The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ミニョネット号事件

2009年01月26日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
ミニョネット号事件とは19世紀に起きた、人食を目的とした殺人事件である。

ミニョネット号 ( Mignonette ) はイギリス船籍であり、イギリスからオーストラリアに向けて航行していたが、1884年7月5日に喜望峰から1600マイル離れた公海上で難破し救命艇で4名の船員が脱出した。しかし救命艇には水や食料がほとんど積まれておらず、食料といえば5日目に捕まえたカメ以外には雨水しかなく、それも漂流18日目には完全に底をついた。そのため籤で仲間のためにその身を捧げるものを決めようとしたが話はまとまらなかったが、20日目に船員のなかで家族もなく年少者であった若者が海水を飲んで衰弱したため、他の船員に殺害され、その死体を残った者達の食料にしたというものである。

24日目に船員3名はドイツ船に救助され生還したが、母国に送還されると殺人罪で拘束された。彼らは人の肉を食べるために殺人を犯したのは事実であるが、そうしなければ彼ら全員が死亡していたのは必定であり、たとえ若者が死亡するのを待っていたのならば、その血は凝固してすすることはできなかった。

そのため「カルネアデスの板」にみられる緊急避難を適用した違法性の阻却が考えられたが、イギリス当局は起訴。最初の裁判の陪審員は違法性があるかいなかを判断できないと評決したため、イギリス高等法院が緊急避難か否かを自ら判断することになった。この事案に対してイギリス高等法院は緊急避難と認めることは法律と道徳を完全に乖離し肯定できないとし、謀殺罪として死刑が宣告された。

しかし、世論は無罪が妥当との意見が多数であったため、当時の国家元首であったヴィクトリア女王から特赦され禁固6ヶ月に減刑された。
(wikiより)


この記事を読んで「あッ!」と思われた方もいるのではないでしょうか?

この事件は「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」に酷似しているのです。


1838年に出版された、エドガー・アランポーの小説『アーサー・ゴードン・ピム』は、次のような内容の小説です。

・四人の男たちが、海で遭難した。
・漂流を続け、水と食料は、底をついていた。
・極限状況の中で、四人はくじを引くことにした。それは誰か一人が、他の三人の食料になるというものであった。


ミニョネット号事件その46年後の出来事です。
  
小説から・・・。

「私が木切れを差し出すと、ピーターズがすぐに引いた。彼は逃れた。私が助かるとは決まらなかった。私は、勇気を奮って、オーガスタの方へくじを出した。彼はすぐ引いた。彼も逃れた。
今や私は、死ぬか生きるか、運はまさに五分五分であった。私はぶるぶる震えながら、残った木切れを、彼の方へ差し出した。彼がそれを引く決心が付くまでに、たっぷり五分は掛かった。二本のくじの一本が、私の手から引き抜かれた。マッチは決まった。」

事件でも結局、小説の内容と同様に、くじ引きを言い出した男が当たったのです。

また小説でも
『ぐさりと背中を突き刺し、犠牲者の血をむさぼり食った』となっている。

「血をすする」って・・・す・・凄いです><

また小説の中では、犠牲になった男は遭難した船の乗務員であった。
⇒現実に犠牲となった男も、その遭難した船の乗務員であった。

小説の中では、リチャード・パーカーという名前の人物が、仲間の食料にされたことになっている。 

⇒現実に犠牲となった男も、リチャード・パーカーという名であった。

裁判の時の証言では、彼らはいずれも、その小説の内容を知らなかったと言います。


偶然とはいえ怖くて奇妙な話ですね。



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