よのなかの うきたびごとに みをなげば ふかきたにこそ あさくなりなめ
世の中の うきたびごとに 身を投げば 深き谷こそ 浅くなりなめ
よみ人知らず
世の中が辛いと思われるたびごとに身を投げていたら、深い谷も浅くなってしまうだろう。
人生で一度しかできない身投げが何度もできるとしたらという現実離れした空想を入れ、それほどまでに世の中には辛いことが多いということを強調した詠歌ですね。
よのなかの うきたびごとに みをなげば ふかきたにこそ あさくなりなめ
世の中の うきたびごとに 身を投げば 深き谷こそ 浅くなりなめ
よみ人知らず
世の中が辛いと思われるたびごとに身を投げていたら、深い谷も浅くなってしまうだろう。
人生で一度しかできない身投げが何度もできるとしたらという現実離れした空想を入れ、それほどまでに世の中には辛いことが多いということを強調した詠歌ですね。
そゑにとて とすればかかり かくすれば あないひしらず あふさきるさに
そゑにとて とすればかかり かくすれば あないひ知らず あふさきるさに
よみ人知らず
そうだからといって、ああすればこうなるし、こうすればああなるしで、もうどう言ったらいいのかわからない。食い違いばかりで。
一体何を言いたいのか良くわからないにもかかわらず、非常に特異で印象的な歌ですね。「そゑに」は「それゆゑに」が縮まった形。「とすればかかり かくすれば」も「とすればかくあり かくすればとあり」が縮まった表現で、このあたりが独特のリズムを生み出しています。最後の第五句は「合ふさ切るさに」で、物事がうまくいかないさまを表しています。
よひのまに いでていりぬる みかづきの われてものおもふ ころにもあるかな
宵の間に 出でて入りぬる 三日月の われてもの思ふ ころにもあるかな
よみ人知らず
宵の間に出てすぐ沈んでしまう三日月の姿のように、心が割れてしまった気持ちで物思いにふけるこの頃であるよ。
三日月を満月が割れたものと捉える発想が面白ですね。思い悩んで砕けてしまった自身の心に準えての詠歌です。
ひとこふる ことをおもにと になひもて あふこなきこそ わびしかりけれ
人恋ふる ことを重荷と になひもて あふこなきこそ わびしかりけれ
よみ人知らず
人を恋することを重荷として担い続けながら、担ぐための朸(あふご)ならぬ逢ふ期(逢う機会)がないのがつらいことです。
「あふご」のように、現代では使われない語が掛詞になっていると、解釈が説明臭くなってしまうのは致し方ないところですね。^^;;
なげきをば こりのみつみて あしひきの やまのかひなく なりぬべらなり
なげきをば こりのみつみて あしひきの 山のかひなく なりぬべらなり
よみ人知らず
木を切っては積んでゆくと、山の峡が埋もれてしまうのと同じように、嘆きが積み重なると、この身はまるで生きる甲斐もなくなってしまったようだ。
「こり」は「樵り」で木を伐採すること。「あしひきの」は「山」にかかる枕詞。第四句の「かひ」は「峡」と「甲斐」の掛詞ですね。