南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆大津波の爪痕アチェ

2011-01-21 23:40:24 | 情報

   斜めからインドネシアを眺める 815

 今、どこかというと、インドネシア(スマトラ)最西端、最北端にいる。アチェ州の州都バンダアチェです。03:00過ぎに家から出てスカルノハッタ空港、06:45発 ガルーダでバンダアチェに向かった。10:35に到着した。予備知識無し、ただ、例の2004年12月の大地震、大津波に依って10万人以上の死者、行方不明者の犠牲を出した。この爪痕は各所に残っていた。ただし、街の雰囲気はそれを感じさせないほど大部分の環境は既に、大津波以前以上になっているようです。

 インドネシアにしてはかなりのお金を集中させたと思う。もともと、独立志向が、インドネシアで一番過激な地域だった。何十年にもわたって、独立戦争、ゲルラ戦争が、続いていた。横道にそれるが、以前、ルマーアバンというジャバベカの郊外に住んでいた時に、近所の人から、自分息子がアチェの前線へ送られることになったと心配そうに話をされたことを覚えている。

 何度も、和平協定など結ばれていたが、直ぐに、反故にされることを繰り返してきた。石油などの地下資源が豊富な地域で、インドネシアは放したくない。これを機会に政府は投資を集中したと思う。海外からの援助も素直に受け入れた。その過程でのお金の流れはインドネシアにしては怪しい部分が比較的少なくて、有効に使われたと思う。今は、内戦の雰囲気が感じられない。

 

 この大津波を機会いに、独立運動は消えてしまった印象があって、以前は、危険区域氏指定されていたが現在は指定は無い。バンダアチェの街の雰囲気は明るく、新しい。道も広く、舗装に穴が無い。両側の家や店も皆新しいので、清潔に見える。何と言っても、空港ビルが出来てまだ二年だという。雰囲気が気持ちいい。

 

 今日は空港へ着いて直ぐ案内所で、ホテルの予約と車の手配をした。空港からホテルへチュックイン、そのすぐあとから、市内観光に出かけた。運転所は女性だった。ゆっくりの運転でクラクションを鳴らすことなく、リラックス出来た。

 見ても回ったところは、大津波の爪痕を記憶として残しておこうというという場所がほとんどだった。フェリーが現在の一番近い海岸から内陸6kmの場所に流されてきてそのままに鎮座している場所などでした。

 

 津波、最北端、爪痕

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