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地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

いよいよ介護の始まりです

2020-07-14 11:22:43 | 自宅介護

親の介護をする役回りの人から色々と相談と言うか話を聞きます。

そんな人が二人いてるのですが、、、、

その一方の人が介護の本番に突入しました。

つい先日までは親(80代後半)の手助けの感じだった。

それがチョットした病気で入院することに成り、約一か月後に治療が終わって退院の運びと・・・

 

ところが 「退院して良かったね。」と言えない状態です。

入院する前は自力でトイレに行っていたのに、、、

退院後はポータブルトイレをベットの横に置いての生活に変わってしまった。

 

これはよく聞く話ですが、、、だからと言って簡単に受け入れる事ではありません。

 

何年も前からこの2人に言っていた事が、、

「高齢者の親が入院した時に、睡眠導入剤や安定剤は絶対に使わないように・・」と。

しかし、医者の「心配ない」と言う意見には勝てないんです。

結局は「老化」で済まされてしまいます。

高齢者が入院すると運動不足や場所の変化で寝つきが悪くなり 「寝ることが出来ない」と訴えるのです。

睡眠をとらないと体力が落ちるので、睡眠は老人にとり特に大事な事ですが・・・薬を使って寝る事は最後の最後にしなくちゃ、とんでもない結果が待っています。

 

介護をする娘さんは50才代の半ばで仕事もしています。

子供は社会人になっていますが、ご主人も仕事をしていますし、そちらの両親も手助けが必要です。

自分の家と母親が暮らす実家とは一時間半の距離が有り、介護の為にその人は実家で暮らすことに成った。週末には姉と交代してもらって自分の家に帰るそうです。

 

その人の話では、、、、

何が辛くてびっくりしたかと言えば、母親の体力の急激な低下です。

コロナの為に入院していた一か月は会っていなかったので、最後に見た時と再会したときの落差が想像をはるかに超えていたのでしょう。

親が元に戻る可能性がほぼゼロの状態に劣化しているのを受け入れるのは辛い事です。

そして、その劣化が自分にのしかかって来る現実にも、戸惑と不安を感じる事でしょう。

 

介護認定を受けてヘルパーなどの利用する手続きなどは助言することが出来ますが、実際の介護は相手の状態によって日々変化するので具体的なアドバイスは役に立ちません。

適切な対応は適切なタイミングじゃないと逆効果になってしまう事が多々あるんです。

私に言えるのは当人の心構えだけです。

 

たぶん、、、話の内容から察するに、その母親がポータブルトイレを利用できるのも、ごく短い期間でしょう。

母親のオムツを娘が交換する時はすぐそこに来ています。 これは母親も娘も辛い。

 

そして、、、そんな辛い事でも慣れは恐ろしく、母親はオムツ交換をしてもらう事が平気になります。

体力的には慣れれば楽なんです。 

ところが交換する方はその平気な態度で感謝を感じる事が無くなり、余計に腹立たしくなったりして精神的に参ってしまいます。

 

こういう状態の家族はどんどん増えていきます。

そして不幸な事に私の世代とは違って兄弟姉妹が少ない世代が親の介護をする側になるので、その作業を分担することが出来ません。介護施設も建物は有っても人員が不足傾向です。

何か思い切った手を打たなければ、介護を必要とする人たちによって日本の社会は転げ落ちるように低迷状態になるでしょう。

 

私とラインとかメールで色々と話し合ったその主婦は、、、、

親の死と言う悲しい結果しかない介護に縛られる人生の始まりです

 

 

ここまでを書いて数日間「下書き」としていたのですが、、、

その間にもう一方の人も大きく状況が変化しました。

それは突然にやって来た。。。88才の母親が玄関で転倒したのです。

その日はディサービスに行った日で、施設の車で送ってもらい、車を降りてから玄関ドアの所までは介助してもらった。

転倒はその後の家の中の段でしたのですが、高齢者は履き物を脱いだりするのも時間がかかり、家の中の段を上がろうとした時には施設の車は立ち去っていました。

転倒した後に立ち上がろうとして再び転倒したようで、骨折と打撲は何か所にもなった。

結果、、、腕と手が骨折していてギブスをすることになった。

その転倒するまでは寝室から居間への移動は伝い歩きで可能だったし。風呂もトイレもなんとか自力でできたいました。

それがギブスをする事で伝い歩きは出来なくなり、一人では危なくて移動が出来ません。

もちろん怪我をした本人が一番つらいのですが、介護する側も大きく負の影響を受け、自分の生活も不自由になります。

 

この2人の場合の様に身体能力が落ちて必要な介護が増える。

ここまでなら介護保険などを利用して、なんとかやって行けるでしょう。

 

しかし、必ず身体能力の低下と共に記憶力の低下が加わってきます。(逆の場合の方が多い)

これが介護する側には非常に厳しいんです。

とに角すぐに忘れてしまうので・・・・

「話を聞いていない」

「都合の悪い事は忘れる」

・・・・そして 「とうとうボケが始まったか」と感じるようになります。

 

しかし、これは間違いです

 

私は朝起きると、、、

コーヒーが飲みたい→ポットのスイッチを入れる→カップの用意をする→湯が沸くまでに顔を洗う→カップにドリップをセットして湯を注ぎます、、、、

こんな行動にしても、どこか一つ記憶が抜けると前後の行動が一致しません。

事の始まりの「コーヒーが飲みたい」と言う記憶が無くなると、用意したカップはそのまま放置することに成ります。

 

これは「物忘れ」で、思考回路が劣化した「ボケ」とは違います。

入れたコーヒーにマヨネーズや醤油を入れたらボケてます。

 

理屈で理解しても、いざ自分の親がそんな感じになると冷静な判断はなかなか出来ません。

介護する人にとり精神的に難しいところです。

 

金銭的に、、、精神的に、、、身体的に、、、大きな負担が覆いかぶさって来る介護。

その負担を分け合う兄弟姉妹が居てれば少しは楽になるのですが、、、

その数は少なくなる一方だし、居てても遠くに離れている場合も多くなり、独りで介護を背負うことに成るケースが増えています。 これは共倒れになり、悲惨な結果を招く恐れもあります。

 

人口が極端に多い「団塊世代」の人達の年齢も70才を超えて、介護を必要とする人は増える一方です。

今社会で活躍している40才代・50才代の人達には試練の時がすぐそこに来ています。

・・・さて、、、どうする

 

 

 

 


同じ悩みに・・・

2020-03-10 10:38:26 | 自宅介護

以前にも少しふれた母・娘の介護の話。

二軒の介護はまったく別の所帯の話ですが、同じ様な悩みになっています。

 

高齢者の母親が・・・嘘を言う・返事をしない

他の人(友人・ヘルパー)と話をするときに・・嘘を言う

「ご飯を食べたら、食器を流しに持って行って、チャチャッと洗うんでよ。若い時みたいに丁寧にはよう洗わんけど・・」と言って笑うんです。

 

もちろん事実は違います。そんな動きは一切しません。食べ終わって「ごちそうさん」と言って終わりです。

 

他人の私からすれば「ごちそうさん」と言うだけしっかりしてるとなるのですが、、、、

介護を直接している娘には、そうは理解することが出来ません。

嘘を言っているか、ボケてるかと思い、その判断に迷ってしまうのです。

 

これは高齢者の母親が嘘を言ってるのでも、ボケているのでもありません、恥ずかしいので体裁を整えているだけなんです。そして体裁を考えるうちは物忘れがひどいだけで認知症ではありません。

 

私(娘)が話しかけても・・返事をしない

これは根が深くて元には戻りません。

そういう関係になるまでに問題が有ったのです。 介護をする立場なので、何かと注文を付けるんです。

干渉する・指摘する・否定する、、、母親の行動や話に対して何かの注文をつけ過ぎているのです。

母親からすれば何を言っても、そのまま受け入れられる事は皆無。

「そうだね、それが良いわ」と全面的に認め、その話に娘が賛同する事が無いんです。

母親にとり一番いい場合でも、部分的には改良されたり否定されたりしているんです。

娘は母親の為と言うのですが、正しい事を正しいとするのは簡単な事。 たとえ母親の体調を考えると悪い事でも好きにやらせてあげる事も必要なんです。

その理由は簡単で、、、正しい事は娘にとり正しい事で、高齢者の母親にとり正しい事とは言い切れないんです。

例えば軽い運動にしても、疲労と健康の境目なんて医者にも解らない。

椅子に座る姿勢にしたって正しい姿勢が本当に正しいかは疑わしいし、たぶん娘さんも正しくは座っていない。

長年生きて来て背骨も曲がっている、そんな人にまっすぐ深く座ってテレビを見なさいなんて、かえって身体に悪い。

介護をする側だと姿勢が悪いと紙おむつがづれて尿漏れしやすいので、ちゃんと座って欲しいのは解りますが、それは娘さんが腹筋運動を100回するより厳しいんです。

 

実際には介護をしている人に厳しい意見で、現在進行形の人たちには言いにくい。

せめて介護を控えている人の参考になれば・・・・と

相談を受けていても言いにくいのは、もうすでに娘さん側も病んでいるです。

親が毎日毎日壊れていく姿を見続けなければならない立場。もうすでにかなり壊れているし、これから先はどんな壊れ方をするか予測がつかない。予測がつかないから心構えの準備も出来ないし、具体的な対処も決まらない。

 

そういう解決できない難問の上に、言う事を聞き入れない母親に腹が立ちストレスがたまる一方なんです。

 

自分の経験から、、、自分の心の切り替えは難しいですが、子供の様に成長しないし、現状維持も出来ない相手だと言う事を認識するしかない。 改善する必要が有るのは自分の方なんですねぇ~。

 

それでも現実には自分の気持ちを切り替えて、接し方を変える事の出来ない人の方が多い。

そんな人は介護を一切しない日を月に何度か作るべきです。

その日が決まっていれば、その日まで「あと数日の我慢」と思って乗り切りやすいんです。

介護が休日の日は喫茶店で一人お茶をゆっくりと楽しむのも良いでしょう。映画も良い、なんでも良いんです。

とにかく「無」になれる時間を持つことですね・・・コレ

 

 

 


高齢の親との関わり

2020-02-22 22:56:26 | 自宅介護

以前にも少しふれたような気がしますが、、、、。

知人の二人の女性、両人ともに母親の介護をしています。

介護と言っても、大体の事は自分で出来る老人なので食事の用意と掃除が主な介護です。

まだ、おむつの交換とか直接食事を与える所までは行っていません。

 

先日、その一方の母親の姉が亡くなり、通夜・葬式と行く事になったのです。

通夜は母親を連れて二人で出席したそうです。 その時に喪主となる息子(いとこ)さんから「明日の葬式も二人でお願いします」と言われ「はい」と返事をしたんです。

ところが、家に帰ってから母親が「明日は行かない」と言い出した。

 

こんな事はよくある事なのですが、娘としては受け入れられないんです。

「行くと返事したのに・・」

「あんた(母親)の姉さんだろ

「お膳の用意をしてるのに・・・」

娘は相手に迷惑がかかる事が嫌なんです。

 

結局、母親は葬式に行かなかった。

娘は相手の人に謝罪と言い訳です。 「体調が・・・・」 老人の場合の決まり文句ですね。

すると、相手の返答は 「それは仕方ない。49日には元気になって来れるようになれば良いのにね」

こんな感じになります。

当然、娘も「そう頑張ってみます」

 

葬式や初七日を終えて母親の所により、49日は出席すると言ったから

母親は 「行けへん」の一点張り。

娘は49日でも母親が出席しない時にわびるやり取りが嫌なので、どうしても行って欲しいみたいです。

確かに母にとれ実の姉が亡くなった訳ですから、付き添いの娘も居てるし体力的に出席できない事は無い。

 

この件に関して娘から色々と愚痴を聞かされて、自分の経験から思った事が・・・

 

87才か88才になる母親が、通夜には行ったが葬式に行かず。49日も行かないと言ってる事に対しての判断の基準が、一般常識と娘の常識になっている点です。 ここに当人である母親の気持ちが入っていない。母親の状態を「ボケ」の手前位と判断している娘は母親の気持ちを知ろうとしていないんです。

 

人生を長くやっている人の考え方はドキッとするくらい異次元の場合があるんです

そこをなんとか聞き出して理解しなければ、こちらの考えを受け入れてはもらえない。

 

娘の話だけで想像できるのは、、、、

まず、お金の問題です。 

生活を娘に頼っている母親とすれば、余分な香典を娘に出させるのは忍びないんです。

だから手ぶらで行けるお通夜には行った。葬式・初七日・49日は二人で行けば二人分の食事が用意されるので、それなりに増額が必要な事はボケかかっていても判断できるんです。

 

もう一つの可能性は、、、つい最近まで自転車に乗って亡くなった姉の所に行っていた、仲の良い姉妹なので、本当に辛いのかも知れません。 仲が良いから葬式に行く、それを超えているのかも知れないんです。 私には実感として理解できない感覚なのですが、高齢者には特殊な感覚が有るみたいです(自分の体験から)。

 

私の父親は90才代になった頃には「葬式に連れて行ってくれ」と頼まれたと、その娘に話をすると。

「私はそれを望んでいるの、そしたらすべて面倒を見て喜んで一緒に行く。」と、、、

 

この娘の間違いは・・・

長年にわたり金銭面も面倒を見ている事がどう言う事なのか理解していない点です。

当人には私が全ての面倒を見ているから、私の指示に従ってと言う傲慢な気持ちは無くても、金銭的に援助を受けている親の方にしたら、心の何処かに負い目があるんです。

姉と仲が非常に良いので葬式などを自分の事ととらえているので、娘にこれ以上の負担をかけたくないと。。。

 

老人にはそんな感覚もあるんです。

そこをケアしなければ、例えお金をいくら使っていても親の面倒を見ているとは言えない。

 

これは精神的・金銭的負担の大きい介護をしている人に対して厳しい話なのですが

「親の意見を聞く」、、、これを忘れてはいけない。 

何も話を聞いたからと言ってその通りにする必要はないのです。

とにかく聞く事を省略してはいけない

 

私はもう一言付け加えました。

母親と葬式に行きたいのなら、一人で行くのは知らない人ばかりで辛いので一緒に行って欲しいと頼みなさい。

貴女が付いて行って貰う事をお願いする方になるんです。

 

すると、、、、、

「えぇぇぇ~ 私が頼むの・・・。」 「まぁそれしかないのなら体調を整えてから頼む方向で・・・」

かなり不満そうです。

父親と息子の関係と、、、母親と娘の関係は別物なのでしょうか


お婆さん

2019-02-22 12:27:00 | 自宅介護
自分の祖父母4人と両親は全て亡くなっています。

ここに度々登場する「お婆さん」は、家庭菜園でお世話になっているお婆さんです。
年齢は86才で旦那さんは7年前に亡くなっています。

そのお婆さんは、昨年の夏くらいから畑に出てくる事が少なくなりました。

たまに私が誘えば畑に出てくるのですが、直ぐに帰るようになり。
体力が落ちているんだな、、、と心配していた。

今年に入り直ぐに風邪を引き、立ち上がれなくなり入院する事に、、、
一週間程度で熱が下がり、病院でリハビリを受けてから退院した。

ゆっくりだが歩けるようになり、一安心と思っていたら、、、

2月の5日のディサービスでインフルエンザをもらってしまった。
予防接種は受けていたが高熱でダウン。
そこから2週間が過ぎて、インフルエンザは解消したが、、、

やはり、、、歩けない。

高齢者ではアルアルです。

自宅では歩く練習もしない。
病院だと気を張るので、頑張って歩こうとするが・・・自宅ではなかなかそうも行かない。

娘さんは以前に風邪で入院した病院に相談したが満室状態で、数日間は自宅で娘さんが仕事を休んで介護をすることに。


実は・・・

以前から訪問介護を週に1度でも来てもらいなさい。
そうすればイザと言う時にスムーズに行くとアドバイスしていたのですが、、、

当のお婆さんが嫌がるとか、他の理由で実行されなかった。

金銭的には問題ないのに、、、
そんな日は必ず来る事が理解出来ないみたいだった。

病気に成れば病院に行き、必要ならそこから入院すれば良いと判断しているのです。

これは大きな間違いで、病気にならなくても入院が必要に成るのが高齢者なんです。

仕事がなくて、自分が完全に介護が出きるなら、それも良いが・・。

しかし、仕事をしている人には絶対に無理です。無理して頑張るのは続かないし、嫌でも無理をしなくちゃならない時は勝手にやって来る。

介護って、最初から頑張ると、、、

介護をする人、介護を受ける人の
両方にとり、上手く行かなくなる。

もし、、、
週に1度でも訪問介護をうけていたら。
その会社や担当のケアマネが、時間を空けずに対応してくれます。

1日に2度、朝夕とか決めてオムツ交換などをやってくれます。
そこをクリアすれば、働きながらの介護もかなり楽になります。
必要な手続きは後からで大丈夫なんです。


でも悲観する事ばかりではない。
良い事もあるんです。

高齢者はどう変化するかは予測できません。介護の経験の無い娘さんの介護では、汚物で身体や蒲団を汚します。

介護をする人にとり嫌なことですが、それは介護を受ける人も辛いんです。

そんな嫌なことを二人で解決する事により、母と娘の関係に変化が出てきます。

娘の言う事を聞かない母親が、少し聞き分けの良い年寄りになるんです。
それだけでも娘さんが受けるストレスは激減します。

これは体験して実感できる変化です。
介護の問題は今後も多発し、その問題の内容も多岐にわたります。

そこに犯罪も発生するでしょう。

被害者と加害者が親と子だったり、高齢者と介護士だったり。

殺伐とした嫌な ニュースは聞きたくないですね。

介護とオムツ

2018-12-13 11:34:00 | 自宅介護
テレビの話なのですが、、、
ある介護施設で オムツなしでの生活に挑戦したことを紹介していました。
定期的にトイレに行くことや、 時間を定めての飲食、 適度な運動など 。

オムツを外せる様になるまでは、 介護の仕事は増えたが、 結果的には夜間のトイレなどが少なくなり、介護の仕事は楽になったそうです 。
また老人の生活レベルも向上した と紹介されていました。

確かに 、その介護施設での試みは素晴らしいと感じました。

問題は、その後で「介護に詳しい人」が
「これから 在宅介護 が増えることを考えれば、 この取り組みは大事。」と。
この人も時間の都合上簡単に言ったと思うのですが・・・

結論から言えば、このように介護施設で 取り入れて成功したとしても、在宅介護では無理な事なんです‼

それは時間を決めて飲食や運動をさせるとか、定期的にトイレに行かせる事が困難と言うハード面の事ではなく。
在宅介護で子供が促しても聞き入れません。

介護施設で介護士がそれらを促し補助しても、言うことを聞かない老人が10人に一人や二人はいるとするなら。
在宅介護では 自分の子供のいうことを聞き入れるのは、逆に 10人に一人か二人しかいません。

人間として 、また親としてのプライドが強く働きます。

老人は施設に入ると、それなりに覚悟をしているんです 。自宅とは比較にならないほど従順になります。

在宅介護では 資金・家の形状・介護をする人の状態・介護をされる人の状態と、介護の難易度に大きく影響することが 多くあります。
運よく、それらを我慢して解決する事が出来ても、最後に立ちはだかるのが介護される人の覚悟です。

老人の体力や思考力が落ちて、完全な寝たきりになれば、ある意味において介護は楽になります。

例えば、、、
完全な寝たきりならば、便でオムツが満タンになっていたとしても放置して、自分の洗濯や食事を優先することが可能です。
それは不親切だと思うかもしれませんが、現実には何度でも発生する事柄です。

ですから介護関連で悲しい事件が発生するのは、 完全な寝たきりになる前です 。もちろん高齢者同士の老老介護は、いつでも事件発生の可能性が高い事を忘れてはいけません。

第三者から見れば 後期高齢者となり介護が必要になった人は、どこから見ても子供より勝る点はありません 。人間、今まで自分が優位な立場であった 相手からの指示に従わなければならなくなった時。
そんな屈辱を受けてまで生きて行こうとは思わない・・と思うのです。
※そう思っても死んだりしません。老人はそんなにヤワじゃない。


現在、 後期高齢者の一歩手前には多くの人達が存在します 。その人たちは口をそろえて言います 「自分はおじいちゃんおばあちゃん(親)のような頑固な老人にはならない 。」

確かに日頃から心掛けておけば、 少しは和らぐと思います。 しかし、自己抑止力が低下するのが高齢化なんです。

そして、介護施設の介護と在宅での介護は別物と言う認識を持つべきです。
介護が必要になった老人には、その人達の特別な社会常識が必要なんです。

それを学ぶ為に介護施設は役に立ちます。
在宅での介護をしてる人も、たまには介護施設を利用して、老人に「老人の社会常識」を身に付けてもらうんです。
そうすれば必ず在宅介護が少し楽になります。

介護は上手くやらないと、ストレスの洪水で地獄です。