縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

いつみても波乱万丈(エリザベス女王伝)

2006-04-20 23:57:00 | 海外で今
 明日4月21日はイギリス、エリザベス女王の80歳の誕生日である。1926年生まれ、日本でいえば大正15年、寅年の生まれである。本当にお元気である。このお年で、外遊も含め、まだまだ元気に公務をこなされている。今日はお誕生日をお祝いする意味で、女王の人生を振り返ってみたい。

 いつみても波乱万丈 エリザベス女王伝 ♪~

 イギリス王国40代目君主、エリザベス2世は、1926年4月21日、国王ジョージ5世の次男ヨーク公とエリザベス・バウズ=ライアンの長女として生まれた。馬やポニーで遊ぶのが好きな女の子だった。

 そんなエリザベスに最初の転機が訪れた。1936年12月、エドワード8世が突然退位し、父ヨーク公がジョージ6世として即位したのである。本来皇位とは遠い存在であったはずの彼女が、いきなり皇位継承者No.1となった。このとき彼女は10歳。
 これが世に言う「王冠をかけた恋」である。離婚暦のあるアメリカ人女性、シンプソン夫人を愛するエドワード8世が、彼女が王室に受け容れられないと知り、皇位を捨て彼女との結婚を選んだのである。

 続いて第二の転機。第二次世界大戦の勃発である。開戦当初イギリスは劣勢で首都ロンドンもナチスドイツの空襲に苦しむ日々が続いた。両親は疎開することなく、あるときは国民を慰め、あるときは国民を勇気づけ、自ら先頭に立ってナチスとの戦いと対峙した。そんな中、彼女も幼い妹マーガレットと一緒にラジオに出演するなどし、国民を励ました。またその後は自ら陸軍少尉として従軍し、軍用車両の整備などにあたった。
 両親の姿勢、態度に負うところが大きいが、こうして国民とともに戦争を戦ったエリザベスも国民の敬愛、人気を集めることになる。

 戦争が終わり国内も落ち着いた1947年、エリザベス21歳のとき、ギリシア王家の血をひくフィリップ(エディンバラ公)と結婚。その後、チャールズとアンの二人の子供も生まれ、幸せな結婚生活が続いた。そして第3の転機が訪れる。
 1952年、愛する父親の死。そして彼女は25歳の若さで女王に即位することになった。

 エリザベス女王の治世の下、イギリスは「ゆりかごから墓場まで」といわれた福祉政策の充実に努め、また産業の国有化も進めた。経済の低迷が続き、英国病という言葉が囁かれ始めた。そんな中ではあるが、アンドリュー、エドワードの二人の王子も生まれ、家族生活は極めて順調であった。一方、経済も、鉄の女サッチャーによる一連の改革や、北海油田の開発により、かつての勢いを取り戻して行ったのである。

 しかし、そんな幸せな家庭に大きな問題が起こる。アン王女のスキャンダルに、ご存知チャールズ皇太子の問題。皆さん、よくご存知だと思うのでこれ以上書かないが、本当にエリザベス女王の苦悩が忍ばれる。
 しかし、もしかすると心配事があるからこそ、老いても元気でいられるのかもしれない。いくつになっても子は子である。

 エリザベス女王、誕生日おめでとうございます。

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