだって恐れていることがあるんだということを実感させてくれるので本当に泣けます』
本当ですね。
映画だと人形を見詰めるのが印象的です。辛いときに依存対象を見てやり過ごしているのでしょうか。このバトラーファントムの演技も奇矯さを感じさせて好きです。
クリスは仮面を手にしてそっと差し出します。ファントムを心配しているようにも見えます。
で、後ろを向いて仮面をつけるとファントムのカリスマが甦ります。急に態度が王のように威風堂々となります。
このあたりの変化は、ケイ版のどこかに書いてあった「仮面を外すと不安(だったかな?)で、つけると力が漲る」的な文章に近いのでしょうか?
『そして、おびえてファントムから逃げていたクリスティーヌもこの歌の最後のほうでファントムがクリスティーヌの頬に触れようとしたとき、よく見ないと解らないとは思いますが、顔をファントムのほうに自ら倒しています』
<分ります。最後の手を差し伸べるあたりですね。
「私は貴方の素顔を見てしまったのだから、どんなことでも受け入れるわ」と言っているかのような。はたまたファントムの催眠術にかかったのか。その直後現実に引き戻される姿が悲しいのです
私は仮面をはずして不安定になった心が仮面をつけてピシッとなり、カリスマというかクリスティーヌへの影響力・パワーを取り戻したんじゃないかと思いました。
その姿にクリスは恍惚となったのでは・・・と。ファントムも最初はいい感じで手で触れようとします。「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」の時のように仮面をつけた状態で一種の触れ合いをまた感じたい、みたいな。
でもファントムはそれが一種のカリスマ的支配でしかないのだと直感したので、そのまま頬にはふれなかった。
「お前が見ているのはカリスマ・ファントムじゃないか!
違う!私が欲しいのはカリスマ・ファントム、音楽の天使ではなくて地獄から手を差し伸べているありのままの自分なんだ。
仮面の下の真の姿、心の中の望みを知った唯一のお前にだけは自分を理解して欲しいんだ」と。綺麗な自分だけ見てくれるな、的な。
以前は、仮面をつけた一種飾った自分と音楽で戯れる程度でも良かった。そこまでは望んでいなかった。(素顔を見せる気などこれっぽっちもなかったから)
でももう今は孤独なエリックに近付いてほしいんだ、そんな偽りの関係では嫌だ、耐えられないんだ、と。
少なくとも仮の姿を恍惚と見詰めるお前に耐えられない。
だからそのまま頬には触れず、ツ・・と手を離し「さあ、戻ろう!」となるのではと思いました。
「湖には 一艘の小舟 そして一人の男が乗っていた」
あたりでクリスの目が好奇心に輝いています。
「暗がりの中にいる あの人影は誰かしら?」
<うわあぁ・・・追いかけっこしてますね。ひいぃ・・・!
「よーーうし、とっちゃお!ほらほら・・・!(後ろから忍び寄って)そうれ♪とっちゃった!!!」的なやんちゃなクリス。
昨夜何かあったのか?な香りの映画版とは随分違いますが可愛いです。
子供の好奇心という感じです。仮面の下に重大な秘密があるとは思ってもいない、と言うか「こんなのつけちゃって面白ーーい」みたいな?(^^;
仮面をとられたファントムは怒ってクリスを追い掛け回します。結構あちこち行ってます。
「呪われろ!恩知らずの腹黒い蛇め!
お前に自由はない!忌々しい!呪われろ!」
で床に倒れるファントム。怒っているだけでなく、何か不穏な想念が渦巻いていそうです。
「お前が夢でさえ見たこともない顔を持つ私
お前に私を見る勇気があるか
私を思い出すのに耐えられるか・・・」
「この忌まわしい怪物は 地獄の業火に焼かれながらも
秘かに 天国に憧れている」で蛇のようにクリスににじり寄るファントム。
<この人マジで恐いーーーーー!!!!!!!!!!!!
不気味で恐いです。良いです。「地獄から這い上がってみせる」的な気迫を感じます。
そういう阿修羅のごとき「妄執」みたいなものを感じさせるがいいですね。こういうの好きです。自分も他人もすべてが憎い!!世界が滅びればいい!!くらいに怨念を持っている。でも、自分でもその暗さに耐えかね、この苦境をなんとかしたいんだ、と言う印象を受けました。
次に「クリスティーヌ」と手を差し伸べるが、クリスティーヌは後じさっております。
こ・・・これは恐いでしょう。でも恐いくらいがよいのです。
「恐怖が愛に変わることもある
お前になら きっと見えるようになる
きっと 見つけられる 怪物の背後にいる人間を・・・・」
勝手な願望のような事を押し付けているのが不気味です。恐いでしょう。私も恐怖です。この顔(一応化け物と呼ばれるレベルであると想像しています)でこの歌詞(恐怖が愛に変わる)では。
きっとファントムの「そうであって欲しい」という希求なのでしょう。
「クリスティーヌ・・・愛してるんだ。私の望みをかなえてくれるだろうね?(ちょっと期待している)」と切ない想いで手をクリスの近くに差し出します。
クリスは顔をスッと背けます。拒絶です。まあ、突然そんな自分勝手な事を言われても困ります。恐いし、不気味です。
「・・・」ファントムはちょっと意外な様子で、拍子抜けした感じです。ですがたまたま鏡に自分が映ったので、その醜さに驚き・怯える。「ああ、クリスティーヌ」と小さく叫び、小さく縮こまるファントム。
ここで怒りと自分の心情を切々と歌い上げる事に熱中して我を忘れているのも恐いです。手で顔を一応隠しているのですが・・・。ここでやっと正気に戻っている感じです。
(ばたっと倒れてから鏡を見るまでは、自己憐憫に浸り、地獄で蠢く化け物の妄執・哀歌を歌っているのかもしれません)
『ファントムにもまだ幼い部分があるというか、ファントムにだって恐れていることがあるんだということを実感させてくれるので本当に泣けます』
本当ですね。
映画だと人形を見詰めるのが印象的です。辛いときに依存対象を見てやり過ごしているのでしょうか。このバトラーファントムの演技も奇矯さを感じさせて好きです。
クリスは仮面を手にしてそっと差し出します。ファントムを心配しているようにも見えます。
で、後ろを向いて仮面をつけるとファントムのカリスマが甦ります。急に態度が王のように威風堂々となります。
このあたりの変化は、ケイ版のどこかに書いてあった「仮面を外すと不安(だったかな?)で、つけると力が漲る」的な文章に近いのでしょうか?
『そして、おびえてファントムから逃げていたクリスティーヌもこの歌の最後のほうでファントムがクリスティーヌの頬に触れようとしたとき、よく見ないと解らないとは思いますが、顔をファントムのほうに自ら倒しています』
<分ります。最後の手を差し伸べるあたりですね。
「私は貴方の素顔を見てしまったのだから、どんなことでも受け入れるわ」と言っているかのような。はたまたファントムの催眠術にかかったのか。その直後現実に引き戻される姿が悲しいのです
私は仮面をはずして不安定になった心が仮面をつけてピシッとなり、カリスマというかクリスティーヌへの影響力・パワーを取り戻したんじゃないかと思いました。
その姿にクリスは恍惚となったのでは・・・と。ファントムも最初はいい感じで手で触れようとします。「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」の時のように仮面をつけた状態で一種の触れ合いをまた感じたい、みたいな。
でもファントムはそれが一種のカリスマ的支配でしかないのだと直感したので、そのまま頬にはふれなかった。
「お前が見ているのはカリスマ・ファントムじゃないか!
違う!私が欲しいのはカリスマ・ファントム、音楽の天使ではなくて地獄から手を差し伸べているありのままの自分なんだ。
仮面の下の真の姿、心の中の望みを知った唯一のお前にだけは自分を理解して欲しいんだ」と。綺麗な自分だけ見てくれるな、的な。
以前は、仮面をつけた一種飾った自分と音楽で戯れる程度でも良かった。そこまでは望んでいなかった。(素顔を見せる気などこれっぽっちもなかったから)
でももう今は孤独なエリックに近付いてほしいんだ、そんな偽りの関係では嫌だ、耐えられないんだ、と。
少なくとも仮の姿を恍惚と見詰めるお前に耐えられない。
だからそのまま頬には触れず、ツ・・と手を離し「さあ、戻ろう!」となるのではと思いました。
ベスのクリスティーヌは本当に幼いんですよね、この場面では子供です。好奇心旺盛な育ち盛りの少女なんですよね。仮面をつけている理由がわかっていない。
恐ろしい顔があるから隠しているのだということを知らない。だから怒られるなんて思ってなかった。仮面をはずした後、悲鳴を上げ、逃げるシーン。転ぶ前にちょっと仮面とファントムを交互に見ていますね。
四季版でもそういうシーンがあって「私まずいことしちゃったの?」と確認するような意味でやっているそうです。この後クリスは転びますが、ターンして転ぶ人が多いですけどベスのクリスティーヌは恐怖のあまりただ逃げ続け、ターンなどする余裕もなく「ズテッ」と思い切り転んでいるのが、ますます余裕がなく、恐怖で何も考えることができないクリスティーヌを連想させます。そしてファントムも倒れ、起き上がらず、腹ばい状態でクリスを追い詰める・・・
クリスは怖くて後ずさり。この後、クリスに触れようとして拒絶されてしまうファントムの気持ちは「クリスティーヌに触れたい・・・しかしこんな醜い顔を見られてしまって、私は嫌われてしまった・・・もう絶望しかない・・・」という感じですね。ジェリーファントムの「おお、クリスティーヌ・・・」は悲しすぎます。ものすごく泣いていますし、頭を抱え、顔を覆って。その絶望感がたまりません。こんなファントムの姿を見て、クリスティーヌはただファントムを哀れに思ったのではなく、自分への責任も感じたのかもしれません。そういう意味で私はファントムが頬に触れようとして顔を傾ける場面でクリスティーヌは操られているのではなく、罪を償いたいんじゃないかと感じました。この二人(ジェリーとベス)は、ファントムとクリスティーヌの関係を凄く解りやすく表現していますね、子供にもわかる表現じゃないかなぁと思います。解りやすい表現だからこそ、ものすごく悲しくなる・・・このミュージカルに脇役のコミカルさがなかったら、観客は泣きっぱなしなんじゃないかと思いました。そういった意味でも出だしの「ハンニバル」や
この二人が出ているところの動画はありませんが「支配人のオフィス(一幕も二幕も)」、そして動画にもある「イル・ムート」などが欠かせないんじゃないかなと思います。どんな悲劇的な物語にも笑いは必要なんです。前にも名前を出した歌劇「ボエーム」もものすごく悲しい歌劇ですが、笑いはしっかりとっています。やっぱりちょっと似てるところがあるんでしょうか。とはいえ「ボエーム」には悪役がいません。カルロッタのようないばった女性がいますが、最終的には誰よりも優しい人になるので。
ファントムが「罪を償いたい」と素直で優しいクリスが自分を差し出しているのにも関わらず、頬に触ろうとした手を突然大きな身振りで止め、「地上に戻ろう」というのはどうしてなんでしょう?
それこそ醜く、化け物じみた自分にクリスが初めて優しくしてくれた(ごめんなさいと思ってくれた)のなら、その場で嬉しくて泣いてしまうのではないでしょうか?
なぜファントムから拒絶するのですか?
完全に「そうだと思った」という風に変えたのは、やっぱり私がクリスティーヌを愛してるからなんですよね。ただ怖がって逃げているだけ、ファントムの催眠術に掛かったから思うがままになったというよりは、本当に優しいクリスを私が心から望んでいるからです。それが本当であったとして、ファントムがそれを拒んだのは、嬉しくて泣いてしまわなかったのは、自分(ファントム)が彼女を怖がらせたにもかかわらず、彼女が自分を想っていてくれていると思ったら、
ファントムに罪の意識が芽生えたのではと思います。
私の考えは凄く変かもしれません。否定されて当然の考えだと思います。でも、こういう考えの人もいるんだとおもってもらえれば光栄です。必ずしも意見が同じになるわけではないですから。
「ファントムから拒絶」というのは、クリスに対してですか?それとも、私に対してでしょうか?
それはまったく同感です(^^)。心からの優しさでファントムを包んで欲しいのは同じです。
私もクリスが絶望するファントムを見て何も感じなかったとは思いません。「大袈裟に驚いちゃったかな。悲しい思いをさせた」とは思っていると思います。
でも理解を超えた暗黒を抱えていて「心底恐い」と言うのもあったように思います。
原作だと「おぞましい!おぞましい!おぞましい!」というふうにも言っているので尚更そう感じたのかもしれません。(と同時に、「この泣き声が自分の予測以上に彼に自分を繋ぎとめた。かわいそうなエリック!」とも言っているのですが・・・)
「仮面は母がくれた最初の衣服」あたりでクリスがファントムのほうに体が傾いたように記憶しているのですが、ここで「ああ、そうだったのね・・・!よく分らない狂人のようなファントムにも血の通った普通の子供としての悲しい過去があるのだわ。この人も心をもった人間なのだわ・・・」と。
ファントムの心の地獄というのは凄まじくて、クリスには手に負えないようなものなんだと今回の感想では言いたいというのもあります。
ファントムの拒絶というのは・・・
この動画の最後の最後――ファントムは最後に仮面をつけて振り返り、手でクリスの頬を触ろうとします。クリスは目を瞑り、うっとりとその手に頬を寄せようとします。
――が、ファントムはその手と頬が今まさに触れ合う瞬間に手をふり下げ、そのままクリスの手首を掴んでグイッと乱暴に立たせ「さあ、愚か者がまってる。戻るんだ!」と怒ったように言うのです。
「クリスがうっとりと目を瞑って手に頬を寄せるのをなぜ拒むのか・・・」という動作の事です。
クリスには思いやりがあって母性も(全てのクリスにあるわけではありませんね。原作のクリスはどうだったでしょう?エミーにはありましたよね。)ありますが、それでもファントムをすくうことは難しいのでしょうか。どんなにクリスティーヌが優しい心を持ってファントムに接してもファントムが心の中に抱えている地獄は変えられないということなのでしょうか。
スーザン・ケイの「ファントム」は凄く優しい心を持っているときもあれば、母親に拒絶されてしまったときのあの苦しみ・・・あれが舞台版でも共通している「地獄」なのでしょうね。誕生日にキスしてもらうことすらできない・・・愛を与えてもらえない・・・
しかし、スーザンが描くエリックにはペロー嬢がついていました。舞台や映画にはクリスと、あえていうならマダム・ジリーがいますね。それでも地獄から救うことはできないのでしょうか。後に続編がおそらくロンドンで上演されますが、そのとき果たしてファントムはどうなるのでしょう?マンハッタンの怪人はまるきし読んでないので解りません。
動作については、「今クリスティーヌに触れてしまったら気がおかしくなってしまう!」あるいはまったく別の私の意見で「こんなことをしても、クリスティーヌはまた私を恐れるのではないだろうか」という思いがあるんじゃないかと。また変な意見ですね。
確かにクリスは顔を傾けています。「この頬に触れて」というように。でも触れた瞬間に、恐怖がよみがえてしまうんじゃないかと、ファントムは思っているのではないでしょうか?個人的な意見ですが・・・
一方でクリスはファントムに再び身をゆだね、どんなことをされても受け入れる覚悟があるんじゃないか・・・というのが私の意見です。少なくともこの場面では、ですね。この後からクリスはファントムの行為をたびたび拒絶する場面がありますから。(「ポイント・オブ・ノー・リターン」や、第二幕ラストなどで)
「私の顔を見た女はみんな私の物になるんだ!
私はお前を哀れんで泣いてるんだよ!お前に同情してねえ!
私の仮面を剥がしたばっかりに、私から離れられなくなってしまったお前に同情してるんだ!!
私がどんなに醜いかを知った今となってはお前は永久に私から逃げたいだろうねえ!だが私はお前を離さないぞ!!!
とりあえず地上に返してやるが逃げようとしたらエリックはお前に復讐する!
約束に金の指輪をするんだ!」みたいな感じです。
エリックは最初自分の家にクリスを連れてきて音楽を楽しんだりしていたのですが、そのまま暫らくしたら地上に返すつもりだったのです。
でもアンマスクした事で、上記のようにクリスは金の指輪をさせられてエリックにある意味、脅迫され拘束されてしまうのです。
だから深読みをすれば素顔を見たことで、ある意味ファントムはクリスに「ありのままの自分を受け入れて欲しい」と期待する。もしくは「逃さない」・・・とでも言うか関係がディープになったんじゃないかも・・・とも思ったりもします。
原作クリスは「深い恐怖」を持ちながら非常に深く同情してもいるのです。(「かわいそうなエリック!」を連発しているのでそう思われます)
「恐怖」「恍惚」「哀れみ」に引き裂かれているように思えます。
このクリスが幾つかの感情に引き裂かれている状態というのは舞台でも言えるかもです。
それをすごく心配してラウルが「オール・オブ・アスク・・・」を歌ってくれるのでしょう。
ファントムは「恐怖」「恍惚に至らしめるカリスマ」と言う極端な精神状態でクリスを混乱させて疲れさせているのがベス・クリスだとよくわかります。
ファントムの好きだと言う思いはもの凄く強くても、届かない。歯がゆいです。
皮肉にもかえって歌姫にさせたこと、苦しめた事でラウルにクリスを与える結果になってしまうのでしょう。
ファントムの苦悩は「母からの拒絶」が最大ですよね。
原作だと、見世物小屋、あの姿による日常的な差別、いくら才能があっても音楽家にもなれませんし、恋愛も出来なかった。優しく肉体的にも受け入れられる事もなかった、という事に。
映画だとジリーがいるので随分違う気もしますが、ジリーは恋多き女という設定なのです(パンフレットに書いてあった)。ファントムとは恋愛(救い)には至らなかったようですね。
「ファントム」のペロー嬢は地獄のような泥沼のような心に一粒の真珠を投げ込んだ、とか書かれていて一定の歯止めにはなっているのですね。良心を与えたというか・・・。
ケイ版ファントムが女性を殺さないのは彼女のおかげとも書いてあったような・・・。他にジョバンニもいますし、ナーディルもいますから比較的恵まれていますよね。
でもファントムはやっぱり素顔を含め、肉体的にも受け入れて欲しいというのも絶対あったような気がします。「ファントム」だとクリスと最後に交わる事で救われています。
原作は、クリスが婚約者になってくれ「キスさせてくれた事」「一緒に泣いてくれた事」でエリックは救われます。
(一緒に泣いてくれるなんて、文字を打っていても泣けますね)
醜い行いをしたエリックなのですが、クリスはラウルの命と引きかえに覚悟を決めて婚約者になってくれます。しかも額にキスさせてくれた。もうそれだけでエリックは跪いて泣いてしまうのですね。
クリスにすればすごい自己犠牲です。それにも関わらずそのエリックの様子を見て、クリスは溢れるような涙を顔・仮面の上に流すのです。「かわいそうなエリック!」と繰り返しながら・・・。そして仮面をかなぐり捨てる。
舞台だとやっぱり「仮面は母が・・・」で同情理解してキスするのでしょうか?(このあたりでアンマスクの時のファントムの泣きを見た、というのも活きてくるのでしょうか?)
もしかしたら「どうか神様、ラウルの命乞いだけでなく、ファントムの事も心からかわいそうだと思っているという真心がちゃんと彼に伝わりますように・・・」と祈りながら近付いていくのかもしれません。ここのあたりちょっとよく分っていません。
で、クリスは一度去ってまた戻ってくるのは心配だからでしょうか?
エミークリスが戻ってきてくれ立っている場面には毎回グッと来てしまいます。私的には「心配してくれたんだ」と思っているのですが、どうなのでしょう?
「キスだけじゃ心配・・・そうだわ指輪をあげよう。彼の事を真剣に考えた人間がいた証として・・・」みたいな。
「指輪を突っ返した」とは考えたくないです。一種の指輪の交換でしょうか。
私を思い出して
さようならを言った日の私を思い出して
いつか 貴方がもう一度 心を取り戻して
自由への憧れに気づいたら
私を思って欲しい
貴方を心の中から追い出そうと
必死になっている私を想像して
貴方を思い出さない日など
一日としてないでしょう
みたいな気持ち。
恋人や夫にはなれなくても私だけは二人で分かち合った貴方の素晴らしい音楽的な才能も素顔も、悲しい過去も知っている。
色々殺人や恐ろしい事もあったけれど、その向こうの悲しみに満ちた真の姿も忘れたりはしないわ。
上手く即席だと表現できませんが・・・。
ファントムの夫や恋人になるにはクリスは幼かった、ラウルが必要だった。
と言うのにファントムは気づき、許したのでは・・・とも思います。
動作についてはおっしゃる通りかもしれません。
エミークリスは顔立ちも優しそうでそのままで母性を感じさせますよね。大好きです。
書いてしまいますね。(長文を打つと本当に話逸れたりめちゃくちゃな文になることが多いです)
原作のクリスは本当に素敵なんですね。貴方に教えてもらって、少しずつ思い出してきました。しかし、私は漢字が非常に苦手で・・・(原作を読んだのは高校1年生くらいのときだったと思います)読めない漢字があまりにも多くて、うんざりしてしまったのです。
なのであまり覚えていないのです。最近原作を読み返そうと思ってはみたものの、動画を見るのに夢中で原作を読む時間がなくなったりと、本当に駄目な性格です。ちなみにカルロッタ大好きな私、実は原作でカルロッタが出てくる場面だけは、ほぼ暗記していたりします。(ぁ)原作クリスはファントムと婚約、さらに
一緒に泣いてくれた・・・此処も少し思い出しました。なんて優しいクリスなのでしょう・・・早く原作を読み返さなければ!(ぁ)
舞台については私も上手く表現はできませんが、
又意見が変わってるかもしれませんがまとめると
こう捕らえます。
「なんてかわいそうな貴方・・・私はあなたのことを愛しているわ、でも・・・それ以上にラウルのことが
好きなの・・・どうかわかって・・・」
という意味でキスをしたんじゃないかなと。
何処かのブログか何かで「ファントムはクリスにキスされたことによってラウルとクリスの愛の深さを知ってしまった」と書いてありました。その言葉にも納得がいきます。キスをしてくれたけれど、ラウルを愛していることが伝わってしまった・・・そんな感じだと思うんです。
戻ってきた事に関しては、心配している以外には何も考えられません。クリスはただただファントムが心配なんだと思います。特に、エミーのクリスはラウルと去った後も、名残惜しそうに振り返りますし。
一方ベスクリスは去った後は振り返りもしなかったと思います。心配はしているけれど、もう戻れない。
といった感じかもしれませんね。
短くまとめようと思ったらちっともまとまりませんでした;;このぐだぐだな文章で少しでも貴方に伝わるところがあれば良いのですが・・・
本当ぐだぐだで申し訳ないです;;
「優しい、ファントムの苦境を分ってくれるクリスティーヌ」に憧れる、と言うか「エリックにはそういう愛が必要なの」的に思いつめていたのです。
「一緒に泣いてくれて、キスしてくれるクリス」は神様みたいに思えるのです。
原作エリックも本当に恩人まで拷問したりと悪魔のようなので、なおさら感謝してしまうのです。
最初ファントムの孤独というのは「この人はこのままじゃ狂ってしまう。壊れてしまう」くらい心配で心配でいてもたってもいられないくらいのものだったのですね。
「なんてかわいそうな貴方・・・私はあなたのことを愛しているわ、でも・・・それ以上にラウルのことが
好きなの・・・どうかわかって・・・」
<そうですね。とにかくクリスがファントムを思いやっていれば良いのです。
そしてファントムがその思いやりに心を動かされて相手の事を許す、というか思いやれれば・・・。
やっぱり「心配で戻ってきた」と考えていいのですよね。映画のこの場面は泣けてしまいます。
「色々愚かな事をやってしまったけれど彼女はそれでも心配してくれた」と。ジーンとしてしまいます。
そういえば振り返っていましたよね。ラウルは向こうを向いたままですが。
ここのファントムの表情も泣けます。
<「心配はしていても戻れない」そうですよね。そういうクリスの心情もあるでしょうね。
クリスが地下に忘れていった物を「聖遺物」と表現していますから。名前も「クリスティーヌ」「クリスト」「キリスト(神)」ですし。
普通の娘である彼女の優しさの中に神を見た・・・みたいな聖なるものにはじめて触れさせてくれた衝撃は大きかったのだと思います。
心も醜く(これだともの凄い語弊があるのですが・・・この奇矯さはどう考えても彼だけのせいではないのです。考えれば考えるほども気の毒です)
「貴方を信じていたのに・・・!」という言葉は重い言葉ですよね。
かつては音楽の天使として崇拝していた。そして素顔を見た、彼の悲しみも目撃しているクリスがあれこれとファントムについて考えなかったはずはないのです。あるいは自問自答していた。このあたりは墓場の場面に繋がるかとも・・・。
(私は気の毒な人とは思っていたようにも思います)
彼女の中ではあの悲しそうな姿が焼きついているから(多分)、その後の行動と照らし合わせてもファントムのよいところ、同情すべき点を色々考えてもいたかもしれません。どう理解し・捉えたらいいのか・・・。
そうでなくてもかつて崇拝した人物・信じたという「魂を捧げた」――愛していた、と言う想いが深ければ深いほどここのセリフは大きいです。
ここはすごく大事です。エミーちゃんは怒ったように言っています。信じていたのに酷い事をする、醜さをさらけ出していくなんて!と言う感じがします。
逆に素気ないとファントムに対する想いは薄い、と言う印象です。
ファントムの最後の「愛している」は泣けますよね。
彼は彼なりに滅茶苦茶な方法でクリスを得ようとしていましたから・・・。その常識はずれな行動も根底にはクリスに側にいて欲しい、という思いがひそんでいるのですから。
ここ動画の二人ならこうやって素顔で素直に「愛している」といえばクリスは答えてくれたのでは・・・とも思ったりします。クリスはそういう優しい部分もあったのでは・・・とも。
アンマスクの後で頬を寄せたのはファントムはどう捉えたかは分りませんが(理由もなく拒否するから)
もしかしたら特に妖術やカリスマに影響されてはいなかったのかもしれません。
――だとするとファントムの「どうせ醜いから」「他人は声で支配すればいいんだ」と言う他人に対する疑心暗鬼・・・「心の歪み」が悲劇を生んだとも思えてくるのです。
うっかりするとクリスの真実の心すら「疑った」事に悲劇が繋がっているのかも・・・とも感じられます。
でも「素顔を見られて受け入れられた経験のなさ」故なのだとしたら・・・、他人を信じることを恐れるあまりだとしたら
このすれ違いの悲劇はあまりにも皮肉ですよね。
だからクリスは再び心配にもなるのかも「また闇に落ちていくのではないかな」的に。
最後の「愛している」の繰り返しでは、当然愛の告白とともに
こんな愚かしい事をしたのは愛ゆえだったんだ・・・という説明にも感じました。あくまでもわたしはですが。
クリスにキスされて己の卑屈さ・小ささにも気づいた部分もあるかも知れないですから。
すべての行動は愛ゆえだったんだ!だから心底化け物だと思ってくれる、と。
(このあたりの受け止め方は「エリックが謝るので私は彼を憎めないわ」と言う原作クリスの影響かもしれないし、映画の鏡・・古い自己・・・を打ち砕くファントムの影響もありです)
彼女を引き止めてはいけないと悟ったような・・・<そんな気もしますよね。
最後の指輪も「これなら現実をしっかり受け止められそうね」なのかもしれません。
ジェラルドは、完全に諦めている<うーん、そうなんですよね。初めて見た時私も諦めていたのです。
だからカメラが回ってクリスがいたのにはすごく驚きました。ちょっと心配そうな顔にも見えます。
そこに手当てを必要としているラウルの存在というのも大きいですよね。群集もきてしまいそうですし。
そういう緊迫した状況での指輪を渡す、なのかも知れません。明確にはよく分りません。
どうも舞台の渡し方は素気ないようにも思えるのですがどうですか?
やっぱり普通に返したのかもしれませんね。
それからクリスとラウルはもう深い関係だったんじゃないかとも思うのです。(歌詞にもそんな部分がありましたよね)
だから余計ファントムのところに留まるのは無理。
19世紀ですし、いくらオペラ座が乱れていても一人の男に添い遂げたい・・・という気持ちもあるのではないかなとも思います。