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新橋文化劇場の閉館、そして名画座へのオマージュ

2014-08-12 22:57:01 | 芸術をひとかけら
 新橋文化劇場が今月末で閉館するという。新橋の烏森口のガード下にある映画館である。僕自身ここには2回しか行ったことがなく、さほど愛着があるわけではないが、名画座がまた姿を消すのかと思うと、やはり寂しい。
 これで東京に残る昔ながらの名画座といえば、早稲田松竹、飯田橋ギンレイホール、目黒シネマ、そして下高井戸シネマくらいだ。

 “名画座”と聞いてあまりピンとこない若い方のために若干説明すると、名画座とは旧作映画を上映する映画館である。つまり、ロードショーの終わった作品や、過去の名作・ヒット作、あるいは ほとんど見たことも聞いたこともない作品まで上映する映画館である。
 名画座の名画座たる特徴としては、以下のようなことが思い浮かぶ。
 2本あるいは3本立て、入替なし、全席自由、そして安い。僕がよく通っていた80年代の料金は500、600円であったが、今でも1,000円程度だ。あと、椅子が狭く、固く、たいてい1本目の途中からお尻が痛くなることや、どこか暗く(まあ映画館だから暗いのは当たり前かもしれないが)、どこかカビ臭いこと。失礼、最後は遠い昭和の話であり、今の名画座は違うと思う(もとい、新橋文化はまさにこのイメージなので、それ以外の名画座は、としておこう)。

 作品の組合せは、同じ監督や俳優、同じ時代・ジャンル等何らかのテーマのある場合がほとんどだが、映画であるということ以外にあまり共通項のない、単に配給会社の都合による場合もある。
 ほとんどの名画座は月毎にスケジュール表を作っており、併せて映画の紹介を書いていた。映画館の方のその映画に対する思いが伝わってくる。また、スケジュール表には地元商店の広告が入っていることが多かった。下高井戸京王(現 下高井戸シネマ)の「波止場」とか、国立スカラ座の「国立写真店」とか。映画好きの人間が集うだけではなく、地元の人が非日常に浸るため、あるいは単なる暇つぶしや時間調整のため気軽にやって来る、それが低料金の名画座の良いところである。

 こうした名画座が町から消えている理由は、直接的にはレンタルビデオとの競合であり、間接的というかその背景には人々の映画離れがある。映連の統計によると、映画人口(映画館の入場者数)のピークは1958(昭和33)年の11億27百万人。当時の人口は92百万人なので、一人当たり年間12本、月1本映画を観ていたことになる。一方、昨年2013年の映画人口はというと1億56百万人。人口は1億26百万人なので、一人当たり年間1.2本とピークの 1/10 にすぎない。
 シネコンの増加により映画館(スクリーン)数は1993年の1,734を底に増えており、昨年は3,318となった。それでも映画館数のピーク 7,457(1960(昭和35)年)の半分以下である。そして、3,318のうち2,831がシネコンであり、その差487がロードショー館と名画座の合計である。2000年には1,401あったので、この13年で従来型の映画館は914も減ったことになる。時代の流れと言えばそれまでであるが、名画座のような個性のある映画館が減っていくのは悲しい。

 新橋文化の最後の上映(8/23~8/31)は、「デス・プルーフ in グラインドハウス(2007年)」と「タクシー・ドライバー(1976年)」の2本立て。前者はクエンティン・タランティーノの作品(B級スリラー?)。後者はマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の名作。僕は以前名画座、早稲田松竹で観た。ロバート・デ・ニーロの常軌を逸した行動、狂気を強烈に覚えている。
 この年になると名画座で2本観るのは辛い。よし、30年振りに「タクシー・ドライバー」を観に行こう。