今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

銀座の水は色に例えるとオレンジ色だと思う。

2018年01月02日 | 飲み物
よくイタリアンなどの専門書や料理雑誌のイタリアン特集で「水を調味料として使用する」という言葉を目にする事があって、自分も「その地域、その地域で水と空気は風味が違う」と記事で書いてもきたのだが、
(パンとか粉類が1番、空気と水の影響を受ける。パンは発酵する時にその地域の空気を吸いながら発酵する訳で、小麦粉は臭いを吸着し易い食材としても有名)

もう欧州ではその地域・地域で取れる食材で同じ食材でも味が違う事は常識。
チーズを例に例えると、海の近くの牧草を食べて育った牛や羊から作られるチーズは塩味がするという。
チェシャ・チーズとかはまさにその最たる例だろう(1回しか食べた事が無いけれど)。
人間や動物の汗が塩分があるように、魚とか海草、海のものには生まれた時から染み付いた塩気ってあるし(それを差し引かないと)。

 色んな地域(比較的東京の南側と群馬の山の中腹)できちんとお金を頂きながら調理をしてきて(営業の仕方を勉強したかったのもあったのでフロア係だけの店もあったが、・・・店長相手でもそんなに簡単には自分の技術はともかくやり方は見せないよ、経営者に頼まれない限り違うやり方をその店で通そうとしても皆の反発を喰うだけだし、自分だけが結果を出す事よりも仲良くやりたいだけだから、そこら中に命を奪える殺傷道具があるから仲良くやらないと感情的になれば皆が本当の意味で傷付く)、
で、薄々は気付いていたが、銀座の水って、色に例えるとオレンジ色のイメージかなって。

 ブログをなんとなく始めた当初、遊びでタイトルに無作為に色付けをしてメニュー1(←リンクを動かすのでハイパーリンクしていません、左側の全メニューのカテゴリーから観て下さい、観なくても良いですが)として出しているが、
無作為にせずに味のイメージでタイトルの色を付ければ良かったなと思っていてあと少しと放置をしていたら、
当時2万字以上の文字を入力で出来たのが、急遽デスノートの如く新ルールが追加され(笑)
2万文字までとなってしまい、既にかなりオーバーしていたメニュー1は上書保存が出来ない為に、中を動かす事も色を修正する事も出来なくなってしまった(笑)
ま、体裁はそんなに重要視していないからアレなんだけれど
その後、全メニュー2で色を付けると2万文字をすぐ超えてしまうという事に気付いて、メニュー3以降はなるべく色を付けなかった。

で、自分の中に色のバロメーターがあって、それでこの味(色)に近いとかそれで覚えるのだけれど、水までそれをやると気が狂いそうなので、アタマの中に色が浮かんできてもなるべく見ない様にしていた。

他にも、
・厨房からの調理する音(「ジャー」って炒める音・切る音・皿を出す音・他etcの音)
・ホールの人の動き方(←自分が同じ様に動けるかは別、店の種類によっても違うから、今の所2パターンは覚えた、かなりテンポとかリズム、使う筋肉の入れ方が違うからいざという時、注意しないと)
・店員さんの店舗という空間での視線の置き方(なるべく満遍なくだけれど、人を扱う事は様々な事があって、他のお客様の為にも、どの卓のお客様を注意して特に観れば良いか?とか、やや比率は営業中、微調整し続けている、上司や先輩・営業全体の事を考えずに意地悪をする先輩の視線も気にしないといけないし)
・各テーブルの注文の声で調理順番や、調理準備の下ごしらえの過程

自分の中にガンガン入ってきてしまうので、なるべくスイッチON☆しない様にし、見ない様にしているのだが・・・(よく誤解されるんだけれど、飲食業をしていた人が他の人が帰る時に自分は他人なのに立って「ありがとうございました」をつい言ってしまいそうになる事の延長線上Ver.というか)味だけは・・・どうしても・・・
無意識にやってしまう時があるから気を付けてしないようにしているが、それはそれで苦しい。

 で、水について、都会だからとか自然のある田舎だからとかで不味いとか美味しいとかだけではなくアタック感ってあると思うんだよね。キレもあるし(アタック感とキレは似ているようでやや違うし)。

新しい技術を身に付ける為とか、他の経営者に頼まれたり、他の契約を頂く為にとかで店を変えた時に繁華街で美味い・不味いとかではなく、出来上がりのイメージがなんとなく違う~~~と、もう地域差があるから、どうしようもない事なんだけれど、それでもあまりの違いにアタマをマジで抱える事が昔あって、その違いって特にアタック感だなって気付いたのね。
そのアタック感と使用している水のアタック感の共通項が凄く似ている部分があったから、
原因は水だ!!って。

(あと空気感
水のアタック感はその地域に住む人間の気性にもよく現れているし、そこも判断基準。
本当はそのアタック感じも操作出来れば良いのだけれど
慣れるまでは時間がかかるし(←慣れ過ぎても自分の中の基準が狂いそうで困るが)、
(複数同時に作っている営業時に)その差し引く操作を出来るほど、そこまでの腕は無いんだな

別の差し引きもやっているし、=加熱時間を考慮して変化していく中で濃くなる味を差し引いて薄く付けると、もっと上の人にお客様に出す時間帯ではなく厨房内の今その場で丁度良い味に変えられてしまうし。
それでも許容範囲で少しはやっているけれど、その範囲だと上司も見逃してくれる)
上の人が変えた味は当然、お代わりは来なくなるわな。。。
(「さっきと味が違う」って言ってくる人も居る)
でも逆らうと、仕事を与えられなかったり、逆に身体が壊れるまで重労働だけやらされたり、蹴られたり経営者が解らない所で意地悪をされてお店で働く同僚とお客様にご迷惑をかけるから、何も言わないで従うけれど。
(「従わない時は辞める時だから半殺しにする時」と自分が半殺しにされる逆の場合も覚悟しておかなければならない。経営者がそこまでなるまで気付かない・何も手を打てないなら、そこまでの経営者だろうし)

 例え、料理を作る水は浄水器やミネラルウォーターを使っても、寸胴や菜箸を洗う水がイマイチな水なら、何年も使い続けていると、その水や空気の風味が調理道具に染み付いてしまい、更に水滴等が付いているとワリと出来上がりのイメージ全体に影響してしまう時がある。

 でも銀座で料理をしている時は、凄く料理し易かった。
動き過ぎて、あまりに暑く、疲れた時に休憩で水を飲ませて頂いても他の繁華街とは違って、スッと入るクセに「まあるい」というか水の輪郭が「まあるく」優しいというか老若男女万人向きで特に子供的な水の印象を受ける(子供の舌が1番味蕾の細胞の数が多く確実だからね、そういう意味での子供的)。

この水の輪郭のイメージ(自分の中ではオレンジ色)を見付けると、他の銀座の店の料理に共通項がある事に気付く

勿論、六本木は六本木、新橋は新橋、渋谷は渋谷の味が各地にそれぞれあって
それは愛知県・九州・山梨とか巨大な単位でもあるハズ。
そこまでは気にした事が無かったけれど、今後は気にしていこう、世界でもやはり違うんだろうな)
※その地域の人に長く愛される味ってそういう事じゃないかな?って
人と共にあるというか

今、銀座が
チェーン店が増えて、
(やっぱり出資者や本部から「こういう味で」というラインはあるハズ、それに縛られている事を感じ取ってしまうんだよね、凄く味が窮屈そうな時もあって、本当はこういきたいんだろうな~って食べていて感じる時がある、ルールを指定された味ってそこだけが全体の中で別だから目立っているんだよね、それはどんなに上手くやっても人間が作るものだからタイミングとか0.何秒の積み重ねで全体が作られるものだから、ルール指定の所だけちょっとだけ飛び抜けているから解る気がする

 更に大型商業施設が増えて町並みが変わってしまい、欧州の古い都市郡の様な重厚さが前より無くなってしまい、高いワリに昔より使いヅラくて、本屋さんとかも殆ど無くなってしまい、う~んって感じだけれど。
(選択肢が減ったというか、人が町を択ぶはずなのに町が人を択んでいる感じがするから、観光客を除いたら閑散としているのでは?、やっぱり最終的に人が択ぶんだよ)
水と空気は(やや排気ガスが増えたか?それも味か:笑)、今の所、あまり変わらないな、
今後は解らないが、町並みと共に変わりつつも変わらないでいて欲しい。






コメント
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