模擬試験、3回目です。2回目のときに、「次回作る時は本試験並みの難易度で」と書きましたが、いざ作り始めていろいろ調べたり考えたりしているうちに、これでどのくらい難しいのか易しいのか、自分では良くわからなくなってしまいました。結果、これで本試験並みのような気もします。(笑)
解答は前回までと同様、本記事へのコメントとして記載します。
ではどうぞ。
(一) 次の傍線部分の読みをひらがなで記せ。1~20は音読み、21~30は訓読みである。
1 戛然 として金石の響きをなす。
2 長年就いていた役職を 卸任 した。
3 同輩の 瑕釁 を宥恕する寛容さを持ちたいものだ。
4 原隰 を歩いて自然の起伏を楽しむ。
5 武術に秀で、 驍名 を馳せた武将だ。
6 牖(片へん+戸+甫)中 に日を窺う。
7 衲衣 を纏った禅僧の道行きに出くわした。
8 蓖麻 を栽培して油をとる。
9 巨大古墳に隣接して数基の 陪冢 が見つかった。
10 晨光の 熹微 なるを恨む。
11 潸潸 たる涙が袂を濡らす。
12 失敗続きで非常な 窘窮 に陥った。
13 『子あまた有る中に 乙子 なる女童あり。』
14 爺娘 妻子に別れを告げる。
15 菊花紅葉、白霜黄橙、禾果 斉しく実る。
16 久しく各地に 令尹 を務めた。
17 彼の主張には 喑(口へん+音) 黙 の前提があった。
18 隠れもなき 寧馨児 である。
19 霊峰が 迢迢 として聳える。
20 斯界の 耆宿 と謳われた大御所だ。
21 日本髪で、後ろに張り出している部分を 髱髪 という。
22 弓の両端のことを 弭 という。
23 秋風が吹き、簟 を巻いて片付ける。
24 芝生の上に 仰 けに寝転んだ。
25 耳を 劈 く轟音が鳴り響いた。
26 尚武の風が 頽 れ廃れた。
27 試験を前に、過去問を何度も 肄 った。
28 大きな困難が 開 っている。
29 榾火 に燻った草葺きの家だ。
30 萁 (草かんむり+其)を燃やして煮炊きをする。
(二) 次の傍線部分のカタカナを漢字で記せ。
1 初夏を迎え、街路樹の ドンリョク が目にしみる。
2 ヒナアラレ と菱餅を供える。
3 キョクベン を重ねて司法試験を突破した。
4 満場の聴衆は興奮の ルツボ と化した。
5 ヒタキ 科の鳥は飛びながら空中の昆虫を捕食する。
6 賭け事に憂き身を ヤツ している。
7 まことに ブンソウ 豊かな詩人だ。
8 進物を フクサ に包んで出かけた。
9 生前の功績にふさわしい シゴウ が贈られた。
10 天子直筆の シンカン が発見された。
11 カフ して禅を修する。
12 カンカ 不遇の身に甘んじている。
13 敵国と カンカ を交える。
14 ノミ と言えば槌。
15 こうなったら初志貫徹ある ノミ だ。
(三) 次の傍線部分のカタカナを国字で記せ。
1 生死の ハザマ を彷徨う。
2 カカア 天下と空っ風。
3 ハバキ の細工が見事な名刀だ。
4 子は カスガイ。
5 足袋の コハゼ を止める。
(四) 次の1~5の意味を的確に表す語を語群から選び、漢字で記せ。
1 涙がとめどなく流れるさま。
2 つづら折り。
3 いしぶみ。
4 能力のない者が不当に高い地位にいること。
5 虚言によって他をそしる。
語群
けっさ さたん ざんぶ ひけつ ぼうだ ようちょう らんすい りょうれき
(五) 次の四字熟語について、問1と問2に答えよ。
問1 次の四字熟語の(1~10)に入る適切な語を語群から選び漢字二字で記せ。
ア ( 1 )未雨
イ ( 2 )虎視
ウ ( 3 )縮栗
エ ( 4 )明珠
オ ( 5 )匪躬
カ 旌旗( 6 )
キ 断鶴( 7 )
ク 蜂目( 8 )
ケ 稲麻( 9 )
コ 甘井( 10 )
語群
けんけん けんじょ さいせい しょうしゃく せんけつ ぞくふ ちくい ちゅうびゅう よくい りょうじょう
問2 次の11~15の解説・意味にあてはまるものを、問1のア~コの四字熟語から1つ選び、記号(ア~コ)で記せ。
11 凶悪で冷酷な人のこと。
12 世に威勢を示し、意気が盛んなこと。
13 自分のことは二の次にして、主人や人に尽くすこと。
14 生まれつきの自然の在り方に手を加え損なうこと。
15 無実の嫌疑をかけられること。
(六) 次の熟字訓・当て字の読みを記せ。
1 螻蛄
2 沙蚕
3 山茶
4 満江紅
5 後朝
6 大角豆
7 胡孫眼
8 連枷
9 蛇舅母
10 甘蔗
(七) 次の熟語の読み(音読み)と、その語義にふさわしい訓読みを(送りがなに注意して)ひらがなで記せ。
1 恩沢
2 恩み
3 滉瀁
4 滉い
5 噴嚔
6 嚔る
7 狃恩
8 狃れる
9 輟食
10 輟める
(八) 次の1~5の対義語、6~10の類義語を語群から選び、漢字で記せ。
語群の中の語は一度だけ使うこと。
対義語
1 駿馬
2 不偏
3 饒舌
4 斬新
5 織女
類義語
6 詩作
7 宿場
8 姻戚
9 斧鉞
10 遺言状
語群
えいしょ えきてい えこ えんざん えんぺん かんもく けんぎゅう ちんとう てんざん どたい
(九) 次の故事・成語・諺のカタカナの部分を漢字で記せ。
1 ネイゲン は忠に似たり。
2 キュウカツ を易える。
3 チチュ が網を張りて鳳凰を待つ。
4 甘瓜 クテイ を抱く。
5 リリョウ 頷下の珠。
6 セキイン 堤を穿てば能く一邑を漂わす。
7 カイアン の夢。
8 ウツバリ の塵を動かす。
9 三人寄れば クガイ。
10 アツウン の曲。
(十) 文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、波線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。
A
芸術のための芸術と一口にいってしまえば、社会との関係などは初から論にならないかも知れぬ。けれども芸術を人生の表現だとすれば、そうして、人が到底社会的動物であるとすれば、少くとも芸術の内部におのずから社会の反映が現われることは争われまい。芸術の時代的、または国民的特色というのも(1 ヒッキョウ)ここから生ずるのである。まして、芸術の行われる行われない、発達する発達しないというような点となると一般社会の風俗や思潮やに支配せられないはずはない。
日本のような、何時でも外国の文化を学んでいる国民では新来の芸術が国民と同化するまでには相応な時間がかかる。そうして、その同化しない間は、芸術品は単に芸術品として製作せられ、享受せられるのみで、国民の日常生活から遊離している。従って、作家も享受者も、その人の全体としての心的生活、全体としての気分を以て之に対するよりも、智識の力、頭脳の力でそれを取り扱うという傾がある。例えばピヤノを弾く人も聴く人も、あるいは上野あたりの楽堂で管絃楽を奏する楽家も満堂の聴衆も、胸に(2 ミナギ)る情の波が指頭に(3 ホトバシ)って絃に触れるのでもなければ、空に漂う楽のねに心上の琴線が共鳴するのでもない。欧洲人の思想や感情の行き方を領解しているものが、頭の上で、その興味を領解するのか、さもなくば、純粋に技巧として之に対するのである。要するに西洋楽は西洋楽であって、まだ日本の楽にはなっていない。音楽は世界共通だとはいうものの感情の動き方にもその表現法にも国民的特性があるから、欧洲楽が我々の情生活にピタリと合わないのは当然である。しかし、一方からいうと、我々の情生活そのものが、欧洲の文芸や学術の影響を受けまた欧洲と同じような社会状態が生ずるために、随分激しく変化してゆくから、この間の(4 コウキョ)は段々狭くなるには違いない。
(津田左右吉 「芸術と社会」)
B
当時に有名(なうて)の番匠川越の源太が受け負いて作りなしたる谷中感応寺の、どこに一つ(5 ヒテン)を打つべきところあろうはずなく、五十畳敷(ア 格天井)の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部(いくつか)の客殿、大和尚が居室、茶室、学徒(イ 所化)の居るべきところ、(ウ 庫裡)、浴室、玄関まで、あるは荘厳を尽しあるは堅固を極め、あるは清らかにあるは寂(さ)びておのおのそのよろしきに適い、結構少しも申し分なし。そもそも微々たる旧基を振るいてかほどの大寺を成せるは誰ぞ。法諱(おんな)を聞けばそのころの三歳児も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗円上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、(エ 毘婆舎那)の三行に(6 ジャクジョウ)の慧剣を礪(と)ぎ、四種の(オ 悉檀)に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の(7 クンセン)を避くるによって鶴のごとくに痩せ、眼は人世の(カ 紛紜)に(キ 厭)きて半ば睡れるがごとく、もとより(ク 壊空)の理を諦して意欲の火炎を胸に揚げらるることもなく、(8 ネハン)の真を会して執着の彩色に心を染まさるることもなければ、堂塔を興し(9 ガラン)を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕い風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それらのものが雨露凌がん便宜も(ケ 旧)のままにてはなくなりしまま、なお少し堂の広くもあれかしなんど独語(つぶや)かれしが根となりて、道徳高き上人の新たに規模を大きゅうして寺を建てんと云いたまうぞと、このこと八方に伝播(ひろま)れば、中には徒弟の怜悧なるがみずから奮って四方に(10 ハ)せ感応寺建立に寄附を勧めて行(ある)くもあり、働き顔に上人の高徳を演べ説き聞かし富豪を慫慂(すす)めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素より随喜(コ 渇仰)の思いを運べるもの雲霞のごときにこの勢いをもってしたれば、上諸侯より下町人まで先を争い財を投じて、我一番に福田へ種子を投じて後の世を安楽(やす)くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川海に入るごとく瞬く間に金銭の驚かるるほど集まりけるが、それより世才に長たけたるものの世話人となり用人となり、万事万端執り行うてやがて立派に成就しけるとは、聞いてさえ小気味のよき話なり。
(幸田露伴 「五重塔」)
解答は前回までと同様、本記事へのコメントとして記載します。
ではどうぞ。
(一) 次の傍線部分の読みをひらがなで記せ。1~20は音読み、21~30は訓読みである。
1 戛然 として金石の響きをなす。
2 長年就いていた役職を 卸任 した。
3 同輩の 瑕釁 を宥恕する寛容さを持ちたいものだ。
4 原隰 を歩いて自然の起伏を楽しむ。
5 武術に秀で、 驍名 を馳せた武将だ。
6 牖(片へん+戸+甫)中 に日を窺う。
7 衲衣 を纏った禅僧の道行きに出くわした。
8 蓖麻 を栽培して油をとる。
9 巨大古墳に隣接して数基の 陪冢 が見つかった。
10 晨光の 熹微 なるを恨む。
11 潸潸 たる涙が袂を濡らす。
12 失敗続きで非常な 窘窮 に陥った。
13 『子あまた有る中に 乙子 なる女童あり。』
14 爺娘 妻子に別れを告げる。
15 菊花紅葉、白霜黄橙、禾果 斉しく実る。
16 久しく各地に 令尹 を務めた。
17 彼の主張には 喑(口へん+音) 黙 の前提があった。
18 隠れもなき 寧馨児 である。
19 霊峰が 迢迢 として聳える。
20 斯界の 耆宿 と謳われた大御所だ。
21 日本髪で、後ろに張り出している部分を 髱髪 という。
22 弓の両端のことを 弭 という。
23 秋風が吹き、簟 を巻いて片付ける。
24 芝生の上に 仰 けに寝転んだ。
25 耳を 劈 く轟音が鳴り響いた。
26 尚武の風が 頽 れ廃れた。
27 試験を前に、過去問を何度も 肄 った。
28 大きな困難が 開 っている。
29 榾火 に燻った草葺きの家だ。
30 萁 (草かんむり+其)を燃やして煮炊きをする。
(二) 次の傍線部分のカタカナを漢字で記せ。
1 初夏を迎え、街路樹の ドンリョク が目にしみる。
2 ヒナアラレ と菱餅を供える。
3 キョクベン を重ねて司法試験を突破した。
4 満場の聴衆は興奮の ルツボ と化した。
5 ヒタキ 科の鳥は飛びながら空中の昆虫を捕食する。
6 賭け事に憂き身を ヤツ している。
7 まことに ブンソウ 豊かな詩人だ。
8 進物を フクサ に包んで出かけた。
9 生前の功績にふさわしい シゴウ が贈られた。
10 天子直筆の シンカン が発見された。
11 カフ して禅を修する。
12 カンカ 不遇の身に甘んじている。
13 敵国と カンカ を交える。
14 ノミ と言えば槌。
15 こうなったら初志貫徹ある ノミ だ。
(三) 次の傍線部分のカタカナを国字で記せ。
1 生死の ハザマ を彷徨う。
2 カカア 天下と空っ風。
3 ハバキ の細工が見事な名刀だ。
4 子は カスガイ。
5 足袋の コハゼ を止める。
(四) 次の1~5の意味を的確に表す語を語群から選び、漢字で記せ。
1 涙がとめどなく流れるさま。
2 つづら折り。
3 いしぶみ。
4 能力のない者が不当に高い地位にいること。
5 虚言によって他をそしる。
語群
けっさ さたん ざんぶ ひけつ ぼうだ ようちょう らんすい りょうれき
(五) 次の四字熟語について、問1と問2に答えよ。
問1 次の四字熟語の(1~10)に入る適切な語を語群から選び漢字二字で記せ。
ア ( 1 )未雨
イ ( 2 )虎視
ウ ( 3 )縮栗
エ ( 4 )明珠
オ ( 5 )匪躬
カ 旌旗( 6 )
キ 断鶴( 7 )
ク 蜂目( 8 )
ケ 稲麻( 9 )
コ 甘井( 10 )
語群
けんけん けんじょ さいせい しょうしゃく せんけつ ぞくふ ちくい ちゅうびゅう よくい りょうじょう
問2 次の11~15の解説・意味にあてはまるものを、問1のア~コの四字熟語から1つ選び、記号(ア~コ)で記せ。
11 凶悪で冷酷な人のこと。
12 世に威勢を示し、意気が盛んなこと。
13 自分のことは二の次にして、主人や人に尽くすこと。
14 生まれつきの自然の在り方に手を加え損なうこと。
15 無実の嫌疑をかけられること。
(六) 次の熟字訓・当て字の読みを記せ。
1 螻蛄
2 沙蚕
3 山茶
4 満江紅
5 後朝
6 大角豆
7 胡孫眼
8 連枷
9 蛇舅母
10 甘蔗
(七) 次の熟語の読み(音読み)と、その語義にふさわしい訓読みを(送りがなに注意して)ひらがなで記せ。
1 恩沢
2 恩み
3 滉瀁
4 滉い
5 噴嚔
6 嚔る
7 狃恩
8 狃れる
9 輟食
10 輟める
(八) 次の1~5の対義語、6~10の類義語を語群から選び、漢字で記せ。
語群の中の語は一度だけ使うこと。
対義語
1 駿馬
2 不偏
3 饒舌
4 斬新
5 織女
類義語
6 詩作
7 宿場
8 姻戚
9 斧鉞
10 遺言状
語群
えいしょ えきてい えこ えんざん えんぺん かんもく けんぎゅう ちんとう てんざん どたい
(九) 次の故事・成語・諺のカタカナの部分を漢字で記せ。
1 ネイゲン は忠に似たり。
2 キュウカツ を易える。
3 チチュ が網を張りて鳳凰を待つ。
4 甘瓜 クテイ を抱く。
5 リリョウ 頷下の珠。
6 セキイン 堤を穿てば能く一邑を漂わす。
7 カイアン の夢。
8 ウツバリ の塵を動かす。
9 三人寄れば クガイ。
10 アツウン の曲。
(十) 文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、波線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。
A
芸術のための芸術と一口にいってしまえば、社会との関係などは初から論にならないかも知れぬ。けれども芸術を人生の表現だとすれば、そうして、人が到底社会的動物であるとすれば、少くとも芸術の内部におのずから社会の反映が現われることは争われまい。芸術の時代的、または国民的特色というのも(1 ヒッキョウ)ここから生ずるのである。まして、芸術の行われる行われない、発達する発達しないというような点となると一般社会の風俗や思潮やに支配せられないはずはない。
日本のような、何時でも外国の文化を学んでいる国民では新来の芸術が国民と同化するまでには相応な時間がかかる。そうして、その同化しない間は、芸術品は単に芸術品として製作せられ、享受せられるのみで、国民の日常生活から遊離している。従って、作家も享受者も、その人の全体としての心的生活、全体としての気分を以て之に対するよりも、智識の力、頭脳の力でそれを取り扱うという傾がある。例えばピヤノを弾く人も聴く人も、あるいは上野あたりの楽堂で管絃楽を奏する楽家も満堂の聴衆も、胸に(2 ミナギ)る情の波が指頭に(3 ホトバシ)って絃に触れるのでもなければ、空に漂う楽のねに心上の琴線が共鳴するのでもない。欧洲人の思想や感情の行き方を領解しているものが、頭の上で、その興味を領解するのか、さもなくば、純粋に技巧として之に対するのである。要するに西洋楽は西洋楽であって、まだ日本の楽にはなっていない。音楽は世界共通だとはいうものの感情の動き方にもその表現法にも国民的特性があるから、欧洲楽が我々の情生活にピタリと合わないのは当然である。しかし、一方からいうと、我々の情生活そのものが、欧洲の文芸や学術の影響を受けまた欧洲と同じような社会状態が生ずるために、随分激しく変化してゆくから、この間の(4 コウキョ)は段々狭くなるには違いない。
(津田左右吉 「芸術と社会」)
B
当時に有名(なうて)の番匠川越の源太が受け負いて作りなしたる谷中感応寺の、どこに一つ(5 ヒテン)を打つべきところあろうはずなく、五十畳敷(ア 格天井)の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部(いくつか)の客殿、大和尚が居室、茶室、学徒(イ 所化)の居るべきところ、(ウ 庫裡)、浴室、玄関まで、あるは荘厳を尽しあるは堅固を極め、あるは清らかにあるは寂(さ)びておのおのそのよろしきに適い、結構少しも申し分なし。そもそも微々たる旧基を振るいてかほどの大寺を成せるは誰ぞ。法諱(おんな)を聞けばそのころの三歳児も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗円上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、(エ 毘婆舎那)の三行に(6 ジャクジョウ)の慧剣を礪(と)ぎ、四種の(オ 悉檀)に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の(7 クンセン)を避くるによって鶴のごとくに痩せ、眼は人世の(カ 紛紜)に(キ 厭)きて半ば睡れるがごとく、もとより(ク 壊空)の理を諦して意欲の火炎を胸に揚げらるることもなく、(8 ネハン)の真を会して執着の彩色に心を染まさるることもなければ、堂塔を興し(9 ガラン)を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕い風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それらのものが雨露凌がん便宜も(ケ 旧)のままにてはなくなりしまま、なお少し堂の広くもあれかしなんど独語(つぶや)かれしが根となりて、道徳高き上人の新たに規模を大きゅうして寺を建てんと云いたまうぞと、このこと八方に伝播(ひろま)れば、中には徒弟の怜悧なるがみずから奮って四方に(10 ハ)せ感応寺建立に寄附を勧めて行(ある)くもあり、働き顔に上人の高徳を演べ説き聞かし富豪を慫慂(すす)めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素より随喜(コ 渇仰)の思いを運べるもの雲霞のごときにこの勢いをもってしたれば、上諸侯より下町人まで先を争い財を投じて、我一番に福田へ種子を投じて後の世を安楽(やす)くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川海に入るごとく瞬く間に金銭の驚かるるほど集まりけるが、それより世才に長たけたるものの世話人となり用人となり、万事万端執り行うてやがて立派に成就しけるとは、聞いてさえ小気味のよき話なり。
(幸田露伴 「五重塔」)