縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

三井住友銀行に業務停止命令

2006-04-29 18:08:39 | お金の話
 金融庁が、27日、取引先にデリバティブの購入を強要したとして、三井住友銀行に当該業務の半年間の停止命令を発動した。アイフルに続き、またまた金融業界での処分である。又、中小企業への取引強要で優越的地位の乱用に該当という、銀行では初めての独占禁止法違反による処分である。金利スワップ実施を新規融資の条件にしたり、あるいは融資残高維持の条件に金利スワップ実施を迫ったのであろう。

 正直言って、住友ならさもありなん、といった感じである。いや、どこまで露骨にやるかどうかは別にして、どこの銀行も似たり寄ったりかもしれない。以前から、通常の貸出より儲かるからと輸出入に縁のない企業にまでインパクト・ローン(米ドルなど外貨による貸付)を行ったり、外貨預金をさせたりするといった話は聞いたことがある。金利スワップにしてもリスクヘッジ目的ではなく行わせる(早い話、投機)こともあるらしい。(もっとも以前私のいた銀行は、そんなえげつないことをしていなかったので、収益的には厳しかった。)
 新聞などの論調では、不良債権処理に追われ収益偏重に走ったツケと書かれているが、何も今に始まったことではないと思う。

 が、少し見方を変えると、今回の件がどこまで問題なのかという疑問がわいてくる。

 今回は中小企業に変動金利で融資する際、抱き合わせで金利スワップの実施を強要した例が多いという。その結果、支払金利が一定になり将来の金利上昇リスクは避けられるものの、始めから固定金利で借りたときよりもコストがアップする。スワップ取引に銀行サイドの手数料が入るからである。
 簡単に説明すると、①変動金利(6ヶ月の市場金利+0.5%)での借入、②金利スワップ(2%の金利を支払う代わりに、6ヶ月の市場金利を受け取る)、という取引を同時に行うことにより、6ヶ月の市場金利の部分が相殺され、0.5% + 2% = 2.5% の固定金利でお金を借りたのと同じ効果になる、ということである。ところが、2%の部分に銀行の手数料が入っていて、最初から固定金利で借り入れたら2.2%とか2.3%で借入できたかもしれないのである。

 とすると、今回、銀行が金利スワップを強要せずに、始めから2.5%と他社よりも高い金利で貸出をしたら問題になったであろうか。おそらくこれは問題にならない。リスクに見合った金利ということで説明され、金融庁も文句は言わない。それどころか銀行の経営健全化のためそれが必要だったと言うかもしれない。
 では、なぜ三井住友が初めから高い金利で貸さず、金利スワップを利用したのか。考えられる理由は二つ。一つは項目毎に本部から目標が与えられており、金利スワップの金額の足りない支店が取引先にスワップを強要した。もう一つは支店の収益管理上、固定金利の貸出のみと、変動金利の貸出と金利スワップを組み合わせて同じ水準の固定金利貸出を行うのとで、後者の方が支店の利鞘が大きいため、支店がその方法を選んだ、である。

 実態は同じでも、高い金利を払えと言えば問題なく、金利スワップを使えと言ったら問題になるという妙な話である。三井住友の弁護をするわけではないが、どこか腑に落ちない話だ。

 もっとも今回の件の背景には三井住友の過大なノルマと熾烈な支店間の競争があると思うので、その辺の意識は改善して欲しい。

ジョンの想い出

2006-04-28 23:57:00 | 芸術をひとかけら
 僕が初めて買ったLPはジョン・レノンの “Walls and Bridges (心の壁、愛の橋) ” だった。アルバムの中の “#9 Dream (夢の夢)” という曲が気に入り、そのLPを買った。その頃はまだジョンがビートルズの一員であったことすら知らなかった。1974年、小学6年のときだ。
 つまり、このあたりからジョンの音楽や行動をリアル・タイムで見聞きしてきたといえる。僕にとってビートルズは過去のグループであったが、ジョンは同じ時代を生きた人物である。しかし、残念なことにその共に過ごした時間は極めて短い。彼が1980年12月8日に死んでしまったからである。

 ジョンの死んだときのことは今でもよく覚えている。いくつか理由があるのだが、一般的にはジョンが音楽活動を再開しアルバム“Double Fantasy”を発表した矢先の出来事だったこと、それも狂信的なファンに射殺されるという衝撃的な出来事だったことである。
 個人的には、それが高校3年の冬、受験を目前に控えた時期であり、そしてちょうど体育の柔道の授業で腕を痛めてしまい、自分の馬鹿さ加減に呆れていた時の出来事だったからである。柔道の試合で、黙って倒れれば良い所、負けまいと手を付いて投げを防ごうとし変に腕をひねってしまったのである。もし腕を怪我して字が書けなくなれば受験どころではなかったので、本当に焦ってしまった。
 そんなわけで、ジョンの死を知った日は、腕が痛いのを口実に勉強もせず、一人、暗い部屋の中で “Double Fantasy” を繰り返し、繰り返し聴いた(ジョンの歌と交互に入っているヨーコの歌は飛ばしていたが)。他に何をすれば良いのか思いつかなかった。

 僕はジョンの音楽が好きだ。けれども純粋に音楽だけを考えたとき、彼が最高のミュージシャンといえるのか、正直なところ僕にはわからない。ギターやピアノの演奏であれば、彼よりも上手い人間は大勢いる。ジョンの歌い方には大変味がある。他の人が歌えば平板になる歌でも彼が歌うと充分聞かせる歌になる。が、歌が上手い人や個性的に歌う人も多くいる。これは曲作り、作詞・作曲にしてもそうだ。
 では音楽を超えたところでの彼の魅力は何か。それはビートルズでこの上ない成功を手に入れたにも拘わらず、悩み、苦しんでいるジョン・レノン、そしてそれを隠すことなく、歌にしているところではないだろうか。傍からみれば、あれだけの富や名声を手に入れ、思い通りの生活ができ、悩みなどあろうはずのないジョン。しかし彼の歌からは、コンプレックスを感じたり、怒りやときに憤りを感じたりしながらも、前に進まないといけない、生きていかなくてはいけない、というジョンの心の叫びが伝わってくる。弱い自分、傷ついた自分を躊躇なくさらけ出している。この意味では ビートルズ解散後に出した初のソロ・アルバム “Plastic Ono Band (ジョンの魂)” が彼の最高傑作ではないかと思う。

 さて、高3の話に戻るが、幸い腕の怪我は大したことなく、無事入試を終えることができた。札幌から東京の大学に行くことになった。僕は最後にジョン・レノンの“Starting Over”を二度聴いて、家を出た。新しいスタートに際し、やり直そう、もう一度やろう、といった曲を聴くのもどこか変だが、生前のジョンの前向きな気持ちに後押しされ、僕は東京へと旅立った。

今風“ジェームス・ボンド”募集

2006-04-27 23:59:00 | 海外で今
 MI6をご存知だろうか。あの007ことジェームス・ボンドの所属する組織、イギリスの情報局秘密情報部である。かつてはその存在すら否定されていたMI6であるが、今日の新聞、タイムズに1909年の創設以来初めて求人広告を出した。国際テロの高まりを受けた人員増強の必要性から、多様な人材を確保すべく新聞での広告を行ったのである。もっともMI6は昨年からWEBでの人材募集を行っており、そこから一歩踏み込んだ形での今回の新聞広告である。

 従来MI6は属人的というか、個人的ルートでリクルート活動を行っていた。信頼の置ける人物を通じて一流大学の才能ある若者をスカウトしてきたのである。更に手の込んだことに、当初はMI6の募集であることを伏せ、数回の面接を行い見込みがあると判断した者に対してのみ正体を明かしていたという。それが昨年のWEBや今回の新聞広告では初めからMI6とわかる形で募集を行っている。

 これには環境の大きな変化がある。冷戦の終結と新たな対立構造の出現である。1989年の冷戦終結以降、米ソを軸とした国際関係からアメリカを唯一のスーパーパワーとする体制へと変化した。007でもジェームス・ボンドの戦う相手がソビエトから犯罪組織などに変わった。又、ジョン・ル・カレに代表されるスパイ小説も大きな方向転換を迫られた。それは一瞬にしてリアリティを失い、大学紛争やグループサウンズの流行と同じような過去の出来事になってしまった。

 もちろん国と国との利害関係の対立がなくなったわけではなく、スパイ行為自体が消えたのではない。先の上海領事館員自殺事件を見てもそれは明らかだ。一方でインターネットの浸透もあり、言葉さえわかれば、スパイにとってはやりやすい世の中になったともいえる。
 こうした中、MI6の主要なターゲットは国際テロ組織となり、爆破、誘拐、サイバーテロ、更には細菌や核によるテロへの対応が必要になってきた。このためアラビア語を始めとする語学に長けた者や、パソコンのスキルを持った者まで求められている。プレイボーイのボンドのイメージとは程遠い。また自薦で応募できるようになり、国の役に立ちたいというイスラム系住民の応募も増えているそうだ。確かに広く人材を公募しない限り、こうした人材は集まらない。

 が、これは両刃の剣でもある。従来の一本釣り的なリクルーティングから公募になると、テロ組織などが人を送り込み易くなってしまう。MI6の内部で壮烈なスパイ同士の争いが繰り広げられるときが来はしないか心配だ。
 でも、そうなるとスパイ小説が再び復活する??

普段着で行けるイタリアン(高円寺)

2006-04-26 21:45:03 | おいしいもの食べ隊
 訳あって1、2ヶ月に1度高円寺に行く。高円寺に行くと大体食事をして帰ることになる。そんなある日、珍しいというか、出す料理と店の雰囲気とが妙に違う、釣り合わない店に入った。イタリアンの店である。が、店の雰囲気は学生街の定食屋か、場末の居酒屋といった感じだ。それだけならまだしも、かかっていた音楽は演歌。でも料理はおいしかった。我々は、演歌を、誰の歌かはよくわからないが、それもバリバリの演歌を聞きながら、ワインを飲み、イタリアンを食べた。

 次に高円寺に行ったとき、またイタリアンに行こうということになって探したのだが、いくら探しても見つからなかった。通りに面した1階にあったはずだが、それらしい通りを2、3度往復しても見つからない。つぶれてしまったのだろうか。確かに演歌を流すイタリアンなんて聞いたことがない。あのときも我々以外にお客さんはいなかった。あり得ない話ではない。JAZZで和食はOKでも、ど演歌でイタリアンはちょっとないだろう。
(ただ、今は亡き(?)そのお店の名誉のために付け加えると、おやじさん曰く、有線にしていたら知らない内に演歌に替わってしまい、忙しく他に替える暇がなかった、とのことだった。真相は定かではない。)

 さて、前置きが長くなってしまったが、今日の本題はそのとき見つけた違うイタリアンの話である。目的の店は見つからなかったが、たまたま良さげな店に出会った。『イル・バンコーネ』という店である。

 ここを一言で表現すれば、“まっとうな料理を出す店”ということではないかと思う。特に高級食材を使っているわけではない。ごく普通の食材を、ごく普通に料理して出す、しかし、それが旨い、という店だ。イタリアの田舎町にあってもおかしくないような店だと思う。
 その日のお勧めが黒板に書いてある。いつも黒板の料理を中心に選び、ワインを飲んで帰る。ワインの品揃えというか味に若干難はあるが、費用対効果の大変高い店である。場所は高円寺北口のロータリーから荻窪よりの道を1本入ったところである。JAZZの『アフター・アワーズ』の斜向かいだ。

 最後に注意事項を一つ。お店に何を求めるかにもよるが、シェフとの楽しい語らいを求める人にこの店は向かない。シェフ一人で料理を作っているので忙しいこともあるのだろうが、シェフは愛想が悪い。だが、彼の手際の良さはぴか一である。我々はいつもカウンターに座り、妻は彼の料理振りを嬉々として見ている。ここで、料理はやっぱり早い方がいいよな、などと言おうものなら、何もわかってないくせに、と軽蔑の眼差しで見られそうだ。だから僕は何も言わない。やはり長く一緒にいると、それなりに賢くなってくる。
 何はともあれ、普段着で気楽に行けるイタリアン、こんな店が月島にあればと思う。もんじゃ屋と10対1でもいいから、トレードしてくれると有難い。

“アースデイ”に想う

2006-04-25 23:57:00 | 環境を考える
 先週の土曜日4月22日は“アースデイ”、1970年にアメリカで始まった、地球環境について皆で考えようという日だ。米国は勿論、日本各地でも自然に親しんだり、環境問題を考えるイベントが行われている。因みにブッシュ大統領はカリフォリニアの自然の中でマウンテンバイクを楽しんだそうだ。

 この1970年というのは、まだまだ環境問題に対する意識の低かった頃だ。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は1962年に出版されたもののさほど注目されず、ローマ・クラブの『成長の限界』(1972年)はまだ出版されていない、そして日本では公害問題が深刻化していた、そんな時代である。
 こんな中、環境問題に高い関心を持っていたウィスコンシン州のネルソン上院議員が、スタンフォード大学の学生デニス・ヘイズに協力を呼び掛け、アースデイのイベントが実現した。延べ2000万人以上の人が参加した大イベントになったそうである。アースデイをきっかけにアメリカでは環境問題への関心が高まり、環境保護庁(EPA)設置や大気浄化法、水質浄化法など環境法が整備されるに至った。

 さて、今年のアースデイ、肝心の地球環境を巡る状況はあまり穏やかとはいえない。原油価格は、先週1バレル$75を突破するなど、高騰が続いている。経済原則からすれば、価格が上がると原油の需要は減るはずだが、現実はその逆である。各国の原油依存体質は変わらないし、中国の需要が急速に拡大しているからである。一方価格は、イランの核問題やナイジェリアの政情不安から供給が減少し、更には投機的な動きも加わって、大きく上昇している。残念ながら、この原油価格高止まりの構造は当分変わりそうにない。

 本来、原油価格高騰は代替エネルギーの利用促進に繋がるはずだが、原油を使う前提で成り立っている世の中では、そう簡単に進んでいない。例えば、以前紹介したガソリンに代わるエタノール。ブラジルでは普及が進んでいるが、アメリカではまだまだこれからだ。エタノールを補給できるスタンドは全米で数百箇所しかない。エタノールに対応するには、タンクなど新たな設備投資、即ち資金負担が必要だからである。
 ガソリン車の代替には燃料電池車や水素自動車もある。だが、水素の製造コストは天然ガスの2倍近くと高く、更に製造過程でかなりの二酸化炭素を排出するという問題がある。確かに水素自動車が走る際は二酸化炭素を排出しないものの、それは完全にクリーンとは言えない。

 原油価格高騰だけでは代替エネルギーの利用拡大に不十分であるなら、石油や石炭など化石燃料の利用に高い税金をかけるしかない。勿論それは日本だけでなく、アメリカや中国でも行う必要がある。しかし、ガソリン価格が今以上に上がるとアメリカで暴動が起きかねないし、中国は先進国のエゴだと非難するだろう。八方ふさがりだ。ここで一句。

 アースデイ ああアースデイ アースデイ

地球の悲鳴が聞こえるようだ。

ナポリでピザ(イタリア紀行1)

2006-04-24 23:49:00 | もう一度行きたい
 イタリアは夏が似合う。5年前の夏、2週間、イタリアを旅した。ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ミラノと回った。スペインの旅同様、このイタリア旅行についても何回かに亘って書いて行くことにしたい。まずはナポリから。

 ナポリは南イタリア観光の拠点。ポンペイとカプリには行ったが、ソレント、アマルフィ、イスキア島などには行けなかった。行き漏らした場所に行ってみたいというのもあるが、もう一度ナポリに行きたい理由がほかにも三つある。

 まず一つ目、カプリの青の洞窟を見ること。カプリに1泊したのだが、結局青の洞窟を見ることができなかった。なんと、青の洞窟に入れないことがある、というか、どうも入れない方が多いようである。ガイドブックには書いてなかったが、これが現実だった。ショック。
 青の洞窟の内部は広いのだが、入口と海面との隙間は1mくらいしかない。そのため満潮のときや波が荒いときは船が洞窟内に入ることができないのである。“ナポリを見て死ね”という言葉があるが、死ぬ前に一度は青の洞窟の幻想的な姿を見てみたい。これは早い方が良い。温暖化の影響で海面が上がりベネチアが水没の危機という話をよく聞くが、海面上昇の影響は青の洞窟も同じはず。年々見るチャンスが減っている恐れがある。

 二つ目、“ブランディ”のピザを食べること。ナポリには2泊したが(当初3泊の予定が飛行機が遅れ2泊になってしまった)、その間“ブランディ”には二度ピザを食べに行った。ここは1780年創業の老舗。マルゲリータ発祥の店として有名である。
 生地の厚いのがナポリのピザの特徴だが、“ブランディ”の生地は厚いだけでなく、もちもちっとした独特の食感で大変おいしい。勿論トマトやほかの野菜もおいしいが、生地だけ食べてもおいしいのである。日本でこんなピザは食べたことがない。最近は東京でもナポリから取り寄せた窯でピザを焼く店をよく見るが、窯は同じでも味がまったく違う。からっと乾燥した気候や野菜の味の違い、それに何か伝統の技もあるのかもしれない。ナポリにいらっしゃる方は是非この店を訪れて欲しい。

 最後三つ目は夜景。俗に世界三大夜景としてナポリ、香港、函館が挙げられる。共通点はいずれも港町、つまり海があること。暗い夜空と海、それと街の灯りの織り成すコントラストが夜景の美しさを一層際立たせるのであろう。
 自称“夜景評論家”の私としてはナポリの温かい、生活感のある夜景が一番好きだ。香港はネオンや照明など人工的な美しさである。函館は黒い海のキャンバスに地形が灯りで浮かび上がるのを遠くから楽しむため、少し夜景との距離がある。その点、ナポリの夜景は港を取り囲むお店や家のごく普通の灯りが多く、そこに住む人の生活、家族の温もりまで感じられる。
 美しい夜景を楽しみながら、甘いカンツォーネを聞き、そしておいしいワインと食事。ナポリではきりりと冷えた白がいい。と、食べる話ばかりで恐縮だが、イタリアは美食の国。残りのイタリア紀行も食べる話が多いのでご勘弁を。(食事2の芸術1っていう感じかな。)

選挙速報:衆院補選千葉7区で民主勝利

2006-04-23 23:54:00 | 最近思うこと
 衆議院千葉7区の補欠選挙、民主・太田和美氏が自民・斎藤氏を破って当選した。僅差の接戦だったようである。郵政民営化を掲げた小泉劇場で自民に大きな風が吹き、更には偽メール問題があって深く傷ついた民主であるが、新・小沢民主で漸く一矢報いることができた。
 勝因の第一は小沢効果。小沢さんなら何かやってくれるのではないかという期待感と、(私は実際の効果、凄さを知らないが)小沢氏の卓越した選挙戦術。第二、第三はなくて、第四、第五が、太田氏が女性の目線、主婦の目線で政策を(内容はともかく)訴えたこと、太田氏が地元出身であるのに対し斎藤氏がよそ者(東京都出身のエリート官僚)であること、であろう。

 この結果が後半国会での自民・民主の攻防や来年の参院選、そして小泉首相の後継選びにも影響すると注目されているが、正直、私はあまり関心がない。私はいわゆる無党派層の典型だ。去年は本気で自民党をぶっ壊してくれるならと小泉自民に投票し、そしてもし私が千葉7区の有権者だったら今回は小沢さんに最後の一花咲かせてもらおうと小沢民主に投票したことだろう。早い話、ミーハーである。
 政治に関心がないわけではない。大いに関心はある。ただわが国の政治に失望しているのである。誰がやっても変わらない、族議員を頂点とする利益団体や官僚の厚い壁に阻まれ、正しいこと、本来行うべきことを出来ないのが、残念ながら、日本の政治だと半ば諦めているのである。
 もちろん政治家の中にも国家・国民のことを真剣に考える志の高い方は沢山いらっしゃると思う。いや、沢山いらっしゃったのかもしれない。希望を持って国会議員になったとしても、利益団体や官僚の前に無力感を感じ、絶望した方が多いのではないだろうか。

 その点、私は政治家になるなら国会議員よりも地方自治体、それも市町村あたりの首長(地方自治体の長、つまり市町村長)がおもしろいと思う。住民の支持を得られれば、“抵抗勢力”は比較的少ないし、自分の色を強く政治に出すことができる。
 以前、出雲市長であった頃の岩国哲人氏は大変輝いていらしたと思う。ICカードを導入したり、日本の伝統を重視し小中学校を木造にしたり、果ては木のドームを作ったりと、良し悪しは別として、自らの考えに基づく政策を実現されていた。実は彼が市長のとき出雲市役所にICカードの件でヒヤリングに行ったことがある。そのときの市役所の方が、岩国さんが首長になってから市役所は変わった、自分たちもやればできるんだと思った、といったことをおっしゃっていたのが印象に残っている。人を変える、人を動かすのは、やはり人だと思う。

 しかし、衆議院議員になった岩国氏は存在感が薄い。野党民主党所属というのもあるが、彼の力を持ってしても、利益団体・官僚の壁は厚いということか。
 私は小さい政府と地方分権を望む。道州制の導入がすべてとは思わないが、政治がより身近なものになる体制になれば良い。

自費出版の夢、崩れる

2006-04-22 23:39:00 | お金の話
 自費出版がブームのようだ。背景として大きく二つの要因がある。一つはブログの普及により自らの文章を公表する人が増え、潜在的な出版ニーズが拡大していること、もう一つは団塊世代が定年を迎えつつあること、である。自分の人生を記録に残したいと思う人は多い。
 が、こんな自費出版ブームに水を差す出来事が最近あった。自費出版専門会社、碧天舎(へきてんしゃ)の倒産である。同社は負債総額約8億6千万円を抱えて破産した。

 ところで、この“自費”出版、どこからどこまでが自費で、どこまでが出版社の負担なのかが曖昧である。単に出版社が印刷・製本等を行い、作者が出来た本を全て引き取るのであればわかりやすい。費用は「実費+出版社の利益」だからである。
 だが、出版社が本の編集に係わる、流通に乗せて販売を行う、宣伝を行う、ということになると、一気にわかりにくくなってしまう。出版社が自らのリスクで行う部分があるのかもしれず、両者の負担割合や責任が明示されない限り、“自費”の範囲はまったくわからない。素人にしてみると、言い値でお願いするしかないのである。

 碧天舎が破産した理由はわからない。もしかすると、同社は極めて良心的な会社で販売費は勿論出版費用の一部を負担していたのに本が売れず経営に行き詰ったのかもしれないし、あるいは出版費用ないしそれ以上の資金を作者から集めたにも拘わらず放漫経営で行き詰ったのかもしれない。その辺の詳しい事情はわからない。
 ただ新聞記事(4月12日付読売新聞)によると、同社に本の出版を申し込んだ人の中には、お金を支払ったのに本の出版されない人が250人近くいるらしい。会社を見る目がなかったと言えばそれまでだが、なけなしのお金をつぎ込んだ人、借金してまで費用を支払った人、長年の夢が台無しになった人などがいて本当に可哀そうである。破産の場合、こうした通常の取引の債権を回収するのは難しいので、彼らはほとんどお金を取り戻すことはできないだろう。

 しかし、何より私が驚いたのは、その金額である。本のページ数や部数はわからないが、一人150万円程度支払っているようだ。私もブログがたまったら本にしようかなとか思っていたのだが、この金額を聞いて甘い考えは吹き飛んでしまった。
 もっとも夢がそれで買えると思えば安いものかもしれないし(車を買うのと同じ感覚か)、それが自費出版の増加に繋がっているのだろう。何事も業者選びは慎重にしないといけないということか。
 一方、販売目的で出版しようという人は、冷静かつ客観的に費用対効果を考えた方が良い。これを世に出さないのは惜しい、絶対に売れる、とかいった出版者の言葉に騙されることなく、そこまでの金額を支払って元が取れるのかをしっかり考えるべきだ。大方の場合、答えはノーだ。出版者が見てそれだけの価値があると思えば、自費出版ではなく初めから会社側の負担で本を出したいと言って来るだろう。

 などと今は言っているが、実際に人から作品を褒められると、その気になってしまうのかな。もし、このブログが本になりました、とかいうのを見たら、騙されたんだ、馬鹿なやつだな、と笑ってやってください。

勲章を初めてもらったロック歌手

2006-04-21 23:43:00 | 芸術をひとかけら
 エリザベス女王に敬意を表し、今日もイギリスの話。

 “大英帝国勲章”という勲章がある。エリザベス女王のおじいさん、ジョージ5世の作った勲章である。イギリスの数ある勲章の中で歴史は浅いが、一般市民も含め広く与えられることから、今ではもっともポピュラーな勲章になっている。
 勲章のモットーは「神と帝国のために」。ランクは5つあり、上から順に、ナイト・グランドクロス(GBE)、ナイト・コマンダー(KBE)、コマンダー(CBE)、オフィサー(OBE)、メンバー(MBE)、である。上から二つまではサーの称号が与えられる。ファースト・ネームの前にサーをつけて呼ばれるのである。

 この勲章は、政治家、役人、軍人に加え、経済人、文化人や俳優等の芸能人、スポーツ選手なども対象になっている。例えばロックの世界では、ブライアン・メイ(クィーン)、ジミー・ペイジなどが授章しているし、ポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、ミック・ジャガーに至ってはサーの称号まで与えられている。
 が、しかし、ロック歌手が初めて授章した際は、一番下のMBEであったにも拘わらず、えらい騒ぎになったそうである。それは1965年、ビートルズの授章である。

 この授章の理由がふるっている。ビートルズは、イギリス経済が低迷する中、レコード、映画等を通じ外貨獲得に貢献した、というのがその理由である。
 理由はともかく、このビートルズの授章に対し、ロック歌手ごときに、ティーン・エージャーに支持されているだけの長髪の汚い若者に、それも労働者階級・下層階級出身の若者にMBEを与えるとは何事か、といった反論が湧き上がったのである。ビートルズが同じクラスに序せられることを不満とし、勲章を返上する者も相次いだそうである。
 さすが階級社会イギリス。日本人にはちょっと理解できない所がある。まあ、何はともあれ、ビートルズは音楽だけでなく、勲章についてもロック界の先鞭をつけたのである。

 ビートルズの授章の話にはまだ続きがある。1969年、ジョン・レノンはエリザベス女王から受け取ったこのMBEを返上した。イギリス政府のビアフラへの介入とベトナム戦争支持に抗議したものである。
 ビアフラは今ではほとんど忘れられているが(僕もジョンのこの話を聞いて初めて知ったのだが)、ナイジェリアの内戦、部族間の対立で、150万人とも200万人ともいわれる人が餓死した悲劇だ。ジョン・レノンはこの辺りから政治への関心を深めて行ったのであろう。来週はジョン・レノンのことを書きたい。

いつみても波乱万丈(エリザベス女王伝)

2006-04-20 23:57:00 | 海外で今
 明日4月21日はイギリス、エリザベス女王の80歳の誕生日である。1926年生まれ、日本でいえば大正15年、寅年の生まれである。本当にお元気である。このお年で、外遊も含め、まだまだ元気に公務をこなされている。今日はお誕生日をお祝いする意味で、女王の人生を振り返ってみたい。

 いつみても波乱万丈 エリザベス女王伝 ♪~

 イギリス王国40代目君主、エリザベス2世は、1926年4月21日、国王ジョージ5世の次男ヨーク公とエリザベス・バウズ=ライアンの長女として生まれた。馬やポニーで遊ぶのが好きな女の子だった。

 そんなエリザベスに最初の転機が訪れた。1936年12月、エドワード8世が突然退位し、父ヨーク公がジョージ6世として即位したのである。本来皇位とは遠い存在であったはずの彼女が、いきなり皇位継承者No.1となった。このとき彼女は10歳。
 これが世に言う「王冠をかけた恋」である。離婚暦のあるアメリカ人女性、シンプソン夫人を愛するエドワード8世が、彼女が王室に受け容れられないと知り、皇位を捨て彼女との結婚を選んだのである。

 続いて第二の転機。第二次世界大戦の勃発である。開戦当初イギリスは劣勢で首都ロンドンもナチスドイツの空襲に苦しむ日々が続いた。両親は疎開することなく、あるときは国民を慰め、あるときは国民を勇気づけ、自ら先頭に立ってナチスとの戦いと対峙した。そんな中、彼女も幼い妹マーガレットと一緒にラジオに出演するなどし、国民を励ました。またその後は自ら陸軍少尉として従軍し、軍用車両の整備などにあたった。
 両親の姿勢、態度に負うところが大きいが、こうして国民とともに戦争を戦ったエリザベスも国民の敬愛、人気を集めることになる。

 戦争が終わり国内も落ち着いた1947年、エリザベス21歳のとき、ギリシア王家の血をひくフィリップ(エディンバラ公)と結婚。その後、チャールズとアンの二人の子供も生まれ、幸せな結婚生活が続いた。そして第3の転機が訪れる。
 1952年、愛する父親の死。そして彼女は25歳の若さで女王に即位することになった。

 エリザベス女王の治世の下、イギリスは「ゆりかごから墓場まで」といわれた福祉政策の充実に努め、また産業の国有化も進めた。経済の低迷が続き、英国病という言葉が囁かれ始めた。そんな中ではあるが、アンドリュー、エドワードの二人の王子も生まれ、家族生活は極めて順調であった。一方、経済も、鉄の女サッチャーによる一連の改革や、北海油田の開発により、かつての勢いを取り戻して行ったのである。

 しかし、そんな幸せな家庭に大きな問題が起こる。アン王女のスキャンダルに、ご存知チャールズ皇太子の問題。皆さん、よくご存知だと思うのでこれ以上書かないが、本当にエリザベス女王の苦悩が忍ばれる。
 しかし、もしかすると心配事があるからこそ、老いても元気でいられるのかもしれない。いくつになっても子は子である。

 エリザベス女王、誕生日おめでとうございます。

名古屋、浜松、それに西麻布??

2006-04-19 23:25:44 | おいしいもの食べ隊
 先週の“まぐろ茶漬け”に続き、今日もお茶漬け、鰻茶漬けの話である。

 鰻茶漬けは名古屋『蓬莱軒』の“ひつまぶし”や浜松『八百徳』の“お櫃鰻茶漬け”が有名だ。鰻をお茶漬けにするなんてもったいない、と思うことなかれ。これが存外おいしい。食べ方は先週のまぐろの場合と同じ。1杯目はうなぎだけで、2杯目は薬味を添えて、3杯目はお茶漬けにして、というものである。違うのは、胡麻だれではなく普通の鰻のたれであるところと、お茶が番茶ではなく昆布だしであるところだ。

 名古屋と浜松で食べ方は大体同じだが、一つ大きな違いがある。それは焼き方だ。浜松は関東風、つまり背開きで鰻を蒸してから焼く。一方、名古屋は関西風、腹開きで蒸さずにそのまま焼く。このため浜松の鰻は身がふっくらとやわらかく、名古屋の鰻は皮がぱりっとしておいしい。
 焼き方の違いは、食感の違いに加え、鰻の大きさ、切り方の違いにも表れる。名古屋の鰻は皮が固いため細かく切っても崩れることはないが、浜松の鰻はやわらかいため比較的切り方が大きい。名は体を表すではないが、“ひつまぶし”は小さな鰻を満遍なくご飯にまぶす感じがする。
 まあ、どちらが好きかは慣れというか、好みの問題であろう。僕自身はというと、“食べて感動”というのは初めて食べた名古屋の方だし、食べ慣れた、愛着があるというのは浜松である。実は以前浜松に仕事でよく出掛けており、『八百徳』には何度も通った。その度毎、一度は普通の鰻を食べようと思いつつ、結局、うな茶しか食べたことがない。

 さて、先日レストラン・ガイドで『八百徳 西麻布店』なるものを見た。浜名湖の鰻専門店、創業130年の老舗とあり、うな茶をやっている。「そうか、『八百徳』、支店を出したんだ。なかなか景気いいな。今度行って久々にうな茶を食べよう。」と思った。
 ところが、どうも違うらしい。試みに『八百徳』のHPを見たら、次のような店主のメッセージがあった。

 お客様より「東京西麻布に出店をしたのか?」というお問合せを何件か頂きましたが、当店は浜松において本店・駅南店の直営2店舗のみで老舗の味を頑固に守って営業しております。伝統の味を守るために目の届く範囲でやらせて頂いておりますので、今回お問合せいただきました件は当店とは関係ございません。お間違えなきよう、お願い申し上げます。

 ふーん、違うんだ。嬉しいような残念なような複雑な気分である。確かに、築地ならまだしも西麻布という感じの店ではない。と、思ったのも束の間、なんと本店が建て変わり、大きなビルになっていた。ということは、例の僕の法則からすると、味が落ちたり、値段の上がっている可能性がある。不安。店主の「老舗の味を頑固に守って営業」との言葉を信じたい。

黄砂が街にやって来る

2006-04-18 21:44:39 | 環境を考える
 東北地方から九州にかけ、中国大陸の砂が上空の偏西風に乗って日本に運ばれる黄砂が観測された。東京では6年ぶりだそうだ。都心では視界が通常の20~30キロから7キロまで下がり、東京タワーが霞んだとニュースになっていた。ビルの谷間にいるとあまり感じなかったが、どうやら東京もひどい事態になっていたらしい。

 もっともわが国への黄砂の影響は中国や韓国の比ではない。今回の黄砂、中国では北部10省、160万k㎡の範囲で2億人に影響が及んだという。北京では30万トンの黄砂が一面を覆い、またHaidian地区(どこ?)の視界はわずか400mまで落ちたらしい。まだ数日は影響が続くようだ。
 韓国は日本より中国に近い分、被害も大きい。もともと年間100数十名もの人が黄砂が原因で命を落とし、180万人が体調不良を訴えているという。ただし風向きの関係か、今回はあまり大きな影響はないようで、4/8の黄砂の方が深刻だったらしい。

 さて、この黄砂、原因はわかっているが、その影響はまだよく解明されていない。まず原因。中国のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠、それに乾燥した黄土地帯で嵐により吹き上げられた多量の砂塵が、偏西風で中国国内は勿論、韓国や日本まで運ばれ、降下する。鉱物粒子が黄砂の正体だ。
 次に影響。一番わかりやすいのは黄砂による汚れ。これは一目瞭然。そして、日本ではあまりないと思うが、黄砂の量が多く粒子も大きい、中国や韓国などでは黄砂を吸い込むことによる健康被害も問題である。特に韓国では黄砂には中国の大気中の汚染物質が付着していると問題視されている。この黄砂に付着した汚染物質のわが国への影響は、まだよくわかっていない。

 しかし、悪い影響ばかりではないようだ。いずれも今後詳しい調査が待たれるものではあるが、酸性雨を中和する、温度上昇を緩和する、黄砂に含まれる鉄やリンなどのミネラル分が陸上では植物の、海上ではプランクトンの栄養になる、といった点も指摘されている。もっとも生態系への影響については定かではないが。

 ただ、この黄砂、二重の意味で人災であることには注意が必要だ。まずは砂漠の由来。昔、中国の人々が木を切り尽くしたことが、現在の黄砂の発生地、乾燥地帯を作ったのである。二つ目は中国での砂漠化が進み、黄砂が韓国や日本に降る回数が増加している点。中国の砂漠化は、過度の水の利用、大気や水質の汚染、酸性雨、それに森林破壊が原因と言われ、人災的側面が強い。
 中国には軍事費に掛ける膨大なお金を環境保護のためにもっと使って欲しい。ん、それは日本も同じか。財政赤字を抱える一方、自衛隊の装備にはお金掛けてますね。ついでにアメリカへの思いやり予算もあるし。戦争も環境破壊もない世界がいい。

雪とステーキのおいしさは比例する?

2006-04-17 22:29:34 | もう一度行きたい
 米沢には4回行った。いずれも冬、白布温泉に泊まり、天元台でスキーをした。泉質も雪質も大変気に入り、1月の3連休に4年続けて出掛けたのである。ここ2年行っていないのだが、今度は違う時期に一度行ってみたいと思っている。
 
 さて、米沢といえば上杉の城下町。市内には、米沢藩を存亡の危機から救い、その後の米沢繁栄の基盤を築いた上杉鷹山ゆかりの史跡が多い。が、初めて米沢に行ったときは、市内を見る余裕などまったくなかった。そう、雪、雪、雪の、一面銀世界だったのである。北海道生まれの私だが、半端でない雪の量だった。帰りには山形新幹線が止まり、福島までバスというおまけも付いた。

 この大雪の中、我々は山から市内に米沢牛のステーキを食べに行った。白布温泉は天元台スキー場の麓、つまり山の中にある。そこからわざわざステーキだけのために市内へと向かった。宿の人にお勧めのステーキ店を聞き、また、雪で臨時休業の可能性があったので念のため電話で予約してもらった。宿の人はとんだ酔狂なやつだと思ったに違いないが、そこは客の頼み、親切に応じてくれた。
 ここのステーキが今まで食べたステーキの中で最高のステーキだった。それは今でも変わらない。大雪の中、苦労して食べに行ったという一種異常な状況が、心からおいしく感じた理由の一つだと思う。それとお店の人が、大雪の中わざわざ来てくれたと喜んだのか、あるいは他に来る客があろうはずもなく半ばやけになったのか、大サービスしてくれたのが大きい。3、4 cmはあっただろうか、あんなに厚いステーキは食べたことも、見たこともなかった。
 そのとき飲んだワインもおいしかった。山形のワインだが、1本しかないからとメニューにない古い年代の赤ワインを開けてくれた。我々は貸切状態のお店で、ステーキとワインを心行くまで堪能した。ここは高級店ではない。店というよりは普通の家に近い佇まいで、我々も座敷で座ってステーキを食べた。しかし、味は格別だった。

 翌年もこの店を訪れた。今度は2、3組、ほかのお客さんもいる。去年より随分薄いステーキと(値段は同じだが)、去年より若い赤ワイン(こちらも値段は同じだが)を頼んだ。おいしいことはおいしいが、去年のような感動はない。お店のサービスの分を割り引いても、人の味覚というか印象というのは、食べた状況とか、主観に左右されるものだな、と思った。

 皆さんにもここのステーキを是非食べて頂きたい。店は駅のすぐ近く。駅の正面、真ん中の道を行き、確か2本目の道を左に入って、そしてまた2本目の道を左にちょっと入る。大体そんな感じだ。正確な場所や店の名前を言わないのは悪意からではない。今の季節、さすがの米沢にも雪はないが、道に迷い苦労して店に辿り着けば、ステーキの味を一段とおいしく感じられるのでは、との親心である。決して店の名前を忘れたわけではない、断じて違う(と、ムキになるところが怪しい?)。

わが国の医療はどうなる?

2006-04-16 23:58:00 | 最近思うこと
 2ヶ月程前から猫を飼っている。ちょうどこのブログを始めた頃だ。もう19歳近く、人間でいうと90歳を越す、おばあちゃん猫である。妻の実家の猫を引き取ったものだ。
 この猫の調子が悪くなり、今日、生まれて初めて動物病院に行った。義母から、猫に保険はないので病院代はただでさえ高いし、一見さんだとぼられることがあるから注意するようにとのアドバイスを受け、心して病院に行った。

 確かに高い。注射と薬に血液検査を行い、〆て1万5千円近い金額だ。やはり、日本の医療保険制度、国民皆保険は凄いと改めて認識した。猫と人間を一緒にするな、と思われる方もいるだろうがご容赦願いたい。国民皆保険というのは世界的に極めて珍しい制度なのである。
 わが国では、赤ちゃんであろうとお年寄りであろうと、皆、当たり前のように健康保険に入っている。しかし、例えばアメリカはどうか。アメリカの公的医療保険は、高齢者向けのメディケアと低所得者向けのメディケイドしかない。多くのアメリカ人は民間の保険、HMO(Health Maintenance Organization)に加入するか無保険かのどちらかである。企業の補助などによりHMOに加入できる人間は恵まれている。
 元々アメリカの医療費は概して日本より高い。したがって無保険の者は病院に行けないし、行くとしても教会など慈善団体の医療施設かERということになる。ERは来た患者への治療を拒むことができないからである。

 さて、今日動物病院に行って知ったのだが、民間の動物(犬、猫、鳥、うさぎ、フェレット)向け健康保険が2000年に発足したそうである。感じとしては健康保険とがん保険を合わせたような制度である。つまり、毎月保険料を支払う代わりに病院代の50%を負担してもらえる仕組みである。民間の保険なので、加入に当たって獣医による審査が必要なケースもあるし、年齢制限もある。勿論、うちのような老猫は加入できない。犬や猫の新規の加入は8歳11ヶ月までとある。19歳など、てんでお呼びではない。
 おそらく、この保険に入っている人(ペット?)はまだまだ少ないと思うのだが、動物病院は結構混んでいた。そもそも“病院”といいつつ、日曜日にやっていること自体凄い。公的保険に基づくサービスか、まったくの自由診療ないし民間の保険に基づくサービスかの違いなのだろう。

 話は飛躍するが、この人間と動物向けの医療機関のサービスの違い、元はと言えば日本医師会にその原因があるのだと思う。かつての日本医師会はその集票力を武器に、政治に対し強い影響力を持っていた。医師会は、開業医の既得権確保のために医療を聖域として政治の介入を防ぎ、その結果、今の費用負担のわりに満足度の低い、わが国の医療制度を作り上げたといえる。
 さすがの小泉首相も本格的な医療制度改革に手を付けなかったが、診療報酬見直しといった小手先の対策ではなく、その抜本的な改革を期待したい。負担に見合ったサービスでなければ、わが国の優れた国民皆保険の制度も年金同様、保険料不払いの事態に為りかねない。


どうする、アイフル?

2006-04-15 23:48:27 | お金の話
 消費者金融大手のアイフルが業務停止処分を受けた。金融庁が、強引な取立てなど法令違反が相次いだアイフルに対し、全1,667店に3~25日間の業務停止処分を出したのである。
 国民生活センターによると、昨年度、アイフルへの苦情は前年度比1割強増の3,200件。貸金業関連の苦情が減少する中、アイフルに関する苦情は増加傾向にあるという。もっとも、これだけでは本件がアイフル固有の問題なのか、それとも業界全体に係わる問題なのかは判断できない。借り換えや債権譲渡により自社の責任を回避しているケースや、苦情すら言えないヤミ金のケースなどがあるのかもしれない。いずれにしろ、これで世間の消費者金融業界を見る目は厳しくなる。一部には、金融庁は消費者金融への規制強化に乗り出すきっかけとするため、敢えて厳しい処分を下したとの見方すらある。

 金融庁は貸金業規制法改正に向け、現在有識者懇談会での検討を行っている。懇談会は“グレーゾーン金利”の解消や、多重債務防止に向け貸出額や件数を制限する“総量規制”導入についても議論している。
 グレーゾーン金利は、利息制限法の上限金利(15~20%)を超える利息を取っても、出資法の上限金利(29.2%)の範囲内で借り手が任意に払うことを証明すれば刑事罰に問われないことに起因する問題だ。借り手の弱みに付け込んで高い金利をとることを認めた、おかしな制度である。一刻も早く見直されることを望む。

 金利はリスクに見合った水準にすべきだ。消費者金融各社の収益水準を見ると、今の20%を越す高い金利が妥当な水準とは到底思えない。高い金利と厳しい取立て、更にはリスクをヤミ金等に転嫁する仕組みとが相俟って、消費者金融に高収益をもたらしているのではないか。
 個人が無担保でお金を借りる先は大きく三つある。金利の低い順に、まず5、6%前後の銀行。次がモビット、アットローンなど銀行系の消費者金融。金利は利息制限法の上限金利内、15~18%である。そして最後が消費者金融専業、金利は勿論グレーゾーン金利。この中で一番利益を上げているのが消費者金融専業である。

 では、グレーゾーン金利が見直されると何が起きるのか。消費者金融各社の収益水準が下がり、正常な姿に近づくと考えられる。又、ただでさえ中途半端な銀行系消費者金融の位置付けが一層曖昧になるだろう。現在、専業に比べ取立てのノウハウに劣り、リスクに慎重な銀行系の貸出残高はあまり伸びていない。派手なCMの割りに業績は芳しくないのである。それが金利まで専業と同じというのでは、まったく存在価値がなくなってしまう。
 一方、専業が貸出を絞る、つまりリスクの高い人への貸出を抑える懸念も指摘されている。が、もともとローン金利の違いを考えれば、わざわざ高い金利を払って専業から借りる人は他で借りるのが難しい人と考えられる。その層を無視して専業各社の事業が成り立つとは思えない。

 不当利益の大きい業界であることが、悪徳業者やヤミ金が蔓延る最大の理由だと思う。金利など条件面の改善とともに、取立てへの規制を強化し、消費者金融がごく普通の、あまり儲からない業界になれば良い。それが業界健全化の早道だと思う。