あをやぎを かたいとによりて うぐひすの ぬふてふかさは うめのはながさ
青柳を 片糸によりて 鶯の 縫ふてふ笠は 梅の花笠
よみ人知らず
青柳を片糸にして撚った糸を使って鶯が縫うと言われている笠は、梅の花笠なのであった。
詞書には「かへしものの歌」とありますが、これが意味するところは良くわかっていません。「鶯の縫ふ」は、鶯が花から花へ飛び移っているさま。梅の花を、鶯が縫い上げた花笠に見立てた詠歌ですね。
あをやぎを かたいとによりて うぐひすの ぬふてふかさは うめのはながさ
青柳を 片糸によりて 鶯の 縫ふてふ笠は 梅の花笠
よみ人知らず
青柳を片糸にして撚った糸を使って鶯が縫うと言われている笠は、梅の花笠なのであった。
詞書には「かへしものの歌」とありますが、これが意味するところは良くわかっていません。「鶯の縫ふ」は、鶯が花から花へ飛び移っているさま。梅の花を、鶯が縫い上げた花笠に見立てた詠歌ですね。
ささのくま ひのくまがはに こまとめて しばしみずかへ かげをだにみむ
ささのくま 檜隈川に 駒とめて しばし水かへ 影をだに見む
よみ人知らず
檜隈川に馬をとめて、しばらく水を与えてください。その間に、せめてお姿を拝見することだけでもいたしましょう。
詞書には「ひるめの歌」とあります。「ひるめ」とは天照大神のことで、別名に「天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)」などとも呼ばれることから来ています。この歌は万葉集の歌の異伝とされ、初句の「ささのくま」は「さひのくま(接頭語「さ」+地名「ひのくま」)」が誤り伝えられたものと考えられています。「檜隈にある檜隈川」ということですね。第四句「かへ」は「かふ(飼ふ)」の連用形で与える意。もともとは愛しい人の姿を陰から見つめる女性の歌だったようですが、古今集ではアマテラスの姿を見たいという歌としています。
さひのくま ひのくまかはに うまとどめ うまにみづかへ われよそにみむ
さ檜隈 檜隈川に 馬とどめ 馬に水かへ われ外に見む
よみ人知らず
(万葉集 巻十二 第3097番)
わがかどの いたゐのしみず さととほみ ひとしくまねば みくさおひにけり
わが門の 板井の清水 さと遠み 人し汲まねば 水草生ひにけり
よみ人知らず
わが家の門前にある板囲いの井戸の清水は、人里から遠いので、人が水の汲まないために、水草が生えてしまった。
一見すると「だから何?」系の歌ですね。 ^^;;; これがどうして「神遊びの歌」かと言えば、歌に直接は出てきませんが、これは杓(ひさご)を手に取って神を招く歌なのだそうです。1074 からここまでが、「神遊びの歌」の中の「採物の歌」になります。
みちのくの あだちのまゆみ わがひかば すゑさへよりこ しのびしのびに
陸奥の 安達の真弓 わが引かば 末さへ寄り来 しのびしのびに
よみ人知らず
陸奥の安達の檀(まゆみ)の木で作った弓を引けば先端がわが身に寄るように、私が誘ったら人知れずやって来てください。
「安達」は現在の福島県の地名。「末」は弓の先端の意ですが、ここでは自分たちの行く末の意も含んでいます。「引く」は弓を引く意と愛しい人を誘う意の両義ですね。
みやまには あられふるらし とやまなる まさきのかづら いろづきにけり
み山には あられ降るらし 外山なる まさきのかづら 色づきにけり
よみ人知らず
奥山には、霰が降っているらしい。人里近い山では、まさきの葛がすっかり色づいているよ。
「み山」は「深山」で奥深い山、それに対して「外山」は人里近い山のこと。詠まれた当時から壬生忠岑、藤原公任などから高く評価されている名歌です。