縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

3・11 南三陸町

2013-06-30 20:47:28 | 最近思うこと
 先日、東日本大震災で自ら被災しながらも患者の避難や治療に努めた南三陸町志津川病院の医師(当時)菅野武氏の講演を聞く機会があった。

 菅野先生は、津波で多くの人の命や生活が理不尽に奪われていくのを目の当たりにし、一時はご自身も死を覚悟されたと言う。それでも先生は、最後まで医師として被災された方に寄り添い、多くの患者さんの支えになろうとした。
 しかし、先生は言う。何も自分はスーパーマンではないし、誰もが皆各々の出来ることをやっていただけだと。多くの人の助けがあればこそ出来たのだと。
 自衛隊による救援活動、NGOであるHuMA(災害人道医療支援会)や全国から駆けつけてくれた自治医科大学OBの支援チーム、それに国境なき医師団やイスラエル医療団など海外からの支援。そして、阪神・淡路大震災で被災された方々の支援。彼らは、あのとき多くの人に助けてもらったのに自分たちは何もお返しができていない、これで漸く恩返しができると言って、喜んで助けに来てくれたという。やっと被災者から被災経験者に変わることが出来たというのである。
 先生のお話を聞き、人と人とのつながりや絆の大切さ、尊さに感動し、同時に何もできない自分の不甲斐なさを深く反省した。

 震災の直後、3月16日に菅野先生に長男が誕生した。この長男・怜君は、先生一家の救世主であり、かつ先生がアメリカTIME誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれるきかっけになったのであった。
 実は、先生が住んでいたアパートは津波で流された。奥様と3歳のお嬢さんがアパートにいたなら、二人が生きていられたかどうかわからない。しかし、幸い、出産のため奥様とお嬢さんは仙台の先生の実家に行っていたのであった。偶然なのか、それとも神様の思し召しなのか、危機一髪、二人は難を逃れたのであった。
 また、震災後、多くの尊い命が失われた中で新しく生まれた命ということで、NHKのニュースで先生と怜君のことが採り上げられ、それがNHKオンラインを通じ世界に配信され、先生がTIME誌に取材されることになったのである。

 ところで、志津川病院のある南三陸町は宮城県北東部に位置し、リアス式海岸の景観が美しい町である。震災前の人口は1万7千人。町の中心部が海岸から近いため、震災による死者・行方不明者が千人、避難者が1万人と町民の半数以上が被災したという。建物は6割以上が流出した。志津川病院は5階建てであるが、なんと4階まで津波にのまれたといい、その凄まじさが窺われる。
 南三陸町の復興は未だ緒に就いたばかり。先生の経験、そして今の南三陸町の姿は、将来起こり得るであろう災害に備え、語り継いで行くべきだ。まだJR気仙沼線は復旧していないが、この夏、南三陸町に行こうと思う。是非行ってみたい。

民主主義とトルコの反政府デモ

2013-06-09 23:12:19 | 海外で今
 ノーベル経済学賞を受賞したケネス・J・アローの業績の一つに『不可能性定理』がある。それは、合理的な個人からなる社会に民主主義のごく弱い条件を課しただけで独裁者が存在する、即ち民主的な意思決定がなされないことを示したものである。
 説明すると長くなる、もとい僕にわかりやすく話すことはできないので詳細は割愛するが、今回のトルコのデモを見て、ふとこのアローの定理を思い出した。

 5月27日、イスタンブールで始まったデモは、ごく小規模かつ非暴力の静かな座り込みだった。その目的は、市の中心部にあるタクシム広場に隣接するゲジ公園の再開発反対。貴重な公園の樹木(結構な大木らしい)を伐採するな、ショッピングモールなど要らない、と環境活動家が始めたのである。確かにイスタンブールの町は緑が少なく埃っぽかった記憶がある。東京でいえば、日比谷公園や代々木公園をつぶして商業施設を作るようなものであろう。市民が怒るのも無理はない。
 状況が大きく動いたのは5月31日。警官隊がデモ隊に催涙ガスや放水を行う等強制排除に乗り出したのである。無抵抗の市民を警察が攻撃しているとの話がネットで拡がり、行き過ぎた警察の行為に抗議する動きが全国に飛び火した。
 そして、それが夜間のアルコール販売禁止などイスラム化を推し進めるエルドアン首相に反対する動きと結び付き更に拡大し、今の状況に至ったのである。既に2週間近く経つが未だ解決の糸口は見えない。

 エルドアン首相はイスラム主義政党である公正発展党(AKP)を率い、2003年に首相になった。もう3期目、10年になる。この間、スカーフの一部着用容認、アルコール販売の制限等イスラム化を進める一方、経済自由化により高い成長を実現し、地方の敬虔なイスラム教徒を中心に高い支持率を誇っている。そう、この10年AKPは選挙で勝ち、第1党の座を維持している。トルコ国民皆がデモ隊を支持しているのではない。おそらく半数以上の国民は、程度の差こそあれ、首相側に立っている。今のところ行動に出ていないだけである。
 しかし、首相の独裁的、強権的なやり方にトルコ国民の不満が高まっていることも事実だ。例えば、政府の言論統制。デモが拡大した当初、テレビでは、政府の報復を恐れ、デモのことが一切放送されなかったという。また、政府当局により投獄されているジャーナリストの数の調査があり、それによるとトルコは49人で世界最多。イラン(45人)や中国(32人)を上回るのだから相当なものである。エルドアン首相の長期政権が続く中、トルコでは言論の自由が大きく制限されているのである。

 ところで、タクシム広場には近代トルコ建国の父・アタチュルクの銅像が立っている。第一次世界大戦後、彼はトルコの大統領となって大胆な欧化政策を進め、イスラム教の政治への影響を排除した世俗主義と共和主義をトルコの政治の基本に据えた。彼がトルコ共和国建国の父と言われる所以である。しかし、彼も半ば独裁的かつ強権的に脱イスラムを進めたことを考えると、方向が逆なだけで、エルドアン首相と変わらない気がする。民主主義国家における独裁、やはり冒頭のアローの定理は現実に当てはまるということか。
 まあ、どこかの国は民主主義が本当に根付いていないせいなのか、その良し悪しはともかく、独裁者が出て来ない、ひ弱な政治家しかいない気がする。サッカー・ワールドカップ出場決定では盛り上がっても、何かの政治的問題で自らの危険も顧みずデモを行う姿は想像できない。この国民にこの政治家か、と反省してしまった。いずれにしろトルコのデモが、これ以上死傷者を増やすことなく、早く解決することを祈りたい。

“タン塩”と“おばさん” ~ 森下『静龍苑』と月島『凛』

2013-06-02 01:10:04 | おいしいもの食べ隊
 最近、タン塩のおいしい店を見つけた。森下の『静龍苑』という焼肉屋である。

 「見つけた」と言っても単に僕が知らなかっただけで、東京の焼肉好きの中では有名な店らしい。ここのタン塩、肉は薄いが、味は濃い。本当に深い肉の味わいを楽しめる。良質な肉の旨み、甘みを、塩とネギがそれは上手に引き出している。

 タン塩と言えば月島の『凛』に敵う者はいないと思っていたが、どうしてどうして甲乙付け難い旨さだ。味わいの『静龍苑』に、口当たり・食感の『凛』といった感じであろうか。そもそも両者ではタンの厚さが違い(『凛』のタンの厚さはなんと1cm近くある!)、当然焼く時間(さっとか、じっくりか)も違う。それを“タン塩”と一括りにして比べて良いのかわからないが、とにかく両方とも旨い。焼肉好き、特にタン塩がお好きな方は、是非ご賞味あれ。

 この二つの店、タン塩が一番のウリである以外にも共通点がある。一つは、ともに下町の老舗焼肉屋である点。『静龍苑』は森下で開業し40年。一方の『凛』は、前身の『千花園』から数えれば、同じ月島の町で40年近いであろう。

 もう一つの共通点は、名物“おばさん”の存在。そして両方の店とも接客の評判は芳しくない。
 『静龍苑』の接客は、基本は女主人(2代目?)一人でやっている。いつも満員で忙しく手が回らないこともあってか、応対は結構素っ気ない。オーダーするお客の方が気を使うありさま。そうそう、なぜかタン塩だけは追加注文できないとのルールもある。

 これに対し『凛』の接客は、名物おばさんとバイトらしき女性が一人か二人。このおばさん、店を仕切っているし貫禄があるので女主人だと思っていたが、実はただの古株の使用人とのこと。
 『凛』自体、予約の人数が揃ってからでないと入店できない、店内では帽子を脱ぐ等の決まりがあり、客への注文の多い店である。が、それ以上にこのおばさんがうるさい。それじゃ焼きすぎよとか、もうちょっと焼きなさいとか、とにかく ああしろ・こうしろと口うるさい。肉をおいしく食べて欲しいとの親心なのであろうが、焼肉は自分の好きに食べたいと思っている人には耐えられないであろう。実際、僕は、あの婆あ(失礼)がいるから絶対『凛』には行かないという人を何人か知っている。

 ところで、先日『静龍苑』に閉店間際に行った。お客さんがぼちぼち帰り始め、また店の注文もピークアウトしていたせいか、女主人と少し話すことが出来た。僕が「お店がいつも混んでいて、なかなか入れない。」と言ったところ、彼女は申し訳なさそうな顔をし、「でも、最近は予約を当日電話でキャンセルしてきたり、ひどい時は電話もなしに来ない人がいて困るのよ。」とこぼした。
 30席足らずの狭い店で、その予約のために何人ものお客さんを断ったのに、ということであろう。別に、仕入れがどうとか儲けがどうとか、そんなことではない。ただ、折角来てくれたお客さんに悪いことをしたという思いだ。そもそも彼女に商売っ気があれば、店を10時には閉めないし、もっと店で愛想良く振舞うに違いない。
 僕は、いつも素っ気ない女主人の裏にある、愛情、やさしさを見た気がした。こんな店にはずっと残って行って欲しい。またタン塩を食べに行こう。

(逆に、ここ数年の『凛』のご主人は、串焼きも含め4店オープンする等、商売っ気あり過ぎな気が・・・・。)