南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆後継者

2016-03-05 21:20:25 | 押出成形

 2605 今回、日本で、初ゴルフ、南部OB会 相良でした。ポカポカ陽気で、暑いくらいだった。また、やっぱりというか、当然というか、くしゃみの連発になってしまった。花粉症の発症だ。鼻の下、上唇が痛い。まだ、花粉を感じるのだと、妙に安心した。

 

私が仕事を取ったり、取る手伝いをしたりした会社は、日本に三社ある。インドネシアに四社ある。その内、経営をした会社は三社、押出部門の責任者は三社、アドバイザーが一社だ。指導をし、仕事を取ったが、私が離れることで、継続できなくて辞めてしまった会社が2社あった。

そして、今、日本の三社の内、二社が、後継者がいない状態です。当然ながら、私が20年インドネシアに行っている間に、引き継いでくれた経営者も20歳年を取っている。二三年後には、止めてしまいたいという会社もある。客先に迷惑をかけないいい方法はないかと私に相談。しかし、後継者を育てていないというか、後継者を作るのが難しい仕事なのです。

インドネシアの会社もそうだが、私が新しい仕事をとって、その技術を教えても、それ以外の新しい仕事は取れないのです。日本の会社も同じこと、新しい仕事はほとんど取れていない。そして、彼らが歳をとっても、若手従業員の中から、この特殊技術を引き継ぐ人間を育てることができないのです。それなりの従業員を入社させることができないのです。口を酸っぱくして言っているのだが、なかなか、育たない。そんな相談が、今、来ている。私にはどうにもならない。

 

インドネシアで今いる会社に新しい仕事の話が来る会社の中に、私が指導した会社で私が仕事を取って、その製品は、今でも、継続して注文を出している会社もある。新しいアイテムがあれば、当然、今、注文を出している会社に相談したり、見積もり依頼をしているはずだ。しかし、出来ないと、断られたのでしょう。昨日もそんな会社から、私に会いたいといってきているようだ。

 

私も後継者を早く作らないと、日本に戻れない。それが、あと二年、あと二年といいながら、20年過ぎてしまって、今では、あと一年と言っている。

 

在原業平 伊勢物語 駿河なる宇津の山辺のうつつにもゆめにも人にあはぬなりけり、蔦の細道 十団子も小粒になりぬ秋の風許六 などなどで、古代からに文学で紹介される宇津ノ谷峠の下の宇津ノ谷トンネルです。

 

大井川です。遠くに蓬莱橋、世界一長い木造歩行者専用有料橋、が見えますね。いずれも、ゴルフ場への道の地通でした。

後継者 切実 特殊技術

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