視力の差。いつごろだったか、全く覚えていないが、インドネシア人の視力について以前書いたことがある。平均で日本人の2倍良いと思う。遠いところも二倍、近いところも二倍、彼らには良く見えている。暗いところも二倍以上は見えているはずです。暗い所で、平気で本を読んでいる。 しかし、会社では検査の場所はその他より以上に明るくするのが普通です。ですから、よく、欠点を発見すること。見たってわからないのだから、私が出る幕は無い。インドネシア人同士で良きに計らえである。 そういっても、全く、関係なしというわけにはいかないので、彼らに負けないように、虫メガネのレンズのような分厚い凸レンズの超老眼メガネを持っている。肝心な時は胸のポケットから出して使う。だから、日本でもそうしている。日本人はインドネシア人に比べれば、微細な欠点を見つける確率が少ない。私がそんなメガネで見ると欠点だらけ、その上、触感も日本人はにぶい。私の触感は鍛えてあるので、超一流です。両方を使うので、OKとして流している製品でも私としては、これでいいの?と云う製品が一杯ある。オペレーターに聞くと、嫌がる。この点でも、インドネシア人の方が優位に立っていると思う。 空洞化と言うが、工場が日本から出ていってしまうのは、バブルがはじける前から、はじまっていたことで、当時はまだ、開発途上国へ進出することには、リスクも大きく、失敗する例も多かったが、今は、進出した国にある日系企業や現地企業との競争もし烈になっていて、負ければ、失敗すると言う例の方が多くなっている。五感的にも第六感でも日本の若者は衰えつつある。それに比べれば、東南アジアの若者は、今まで、それを使う機会がなかったが、日系企業など外国企業が進出してきたことによって、それを,求められるようになって、また、答えられるようになって、自分たちの能力が生かさせることを喜びとして確認しつつある。 これも、日本製品の“安かろう悪かろう“から、日本品質は世界一までになった。と同じように、今やアセアン諸国も日本品質同等の基準になっていて、中途半端な能力しかない日本人は指導できなくなっている。 日本の40年前ころ、ニクソンショック後、経済成長が本格的になり、アメリカを猛追いした頃と今のアセアン諸国の状態は似ているような気がする。その間に、台湾、韓国、中国がいる。
孫が一緒でなければ行くはずがない富士の裾野の朝霧高原にある牧場へ行ってきた。乗馬が目的で行ったのだが、彼女達が一番、気いったのは、モルモットを抱き上げて膝の上に載せる事でした。それだけで、一時間は遊んでいた。
対等 かなわない 牧場