南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

パニック障害

2010-02-08 17:37:04 | 試練
翌日09:30 最後の砦である、勧められた総合診療科で受診した。袴田医師である。とにかく、「あらゆる、検査結果が正常。これだけ正常な人は珍しいくらいだ、90-100まで生きますよ」。と言われながら、出された、症状チェック表、
1 息苦しい2 目眩がする 3 頭痛がする 4 頭が重い  5 動悸が気になる 6 胸が痛む 7 目の乾き 8 唾液が減少(口の渇き) 9 寒気 
10 手足がしびれる 11体のあちこちでちくちく感じる 12気絶はしないがしそうになる 13死の恐怖を感じる 14 他人と話しをしている時は症状が現れにくい 
15 一人でいるのが怖い16  それらがおさまっても、それらに対する恐怖心。
17 音に敏感になる。18 脈が飛ぶ。
続いて、見せられたのが、生活状況、1 普段疲れを余り感じない。2 頭脳を常に使っている。3 スポーツは盛んにやる。 4 職場でストレスを感じるが逃げない。
全てが、私に該当した。典型的な、不安症候群(パニック障害)と断定された。「ぴったりの薬があります。主な症状は二週間程度でなおります。」しかし、薬は三種類あり、どれも90%の人に効くということで、まず、其の一種類目から試し始めました。
コンスタンという薬が劇的に効いた。気絶しそうになる事は全くなくなった。それだけでも、不安の90%は解消した。
現在は、パニックはなくなっています。でも、まだ、以前の恐怖が忘れられず、また何か気絶しそうになるのではないか何処にいても、なにをしていても不安です。
 ほとんど発病前にもどっています。
  症状がほとんど消えた一ヵ月後、完全帰国の為の手続きと、身の周りの整理の為にインドネシアへ戻った。一週間ほどの間、親しい方たちに挨拶を済ませ、2006年8月25日PT.KIIと完全に切れた。三人の代表者の元で9年間非常に充実していたが、四人目の代表者のヘラノが着任してからは最悪でした。
 仕事を獲得できないし、獲得したわずかな仕事も、間違えて、大損の見積もりを出し、やればやるほど損を大きくしていたのに、本人たちは、大儲けをしていると思い込んでいた。早く、私に入場されると、そういうことが、全て、引き継ぎで明らかになってしまうので、わざと、無血開城を遅らせていると勘繰りたくなる。そういう会社が、解散する状態を書いてあります。今は解散したPT.KITAGAWAの日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。目からうろこになるでしょう。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page100.html
下手ノとうどウが立ち行かなくして、閉じる方向に向けてしまった会社です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。MM2100内の場所の地図を加えました。
この表紙の女性はMaria(Blitar) Iyoh(Pangandaran),Udah(Karawang pusat)の三人です。全員結婚しています。

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