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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆きつい流れだ

2013-01-17 22:45:50 | 複雑

 1463 インドネシアへ私が来てから、ずっと、日系企業の現地調達率を上げるお手伝いをしてきた。プラスチックの押出し製品は量が少ない上に、難しいものばかり、それが、ローカルの企業や数少ない先陣を切った日系の押出成型会社ではできない理由だった。それを、私が次々と引き受けていった。その全部が日本から輸入している製品だった。現在、日系の押出し会社で作っている製品のほとんどは、私が作ったものを引き継いでいるだけです。

ところが、最近の国産化の依頼品は台湾、中国やマレーシアなど、日本以外から輸入しているものが多くなってきている。それも、少量製品でなく、比較的、大きなロットになっている。以前は日本から買っていたものをインドネシアではできないので、日本以外のできる国から輸入しているのです。日本製より勿論安くです。

こういう状況を見ていると、インドネシアで私が作らなくても、他の国でどんどん、自分でできるようになっていて、日本から、買わなくてもいい製品がどんどん増えていることを感じる。だから、以前は日本価格の60%が、価格目標だったが、今は、日本価格の半値以下を狙わないと、中国製などの製品価格に対抗できなくなっている。

だから、原料も以前は日本でしかできなかった特殊なエンプラでも、日本以外の国からの調達を検討せざるを得なくなっている。

 

私が関わっている、押出機、引取機などの関しても、インドネシアで、自分自身で作ることもできるが、多くの押出成形屋は、中国製を使っている。それで何も問題ないのです。価格は半値以下です。インフレやシート成形装置も日本から買う必要などまったくない。

私自身もN社の設備のほとんど、インドネシアの鉄工所で作らせた。今も、丸鋸の自動カッターやバキュームボックスの水槽を製作中です。

安部さんが18日にインドネシアへ来るという。今や日本から輸入しているものを止めて、現地調達するのではなく、日本以外からの輸入品の現地調達化を狙っている現状をしっかり見てもらうことと、今、日本の市場に大金をばら撒いて、景気刺激など無駄なことを止めた方がいいということを感じてほしいものです。流れは変わらないということを、破綻するなら、早い方がいいということを。もしかしたら、早く破綻させるために、国債の大量発行をしようとしているのでしょうか。円安は長期的にも短期的にも何のメリットもない。株だって不安材料ばかりだから、必ず、早いうちに海外機関投資家は、利益がほどほど出たところで、一斉に売りに出す。損をするのは日本の一般投資家です。日本の大借金を個人貯蓄が支えてきたのに、その個人資産の目減りが顕著になる。破綻のシナリオです。

医者の間違った処置によって、末期症状になった患者を人工心肺で生きさせているのと同じでしょ、そろそろ、外したもらう決断が必要でしょ。しかし、日本にとってそれが必要です。外から見ると、また、活力がった日本を知っていて、それと比較すると、そう思う。

 

サンヨーが中国企業ハイアールに買収された、一部を買ったヤンマー看板もあるが、目立たない。現状を象徴している。

 

朝の近所の風景、道端の売店、と、三人乗りのバイクが学校へ子供を送ってゆく。

破綻 シナリオ あがき

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(^_-)-☆有ってほしい

2012-11-27 23:00:15 | 複雑

 1412 あるかもしれないが、私の身の回りにはないもので、最近、在ればいいなと思ったもの。

何枚かのページを連続で印刷するときにページの最後から印刷して出てくる。あるいは、一ページ目から印刷してもいいが裏返しになって出てくる。一ページから最後のページまで、重ねなおさなくても最初から一ページ目が一番上に来ている。その状態で何部でも印刷が出来るプリンター。

小型のコンピューターで多機能を持った携帯電話型の種類が、どんなに、増えても、ラップトップやデスクトップタイプのコンピューターが無くなることはない。むしろ、増え続けるでしょう。文字が小さい、ボタンが小さい、のでは、使いたくないという人も多いし、携帯電話は電話として使えればそれでいいという人も多い。私もその一人である。一時、携帯電話をラップトップに接続してネットに接続できる機能があるものを使ったが、どうも、電波の状態で接続が出来ない状態のところが多かったので、今のUSBモデムを使うようになった。携帯電話は電話機能だけでいい、カメラはデジカメでいい、ネットはUSBモデムでいい。日本でもUSBモデムを使っている。日本で使ったその月だけ一カ月分を払うが、使わなければ払う必要はない。支払いも預金口座から消えているので、何の面倒も無い。そこで、インドネシアでぜひほしいシステム、自動振り替え、です。水、電気、ゴミの回収費、通信費用これらの身の回りに欠かせない費用の支払いシステムが自分の銀行口座から自動的に払えるようになったらいいと思う。なぜ、出来ないのか不思議にもうほどである。

 

それと、もう一つ、売れるかどうかわからないが、携帯電話をコンピューター化するのではなく、ラップトップに携帯電話を入れてほしい。勿論、カメラ付きのネット通信は出来るが、一般の携帯電話にコンピューターから掛けられるようになったらいいし、そうなれば、当然、その逆もできるのだからいいと思う。とにかく前提は、あまり小さな道具は、私には不都合という事です。左手の指先は怪我によって先端が潰れているのでなお小さいはうまく押せない。

 

道端の氷屋さん、氷製造会社から安く分けてもらって、リヤカーのようなもので運んできて道端で売っている。一般的に中の部分が透明でなく白くなっている氷は危険だと言われている。なぜそうなのかは確認していない。この氷は全部、内部が白い。

 

ごく当たり前の“トコ バングナン”この種の店がどんどん開店している。それだけ、需要が増えている証拠でしょう。

複合 単独 不便

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(^_-)-☆冷静な対応を

2012-09-22 22:16:25 | 複雑

 1346 中国へ行っている日本人や日系企業は大変ですね。中国人の欲求不満のはけ口に中国政府がこの機会を利用しているようだし、中国人の知識不足の階級が乗せられているようですね。日本人は、いちいち、反応しない方がいい。事実、日本人全体は冷静というより、あまり関心が無いと言った方が適切か。

尖閣諸島にしても竹島にしても、国後、択捉、日本の固有の領土だという根拠を言える日本人がどれだけいるのでしょうか。歴史的経緯を含めて、私も知りません。なぜ、自国の領土だと主張しているのでしょうか。そしてそれらの島は今どういう状態になっているのか、そして、これから、日本の対応はどうするのか。そういうことも私は知らない。勿論、当該相手国にもそれを分かってもらうようにあらゆる方法で、示さなければならないはず。理論的に説得する手段を常に講じていることが肝心でしょう。困った困った、手の打ちようが無い、どうしよう、と、考え込む前に、国際司法機関にゆだねる前に、何故、自国の領土だと主張するのかを、世界中に広報してほしい。日本人が知らないのだから、他の国の人々が知るはずもない。

日本の政府は、関係各国の言葉で、呼びかけてほしい。そして、対象国の主張があれば、それも公表してほしい、そのうえで、交渉に舞台に着いたらいいと思う。政府間同士では、そういうことを、過去には主張しあったかもしれないが、その内容も含めて広報してほしい。

 

チャガールアラムに入って、ラフレシアを探した。小雨は、時々降っているようだが、焼け石に水、ということか、ジャングルの中の沢は渇水状態、チュルッグ パナンジュン(パナンジュン滝)の水もチョロチョロで、滝つぼまで達する前に岩肌に吸い込まれるか蒸発しまっていた。乾季の終わり近くには、ラフレシアもほとんど咲かなくなる傾向にある。今回は、全く期待していなかった。予想通り、滝までの往路では、蕾が3っつだけで、それも、開くまでには二三週間かかるだろうと思われるものだった。滝の上の状況も同じだった。ところが、復路の様子はちょっと違った。今まで、出会ったことが無かった場所で、匂った。まさかと思いながら、探してみたら、在った。急斜面に張り付いていた、そのすぐ後にももう一つ在った。枯れ葉や落ち葉が敷きつめられている地面の向こうに見えた。

 

世界中でここにしかない、パンガンダランのラフレシアの数は着実に増えている。10年以上前には、ジャングルへ入って会える機会は三分の一だった。当時は、会えれば、ラッキーだと思っていた。一遍に二つ以上に会える確率は六分の一程度だったと思う。ところが今は、必ず会える。会えなければ、ガイドが役割を果たしていない。たとえが今回も往路にあった、復路に遭った。往路をそのまま帰ってくるガイドなら見つけることはできない。花を探すというより匂いを探すのです。匂いを敏感に察知する能力も必要だ。歩いていて、すぐ見つかることは無い。匂って、方向を決めて探しまわるなだから、嗅覚が優れていなければならない。そう臭いものではない。微妙に匂うのですから。悪臭ではない。

増えているのはモラル教育の成果だと思う。80年代には蕾を持ち出す犯罪が絶えなかったようです。だから、緩衝地帯を作って見張り櫓から監視したのでしょう、数年前から、監視もしていない。持ち出す人もいない。

http://otaenplaext.net/newpage32.html

http://otaenplaext.net/newpage33.html

 

 この中にラフレシアがあります。

 民度 はけ口 欲求不満

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(^_-)-☆再び屁理屈

2012-09-04 22:06:00 | 複雑

 1328 分からないことがある。地震が起きる原因についてである。当たり前のように、同じような絵が示されて、大陸の端の海の中で片方の地面が動いていてもう片方の大陸側の地面の下に潜り込んでいることを表している。大陸側の地面が一緒になって沈み込み、限界に達すると跳ね返って元の状態に戻ろうとし、その跳ね返りで地震が起きる。非常に分かりやすい説明ですね。そして、そのとき地下の岩盤が、断層面を境にして急速にずれ動くために地震が起こるのです。既存の断層を動かしたり、新たに断層をつくったりするこのような動きを断層運動と呼びます。だから、日本国中至る所の活断層や断層があるのです。ここまでも、分かりやすい説明です。

分からないのは、ここからです。海ではなく陸地で起きる地震については、陸のプレート内部で断層運動が起こると陸域の浅い地震が発生します。断層運動が地震を起こすと説明されていて、それだから、活断層があるところでは周期的に地震が起きる。説明は矛盾しませんか。地震によって断層運動が起きる。その断層運動が地震を起こす。と、言っているのです。

 

内陸にトラストのような沈み込みと耐えているプレートが在るという説明は全くありません。唯一フォッサマグナなどの構造線と言われている線では、事実、内陸部で震源地の地震が起きています。群発地震も起きています。火山性地震なら話は全く別で、それなら、原因は分かります。

 

 断層や活断層にあらゆる方向から圧力がかかり、そこら辺りのどこかがその圧力に耐えられなくなったときに活断層が一番、動きやすいということは分かるが、その圧力はどこから来るのでしょうか。そのことをはっきり説明されていない。色々なことが在って、はっきりこれとこれだとは、言いきれないのでしょう。結局、原因は分からないということらしい。なかなか、理屈で説明できないのでしょう。

 

 内陸部で新たに地割れが起きたり、段差ができたり、何メートルもの段違いができたり、そして、活断層がなお、ずれるのは結果であって、原因は地震なのだが、その地震はどうして起きるのかわからない、というのが、私の納得できることです。

 

 だから、活断層を避けるのは震源地になるからではなく、地震が起きた時に段差ができる可能性がるからでしょう。しかし、活断層でなくたって、何もなかったところが地割れをしたり、段差ができたりするのだから、活断層を避けるのは気持ちとしてわかるが、それ以外のどこでも危険には変わりない逆に言うと、どこでも同じ、もっと、言えば、どこでも同じ程度危険だし、同じ程度、安全だともいえる。

 

安政の東海地震から、160年ほど過ぎているから、いつ来てもおかしくないと、言う主張も分かるが、私が経験した地震で震度5以上の物が幾つかあった。その度に歪は緩和されていると思う。だから、その度に大地震が送るときが先送りになっている。震度5が、一回で10年先送りになるとすれば、50年以上は先送りになっているはずです。そういうデータは無いのでしょうか。何を言っているのかわからないでしょう。屁理屈でした。

 

パサール イカンの前で地曳網を引いている。海岸が無いので道路で引っ張っている。

どうですか、この魅力的な波、サーファー、ビーチボーイにとっては、魅力的でしょ。乗合観光トラック、観光地へ向かうこういうトラックは普通に在ります。

 

震源地 マントル 沈み込み

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(^_-)-☆今頃、何のため

2012-07-19 22:00:48 | 複雑

 1281 とにかく、今頃になって進出ということは、積極的ではなく、売り先が出て行ってしまうのでとか、切羽詰まってとか生き残りをかけてという状態に近いと思う。それは、自分のため、自社のためであって、十何年以上前に進出した会社の進出目的、その国に広い意味で社会貢献をする、技術の向上の手伝いをする。という目的はほとんどゼロである。気持ち的にも資金的にも余裕が無い企業ばかりだと思う。
そして、それを迎えるインドネシアの状況も甘くない。工場が出来て、仕事を始める、その前に、インドネシア人のリーダー的役割を果たせる人材を獲得しておかなければならない。依頼をする日系エージャエントは本当に頼りない、と、言われていることを知らない、知っても、日系エージェントに頼るしかない。だから、難しい。

先ほど、ヤント君に会ってきた。静岡のこれからインドネシアへ進出しようと計画している会社から就職の内定をもらったとか。9月に入ったら、会社は調査に向かうそうだ。彼は、日本採用で、いつになるかわからないが、インドネシアへ日本から派遣するという条件だそうだが、来年四月からの就職だから、インドネシアへ出向は早くても一年近く先でしょう。どういうことを期待して彼を雇ったか知らないが、何をさせるにしても、大きな期待を彼にしたら、期待はずれになるでしょう。彼は優秀な人間だから、専門の国際関係法には詳しいかもしれないが、10年近くインドネシアに済んだことが無いのだから、現在のインドネシア事情を全く知らない。インドネシア人の知人は少ないのだから、人材集めのようなこともできない。できるのは通訳だけである。会社も慌てて内定を出してしまったものだと思う。後悔すると思う。スタート時や近未来に役に立つ人材だとは思えない。

とにかく、適正人材獲得は非常に難しい時です。その上、もう一つ、進出をする会社にとって人材集めにネックがある。工場の立地がジャカルタから。ブカシ辺りからも遠いことです。リッポチカラン、ジャバベカまではそう遠くないがデルタマス以遠、カラワン、スルヤチプタ、もっと遠い、インドタイセイ、チカンペックになれば、通勤時間のことや渋滞のことを考えてインドネシア人は敬遠をする。以前には勤務地などは問題にならなかったが、人材不足の今、遠い勤務地は敬遠される。よっぽど、魅力ある待遇、たとえば、車の至急、住宅の至急、それらが無ければ、それに見合う高額給料をちらつかせなければ、見むきをされないでしょう。

暮らしに溶け込むことに成功した例としてヤクルトがある。イスラム教徒は、間もなく断食(ラマダン)に入る。日の出から日没まで、飲まず食わずの試練月間になるのです。日没と同時に一斉に食べ始める、飲み始める。“その空っぽの胃の中に先ず、ヤクルトを入れて、胃や腸のコンディションを整えましょう”というキャッチコピーを大々的にコマーシャルで流した。その時期の前から、スーパーにはヤクルトの山を築いた。そのコピーがインドネシア人にしみ込んだ、がっつく前にヤクルトを飲むことはインドネシア人の常識になった。今やヤクルトはポカリスエットとともに国民的飲み物である・宣伝の必要は無い。

 今頃、何のため? と、話はそれて、スマトラ島の西の島、ニアス島の何百年以上前からの常識は、山の中の高い場所に頑丈な家を建て住む、地震が起きたら、自分の家へ直ぐに戻れ。というのが、言い伝えられている。海の傍に住むなと言っている。
例の跳び箱のような石積みの上を飛び越す行事があるである。その家の頑丈なこと、見事に山の中にが点在している、途中の道も石畳になっていて崩れそうにない。とにかく、大木や大石がふんだんに使われている。2005年の大震災、大津波の時に、何事もなかったようにびくともしなかった。
 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage01.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page006.html

移住をしてきた人達、移住を進めた人たちや政府は大昔から原住民が守って来た常識を無視して、住みやすい海岸地帯に住みついたのです。2004年、アチェを襲った大震災、大津波の直後に発生した余震と言ってもいい大震災で大被害を出したのです。住むなと言われていた場所に住みついたからです。その人たちに地震が来たら直ぐ高いところに逃げろというのは、変な話だと思う。
静岡駅ビルの中のインドネシア料理レストランのメニュー。南口の様子の一部。
インタビュー ミーティング ブリーフィング

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(^_-)-☆コピーソフト

2012-05-19 22:53:05 | 複雑

1220 昨日はキリスト復活祭でナショナルホリデーでした。今日はチュティ ブルサマの日で、休みにしている会社がほとんどで、四連休を楽しんでいる人が多いと思う。

 本当にこれだけしかないの?と思うくらい、良少ない、ジャワ島の列車はガンビール始発が大部分だが、ソールアウト、これは当然として、インドネシア中に張り巡らされた空の便も満席です。各行楽地へ向かう車、空港へ向かう車は、目手地へ向かう道の上は車で満席です。それでも、家から、出て、どこかへ行きたいのでしょうね。

 パンガンダランは情報によると毎日3万人の人出だそうです。ギンギンギラギラ(インドネシア語を知っている人は分かります)の世界です。海外へ向かう便、近場のアセアン諸国へはチケットがなかなか取れないそうです。一人なら、キャンセル待ちで何とかなるかもしれないが、二人以上では、あきらめた方がいいでしょう。

 四連休でこれだから、レバラン前からこれよりひどい状態になります。とにかく、今のうちの予約の注文を出しておかないと、手に入らないかもしれません。私は、旅の期間をはじします。レバラン休暇中に運転するなら、ムディックラッシュとUターンラッシュは外して、休暇の半ばを狙います。

昨日の私はどうかというと、ゴルフの後、ジャカルタのスディルマン、ラトプラザへ行って、O-CADのソフトを仕入れに行ってきた。ジャカルタの昼間は空いていると思ったから、昨日をキャンスだと思ったからでした。ジャカルタの住む人の話では、最近の高速道路の渋滞はあきれるほどで、MM2100からクニンがんあたりまででも)三時間かかるのは、普通だとか、自然渋滞で出そうです。そんな中でジャカルタへは行きたくない。当日は順調だったが、チャワンから渋滞が始まってしまった。休日でこれだから、平日はどれほどかは、推測できる。

なかなた車が進まず、この中にいては17;00前に目的には着かないと判断し、一番近い、マンパン高速から降りて、高速沿いに行くことにした、こちらは空いていた、クニンガンの出口の手前から、高速沿いからそれてブロックM方面へ向かった。まがきくねった道だが、ほとんど一方通行、スヂルマンへ出る前に北へ向かい、アチチの噴水像のロータリーで半周して、スディルマンの側道へ入ってラトプラザに着いた。チカランから1時間45分掛った。まずまずの所要時間でした。ソフトをすぐ手に入れた。値段が上がっていて,四万Rp(350円)でした。なんでもインストール用ディスクは4万Rpだが、ゲームやムービーは2万Rpdです。このフロアーにコピーソフトの販売店が何軒もある。何のお咎めもない。正々堂々と販売しているし、占める店はなく、増える一方です。

 

 会社では、たまに、ライセンスがされているかどうあのチェックが入るので、危なくて使えないが、一般的には、まともにライセンスのステッカーが貼ってあるソフトを買う人はいない。値段が5~10分の1で済むからです。ブカシバラットのサイバーパークでもコピーを買えるし、グロドックやマンガドゥアその他、さまざまな場所で、ショッピングモールで手に入ります。

 

 空っぽのPCを2~3万円で買って、一日後以降に受け取りに行けば、ウインドウズ オフィス2007を始め、お望みのソフトをインストールしておいてくれます。その店が、何度でもインストールできるソフトのイミテーションを持っているからです。不具合が生じれば、再インストールのサービスもしてくれます。勿論、どこにも、ライセンスのステッカーは貼ってありません。とにかく、インドネシアでは偽物、コピー、製品でなんでも揃います。個人が咎められることは有りません。

 

 ソフトのコピーを買う時にはその店のPCでチャックしましょう。その為のPCを店に備えてあります。店としても、後のクレームは受け付けにくいからです。

 

ゴルフの手袋はやはりタイトリストでもミズノでもキャラウェーでも350円で買えます。本物と言われて売っているものは1500円位します。持ちは人それぞれ言いますが、私はほとんど変わらないと思っている。

 

 スマンギの交差点からプラザの前を通ってUターンして、スディルマンを南進し、まだ明るいので、ブロックMのパパヤで弁当を買う、400円でした。

偽物 コピー パルス

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(^_-)-☆プラウ ビンタン

2012-05-10 22:26:03 | 複雑

1211 今日のサンライズ

Bintan Argo Hotelに二泊してゆっくりつもりだったが、何もすることがなさそうなので、11:00に今晩の宿泊をキャンセルしてTanjung Pinangへ向かった。ホテルを探す前に、観光をすることにした。しかし、運転手とコミニケーションがちぐはぐで、ホテルへ先ず、連れて行かれた。ポイントはワイアレスランを使えることでした。使えることを確認して泊まることにした。

13:00オジェックを頼んで市内観光をした。初日にはほんの一部の新興地区を散策したが、今日は、旧市街というか、昔から引く継がれた港起点の街を通った、随所に仏教のお寺があり、中国人がこの町を開拓したことを象徴していた。

そのお寺は、また、中国人で成功した人が自分の成功を強調するかのような目立った建築をしてある。日本の侘びさびの世界とは全く、正反対のギンギラで原色で塗りたくってある。二百何十年前の建築だと近所の人が自慢げに話してくれるが、私から見るとコンクリートの建築物に原色塗りたくり、派手なだけで安っぽく見える。毎年、塗り重ねるのだそうです。中国人は派手な彩色が好みのようだが、私は好きになれない。赤と黄色が大量に使われている。

そういうお寺が一角にある住居地といったら、木造で汚い、その環境はゴミに囲われていて、見ただけで、臭いが漂ってくるようで、よくこんな場所に住んでいるなと。感心してしまうほどだ。住民が皆でゴミをなくそうという運動をしないのでしょうか。人が住むところではないと思うが、人が大量に住んでいるから、不思議である・私は我慢できないでしょう。吐き気がしてくるくらいだ。

色々な船毎に桟橋の場所が異なる港がいくつかある海岸沿いに街が形成されたのでしょう。その町の後ろに小高い山があって、山頂付近は各種パラボラアンテナ用の鉄塔がいくつか聳えている、山頂に展望台があり、そこまでオジェックで上って港や市街を一望した。景色はすばらしい。それはそうです。匂いがここまで登ってこないし、川や海に流れ込んで淀みに堆積したゴミもここからは見えないからです。

どうですかこの対象は、こんな場所にこんな立派な家を作るなら、他の場所を買えると思うのですが、どうしても、今までの腐ったような家を壊して、ここに新築したかったのでしょう。私には理解できないこの風景です。

バタム島とは全く違う汚さで、7日に歩いた付近は、シンガポール化が進んでいるようだが、もともとの街はどうしようもない感じがする。

 

オジェックは速い、しかし、3時間の観光ツアーのうち二時間乗っているとお尻は痛いし、腰も痛くなった。ポリシティドゥールがたくさんある道はきつい。ところで、綱引きのような太い縄をポリシティヅールにしてある道があった。これはいい方法だと感心した。

 

スホイ スーパージェット100 37人招待 乗務員含めて46人 ボゴールのパンランゴ山とサラック山付近で消息を絶った。空軍の空港ハリムからテスト(デモ)飛行に飛び立った。ロシア製です。10:00には、まだ、見つかっていなかった。ヘリコプターで捜索するしかない、ジャングルで、厚い雲がかかっていることが多い、スホイが差し掛かったころの天候は穏やかだったらしい、高度は3000mで通過する確率が高かったどうです。しかし、昨日の夕方から天候が悪化し、今朝も捜索するには難しい天候になっているらしい。捜索隊のリーダーは天候が回復するのを期待するとだけ、言っていた。

14:00ホテルへ戻った時には機体を発見した、現地へ救援隊が1千人向かっている、地上からはまだ誰も到達していない。

16:00のニュースの映像では斜面や平地のジャングルへ突っ込んだというのではなく、完全な絶壁に機首から突っ込んだ状態で、その場所からほとんどすべてがどれほど下か見えないが、落下したようです。機体も木っ端みじんになって落下したと思う。激突した個所は緑ではなくなっていて、白い破片?が散らばって張り付いているのが見えるだけです。一瞬のうちに全員がなくなったと思う。空中分解より凄まじい激突ではないかと思う。

 お寺 ゴミ 中華系

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(^_-)-☆知識を駆使して

2012-05-01 22:24:23 | 複雑

1202 昼過ぎにチビトゥン(MM2100)へ向かった。こちらのジャカルタ方面行きは、なんとか流れていたが、反対車線(帰りに使う側)はチカランへの引き込み車線もいっぱいだったし、チビトゥンよりもっとブカシ寄りから、高速道路は車で満たされていた。これは、帰りにほかの道を使おうと思わされた。

 チビトゥンのある会社へ遊びに行って、そこからのチカランへ戻るには、どこを通ったら、比較的渋滞に会わなくて済むかを考えた。高速道路を使うことは考えなかった。一般国道を東に向かい、コタ チカランへ向かったが、途中でジャラン カリマランを使う気になった。道はでこぼこのはずだが、多少はすいているだろうと思ったことと、どの程度,ひどいでこぼこに成長してるか確かめてみようと思った。一般国道からカリマラン川沿いの道まで2km程ある。一キロmほど行ったところで車の流れが止まった。10ほど我慢したが、前方からの車も来ない、何かの理由で道がふさがれてしまっていたのでしょう。カリマラン道を見るのを諦めて、もと来た道を一般国道へ戻った。コタチカランまで順調だったが、そこから、ジャバベカへ向かう道がまた渋滞、渋滞でなければ10分でジャバベカの工業団地へ着くはずが、40分かかった。ジャバベカの工業団地の前は平日は直行できない。ジャバベカ2へ左折し、1km暗い道なりにいたところでUターンして戻り、先ほど直進できなくて左折した交差点に戻ってまた左折すれば、直進したことになる。そしてチカランバラット高速道路のゲートの方に向かうのです。しかし、その道全部が車で一杯。

おそらく、30分以上かかると判断し、Uターン場所を通りすぎて、ハラパンクルアルガ病院の前を右折し、ジャバベカ3の中へ入り右折左折を繰り返し、工業団地を通り抜け、ジャラン カリマランへ出た。その道を西に1kmほど走るとカリマラン道に掛かる橋の手前で、先ほど、避けた大渋滞の道のずっと先へ割り込むことができた。多分20分以上は短縮したでしょう

橋を渡って高速道路のゲートを通り過ぎたところで渋滞が解消していた。高速道路の上を超えるが下を見るとチビトゥウ方面から来る車は、相変わらず、大渋滞にはまっていた。

 渋滞がなければ20分でチカランバラットにつくが、今日は三倍の距離を走って、一時間20分かかった。それも、私の知識をフルに利用してである。

 

 大渋滞 駆使 遠回り

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(^_-)-☆同じ原因の繰返し

2012-04-30 22:09:01 | 複雑

1201 間もなく5月というのにまだ雨期が明けていないようです。午前中のゴルフ、ずっと雨の中だった。小雨なので、続行したが、球が転がらなくて参った。ゴルフ場の様子の一部です。黄色い大きな花が散り始めていた。上と下のコントラストが気に入った。ムンクの叫びがありました。どこにあるのか、気が付いている人はいないと思う。

NHKを見ない私でも、いち早く、インドネシアTVのニュースでも伝えられました、また、日本で悲惨なバス事故があったようですね。ひどい状態ですね。天災ではなく、人が原因での事故で、被害を受けたか方々は、なお、やり切れない思いでしょう。居眠り運転だったとか。一人で、ずっと運転していたのでしょうか、交代の運転手や助手のような人は同乗していなかったのでしょうか。運転勤務状況を見ると、とんでもない状態を会社は強要していたというか、許していたというか、それだけ、日本の状況は厳しいのでしょうね。がっかりである。

 

 インドネシアのバスやトラックは当たり前のように、会社の人は二人体制です。それだけ、交通状況がもう一人を必要としているのでしょう。人やバイクがうろうろしている、渋滞での競り合いは日常的。荷物の積み下ろしはマンパワーですから、人は多い方がいい。バスが、人を乗りおりさせる時も、低速で走りながらのときには人の手助けが必要。道の反対側の人を呼んで乗せる時にはその人が横断できるように、案内が必要。ふた知体制にはいろいろな理由があって、当たり前のシステムです。ロジスティック以外の日系企業でもトラックには二人乗るのが普通です。

 

 どう考えても、日本の運転手のおかれた現状は気の毒というしかない。お客さんのサービスばかり考える経営者は従業員へのサービスは削るばかり。経営者自身が運転手に強いていることを自分がやることになったら、どう思うでしょうか。とっても、耐えられないでしょう。率先してやるというわけにはいかないでしょう。同じような事故は繰り返される。

 この種の事故は無くならないでしょう。それに乗り合わせた客こそ大きな迷惑どころか、取り返しのつかないことになる。

 

居眠り 過労 ストレス 

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(^_-)-☆俗っぽくなった

2012-04-20 22:56:58 | 複雑

1191 平日にもかかわらず若者も中年も大勢の人が観光に訪れている。ホテルやロスメンなどプンギナパンがどんどう増えて新しくなっている。インドネシアの経済成長と同調しているように感じる。

東海岸の様子が本当に俗っぽくなって、興ざめさせられている。バリ島に例えるなら、クタと西海岸、サヌール辺りと東海岸が似てきた。

15年前には東海岸にも2~30m幅の海岸があった。少しずつ狭くなっていたが、2006年の地震と津波を機会に、海岸が一遍に無くなってしまった。以前は西海岸にあるような観光用の小舟も小型の漁船も陸揚げされていて、必要のとき、ここから出港していた。毎朝、毎夕の地引網漁も風物詩だった。ヌサカンバンガンへは東海岸から出港すれば、かかる時間が30分くらい短くて済んだし、半島の先端付近の大波を切りぬけなくてよかったから、ずいぶん、安心度が違っていた。

 ところが今は海岸がなくなって、防波堤が築かれ、50m間隔ぐらいに防波堤が築かれている。漁船や観光小舟も姿を消した。どこへ行ったかというと。観光船は西海岸に、漁船の大部分は、半島の東肩の漁港に行ってしまった。朝、日の出に時間に一斉に出漁する姿はそちらに移ってしまった。地引網もそちらになってしまった。

 それではサヌール風になってしまったというのは、バナナボートの乗り場になってしまったということです。竹製の桟橋が数年前から一つ二つと増え、今では東海岸首の部分全体にできてしまい、15以上の桟橋がある。遠くから見ると竹のガラクタ造形物が乱雑に並べられているように見える。

 それにしたがって、道と防波堤の一部を占領して、竹とヤシ製で覆いは濃紺のシートのワルン(簡易食堂)とババナボート乗船勧誘場所が東海岸沿いのほとんどにできてしまった。これを地方行政は見て見ぬふりをしているようです。上納金が入るからです。

 

パラセーリングやマリンジェットが登場していないのでまだ救われるが、それらが登場したら、騒音もひどくなるでしょう。チャガールアラムがほとんど完全に自然が残されているようにパンガンダランの首の部分もできるだけ自然を保ってほしいものです。一ファンとして思う。

 

 俗 自然破壊 東海岸

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(^_-)-☆パニック障害前兆

2012-03-09 23:01:06 | 複雑

1149 前兆はというか初期症状は、後で考えると1年以上前からあった。脈が飛んだとは思わなかったが、頭がくらっとして立っても坐ってもいられなくて床に寝転がるしかなかった事が在った。気を失うのではないかと思ったが、それはなかった。何十秒間に3回、へたりこんだ。只事ではないと思い、近くの医者へ行ったが、症状はその時の何秒間だけで、医者へ行く途中、行ってからも、その後、一年以上その症状は現れなかった。もう一つは、体のあちこちが攣ったことです。特に、ゴルフなどそんな過激とは思わないスポーツの後、必ず攣るようになった。そのころ、海水浴場で沖まで泳いでゆくことを止めた。パンガンダランなどインド洋に高波を潜り込んで通過して沖へ泳いで行って、大きなうねりの上でぷかぷか浮いているのが私の海の楽しみ方でした。インドネシア人は誰も出来ない。それを止めた。万が一でもライフガードに迷惑を掛けたくなかった。

もう一つそのころ気になりだしたのが目の渇きでした。チクチク痛むようになって目薬を欠かせなくなった。

それから約一年後、頻繁に心臓の脈が飛ぶようになって病院へ駆け込むしかなくなった。シロアム、心臓病ではインドネシア一番のハラパンキタ、スハルトが晩年通っていたプルタミナ、近所のアニッサ、日本人医師がいるタケノコ、それからSOSやビンタローのインターナショナル、もう一か所日本人医師がいるメディカロカ、次々と症状が出るたびに相談に行った。全てインドネシアでは超一流の病院です。全ての病院であなたは全く異常が在りません。全ての数値は正常です。と言われ、追い返された。自立神経失調症やうつ病と診断されたこともない。ただただ、あなたに悪いところは有りませんと言われてしまっていた。症状を云う度に神経質になり過ぎているのでしょう、とも言われた。それなのに、飛行機に乗ることは危険だ、とんでもないとも言われていた。何でも無いのに飛行機禁止とはつじつまが合わないことを日本人医師はいう。自分の責任問題になることを心配した、護身的な言い方をするしかなかったのでしょう。時のパワハラ日本人も同じで帰国はまかりならぬになってしまっていた。インドネシア人の医師も日本人医師も誰一人としてパニックのパの字も云わなかった。ただただあなたは神経質すぎるということと、飛行機に乗ってはならない、という事だけでした。

 それではどうすればいいの?インドネシアから脱出するしかなかった。そして、誰にも話さず、決行した。

 日本へ帰ってからも、一か月、何か所もの病院を回ったがパニック障害を疑った医師はいなかった。一ヶ月後にやっと、あなたは典型的なパニック障害ですよ、今は良い薬が在ります。直ぐに治ります。といってくれた医者に会うことが出来た。その次の日から、嘘のようにパニック障害の症状は消えてしまった。

 

 その医者がいう原因は、頑張りすぎだそうです。自分がそう思っていなくても回りの人から見れば頑張りすぎている人、多分私はその口でしょう。さぼり薬を処方してもらって治ったのです。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html

 異常なし 原因 治療

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(^_-)-☆思い込みと探し物

2012-02-03 22:15:50 | 複雑

1114 また、思い込みの象徴の出来事が有った。インドネシアへ出発する二日前に家から500mの場所にあるスーパーへインスタント食品などを仕入れに車で行った。買い物を終って三袋の大きなポリ袋を持って、車へ戻ったらキーが無い。ロックして、店に入る前にズボンの右ポケットへ仕舞ったのは覚えていた。しかし、無くなっていた。店へ戻って、歩いたコースに従って棚の上や下を探した。それでもない。店の人に言って、一緒に探してもらったが、やはりない。仕方が無いから、店の人に見つかったらここへ電話してと、私の電話番号を教えて出てきて、歩いて、家まで戻りスペアーキーを持って再び戻り車で帰ってきた。近いから、まだ良かったが、遠かったら、サービスうj鍵屋を呼ばなければならないところだった。妻には「家の鍵も一緒でしょ、拾った人が、リモコンを押しながら家に近づけば車の持ち主が分かって、家の鍵も使われるかもしれないでしょ」と怒られた。それで、一件落着。

その鍵が昨日、見つかった。日本から持ってきたポリ袋の中身を出して冷蔵庫や棚に仕舞う作業をしていたら、袋の底に見覚えのあるキーホルダーが在った。見つかった。店で探す時に、ポリ袋の中に入れたかもしれないと、ちらっと思った記憶が在る。しかし、まさか、ポケットからキーを出して、ポリ袋に放り込んだなどとは思ってもみなかった。無意識のうちにやってしまった事だったのでしょう。その上、いつものように、買ったものはポリ袋から出さずに、そのままの状態でバゲジに放り込んでしまったのです。

ポリ袋に入れるはずが無いという思い込みでした。ちらっと思った時に探せばよかったと思う。

また、一件落着でしたが、鍵の置き場所を決めてあるのだが、その場所に無い事の方が多くて、探すことが多いし、人を疑って聞くことも多い。別に鍵だけでなく、身の回りの色々な物を探すことが多くなったと思う。注意はしているつもりだが、やはり、探すことが増えていると思う。

今日のチカランバラット(イジップやジャバベカの工業団地が在る)出口の渋滞、出口導入場所だが、ここから料金所までは2km以上ある。また、ここまで本線、路肩を含めて三車線の渋滞が1km以上あった。だから、出口の渋滞は3km以上です。通り過ぎるのに30分以上は掛る。私は、ここで出なければならなかったが、一つ先のチカランプサットで出て戻ることにした。その方が速いことが多いからだった。しかし、チカランプサットも本線上から二車線、料金所手前、陸橋を渡ってからは4車線になっていて、料金支払いゲートは2つしかなかった。ここでも30分掛ってしまった。チカランバラットで車列の後ろに着けていればよかったと思う。それより、ジャラン、カリマランを通ればよかったと思う。

 

遺失 探し物 思い込み

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(^_-)-☆そっとでも出さない

2012-01-27 11:00:44 | 複雑

1107 今までの何十年もここで仕事をしている人達が必要と思わなかったもの、使わなかったものを、期間が限られていて、延長も望まない状態の中で、私がぜひ必要とするものがあっても、それを購入してほしいと願うわけにはいかない。私だけが必要なものだからです。私がいなくなれば、使わなくなる可能性が100%に近いものです。もし、便利なものだと思ってくれても、プライドがあって、使わないでしょう。

 そういう、物が幾つかあっても、“居候、三杯目にはそっとだし“どころか、一杯目からでも遠慮して出せない。

 一つの例だけ挙げておこう。金型についている樹脂を焼いて取ってしまう設備です。LPGのガスバーナー、あるいは電気炉です。電気炉があればテフロンコーティングも自前で出来る。バーナーで焼いてしまえば、すばやく綺麗に金型を磨き上げることができる。トライ、修正、またトライが素早くできる。と思うのですが、今迄に無いということは、必要と思わなかったことと、他にそれらに変わるものがあって、それで十分だと思われているのでしょう。だから、これも備えることを躊躇する。だから、金型の整備が不完全の上に時間がかかる。整備不足でトライしても良い結果が出ないことが分かっていてもトライをする。不完全燃焼である。

 

 それでも、出来ないままでは納得できないので、私なりの金型をインドネシアで作って持ってこようと思う。予算の配分は求めない。これは自分の考えがまともかどうかを確認するためだからです。それに、会社が輸入するのに持ち込みは馴染まないので。前のPCのパイプの金型も同じ扱いだし、運送費用についても会社には話さない。自分の責任だから。

 

 ともあれ、今日で、クソ寒い日本での生活と仕事?から暫くお別れである。明日の朝06:20家から出る。歳を重ねるにつれて、日本の冬の寒さは身にしみる度が大きくなっている。インドネシアの気候に馴染み度が大きくなっているからでしょう。

 朝、焼津インターの前では真正面から日が昇る。夕方、大井川の橋の上から富士山。

 躊躇 そっと 馴染まず

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(^_-)-☆質問と許可依頼

2011-12-30 23:01:19 | 複雑

1079 我が部屋は、日中は暑いほど温室効果が良い。閉め切りでは暑すぎるので、隣の台所との引き戸を全開にして北側の台所兼食堂に熱を送っている。

私のウェブサイトやブログに関連して、私に対する相談事や頼みごとの多くはインドネシアのどこそこへ行きたいがそのあたりの情報を欲しい、ということが一番多いが、二番目に写真を使わせてほしい、です。三番目が、プラスチック押出成形にかんすること。大ざっぱにいってこんなところです。中にはエアーチケットの購入やホテルの予約をしてくれというのが在る。流石にこれらは丁重にお断りをしている。

 また、中には、自分の名前だけ名乗のって、他に自己紹介について何も書かないまま、目的が何かも書かないまま、写真を使わせてほしいと頼んでくる人もいる。何も断りなしで使う人よりましかと思い、良いですよと返事をする。そういう人は、それに対するお礼返事が無い人の方が在るかに多い。

 インドネイア人で、日本で仕事をしたり勉強をしたりしている人は全国に散らばっていると云うことが分かるほど、日本のあちこちから頼みごとが来る、その大部分は写真を使わせてほしいと云うことです。インドネシアを周囲の日本人に紹介をするためが、やはり、大部分です。そして、多くのインドネシア人は地元の人々との交流会を盛んにやっていることも伺える。その折のスライドショーで使うのです。

 原則的には写真や文章を使っていただいて構いませんが、その使った後のことについては責任を負いません。私の説明が間違っている場合もあるし、文章が現状に合わない部分もあるでしょうし、使った人が間違う場合もあるでしょう。

 使いたいと思う方は、一応、ご一報いただくのがエチケットにかなっていると思うだけです。使用料を請求することはありません。

 

 押出に関しては、新製品を考案したが、作ってくれるところがないので、作るところを紹介してほしい、また、価格的に有利だと思うのでしょう、インドネシアで作って送ってくれませんかというのもある。おいおいと云う感じ、その考案した製品が私から見ると、とうてい、売れそうもない。その上、ターゲットプライスを書いてこない、何と言うか、条件が無ければ、答えようがない。そういう人が新商品と思うものを考えついても、たとえ売れそうな商品でも、売る能力が無いと思うので、答えない。

静岡県庁前

 旅 写真 文章

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(^_-)-☆特殊な日本

2011-12-27 22:54:56 | 複雑

1076 日本の伝統的な工芸品を主に各種道具類、衣料品にしても、一人が全行程をやるのではなく、専門の職人がそれぞれの工程を受け持つ、そして、それぞれが世界に誇る技術や素材を追求する。分業の世界です。現在の組み立てラインもその流れでしょう。それが、日本を支えてきたし、一応、先進国の仲間に入っている大きな理由の一つでしょう。

 それは、それでいいのだが、日本の鉄工場というか、金属加工場というか、分業化されているのでしょうか、溶着、肉盛りはやらないとか、旋盤は持っていないとか、一か所で全ての加工をする零細企業が少ない。修正してほしいと金型を持って行くと、これは内では出来ないとか、この部分は他のところでしかんできないなどと言われる。それも、簡単な作業なのに、そう言われて、紹介された他のところへ行って一部だけ加工してもらい、持ち帰ってまた、別の鉄工場で仕上げてもらうと云う方法を取らざるを得ない場合が多い。時間もかかるし、費用もかかる、何より、私が疲れる。もし私が動かなければ、それらの会社の人達が動く、もっと費用も掛るし、手に入れるまでの時間も予想がつかない。

 インドネシアなら一か所の工場で全部やってしまう。あちらこちらへ持って回る必要はない。私は動かないし、いつまでという指定もしやすい。日本は不便だし、高価格になるように出来ている。

 

 町工場がそうだから、会社の中の工作機械部門などに仕事は100%頼めない。何回か横を通ったことがあるが、人が作業をしている気配が無い。それでも依頼書を書いていつごろから作業ができるか確認すると一週間後とか十日ごとかの返事が返ってくる私にとってはとんでもなく遠い先の話になってしまう。頼めるわけがない。どこの部門の仕事をうけてやっているのでしょうか、相当、長い時間を掛けて作っても間にあう仕事なのでしょうね。修正だけなのに、図面が無ければ出来ないなどと言われると今度は自分で書かない限り、また、申請書を書いて何日も待たなければならない。もう、こうなれば、頼む気に全くならない。

 だから、どうしたって、外注でやってしまう。

 

 なぜかと云うと、先ほど01:00頃母親を病院へ運んで、そのまま、入院させた。

 トイレの手洗い場

 外注 修正 遠回り

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