縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

『イノセント』なのは誰?

2006-07-28 23:52:00 | 芸術をひとかけら
 先週の土曜、BSの番組表を見ると、イノセント、の文字。もしかしたらとチャンネルを変えてみたら、やはりそうだった。きらびやかな貴族の雰囲気、そう、ルキノ・ヴィスコンティの『イノセント』である。ただ残念なことに、時間があと30、40分しかない。映画はクライマックスへと向かっている。大まかな筋は覚えていたが、実は結末を忘れていた。衝撃といえば衝撃であるし、必然といえば必然とも言えるラストだった。

 ヴィスコンティは、イタリアはミラノの名門貴族の出である。自らの血に逆らって左翼思想に傾倒し、リアリズムの映画からスタートした。若い頃のアラン・ドロンが出ていた『若者のすべて』は初期の代表作である。その後、貴族を好んで描くようになり、それも完璧なまでの考証、再現を行い、豪華絢爛な貴族の世界を描いた。晩年は、貴族を滅び行くものと捉え、その退廃を描き、自らの階級へのオマージュといえる作品を撮るようになった。『地獄に堕ちた勇者ども』や『ルードウィヒ』でそれは頂点に達した。
 が、『イノセント』は同じ貴族を描いていても、それまでの作品とはまったく違う。『イノセント』はヴィスコンティの遺作、彼が69歳のときの作品である。その年齢や死と向き合っていた(心臓発作を起こした彼は、撮影時、左半身に後遺症があったという)にも拘わらず、この映画は愛の、強い情念の物語である。

 『イノセント』の何に、それほどまでに感動したのか。多分に当時の精神状態というか、若さに拠るところが大きいと思う。当時の僕は(今も?)大変純粋だったのである。
 この作品は、ある男が、自分の愛する女性が他の男の子を宿し、そして産まれたその子を、自らの愛のため、耐えられずに殺してしまう、という話である。勿論、映画の話はもっと複雑である。この男と女は夫婦である。つまり奥さんが浮気をして他の男の子を産んだのである。なんて可愛そうな男、と思うのは早い。実はこの男、大変身勝手で自分は他の女性と遊んでばかりなのに、妻は貞淑、自分のものだと信じている。それが他の男を好きになったと知った途端、妻への愛に気付くのである。もしかすると所有欲や独占欲のようなものかもしれないが。
 あまり書きすぎてはいけないので、これくらいにしておこう。では、この身勝手な男の話のどこに共感したのか。
 自分の愛を神聖なものだと思うところ、他の男よりも誰よりも自分の愛が強いと思うところ、でなかっただろうか。ストーカーというと大概男だが、なんとなく解らなくはない。男は単純でバカな生き物なのである。

 ところで、『イノセント』といえば、無実、純粋無垢といった意味である。赤ちゃんを殺してしまったけれど、それは愛するがゆえであり、彼はイノセントかもしれない、という主旨かと思っていた。又、考えようによっては、浮気をし子供を産んだ妻がイノセントというのかもしれない。彼女も愛に生きたのである。愛があれば、すべては許されるか。
 念のため、イノセントを辞書で引いてみた。最後に foolishly simple とある。うーん、やっぱり憐れな男の話か。

志摩、"婦唱夫随"の旅

2006-07-24 23:50:00 | もう一度行きたい
 妻がキレた。妻はこの春の異動で新しい部署に移ったのだが、その部署は異様に忙しい。残業も多く、ひどいときなど毎晩午前様だった。残業代をもらっても使う暇がない。こうした中、妻は突然宣言した、「7月の3連休、志摩に行く。タラソ、受ける。」
 というわけで、この3連休、僕達は志摩に行った。2泊3日、タラソ三昧の旅。タラソテラピーを含めホテル代は妻が持ち、その他は僕の負担。といっても、タラソテラピーを贅沢に8種も組み込んだ、このホテル代が驚くほど高いらしい。

 それはさておき、まずは「タラサ志摩ホテル&リゾート」の簡単な紹介から。場所は、三重県は伊勢志摩、鳥羽駅から車で20分ほどの所にある。ご存知のように伊勢志摩はリアス式海岸で、入り組んだ湾など海岸線がとても美しい。真珠の養殖でも知られる地域だ。
 このホテルはフランスのタラソテラピーを日本で初めて採り入れた施設として有名である。志摩の澄んだ海水をふんだんに使いタラソを行っている。美容と健康に、そして頑張った自分へのご褒美にと、女性に人気の施設である。最近はウェディングにも力を入れているようだ。

 正直なところ、ネコに小判、ブタに真珠、僕にタラソといった感じで、僕はタラソにあまり感動しなかった。パックして肌が多少きれいになったところで大勢に影響はないし、海水を使ったマッサージは僕の頑固な肩凝りには通用しない。まあ、自然の中で良い気分転換にはなったが、そんなにお金を掛けなくても気分転換はできるのにと思ってしまう。が、妻はリラックスできたし本当に来て良かった、と喜んでいる。見解の相違、男と女の違いである。カップルで行く男性諸氏、タラソは必要最低限に抑えるのがお勧めだ(次回はそうしようと妻と手を打った)。

 ホテルの食事はおいしかった。最初の晩はフレンチ、次の晩は和食。やはり魚介類が良い。特に今の時期が旬の鮑は絶品。自分で焼くことができたので、少しレアめで食べたり、肝を絡めて焼いたりと、少しずつ味を変えて堪能した。
 ただ問題は飲み物が高いこと。食事代は宿泊費に含まれているから良いが、飲み物代は別である。我々のような飲兵衛に飲み物代が高いのは痛い。何か良い方法はないか。飲み物の持ち込みはできないか。旅行には大抵家からワインを持って来ている。今日もある。雰囲気的に持ち込みは厳しい感じがする。うーん、何か理由を考えなくては。そう、今日は結婚記念日だ(??)、お祝いにもらったワインがあり食事と一緒に飲むことができれば、というのはどうだろう。
 で、レストランで開口一番、「ワインの持ち込みはできますか。」と尋ねた。「実は今日は・・・・」と話そうとしたところ、あっさり「どうぞ、2,000円頂きますが、それでよろしければ。」とのこと。ちょっと拍子抜けしたものの、有難くワインを持ち込まさせて頂いた。2,000円払うのが惜しくないほど、店のワインは高い。

 タラソのない時間は海に行ったり(ホテルのすぐ前が海水浴場である)、ホテルの散策コースを歩いたりして過ごした。散策コースは山の中を進み海岸に出るコースだったが、たまたま満潮と重なり海岸の岩場を歩いたり、海の中を歩いたりと、ちょっとワイルドな気分が楽しめた。
 最終日は鳥羽水族館に行った。不思議と水族館も女性の方が多い。カップルや親子連れのほか、女性だけのグループはいるが、男性だけのグループはいない。男性は魚を見るよりも食べる方に興味があるのだろうか。そして真珠を買った。ホテル代のお礼に妻にプレゼントした(結局、ホテル代を払った方が得だったかも・・・・)。
 こうしてみると、志摩は夫唱婦随ならぬ“婦唱夫随”のリゾートだと思う。疲れた妻の癒しの旅だった。

藪の中 ~ ジダンと移民問題 ~

2006-07-23 17:51:09 | 海外で今
 サッカーW杯決勝でのジダン(フランス)のマテラッツィ(イタリア)に対する頭突きは衝撃的な事件だった。両者が二人の間で何があったかを詳しく話さなかったことから、「汚いテロリスト」とか「テロ売春婦の息子」とか人種差別的発言があったのではないかとの憶測が流れ、大きな話題になっていた。
 その後の二人の発言から、どうやら人種差別的発言はなかったらしいが、ジダンが自身の最後の試合、かつW杯優勝がかかった試合であれだけの暴挙に出たということは、何もかも忘れ頭に血が上る発言をマテラッツィがしたことだけは確かである。

 さて、20日、FIFAが両者に処分を下した。ジダンには3日間の社会奉仕と罰金SFr.7,500(約70万円)、マテラッツィには2試合の出場停止と罰金SFr.5,000(約47万円)。けんか両成敗である。これでめでたしめでたしかと言うと、フランスを除き、驚きや不満が多いようである。
 その内容は大きく二つ、一つは挑発した人間まで罰を受けるのはおかしいというもの、もう一つはジダンの処罰が軽すぎるというものである。前者は、サッカーで相手を挑発するのは常套手段であり、マテラッツィを責めるのはおかしい、挑発に乗る方が悪いとの理由である。一方、後者は両者の比較感からジダンの処分が軽い、暴力を正当化するようだとの理由である。

 僕もこの処分には驚いた。確かに度を越した侮辱行為は許されるものではない。が、それに対し暴力で応えて良いのだろうか。今回のFIFAの処分では両者に大きな差はなく、ある意味、暴力を肯定しているかに見える。自信の名誉を守るためなら暴力もあり、と。
 又、ジダンのようなスーパースターの行動は子供達にも大きな影響を与える。実際、ジダンをかっこいいと思い、サッカーの練習そっちのけで頭突きの練習をするサッカー少年が多くいたと聞いた。

 思うのだが、本当は人種差別的発言があったのではないだろうか。移民問題に苦しむヨーロッパの状況を勘案し、それを伏せたのではないだろうか。であれば、ベテランのジダンが大切な試合で挑発に乗って暴挙に及んだこと、マテラッツィ本人から処分への反発が聞かれないことなど、合点がいく。
 ジダンはアルジェリア系移民である。98年にフランスがW杯で優勝した当時、移民問題は今ほど深刻ではなく、ジダンはじめ移民の力によりフランスは優勝できたと彼らはもてはやされた。しかし、その後のテロや、移民に強く同化を求める政府の方針もあって、移民問題は大きくクローズアップされてきた。2005年の大規模な暴動はまだ記憶に新しい。ジダンや家族の移民としての苦労に、こうした移民問題、移民への風当たりが強まったこととが相俟って、今回の頭突き事件のきっかけになったのかもしれない。両者の発言内容は公表されず、真相は未だ藪の中である。

 ところで、W杯が行われたドイツはトルコからの移民が多く、今年、ドイツ国歌のトルコ語版を作ろうとの話が持ち上がったそうだ。反対の方が圧倒的に多いらしいが、国家とは何か、言語を含め国民としてのアイデンティティが必要なのか、多様性を許容すべきか、ヨーロッパの多くの国では判断が求められている。少子化の進むわが国でも、いずれ起きる問題かもしれない。

佃、不思議、発見

2006-07-14 23:54:00 | 最近思うこと
 昨日から家の近くで盆踊りをやっている。ここの踊りはちょっと変わっている。おなじみの「東京音頭」は流れないし、子供向けの「ドラエモン音頭」もない。一人の歌い手が自ら太鼓を叩きながら歌い続ける。人はやぐらの周りを静かに、そして思い思いに踊る。どちらかというと単純な踊り。絶対的な型は特にないようだ。
 「佃島盆踊り」という。東京では(もとい全国でも?)珍しい古い形の盆踊り、それも念仏踊りである。聞くところによると、京都本願寺の踊りの流れを汲むとのこと。しかし京都には今はない踊りだ。では、なぜ東京で古い京都の踊りが? それにはここ佃の歴史が大きく関わっている。

 佃は隅田川の中州であり、その名前は江戸時代初めに攝津国佃村(今の大阪市西淀川区佃)から移り住んだ30数名の漁師が郷里を偲んで「佃島」と名付けたことに由来する。彼らは家康の許可を受け江戸に移り住んだのだが、江戸城への魚の納入の権利を与えられ、それは羽振りが良かったらしい。因みに佃煮の発祥はここ佃島である。
 家康と佃村の漁師との関係は、家康が住吉神社に参拝した際、彼らが家康を船に乗せたのがきっかけだという。一説には、それは本能寺の変のときであり、命からがら逃げる家康を彼らが手助けしたとの話もある。又、その後、彼らは大阪での家康の隠密となって活躍したともいう。確かに後に家康から受けた彼らの厚遇を思うと、家康が大きな恩を感じていたのは事実なのだろう。

 で、「佃島盆踊り」だが、これは今の築地本願寺を作るのに佃島の住民が尽力したことを機に始まったとのことだ。彼らは熱心な本願寺の教徒であり、お盆に祖先の霊を慰めるために念仏踊りを踊ったという。又、明暦の大火(いわゆる振袖火事)の後、数多くの死体が佃島に流れ着いたことから、そうした人達の霊を慰める意味もあったのかもしれない。今でも盆踊りのときには無縁仏をまつった棚がある。

 「佃島盆踊り」は明日15日までやっている。お時間のある方、一風変わった盆踊りを見にいらしては如何だろうか。
 佃は、古さと新しさが同居する町、下町の入り組んだ路地と摩天楼のある町。このコントラストがおもしろい。3連休の混雑の中、わざわざ遠くに行かなくても、近場でちょっとした異空間、異次元の体験ができる。

『雨に唄えば』

2006-07-12 23:58:00 | 芸術をひとかけら
 先月の終わり頃だろうか、テレビで『雨に唄えば』を見た。見終わって、よしブログに書くぞ、と思ったのだが、最近ちょっとサボりがちだったため今日になってしまった。若干感激度が薄れてしまったが、記憶を辿りつつ書いて行きたい。

 で、何をブログに書こうと思ったかというと、ドナルド・オコーナーのことである。彼は最高のエンターティナーだ。『雨に唄えば』といえばジーン・ケリーが雨の中でずぶ濡れになりながら歌う Singin’ in the rain が有名だが、僕はジーン・ケリーよりもドナルド・オコーナーの方が強く印象に残った。

 彼はジーン・ケリー演じる主人公ドンの親友コスモを演じている。冒頭二人でコミカルに踊るシーンがあり、そうかと思えば二人で息の合った見事なタップ・ダンスを披露するシーンもある。二人は、ダンスは勿論、コメディのセンスにも卓越したものがある。
 ドナルド・オコーナーは他の映画会社の所属だったが、ジーン・ケリーと監督のスタンリー・ドーネンに見込まれ、『雨に唄えば』に出演したそうだ。彼らの人を見る目に間違いはなかった。勿論、ジーン・ケリーやドナルド・オコーナーは一人でも充分おもしろい。が、二人で演じることにより、おもしろさが格段にアップしている。僕はドナルドなくして『雨に唄えば』の成功はなかったと思う。
 その一つの証左が映画のラスト近く、延々と踊りが続きだれてしまう点。なんと、この撮影のとき、ドナルドはいなかった。彼のレンタル契約の期間が切れてしまい、彼は所属の会社に戻ったのだった。そのためジーン・ケリーらはラストを当初の予定から変更を余儀なくされたらしい。もし彼がずっといたら、映画はもっと素晴らしいものになっていた気がしてならない。

 そんな彼の圧巻は、ジーン・ケリーを励ますために歌う Make ‘em laugh だ。彼のそれは豊かな表情、コミカルな動き、人形(のようなもの)と演じるラブシーン、どれを取ってもおもしろい。そして壁を駆け上ってはばく宙を繰り返すアクロバティックなシーン。初めて『雨に唄えば』を見たのは20年近く前だが、記憶に残っていたのはまさにこの歌のシーンだった。
(蛇足ながら、座ってピアノを弾いていたドナルドがパッとピアノに跳び乗り、そして鍵盤の上に立つシーンがあった。『柔道一直線』の近藤正臣を思い出し、思わず笑えた。一部の人にしか通じない、古い話ですみません。)

 何を隠そう、今回、『雨に唄えば』を録画してしまった。話の筋自体は大した内容と思わないが、素晴らしい踊りを堪能し、何も考えずに笑える映画である。物事を考えるのが面倒なときや、ちょっと疲れたときなどに、気楽に見て楽しみたい。

ウンブリアの恵み(イタリア紀行2)

2006-07-11 23:38:26 | もう一度行きたい
 昨日夕方、ローマに凱旋したサッカーW杯イタリア代表を、50万人を超すファンが出迎えたそうだ。24年ぶり4度目の優勝、まずはおめでとうと言いたい。そして、この快挙に敬意を表し、今日はイタリアの話にする。

 前回、ナポリからローマ、そしてフィレンツェ、ミラノと周ったと書いたが、このほかにもいくつか訪れた町がある。アッシジもその一つだ。ずっと聖フランチェスコの町に行って見たいと思っており、ローマからフィレンツェに行く途中、ほんの3、4時間だけだったが立ち寄った。アッシジはスパズィオ山の斜面に広がる町だ。眼下にはウンブリアの田園風景、本当にのどかで、安らぎを感じる町である。

 アッシジには聖フランチェスコゆかりの場所が多い。清貧を説き、自然と一体化し小鳥や魚にまで福音を説いたといわれる聖フランチェスコ。そんな彼の教えや生涯を知るには、やはりサン・フランチェスコ聖堂を訪れるのが良い。ジョットのフレスコ画が見事である。
 フレスコは生乾きの石灰モルタルの壁に絵を描く技法だが、古くはポンペイの壁画がそうだし、あのミケランジェロの『最後の審判』もそうである。だが、フレスコ画が初めて芸術の域に達したと言えるのは14世紀前後、このジョットからではないだろうか。ミケランジェロより200年近くも前のことだ。
 ジョットの『聖フランチェスコの生涯』は28枚の連作になっており、有名な聖フランチェスコが小鳥に説教する場面をはじめ、彼の福音の様子が描かれている。又、このほかにもキリストを讃えるフレスコ画もあり、この教会は教育の場であったように感じられた。つまり、フレスコ画は、子供や教育を受ける機会がなく字を読むのが不自由だった人達に、キリストや聖フランチェスコの教えを伝える役割があったのではないだろうか。一般の宗教画のイメージとは異なり、ここのフレスコ画の人物は生き生きとしていた。

 サン・フランチェスコ聖堂からコムーネ広場に至る道は中世そのままの感じだが、残念なことに土産物屋が軒を連ねるなど少し観光地化している。僕らはその通りからちょっと裏に入ったところで昼食を食べた。店の名前は忘れてしまったが、確か当時(2001年7月)アッシジでは唯一のミシュラン一つ星のレストランだったと思う(ミシュランのHPで調べてみたが、今は La Fortezza という一つ星の店があったが、地図を見ると記憶と場所が違う)。
 ポルチーニのパスタと肉料理(ウンブリア料理?)を食べたが、それはそれは美味だった。加えて、ワインが最高においしかった。アルナルド・カプライ“サグランティーノ・ディ・モンテファルコ1997年”。タンニンのしっかりした力強い、たくましいワインだ。まさにウンブリアの恵みといえる。モンテファルコはアッシジから少し南に行った所にあり、これはいわば地ワインである。地元の食材で作った料理を地元のワインで頂く。スローフードの、やさしく、楽しい昼食のひとときだった。是非あの店を探しにアッシジにもう一度行きたい。またあのワインを味わいたい。

(因みに、サグランティーノはブドウの品種のことだが、聖フランチェスコがサグランティーノをこの地に持ってきたという説もあるそうな。)

所変われば・・・・

2006-07-07 01:06:35 | おいしいもの食べ隊
 以前、コカ・コーラの味は世界どこでも同じだろうか、という話を書いたのだが、先日、たとえ原液は同じでも各国で水が違うからやはり味も微妙に違うのでは、とのコメントを頂いた。また、水に加え、コーラを作るときに使う砂糖やコーンシロップも各国で違うから味は違って当然との話も聞いた。皆様のご協力に感謝。というわけで、今日は感謝の意味でコカ・コーラの話にする。

 僕はほとんどコーラを飲まない。この前飲んだのはいつだろうと考えたが、それは4年前、ルーマニアでのことだ。
 僕は妻と1週間ルーマニアを旅した。たまたま義母の知り合いがルーマニアに居て、彼らが3日間ルーマニア北部を車で案内してくれた。その最初の夜だろうか、僕らはレストランに入り肉料理と赤ワインを注文した。すると彼はコカ・コーラを頼んだ。ワインを皆で飲むつもりだったのに彼は酒が飲めないのかと思った。が、違う、彼は酒を飲む。なんとワインをコーラで割って飲み出したのである。
 きりりと冷えた白ワインをグレープフルーツ・ジュースで割って飲むことはある。しかし、これは赤ワイン、おまけに割るのがコーラである。聞けば、ルーマニアでは極めてポピュラーな飲み方とのこと。あまりおいしそうな気はしなかったが、僕も試して見た。うーん、微妙・・・・。
 個人的には赤ワインは赤ワインだけで飲んだ方がずっとおいしいと思う。もっとも、これは僕がコーラを飲まないせいかもしれない。是非、好奇心の強いコーラ好きの方、安い赤ワインを買って一度挑戦して欲しい。そして感想を聞かせて頂けないだろうか。

 そして、その前にコカ・コーラを飲んだとき、それは6年半前、場所は中国である。僕は紹興酒で有名な紹興に行った(因みに仕事です)。上海から車で3時間くらいだったと思う。水の多いきれいな町だった。
 せっかく紹興に来たのだからと、夕食の後、魯迅生家近くの「咸亨酒店」に行った。魯迅はよくこの店でウイキョウ豆を食べては紹興酒を飲み、小説を書いていたらしい。というわけで僕らも豆を食べながら紹興酒を飲んだ。
 横のテーブルでは地元の人が紹興酒を飲んでいる。それもガブガブ飲んでいる。ん、何かがちょっと違う。そう、飲んでいるのは紹興酒ではない。紹興酒をコカ・コーラで割ったものだった。確かに紹興酒に砂糖を入れることもあるし、コーラで割っても悪くないのかな、と思った。ものは試し、早速コーラを頼んで飲んでみた。うーん、甘いし、これもやっぱり微妙。紹興酒はロックがいい。

 さて、その前コカ・コーラを飲んだのはキューバ、といきたいところだが、残念ながらキューバには行ったことがない。ラムをコーラで割ってライムを入れるキューバ・リブレ。日本で飲むキューバ・リブレはやっぱり甘い。
 本場のキューバ・リブレ、日本と違う水や砂糖で作ったキューバのコーラによるキューバ・リブレは、やはり一味違うおいしさなのだろうか。でも、今のキューバにアメリカからコカ・コーラの原液が届くのか若干不安。もしや似ても似つかない味のコーラが・・・・。まあ、所変われば品変わる、ということで、それもご愛嬌か。

企業文化、社風、あるいは共通の価値観(その2)

2006-07-04 22:31:58 | 最近思うこと
 2度目の転職をした。

 6月で前の会社を円満退職し、今月から新しい会社に勤めている。そんなこんなで、6月中旬以降、ブログを休む日が多くなってしまい誠に申し訳ない。当分の間、書くペースが落ち間隔が空いてしまうかもしれないが、ご容赦願いたい。

 さて、今回の退職の挨拶で社内を回った際、その反応は大きく次の二つだった。「どうして辞めるの」と「辞めて良かったね」である。前者は事情をよく知らない女性社員が多かったが、後者は男性社員、それも40代より上の世代や中途入社の社員が多かった。中には、この会社で僕がこんなに持つとは思わなかった、といった人までいた。悪気ではない、僕のことを心配してである。

 多くの社員に「辞めて良かったね」と言わしめたもの、それはまさしく“企業文化、社風、あるいは共通の価値観”に他ならない。

 この会社の最大の特徴、それは“理屈を越えたところで一人の人間により意思決定がなされる”ことである。まさに、無理が通れば道理が引っ込む、の世界であり、ワンマン社長の典型言える。自分が正しいと思うことを理路整然と話しても、一言「嫌だ」と言われればそれでおしまい。逆にひたすら熱意を示し、社長の琴線に触れると、とんでもないことまで通ってしまう。これを信じられないと思うか、おもしろいと思うかで、この会社に勤め続けられるか否かが決まる。

 また、社長はどうも自分の金は自分の金、会社の金も自分の金、と思っている節があり(これもワンマンなオーナー社長に多いが)、自分は野放図に金を使うものの、社員が金を使う分には極めて厳しい。時に必要な分まで支払わない、認めないことすらある。
 もちろん、これだけだと社員の心は離れてしまう。が、そこは人事権から金繰りまで会社のすべてを抑える社長、アメとムチを上手く使い分け、社内を管理、操縦している。更に、会社をここまで大きくしたのは社長の力だと考える社員も多く、古参の社員の中には社長を慕う者も多い。

 一方でほとんどの社員は、こんな会社は他にない、ウチの会社は変わっている、と思っている。自分たちはこの文化で育って来たから良いが、外から来た人間には普通付いて来れないだろうと考えている。つまり、これはいわば宗教と同じで、すべてを信じるかすべてを否定するか、と問われたとき、彼らはすべてを信じ、僕はそれが信じられなかっただけである。別に良い悪いの問題ではない。
 彼らはまじめで一生懸命働いているし、僕は彼らが好きだ(当然、変わり者で好きになれない人間も中にはいたが)。会社に対しても恨みはない。自由にやらせてくれたので良い経験が出来たと感謝さえしている。ただ、そろそろ潮時だと思っただけだ。

 「辞めて良かったね」という言葉が真実になるよう、新しい会社で老骨に鞭打って頑張るつもりでいる。この会社に骨を埋める覚悟で(って、前もそう思っていた気が・・・・)。