縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

今も変わらぬ『武蔵野珈琲店』

2023-06-17 00:14:41 | おいしいもの食べ隊
 そうそう、この香り、そしてこの味。懐かしい。看板に偽りなし、本当においしい珈琲である。

 学生時代によく通った吉祥寺の『武蔵野珈琲店』に久しぶりにお邪魔してきた。かれこれ30数年振りだ。店の雰囲気は昔とまったく変わらない。マスターもお元気だ。ただマスターも私も髪が白くなっており、やはり長い時の流れを感じる。

 『武蔵野珈琲店』の開店は1982年。一方、スターバックスの日本1号店は1996年、私がもう中堅社員になろうかという頃だ。当然、私の学生時代にスタバはなかったし、ドトールやタリーズもなかった。ルノアールやコロラド(ドトールの会社が展開)といったチェーン店はあったが、当時のコーヒー専門店といえば『武蔵野珈琲店』のような個人のお店がメインである。個人店は店毎に特徴があり、コーヒーの味は勿論、内装や調度品、コーヒーカップ、店主自慢のコレクション(カップに限らない)など、店全体で個性を競っていた。結構クセの強いマスターもいた。そんなこんなを全部ひっくるめて、コーヒー好きは皆各々贔屓の店を持っていたのである。

 スターバックスが日本のコーヒー文化というか喫茶店文化を変えたことは否めない。黒船到来ではないが、本当に画期的、革新的なコンセプト、ビジネスモデルである。しかし、スタバがまだ珍しかったときは良かったが、ここまで身近な存在となった今、個人的には残念な気持ちが強い。オーナーの高齢化もあるだろうが、昔ながらのコーヒー専門店がどんどん姿を消しているからである。もっとも若者にしてみれば、時代遅れの店が淘汰されただけかもしれないが。
 チェーン店は、どの店舗に行ってもコーヒーの味や店の雰囲気に大きな違いはない。それがチェーンの安心感と言えるが、まったくの没個性、無個性である。わざわざその店に行くという意識ではなく、ただそこにあるから入るに過ぎない気がする。これに対し昔のコーヒー専門店は、その店に行くこと自体が目的だった。即ち、1杯のコーヒーに癒やされるとともに、本を読んだり、マスターと話をしたり、ただただぼーっとしたりと、コーヒーを飲む時間そのものを楽しむため、わざわざ行く店だったのである。私の場合、それが『武蔵野珈琲店』だった。

 『武蔵野珈琲店』は昔も今も人気の店である。マスターは凝り性というか研究熱心でコーヒーだけでなく、紅茶やケーキも大変美味しい。いや、私はコーヒーしか飲まないので実際のところは分からないが、いずれもとても評判が良いと聞く。
 以前、マスターが「お客さんが『このお店、紅茶がとっても美味しいの』と言うのを聞いてガクッとした。」と言うのを聞いたことがある。確かにマスターがブレンドする紅茶も美味しいのだろうが、やはりマスターとしては(そして僕も)、多くの人にマスター自慢のコーヒーを味わって欲しいのである。

 帰りがけ、マスターに昔とコーヒーの味は変わらないのか尋ねてみた。すると、手に入るコーヒー豆の種類は変わるし、値上がりなどで使えなくなる豆もあるし、どうしても味は変わってしまう。極端な話、豆の状態が違うため、仕入れのロットが変わっただけでコーヒーの味は変わる、とのこと。
 あれ、「そうそう、この香り、この味」と懐かしく思った私の立場は? 私の味覚は大丈夫か?
 私としては少なくともブレンドのベース(マンデリンがメイン?)は昔も今も変わっていないと信じたい。

日本一は世界一 ~ 『若竹』の“ナポリタン”

2022-07-17 23:03:21 | おいしいもの食べ隊
 炒められ、さらに鉄板の上に乗せられたスパゲティ。本家のイタリア人が見たら卒倒しそうなヴィジュアルだが、これぞ日本のスパゲティ、ナポリタンである。麺はアルデンテの逆、中は柔らかく、表面はカリッとしている。ところどころに焼き目が付き、そこがまた香ばしくて美味しい。
 スパゲティは本来茹でた麺をソースに和えるだけだから、ナポリタンはスパゲティというより焼きそばや焼きうどんに近い。もっともナポリタンは横浜の「ホテルニューグランド」のシェフが考案したと言われるが、当初のナポリタンは茹でた麺をトマトソースで和えただけだった。おそらく喫茶店がランチメニューでナポリタンを出す際、素早く調理できるよう、事前に麺を茹でて置き、それを炒めて出したのが始まりなのだろう。それが多くの飲食店へ、そして家庭へと広まって行ったのだと思う。まったく焼きそばや焼きうどんの作り方だ。ガラケーは携帯電話だけの話ではない。ナポリタンも日本独自の進化を遂げたスパゲティなのである。

 “日本独自”といえば、海外でパスタと言っても通じない。イタリアでパスタといえば小麦粉などの練り物の総称である。よって、「スパゲティならばパスタ」は真であるが、「パスタならばスパゲティ」は偽である。海外でタリアテッレやカッペリーノやペンネではなく、日本で普通にパスタと呼ばれる細長い麺を食べたければ、スパゲティと言わないと出てこない。ご注意の程を。

 さて、このナポリタンはJR法隆寺駅を降りてすぐにある『若竹』というお店のナポリタンである。町の洋食屋さんということで、ケチャップに加え、自家製のウスターソースも使っているのだろう。色がケチャップの赤に染まっていない。味もガツンとしたケチャップの味ではなく、やさしく、より旨みが感じられる。懐かしさを通り越し、生涯最高のナポリタンだった。
 もとい、『若竹』ではナポリタンではなく“イタリアン”という。関西ではナポリタンをイタリアンと呼ぶことが多いらしい。ナポリタンがナポリと関係ないように、イタリアンもスパゲティだからイタリアという発想であろう。何はともあれ、法隆寺を訪れる際は是非とも寄りたい店だ(因みにお店の一番人気はイタリアンではなく、ミンチカツだそうである)。


『いたりあ小僧』に行こう!

2020-10-04 13:45:36 | おいしいもの食べ隊
 あの『いたりあ小僧』、通称『イタコ』が大変なことになっている。コロナウィルスの影響により顧客が激減、存亡の危機にあるという。クラウドファンディングを利用し資金の支援を募っていると知った(『存続危機!創業42年イタリア小僧を救ってほしい!』)。コロナ禍の中での外食自粛に加え、一橋大学がオンライン授業となり学生がいないのだから無理もない話だろう。大学は先月から一部で対面授業を再開したようであり、少しは客足が戻ると良いが。

 『いたりあ小僧』は、国立駅近くにある創業42年の老舗スパゲティ屋さんである。“パスタ”というより“スパゲティ”と言った方が俄然しっくりするお店だ。最近流行りの小洒落たイタリアンとは違い、メニューにローマ字はないし、カタカナすらほとんどない。あるのは圧倒的にひらがな。横文字が苦手な人でも何ら問題ない。国立に住む老若男女、皆から愛され、『イタコ』の愛称で呼ばれている。
 スパゲティは和風を主になんと80種類以上。さらにトッピングも可能だ。学生客が多いせいか、大盛り(ビック)の上を行く2倍盛り(スーパービック)まである。若者の旺盛な食欲を充分に満たし、おまけにお値段は懐に優しい。東京の和風パスタで幅を利かすハシヤ系の店よりも若干お安く、味に遜色はない。いや、それ以上かもしれない。

 学生時代、僕は毎週のように『イタコ』にお世話になっていた。僕の定番は、しょうゆ味(注:他ににんにく、トマト、たらこ、うに、クリーム、梅等がある)のしめじのスーパービックと納豆のスーパービック。本当は帆立とかイカのトッピングをしたかったが、貧乏学生には高根の花だった。そうそう、しめじには粉チーズをたっぷりかけて食べていた。粉チーズは只だったから。もっとも僕の友人は粉チーズを食べ過ぎて(一人で喫茶店の砂糖入れのような容器に入った粉チーズを食べ切り、さらにお代わりしたらしい)、追加料金を取られたと言っていた。

 大学を卒業して35年。『イタコ』には一度だけ行ったことがある。しめじのスーパービックに昔できなかったトッピングをし、同じく昔は頼めなかったワインを1杯飲んだ。以前と変わらず美味しかった。学生時代の思い出の店といえば、ここ『いたりあ小僧』と小平の『龍園』。残念ながら『龍園』は十数年前に閉店し、おやじさんも亡くなられたという。『イタコ』にはずっと残っていて欲しい。今年国立駅の赤い三角屋根の駅舎が復原されたというし、よし、久しぶりに国立に行ってみよう。
 僕はクラウドファンディングで1万円の支援をした。リターンがスパゲティ1皿無料券とかなので、見返りを考えると、まったくペイしない。だから皆さんに金銭の支援はお願いしないが、もしお近くの方がいらしたら『いたりあ小僧』に行って頂けないだろうか。皆さんが美味しいスパゲティで笑顔になり、それを見たお店の方が明日も頑張ろうと思うように。

無断キャンセルの行きつく先

2019-09-15 13:12:50 | おいしいもの食べ隊
 「ごひいき予約」という某カード会社のサービスがある。キャンセルの出た人気飲食店を優先的に予約できるサービスである。お店に直前キャンセルが出たとき、登録者にメールが入り、後は早い者勝ち。対象の飲食店は、ミシュラン星付きのお店など人気の飲食店であり、予約の取りづらい店が多い。何か月も前から予約するといった殊勝な心掛けのない僕にとっては、大変有り難いサービスである。

 先日、このサービスを使ってミシュラン一つ星の割烹に行って来た。妻の友人大絶賛の店である。が、この店、実は週に3、4回キャンセル情報が出ており、キャンセル頻度が群を抜いて高い。僕は、単に集客のために「ごひいき予約」を使っているのではと訝しみ、ずっと行くのを避けていた。
 しかし、いざ実際に行ってみると、これがなかなか良い店だった。旬の食材にこだわり、丁寧で、どれも手の込んだ料理である。特に刺身がうまい。素材自体良いのだろうが、ひと手間かけ、さらにおいしく食べさせてくれる。醤油やわさびを使うことはなかった。

 慣れてきたところで、僕は今までの謎に迫るべく、女将さんに恐る恐る聞いてみた。「僕たちにしてみると、今日は本当にラッキーで良かったのですが、キャンセルって結構多いんですか?」
 女将さん曰く、「ええ、残念ですがよくあります。皆さま事情がおありだと思いますので、日にちを替えるようお願いしていますが、皆さまというわけにはいきませんし。結局来られない方には、キャンセル料の送金をお願いすることもありますが、これも難しいですし・・・。その点、ポケットコンシュルジュさんは事前の決済なので助かります。」キャンセルには相当頭を悩ませているのか、女将さんは長々と答えてくれた。
 因みに、「ポケットコンシュルジュ」という会社は、元料理人の方が、飲食店の方の予約や支払いのトラブルを無くしたい、ドタキャンによる食材のムダを無くしたいとの思いから立ち上げた、レストラン予約・決済サービスの会社である。ホテルの予約のように、カード番号を登録し事前に決済する、きちんとキャンセル料の取れるシステムを作っている。「ごひいき予約」は先月までポケットコンシュルジュと提携していたので(なんと、この1月に同社はアメリカン・エクスプレスに買収されてしまった!)、女将さんは付け加えたのであろう。

 今、飲食店のキャンセル問題は深刻である。昨年、経済産業省が発表した『No show(飲食店における無断キャンセル)対策レポート』によると、無断キャンセルは予約全体の1%弱発生し、その飲食業界の被害額は年間約2千億円だという。さらに予約2日前までのキャンセルを含めると、発生率は6%強、被害額は約1.6兆円に及ぶとのこと。ちょっと想像できない金額だ。最近では無断キャンセルの損害分を補償するサービスや弁護士による回収代行サービスが出て来ているらしいが、それも納得できる。
 一方、キャンセルする側の理由としては、取り敢えず場所を確保しただけ(=行くかどうかはまた別の話)、複数の店を予約した(=その日の気分や相手の希望で店を決める)、人気店だから予約してみた(=予約が取れたけど行けるかどうか分からない)等々、真に身勝手な理由が多いようである。やれやれ、我が日本人の常識、モラルはどこへ行ったのだろう。

 このままでは、近い将来、飲食店を手軽に予約できなくなる日が来るに違いない。電話1本で簡単に予約できたのは遠い昔の話。ホテルの予約のようにカード番号の登録を求められたり、予約金が必要になったりするのである。まずは人気店から始まるだろう。
 ところで、先日僕が行ったお店だが、今月からコースの金額を税込みで3,000円程度値上げしていた。元が1万円強とミシュラン一つ星にしては安かったのだが、それが一気に3割近い値上げ。ちょっと敷居が高くなってしまった。キャンセルの多いことが値上げの一つの理由だと僕は思う。
 だから僕はドタキャンする人に声を大にして言いたい、「みんな、天に向って唾を吐くような行為は止めよう!」と。

諏訪で鰻!

2017-09-05 20:55:16 | おいしいもの食べ隊
 この夏も『木曽音楽祭』に行って来た(音楽祭の説明は「“おらが音楽祭”~『木曽音楽祭』に行って」参照)。

 我々の今年のテーマは“鰻”。

 すみません、音楽とは全然関係ない。僕らは音楽祭のついでに、よく上諏訪の『片倉館』の温泉に行ったり、下諏訪の『丸一』にとんかつや馬刺しを食べに行ったりしているのに、まだ諏訪で鰻を食べたことがない。この事実にはたと気付き、よ~し、今年は鰻を食うぞ!となった次第。
 諏訪湖は古くから鰻で有名。音楽祭に行く楽しみもこれで倍増すること間違いなし(?)。

 まず1軒目は茅野と上諏訪の間にある『うなぎ小林』。某グルメサイトでは、この辺りの鰻屋で一番評価の高いお店だ。しかし、2度目はないかな、というのが僕の結論。少なくとも混んでいる夏に行ってはいけないと思った。
 金曜の昼、12時半過ぎにお店に到着。ここは、順番待ちのリストの横に注文を書くシステム。僕らは、金銀鰻重(蒲焼と白焼きが同時に楽しめる店の一押しメニュー)、肝焼き、うざく各1と書いて待った。幸い、ちょうど2回転目に入るタイミングなのか、5分程度でお店に入ることができた。店に入ると改めて注文を確認される。あとは鰻を待つばかり、わくわく!

 が、待てど暮らせど鰻が来ない。僕らより後に入って来た人達の鰻重はどんどん出て来ているのに、僕らの鰻は来ない。鰻はおろか、肝焼きもうざくも来ない。おそらく普通の鰻重向けに、鰻は裂いて、白焼きして、蒸してあるのだろう。座って10分もしない内に鰻重は出されている。金銀鰻重の鰻は事前の準備がなく、その場で裂いているのかもしれない。であれば合点が行く。しかし、肝焼きやうざくが来ないのは納得できない。蕎麦前ならぬ、鰻前のはずではないか。それも店員さんに2度も「まだ肝焼きとうざくは出ていませんか?」と訊かれたのにである。

 そうこするうちに、先に金銀鰻重が来た。なんか順番違うな~、とテンションが更に下がりながらも、食べてみた。蒲焼のタレは長野らしく甘い。白焼きは薬味(ネギとわさび)で食べるほか、お茶漬けにもできる。名古屋のひつまぶしの要領だ。こちらは悪くない。
 鰻重を食べ終えた後、肝焼き、うざくの順でやって来た。肝焼きは美味しいが、うざくは予想通り甘く、東京で食べるうざくとは別物のようだ。

 2軒目は上諏訪駅近くの『古畑』。ここはもう一度、やはり夏以外に行ってみたい。
 お店には日曜の昼、11時半の開店前に着いた。既に15、16人待っている。ぎりぎり1回転目でお店に入ることが出来た。混んでいる時季ゆえ、うざく等のメニューは受け付けていないとのこと。仕方なく、鰻重を二つ、ランクを変えて竹と特梅(注:この店は松竹梅で梅の方が上)を頼んだ。
 この店は関西風。もう一つの特徴は、鰻がご飯の上に乗っているほか、ご飯の間にも鰻が入っているところ。竹には1切れ、特梅には3切れの鰻がご飯の中に隠れていた。
 関西風で鰻を蒸していないため、歯ごたえしっかりかと思っていたが、身はとってもふっくら。関東風のしっとり、やわらかとは違うが、これはこれで美味しい。いや、とても旨い。蒲焼のタレはやはり甘めだが、さほど気にならなかった。
 この店はつまみメニューが食べられるときにもう一度来てみたい。

 最後に一つお断りを。上記2軒の評価はあくまで僕の個人的な評価であり、また、『うなぎ小林』は車だったのでお酒が一滴も飲めなかったのに対し(ノンアルコール・ビールのみ)、レンタカーを返した後に行った『古畑』ではビールと地酒(諏訪の「真澄」)をたっぷり飲んで、大らかな気分だったことを付け加えておこう。

昔ながらの町の中華屋さんよ、永遠なれ・・・

2017-04-27 00:18:36 | おいしいもの食べ隊
 高円寺に『七面鳥』という店がある。別にローストターキーとか洒落た料理が出てくるわけではない。ただの古い中華屋である。店は駅から少し離れた寂しいところにひっそりとある。

 実は先日初めて行ったのだが、どこか懐かしい感じのする、とても落ち着く店だった。ひとことで言えば、昔ながらの町の中華屋さん。壁の上の方にテレビがあり、新聞や雑誌、コミックも置いてある。お父さんとお母さん、それに息子さんでやっているようだ。チェーン店にはない温かみがあり、また中国人シェフの本格的な中華とも違う、まさに日本の中華、昭和の中華といったお店である。

 この店、何がすごいかというと、メニューがすごい。麺類や定食が充実しているのに加え、なんとカレーライスやカツ丼、それにオムライスまである。ネットによれば、このオムライスが絶品らしい。
 僕は迷うことなくオムライスを注文した。あと肉野菜炒めとビールも頼んだ。ビールはセルフサービス。自分で冷蔵ケースからビールを取り出し、栓を抜く。いくつかの銘柄があったが、この渋い雰囲気の店に合うのは やっぱりキリンラガー。お店の人に「ビールもらうね。」と声を掛け飲み始めたら、すっとお通しを出してくれた。それもお新香とかではなく、きちんとした つまみが2品。うん、本当にいい店だ。
 ほどなく肉野菜炒めが出され、そして最後にオムライスが登場。ケチャップライスを玉子焼きで包むのではなく、ライスの上に薄焼き玉子をのせた形だ。さらにその上にケチャップがたっぷり。そしてライスの量が半端ない。最近炭水化物控えめの僕にはちょっとつらかった。

 お腹一杯になり、ビールを飲み、おまけにお通しが付いて2千円でお釣りが来た。正直、料理は絶品とまでは思わなかったが、普通においしい。家からそんな遠くないし、散歩がてらまた行ってみたい。よし、今度は焼きそばと餃子とビールにしよう。
 
 ところで、最近こうした“昔ながらの町の中華屋さん”が、店主の高齢化等により、どんどん減っているという。近所に必ず1軒はあった、懐かしの昭和中華、それが今や絶滅の危機に瀕しているのである。
 もっとも今ならまだ良い店が残っているに違いない。そう、行くなら“今でしょ”。というわけで、この2週間、僕は会社帰りに昭和中華とおぼしき店を訪ねて歩いた。行った店は東西線沿線か我が家の近所。順に、神楽坂『龍朋』、新中野『尚チャンラーメン』、九段下『お食事の店 まさみ』、東中野『十番』の4軒である。名前を聞いて懐かしく思う方も多いことだろう。
 
 各々一押しの料理やメニューの種類に違いはあるが、いずれの店も安く、量が多く、そして、取り立てて美味しいわけではないものの、まずくはなかった。ときに化学調味料、いわゆる「うま味調味料」の使い過ぎのせいか、のどが渇くときもあったが、それもご愛敬。良くも悪くも、昭和中華の一つの特徴であろう。なにはともあれ、手軽に、安く、ガッツリ食べたいと願う世の男性のため、昔ながらの町の中華屋さんよ、永遠なれ!

 しかし、ふと我に返れば、この年になると油は受け付けなくなって来るし、そうそう中華ばかり食べてはいられない。とすると、店主の高齢化に加え、かつて店を支えた顧客層の高齢化も昭和中華減少の大きな理由の気がして来た。う~ん、昭和中華、大丈夫だろうか・・・。

 

クリスマスには“シャルル・エドシック”

2016-12-20 00:40:12 | おいしいもの食べ隊
 先日、“シャルル・エドシック”のシャンパン・ディナーに行って来ました。シャンパンやお料理の素晴らしさに加え、かのネッド・グッドウィン氏が解説をしてくれる、ワイン愛好家にとっては垂涎のイベントです。
 えっ、「ネッドって誰?」って。そんな貴方のため(実は僕もそうでしたが・・・)彼の話は改めて書きます。今日のところはクリスマスが近いこともあり、まずは美味しいシャンパンの紹介をしたいと思います。

 シャンパンと聞いて皆さんはどんな名前を思い出しますか? おそらく飲んだことがあるかないかは別として、“ドンペリ(ドン・ペリニヨン)”を挙げる方が一番多いのではないでしょうか。続いて“モエ・エ・シャンドン”、“ヴーヴ・クリコ”といったところでしょう。結構なワイン好き、シャンパン好きの方でも、この“シャルル・エドシック”はあまりご存じないかと思います。
 というのは、代理店の関係で“シャルル・エドシック”は十数年間日本で正規に販売されていなかったからです。英米では「シャンパン・チャーリー」で有名であり、また我が国は世界で英・米・独に次ぐ第4位のシャンパン輸入国なのに、本当に残念なことでした。しかし、昨年9月から日本リカーという会社が代理店となり、久々に日本のマーケットに復活したのです。

 チャーリーというのは、創業者であるシャルル=カミーユ・エドシックのシャルル(Chares)の英語読み・チャールズの愛称です。彼は1851年、弱冠29歳で会社を設立。当時のシャンパン・ハウスが皆ロシアに販路を求めている中、彼はシャンパン未開の地・アメリカへと渡りました。彼の才能や人間的魅力もあってセールスは大成功。ニューヨークや南部の町で彼は「シャンパン・チャーリー」として知られるようになりました。ヒュー・グラント主演で彼を題材にした『シャンパン・チャーリー』(1989年)という映画が作られているほどです。
 フランスに戻った彼は、アメリカで儲けたお金でローマ時代のクレイエール(採石場跡)を購入。早い話それは地下トンネルなのですが、気温が年中10度に保たれており、シャンパンの熟成に最適な場所だったのです。クレイエールは今でも使われており、“シャルル・エドシック”のシャンパンが、そして歴史が、連綿と受け継がれています。

 さて、当日は『日比谷松本楼』の素晴らしいコース料理とともに、“シャルル・エドシック ブリュット レゼルブ”、同じく“ブリュット ヴィンテージ2005”、“ロゼ ヴィンテージ2006”、そして“ブラン・デ・ミレネール1995”が順に振る舞われました。
 この中で僕のお勧めは“ブリュット レゼルブ”。勿論ご馳走になるなら最後の“ブラン・デ・ミレネール1995”が一番ですが、如何せん、お値段が高い。1本2万円以上もします。そこで自分で買うなら断然“ブリュット レゼルブ”。モエやブーブ・クリコよりは若干お高いですが、ちょっと無理すれば手の届く価格です。
 “ブリュット レゼルブ”は、7年熟成したワインをベースに平均10年熟成したワインを加えています。その比率は60%と40%。とても贅沢なブレンドですが、この長い熟成期間が品質の高さに繋がっているのです。黄金がかった色調に、アンズ、トリュフ、ブリオッシュの香り、ミネラル感が豊富で余韻の深いシャンパンです(ご安心下さい、僕の個人的な感想ではなく、ネッド氏の受け売りです)。

 さあ、これで普段シャンパンを飲まない方でも大丈夫。シャンパン・チャーリーの由来を語り、シャンパンを的確に説明すれば、ご家族やご友人そして恋人の貴方を見る目が変わること間違いありません。クリスマスが待ち遠しい?でも、その前にまずは“ブリュット レゼルブ”を買いに行きましょう。

『思横秋祭り』 ~ 新宿西口・思い出横丁の街バル

2016-10-27 20:33:10 | おいしいもの食べ隊
 昨日『思横秋祭り』に行って来た。10月24日から26日までの3日間、新宿西口・思い出横丁で行われた街バル・イベントである。なんと6軒の店を回ってはしご酒。つい気が大きくなり、家までタクシーで帰ってしまったが、実はこれが一番高くついてしまった・・・。

 『思横秋祭り』は今年で4回目。思い出横丁の40の飲食店が参加している。3,000円で4枚綴りのチケットを買い、チケット1枚で料理1品と飲み物1杯というシステム。1軒あたり750円というと、街バルで、それも思い出横丁にしては高い気がしないでもないが、どのお店も結構充実した内容でお得感があった。
 また併せてスタンプラリーも行われていた。3店舗以上でスタンプをもらった人には抽選で1等・韓国旅行など豪華賞品が当たるとのこと。僕らは見事にはずれたが、それでもノートとウエットティッシュがもらえた。

 さて、今回行ったのは順に、『たっちゃん』(居酒屋)、『カブト』(鰻串)、『岐阜屋』(中華)、『えんなすび』(焼鳥・おでん)、『寿司辰』、『若月』(ラーメン)の6店舗。最後の『若月』は、僕が〆に焼きそばを食べたくてイベントとは別に寄った。そう『秋祭り』の料理と飲み物は各店で事前に決められている。因みに『若月』は餃子と瓶ビール(大)だった。あと『カブト』と『岐阜屋』はもともとよく行く店で、前を通ったとき運良く席が空いていたので思わず入ってしまった。
 今回の収穫、新たな発見は『寿司辰』。一人がチケットでマグロづけ3貫と瓶ビール(中)を頼み、もう一人はサンマ2貫を頼んだ。シャリは小さめで、やわらかくふわふわした感じ。ネタとのバランスが良い。マグロもサンマも美味しい。『沼津港』が東口に移転し西口で行く寿司屋が無くなってしまったが、ここなら良いかもしれない。一度普通のときに来てみよう。

 街バルはこれで3回目(以前の2回は新富町中野をご覧ください)。少ない経験ではあるが、今回の『思横秋祭り』、
 「思い出横丁はあったかいな~。」
というのが僕の印象である。お店の方が皆やさしい。店は通常通り営業しており、イベント客より普通のお客さんの方がお店にとってはありがたいはず。が、お店の方は、嫌な顔一つせず、我々イベント客を暖かく迎えてくれた。それどころか「スタンプ貯めるの頑張ってね。」と、励ましの言葉を掛けてくれた方も一人ではなかった。
 そもそも思い出横丁は半ば観光地化し、外国人観光客も多く、いつ行っても混んでいる。今さら街おこしや宣伝などは必要ないだろう。ということは『秋祭り』の目的自体、「日頃のご厚意に感謝」的な意味合いが強いのかもしれない。そう考えると、このやさしさも分かる気がする。

 一方、今回閉口したのは、贅沢な悩みではあるが、ビールを沢山飲まないといけないことだ。ビール会社3社が協賛しているためか、飲み物はビールという店が多かった。行く先々でビール、ときに大瓶など出されては、もう無理。行って 2軒が精々だ。大勢なら、皆がチケットで頼むのではなく、何人かは別途食べ物だけ注文するなど工夫した方が良いかもしれない。僕らも最後の 2軒ではそうした。

 僭越ながら、最後に街バルに参加される方への注意事項を。
 「長居はやめよう!」
 昨日僕らが『カブト』に入るとお店はそれで満席。ふと見ると1組を除き皆バル客。中には飲み食いよりも話に夢中の人達もいる。「お前、早く食って早く出ろよ。」と思わず僕はつぶやいた、心の中で。『カブト』はいつも並ばないと入れないお店で、昨日も満席で諦めて帰った人がいたに違いない。バル客たる者、そんな人のことや、バル客では儲けが少ないお店のことも考えないといけないと思う。
 その点僕らは模範生。昨日の『秋祭り』、8時過ぎに行き、帰ったのは10時前。僅か100分足らずで、つまり 6軒を平均15分強で回った。スマートだね、粋だね。
 もっとも、そんな短い時間でお酒をたくさん飲んだせいか、昨日タクシーに乗ってからの記憶が断片的にしかない・・・。そして“爽やかな朝”ではない今朝。う~ん、まだまだ粋なバル客になるための修行は続く。

続・シンガポールでB級グルメ!

2015-11-18 01:09:11 | おいしいもの食べ隊
 シンガポールでB級グルメ!(2009.1.5) を書いてから、構想7年、現地調査5回、満を持して(?)続編を書くことにした。

 僕は、シンガポールではホテルで朝食を食べない。外食文化の盛んなシンガポール、朝からやっている、安くておいしい店がたくさんあるからだ。我が家の朝の定番は、バクテー(肉骨茶)とプロウン・ミー(蝦麺)。
 以前紹介したバクテー、中国醤油と漢方ハーブで豚のリブ肉を煮込んだものは、マレーシア式のバクテーだった。後で知ったが、シンガポールで主流の味は白コショウとニンニク。白っぽいスパイシーなスープで豚のリブ肉を煮込んだものである。ご飯や揚げパンをスープに浸して食べるともう立派な朝ごはん。スープはいくらでも継ぎ足してくれるし、結構お腹いっぱいになる。『黄亜細肉骨茶餐室』や『発起人肉骨茶餐館』が有名だが、バクテーはどこで食べても大概旨い。

 プロウン・ミーのお気に入りは『ジャラン・サルタン・プロウン・ミー』。たっぷりのエビ(ブラックタイガーの尾頭付き)を使った濃厚なスープがたまらない。プロウン・ミーはスープ麺で食べるのが普通のようだが、ここでは麺をドライで食べ、スープは別にもらう人がほとんど。ここのスープを麺やモヤシで汚してはもったいないと、僕もそれに倣っている。
 実は、シンガポールに行った回数より、この店に行った回数の方が多い。つまり、一度の滞在で2回食べに行ったことがある。場所はMRT東西線カラン駅のすぐそば。僕はこの店に通いやすいようにと ez-link card(日本でいうSuica)まで買っている。気合の入り方がお分かり頂けるだろう。

 そして、お昼。お昼はやっぱりチキンライス。前回も書いたが、ケチャップライスではなく、鶏をゆでて、その汁でご飯を炊いたものである。このライスが本当に旨い。ゆでた鶏はチリソースや生姜ソースで食べるが、勿論、鶏も旨い。
 チキンライスは、鶏のゆで方というか冷まし方で海南式と広東式に分かれる。海南式はゆでた鶏をそのまま吊るして冷ます。一方の広東式はゆでた鶏を冷水で一気に冷やす。広東式の方が上品な感じ、鶏肉がつるんとした舌触りである。前者の代表がマックスウェル・フードセンターの『天天海南鶏飯』で、後者が『文東記』。好みの問題だが、僕は『天天』の方が好きだ。値段も『天天』の方がずっと安い。

 まだまだフライド・ホッケン・ミー、ラクサ、キャロット・ケーキなど、安くておいしいローカルフードがたくさんある。ホーカーズ(注:シンガポール流フードコート)で自分の好きな料理を見つけ出すのも、シンガポールでB級グルメを味わう一つの醍醐味といえよう。

 ところで、B級グルメの定義といえば、安くて、庶民的でありながら、おいしい料理。前回ブログを書いた2009年の初め、シンガポールの食事は確かに安かった。が、今はあまりお得感を感じない。いや、かえって日本より高いかもしれない。
 シンガポールは、デフレの日本とは違い、景気が良いので物価が上がっている。しかし、それ以上に円安が大きい。60円台前半だった1シンガポール・ドルが、今では80円台半ば。円ベースの価格を考えると、為替だけで 4割近く上がった計算になる。もはや日本の庶民がB級グルメと呼ぶにはちょっと無理が。う~ん、この続編、構想7年のわりに企画倒れか・・・。




 

「まち”なかの”バル」からの、反省会

2015-06-30 00:22:37 | おいしいもの食べ隊
 6月24、25日、中野駅南口で街バル「まちなかのバル」が行われた。地元民として、やはり行かねばと思い、初日に行ってきた。が、その結果は・・・。
 中野を愛する人間として、あるいは街バル評論家として(って、実はこれが街バル2回目の初心者ですが)是非、一言言わせて頂きたい。

 はじめにイベントの概要を説明しよう。バルの参加店舗は31店舗(但し3店舗はテイクアウトのみ)。5枚つづりのチケットを前売り3,500円(当日だと4,000円)で買い、チケット1枚で各店舗ご自慢のおつまみとお酒1杯を楽しむことができる。1枚700円というと若干高い気がしないではないが、お店によっては結構お得な内容になっている。

 では、何が不満だったのか。一言で言えば、参加店舗のイベントに対する熱意が感じられなかったのである。

 地元だけあって結構行ったことのある店が多かった。今日は知らない店ばかり5軒回ろうと思ってスタートしたが、結果は4軒止まり。というのは満員で入れない店が多かったのである。4軒満員で断られ、また対象の料理がないと言われた店も2軒あった。
 本来“はしご酒”をして何軒も回ってもらう、いろんな店を知ってもらうためのイベントでありながら、肝心の“はしご酒”が難しかった。どの店もオペレーションが悪いのである。通常営業をやりながらのバル・イベントであり、まず料理の提供に時間がかかる。料理もイベントのため特に用意したというより、いつものメニューから選んだもの。バル客が来てから、作り出す店もあった。これでは回転が悪くなって当然だ。

 以前行った新富町の街バルの場合、当日は通常営業がなく、全力をイベントに集中していた。料理の多くは事前に準備されており、また参加証代わりのワイングラスを持って歩き、飲み物はそのグラスに注ぐだけ。おまけに椅子を取っ払って立ち飲みスタイルにし、キャパを広げている店も多かった。これなら回転が速い。満員で断られることなどなかった。

 しかし、これは必ずしも参加店舗の責任だけとは言えない。そもそもこの街バルが、官制のお仕着せイベントの色合いが濃いからである。
 イベントは地元の5つの商店街の共催で中野区が後援。彼らにしてみれば流行りの街バルをやったら人が来るだろうと始めたのであろうし、参加店舗にしてみれば声を掛けられたから参加しただけであろう。それに多少の義理もあれば、宣伝効果への期待もあっただろう。皆で街を盛り上げるぞ!という熱意は感じられず、街を挙げてのイベントというより、各店舗が割引クーポンを配っただけのような気がした。そう、特別なイベントというより、日常の延長線なのである。

 次回は、例えば日曜の昼間に(朝から?)バル・イベントだけやるとか、駅前広場や裏通りを歩行者天国にして大立ち飲み会場にするとか、もう少し工夫があると良い(呑兵衛の発想ですみません)。なにか目玉がないと、せっかく始めたこのイベントもジリ貧になってしまう。僕らは、先月中野にオープンした、NYで大人気というラーメンバーガーの店に行き(この店はイベントに不参加)、そんな勝手な反省会をした。

 さて、初めて食べたラーメンバーガーの感想であるが、話のたねに一度はどうぞという感じ。ラーメンバーガーは、パンの代わりに焼き付けたラーメン(どちらかというと焼きそば?)でハンバーグを挟んでいるのだが、個人的にはハンバーグはハンバーグで食べ、焼きそばは焼きそばで別々に食べたいと思った。
 やっぱりアメリカ人の味覚はわからないなと思いつつも、街バル活性化には、こうした無茶苦茶な発想が必要なのかもしれない。

カレーは見た目が何割? ~ 『東洋軒』のブラックカレー

2015-03-01 14:03:57 | おいしいもの食べ隊
 以前『人は見た目が9割』という本が流行ったことがある。見た目に自信のない僕は、タイトルに憤慨し、その本を無視したことを覚えている。では、料理はどうだろう。料理雑誌の写真は、美味しそうに見せるため脚色する場合が多いという。まず食べてもらうには、やはり料理も見た目が重要なのである。
 カレーといえば黄色。最近はインドやタイのカレーのおかげで、赤や緑もカレーの色として認知されてきた。去年はビーツを使ったピンクのカレーが話題になったが、見た目はどう見てもスイーツ。カレーとは程遠い料理に見えた。
 昭和初期、このカレーの色の常識に挑んだ料理人がいた。そして、そのカレーを今も味わうことが出来る。

 店の名は『東洋軒』。元は東京の芝にあった明治22年創業の洋食の草分け、宮内庁御用達の名店である。昭和3年その支店が三重県津市に開かれ、昭和25年のれん分けで津市『東洋軒』となった。ブラックカレーは、この津市『東洋軒』で生まれたのである。東京の『東洋軒』は既に閉店しているが、津市『東洋軒』は今も続いており、昨年東京に進出、赤坂見附に支店を開いた。僕はその赤坂の店にブラックカレーを食べに行って来た。

 ブラックカレー誕生のきっかけは川喜田半泥子(かわきたはんでいし)。「東の魯山人、西の半泥子」と北大路魯山人と並び称された人物である。伊勢の名家に生まれ、銀行頭取にして陶芸家、そして美食家であった。津に『東洋軒』ができたのも彼が津に居たからである。
 彼の「黒いカレーが出来ないか」との注文を受け、津市『東洋軒』初代の猪俣重勝氏が苦労の末作り上げたのがブラックカレーである。松坂牛の背油で小麦粉と秘伝のスパイスを3週間ほど煮込み(炒め?)、それに炒めた玉ねぎや野菜、松坂牛の切り落とし肉などを加え、さらに1週間煮込み、2日間寝かして完成。このレシピは今も変わっていないという。
 ブラックカレーは文字通り黒い。が、見た目とは違いさらりとした軽い口当たりで、松坂牛の甘み、旨みが感じられた後、じわっと辛みが口に広がる。たいへん上品というか、洗練された味である。翌日のカレーがおいしいのは常識かと思う。煮込むことで具材の成分が溶け出しコクが増すからだ。ブラックカレーは1か月近くも煮込むのだから、美味しくないはずがない。

 料理で黒というと“焦げ”を連想してしまうせいか、見た目が“黒”というのは避けられて来たのではないだろうか。ここまで見事なまでに黒い料理はイカスミのパスタやリゾット以外に見たことがない。半泥子氏の好奇心というか、ちょっとした悪戯心と、猪俣氏の努力には本当に脱帽である。是非一度『東洋軒』のブラックカレーをご賞味あれ。
 と、簡単に言ったものの、このブラックカレー、カレーとは思えないほど高い。なんと2,600円もする。かといって1か月も煮込んで作る根気もないし・・・。何か特別な日、そう、ひどく落ち込んだときに食べてみてはどうだろう。カレーの暗い、黒い色は今の自分の気持ちと同じ。でも、一口カレーを食べたら口いっぱいに幸せが。すると笑顔になって、ちょっぴり元気が出るに違いない。

鰻の串焼き、中野『味治(みはる)』

2014-04-10 00:08:57 | おいしいもの食べ隊
 月島から中野に引っ越して来て4カ月になる。引っ越して苦労したのは通勤。中野で遠いと言っては怒られそうだが、以前は歩いても会社に行けたが今は到底無理。久々の満員電車の通勤になかなか慣れなかった。終いには満員電車のせいで(と本人は信じているが)インフルエンザになる始末。ペースをつかむのに3カ月くらい掛かった。
 逆に引っ越して良かったのは飲食店。月島はご存知もんじゃの町で、飲食店の2軒に1軒(3軒に2軒?)はもんじゃである。もんじゃ以外で良い店を見つけるのは結構大変だ。一方、ここ中野は飲食店に恵まれている。おまけに安い。洒落た店は少ないが、極めて実質的でおいしい店が多い。そんな中野でお勧めの店をといって、真っ先に思い浮かぶのが『味治(みはる)』である。

 『味治』は、『美味しんぼ』80巻に鰻串の名人として登場した『川二郎』の2代目・鈴木正治氏が、『川二郎』を甥に譲り5年前に開いた店である。鰻串だけでなく、お客様に鰻重など鰻をゆっくり楽しんで欲しいとの思いから始めたそうだ。
 鰻の串焼きは東京の文化である。不思議だが、あの串揚げ・串焼きと大の串好きで、かつホルモン大好きの大阪にもない。鰻の頭、内臓、背びれ、尾びれなど普通の鰻屋で捨てている部位を含め串に刺し、鰻を余すことなく食べるのである。『川二郎』は串の種類が多かったそうだが、『味治』では短冊、八幡巻、肝、えりの4種類である。
 簡単に説明すると、短冊というのは我々が普通に食べる鰻の身の部分を串にしたもの。ただ鰻を蒸さずに焼いているのでプリプリと弾力があり、蒲焼とは違った味わいが楽しめる。八幡巻というのは、ネギマならぬゴボウマ(ゴボウウ?)、つまり短冊の間に牛蒡を入れて焼いたものである。牛蒡の土臭さと鰻が妙に合って旨い。肝は、肝臓ではなく内臓全体を焼いたもの。最後のえりは、頭というか、鰻の首から顔の部分である。この4本セットが1,200円である。

 『味治』では、この串セットを頼んで日本酒(辛口の“八重壽”)を飲み、〆に鰻丼、懐に余裕があれば鰻重というのが酒飲みの王道であろう。仕上がりは、鰻丼であれば3,000円ちょっと、鰻重であれば4,500円くらいだろうか。金額だけ聞くと高いが、何分鰻の話である。鰻重だけで平気で4、5千円取る店もあるのだから、やはりお得である。
 大将に「カブト(注:新宿にある鰻串の草分け的なお店)のえりは小骨が多くて食べにくいけど、ここのは少なくて本当食べやすいですね。下処理が大変じゃないですか。」と訊ねたところ、大将は笑って「それは企業秘密だよ。」と言った。ただ、その理由がわかるからと鰻の佃煮を勧めてくれた。なんと頭の小骨の佃煮である。これがまた旨い。日本酒のあてに、そして白いご飯のお供に最高だ。
 「お客さん、カブトに行ってるんだ。いやぁ、緊張するな~。」と言った大将の横を見ると、そこにはなんと緑の“八重壽”の瓶が・・・。こうしたゆるい感じが、なんとも中野らしくて好きだ。

『新富町はしご酒2013』 ~ その心意気に乾杯!

2013-10-06 19:57:05 | おいしいもの食べ隊
 新富町は、銀座、築地、八丁堀、そして隅田川を挟んで佃・月島に囲まれている。地下鉄有楽町線新富町駅の北側、新富、入船、湊の三つの町が、新富町エリアである。
 この新富町、住んでいる方には申し訳ないが、中央区の中では極めて影が薄い。名所、名物等が何もないのである。銀座、築地は言うまでもないが、八丁堀は時代劇の舞台として有名だし、佃・月島にはもんじゃと佃煮がある。新富町から道路を隔ててすぐ中央区役所や聖路加病院があるが、住所は築地に明石。新富町にはランドマーク的な建物もなく、思い浮かぶ建物といえば精々京橋税務署と、いかにも寂しい。

 2012年1月、そんな新富町を盛り上げようと地元飲食店6店舗のオーナーが、“info@新富町”を立ち上げ活動を始めた。地図の作成、ホームページ「しんとみさん」開設、4月13日を「新富の日」(し(ん)・とう・み)と命名しイベントを開催、はしご酒イベントの開催等を行っている。
 9月28日(土)、僕は第2回はしご酒イベント、「新富町はしご酒2013」に参加してきた。“はしご酒”というのは、一人3,500円のチケット(500円×7枚)を買い、そのチケットで各店自慢のお酒とお料理を、何店もはしごして楽しもう、というイベントである。ほとんどの飲み物とつまみはチケット1枚でOK。参加者は、気軽に多くの店を訪ねることができ、その店の味や雰囲気に触れ、店の個性を知ることができる。
 一方、店側は店の宣伝、新しいお客さんの獲得を期待できる。昨年の参加店舗は6店舗だったが、今年は17店舗に拡大。料亭からフレンチ、居酒屋、ワイン・バー、そば屋等と幅広い。参加募集人数は、昨年は150名だったが、今年は360名に増員、さらに応募が多かったことから最終的には600名まで増やしたという。

 僕らは17店舗中7店舗に行った(つまりは7杯以上飲んだということ)。当初のチケットは早々に使い果たし、2度も追加でチケットを購入する破目になってしまった。
 で、訪れた店は順に以下の通り。①料亭『躍金楼(てっきんろう)』、②ワインスタンド『KHADONO』、③カジュアルフレンチ『ボンナ・カストラ』、④日本料理『潤菜(るさい) どうしん』、⑤和食『まめや』、⑥居酒屋『つきじ 左光』、⑦ライブハウス『MADEIRA』。
 普段行けない料亭や、行ったことのない店、それにあることすら知らなかった店に行くことができ、なかなか楽しい経験だった。チケット制で値段を気にする必要がないし、また1ドリンク・1フードで次の店へ、という気軽さが本当に有難い。個人的には、特に『KHADONO』のバルっぽい雰囲気と、『ボンナ・カストラ』のビーフシチューが気に入った。

 今回“はしご酒”で初めて知ったが、新富町には下町とは思えないお洒落な店や、個性的な店が結構多い。おそらく銀座に近いものの、落ち着いた、静かな新富町の街は、都心のわりに賃料が安く、店を開きやすいのであろう。そこに若手の個性的なオーナーが集まり、交流(飲み会?)の輪が広まったのである。自分の店だけで十分忙しいのに、地元活性化のため閉店後や休日の時間を割いて活動されているオーナーの方々の努力には本当に感服する。

 オーナーの方々のその心意気に乾杯!

(もっとも、僕が他の地域の飲食店オーナーだったら、新富町の皆さんの心意気に“完敗”かもしれない。世の中、面白いな、やりたいなと思っても、なかなか出来ないことが多いから。)

 

『五代目 野田岩』がワインの持ち込みを断念した理由

2013-08-18 23:31:21 | おいしいもの食べ隊
 以前、“鰻にワインを! ~ 『五代目 野田岩』にて”で、『野田岩』ではワインの持ち込みができ、それも1本目は無料だ、と書いた。
 しかし、残念ながら、それはもう過去の話。昨日知ったが、ワインの持ち込みを止めて1年近くになるという。今日はその理由について書きたい。

 昨日、久々に『野田岩』に行った。今回もワインを持ち込ませて頂こうと、いそいそとオーストラリアの赤ワイン(シラーズ)を持って出かけた。5時に着いたが、既に十数組待っている。やはり夏場の鰻屋さんを馬鹿にしてはいけない。一瞬帰ろうかと思ったが、お盆休みの土曜日の麻布、他にあてがあるわけではない。僕らは待つことにした。
 待つこと1時間15分、漸く席が空いた。3階の和室に案内された。僕らは、ビールとつまみ、それに白焼と鰻重を注文した。ビールを飲みながら、飲み物のメニューを見ていたところ、最後に信じられない一言が。当店はワイン、日本酒等の持ち込みは行っていません、とある。ちょっと待って、今まで持ち込みOKだったのに・・・、それを楽しみにわざわざ遠くからやって来たのに・・・。

 僕は、怒る気持ちを抑え、冷静にと言い聞かせながら、店の人に「ワインの持ち込みはいつ止められたのですか?」と訊ねた。
 すると、彼女は「もう1年近くになるでしょうか。」と前置きし、話を始めた。要約すれば、そもそもワインの持ち込みは五代目がワインがお好きで、お客様の記念日などに記念のワイン、思い出のワインと一緒に鰻を楽しんで頂ければと始めたものの、最近その趣旨をご理解頂けないお客様が増えてきたため止めざるを得なかったというのである。

 聞けば、確かにひどい。「モンスター・ペアレント」ならぬ「モンスター・ゲスト」だ、と僕は思った。
 「スーパーで買った340円のワインを持ってくる人」、「大きなペットボトルの焼酎を持ち込む人」、「缶ビールをケースで持ち込み、2缶目からは持ち込み料をと言ったところ逆ギレした人」等々、どれも論外、非常識である。皆、持ち込みを自分に都合の良いよう拡大解釈し、それが正しいと信じているようだ。客だから何を言っても良いと考えているのだろうか、極めて自己中心的である。
 本来、店と客との関係というのは、一種のギブ・アンド・テイクであるべきだ。店は素晴らしい料理とサービスを提供するよう努め、客はそれを評価、あるいは感謝して対価を支払う。料理等に満足しなかったのならば、もうその店には行く必要はない。逆に、店のご厚意に応えられない、あるいは店のルールに従えないのであれば、その店に行く資格がないと僕は思う。件のモンスター・ゲストは、スーパーかデパートで鰻を買って、家で好きな酒を好きなだけ飲みながら食べれば良い。

 怒り心頭のあまり文句ばかりで終わってしまいそうだが、最後にちょっと良い話を。

 僕の訊ねた店員さんが、「鰻にワインを合わせるのを楽しみにしていらしたお客様が、ワインの持ち込みが出来ず、残念がられていたと五代目に伝えておきます。」と言った。僕はほんの気休めだろうと思い、聞き流していた。
 しかし、僕らが鰻重を食べ終わり、周りも少し落ち着き始めた頃、突然、五代目が僕らの席にやってきた。80代半ばのお年を考えると、3階まで階段でいらして頂くだけで恐縮である。その上、今日は申し訳なかった、とおっしゃった。正直に、残念でしたと答えながらも、持ってきたワインを五代目に鰻と試していただくよう差し上げた。
 五代目のまじめさ、そしてお客様のことを想う気持ちに触れることができ、ますます『野田岩』のファンになってしまった。あとは次回来た時に、ボルドーなどフランスの赤ワインの中にオーストラリア・ワインが加わっていると嬉しいが。



ジャパバル(?)、恵比寿『たつや』

2013-08-15 23:34:04 | おいしいもの食べ隊
 スペインでは“BAR” と書いて“バル”と読む飲食店がある。お酒を出すという点では日本のバーと同じだが、その用途というか、サービスは大きく異なる。イメージとしては、日本の喫茶店とレストランと居酒屋を足して3で割ったような感じだ。
 バルは朝から夜まで通しでやっている。極端な話、朝食に昼食、それに休憩のコーヒー、更には夕方ちょっとつまんで飲むのまで、すべてバル1軒で事足りる。スペイン人の生活に欠かせないお店なのである。

 日本にスペインの“バル”のような店はないだろうか。

 最近、日本でも“スペイン・バル”を名乗る、お洒落な店が増えている。が、夜しかやっていなかったり、せいぜい夜とランチ営業だけだったり、スペインのバルとは違う。人々の日々の生活に根付いているというより、非日常を味わうために行く店のような気がする。
 
 しかし、日本には日本の“バル”があった。そう、恵比寿の『たつや』である。『たつや』はやきとんの店。看板に日本一のやきとりと書いてあるが、正真正銘、やきとんの店である。お洒落な恵比寿の街には似合わない、庶民的でホッピーがよく合う、昭和の匂いがする店だ。
 この店、何が凄いかというと、営業時間が凄い。なんと朝の8時から翌朝5時まで営業している。ちょっと古いが、『スモーキン・ブギ』的に言えば、♪目覚めのやきとん、食後のホッピー、授業をさぼってやきとん1本、朝から晩までやきとん・ホッピー、『たつや』でみんなでやきとん・ホッピー♪、という夢のような一日(?)が可能なのである。
 もっとも善良な小市民の僕はそんな一日を過ごすことは無い。『たつや』に行くのはたいてい土曜日の昼。競馬新聞と赤鉛筆を持ち、テレビの競馬中継に見入っているオジサンたちに囲まれ、やきとんを堪能する。特に、ここのかしらは絶品。僕は席に着くと同時に、ホッピー、煮込み豆腐、トマト、そしてかしらを頼む。あとはその日の気分でなんこつ、しいたけ、ししとう、厚揚げ、チーズフランクなどを注文する。まさに至福のときだ。

 『たつや』は常連さんが多い。が、皆やさしい。常連さんに囲まれ、気まずい思いをすることなど断じてない。ときには、『たつや』の社長がお客さんに交じって飲んでいることもあるし、仕事を上がった焼き手のお兄ちゃんが客席に移って飲んでいることもある。そう、お客さんも、店で働く人も皆『たつや』が心底好きなのである。
 だからこそ僕は命名したい、恵比寿『たつや』をジャパニーズ・バル、略して“ジャパバル”と。ずっと皆に愛され、人々の生活の一部であり続けて欲しい。

(注:『たつや』は恵比寿に3店舗あるが、個人的には駅前店(1階)がお勧めだ。)