水曜日なので映画にゆく(あー、いつまで続くのだ)。
きょうは渋谷でひとと会う約束があったので、渋谷のシネアミューズで『ミルコのひかり』を観た。実話に基づいた、イタリア映画。
10歳のときに不慮の事故で視力を失ってしまった少年ミルコ。全寮制の盲学校に入るものの、自分が目が見えないということをなかなか受け入れられない。でも、目が見えないということへの偏見が、実は視覚障害者(映画では校長)の側にあることの重大さを、この映画は訴えていたような気がした。
目が見えないだけで、ミルコはごく普通の少年だ。そんな当たり前のことを、いまだに認めてもらえない障害者は多いのだろうな。
こういう映画を見ると、息子が保育園の頃の同級生だったダウン症や軽度の障害をもっていた子のことを思い出す。保育園では同級生だったその子たちは、小学校では養護学校に入らなくてはならなかった。なんとか普通学校に入れたいと交渉したものの、受け入れられなかったと聞いた。保育園では、子供たちは自然とその子たちをフォローすることで「自分達が普通にできることができない子がいる」という事実を受け入れていたのだと思う。運動会のときに反対側に走ってしまうダウン症の子を、みんなして励まして走らせていた光景など、暖かくて、今でも思い出すだけで泣いてしまいそうだ。
それにしてもミルコは魅力的な少年だった。彼を嫌っていたガキ大将でさえいつのまにか引き込んで、結果として盲学校の改革をしてしまう。
原題の『Rosso Come Il Cielo』は、Red as the Sky、「青空の赤い色」というほどの意味だろうか。光を失った少年たちの見いだした「音」の世界は、青い空に赤い色を見いだすようなことなのかもしれない。夕焼けを見たことがある者には当然の空の赤い色が、見たことがない者にとっては考えられないように、常識とか偏見といったものを覆す力。
映画が終わったあと、文化村の前のカフェで「おすぎ」を見かける。おすぎ氏がほめていた映画だったから、つい「見ましたよ」と話しかけてしまいそうになる(笑)。
7時にt山さんとマークシティのライオンで待ち合わせ。
先月誕生日だったt山さんのお祝いを遅ればせながら。
後ろの席の男女がうるさかったが、負けずにいろいろ話す。
玉葱のローストというのを頼んだら、皮ごと玉葱を焼いたらしいものが出てきたのだけれど、ちょっと冷めていたのが悲しかった。熱々だったら絶対もっとおいしかったと思う。
きょうは渋谷でひとと会う約束があったので、渋谷のシネアミューズで『ミルコのひかり』を観た。実話に基づいた、イタリア映画。
10歳のときに不慮の事故で視力を失ってしまった少年ミルコ。全寮制の盲学校に入るものの、自分が目が見えないということをなかなか受け入れられない。でも、目が見えないということへの偏見が、実は視覚障害者(映画では校長)の側にあることの重大さを、この映画は訴えていたような気がした。
目が見えないだけで、ミルコはごく普通の少年だ。そんな当たり前のことを、いまだに認めてもらえない障害者は多いのだろうな。
こういう映画を見ると、息子が保育園の頃の同級生だったダウン症や軽度の障害をもっていた子のことを思い出す。保育園では同級生だったその子たちは、小学校では養護学校に入らなくてはならなかった。なんとか普通学校に入れたいと交渉したものの、受け入れられなかったと聞いた。保育園では、子供たちは自然とその子たちをフォローすることで「自分達が普通にできることができない子がいる」という事実を受け入れていたのだと思う。運動会のときに反対側に走ってしまうダウン症の子を、みんなして励まして走らせていた光景など、暖かくて、今でも思い出すだけで泣いてしまいそうだ。
それにしてもミルコは魅力的な少年だった。彼を嫌っていたガキ大将でさえいつのまにか引き込んで、結果として盲学校の改革をしてしまう。
原題の『Rosso Come Il Cielo』は、Red as the Sky、「青空の赤い色」というほどの意味だろうか。光を失った少年たちの見いだした「音」の世界は、青い空に赤い色を見いだすようなことなのかもしれない。夕焼けを見たことがある者には当然の空の赤い色が、見たことがない者にとっては考えられないように、常識とか偏見といったものを覆す力。
映画が終わったあと、文化村の前のカフェで「おすぎ」を見かける。おすぎ氏がほめていた映画だったから、つい「見ましたよ」と話しかけてしまいそうになる(笑)。
7時にt山さんとマークシティのライオンで待ち合わせ。
先月誕生日だったt山さんのお祝いを遅ればせながら。
後ろの席の男女がうるさかったが、負けずにいろいろ話す。
玉葱のローストというのを頼んだら、皮ごと玉葱を焼いたらしいものが出てきたのだけれど、ちょっと冷めていたのが悲しかった。熱々だったら絶対もっとおいしかったと思う。