縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ポルトガルってどんな国?(ポルトガル紀行1)

2015-08-23 11:29:41 | もう一度行きたい
 先月夏休みを取りポルトガルに行って来た。
 と僕が言うと、なぜポルトガル?とよく訊かれた。確かに日本人がすぐ頭に浮かぶ名所名跡はない。パリのようにブランド店もなければ、ロンドンのようにミュージカルもない。おまけに日本からの直行便がないため極めて行きにくい。行きは飛行機の乗り継ぎが悪かったこともあり、なんと成田からリスボンまで20時間も掛かってしまった。

 僕がポルトガルを選んだのは、『リスボンに誘われて』という映画を観たのがきっかけである。ヨーロッパ映画だけのことはあり(ドイツ、スイス、ポルトガル合作)、暗い、もとい考えさせられる映画だった。映画自体は特に素晴らしい出来ではない。ただ僕は、この映画を見てポルトガルのことを何も知らないことに気が付き(というか、あまり考えたことすらなかった)、俄然ポルトガルに興味が湧いたのである。

 15世紀、ポルトガルは大航海時代の先駆けとなり、スペインとともに世界の海を支配した。種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガル人だし、日本にイエズス会の宣教師を連れてきたのもポルトガル人である。また、てんぷら、金平糖、カルタなど、日本語になったポルトガル語も多い。しかし、イギリス、フランス、オランダの海外進出が活発になるにつれ、ポルトガル、スペインは没落した。日本史の中から南蛮人は消え、かくしてポルトガルへの日本人の関心も薄れたのではないだろうか。

 そんなポルトガルが再び日本で話題になったのはリーマンショック以後。財政破たんの懸念される国(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)の頭文字を取ってPIGSなる表現が生まれ、日本でもポルトガルが注目されるようになった(最近はアイルランドを加えてPIIGSとも言われる)。ありがたい話ではないが、ギリシャの次はポルトガルとの評判が高い。
 PIGSの4か国、不思議とほかにも共通点が多い。南欧、ラテン系、いずれもかつて一時代を築いた国であること、そして、第二次世界大戦後も独裁政治が長く続いていたことである(但し、イタリアの独裁は戦前であるが)。ポルトガルを50年近く支配したサラザール、ムッソリーニ、クーデターにより1960年代半ばから10年近くギリシアを支配した軍事政権、そしてスペインを40年以上支配したフランコ。日本も同じだが、長い独裁、つまり民主主義の歴史の浅さと財政赤字は何か関係があるのだろうか。権利だけを声高に主張する国民、国の将来よりも足元の選挙のことしか考えない政権、この組み合わせが財政支出拡大を招き・・・、おっと失礼、話がそれてしまった。

 今回の旅は、リスボン4泊のポルト3泊。リスボンからは近郊の街、ユーラシア大陸最西端のロカ岬やオビドス、ファティマなどにも足を延ばした。全体の印象は、田舎だなぁということ。のんびりしていい。もっともリスボンはスリが多いので繁華街ではそれなりに緊張が必要である(僕も2度未遂にあった)。あと魚貝類をよく食べる。日本人が住んでも食で苦労することはないだろう。意外に英語がよく通じる。観光客が行かないような店でも英語OKだった。ドイツ並みである。お隣のスペインでは英語がほとんど通じないのに不思議だ。物価が安いと聞くが、昨今の円安のためあまり実感できなかった。残念。
 僕が感じたポルトガルを何回かに分け皆さんにご紹介して行きたい。それを見て、私もポルトガルに行きたい! と思ってくれたら嬉しい。

映画『あの日のように抱きしめて』を観て ~ 名は体を表してる?

2015-08-21 22:39:50 | 芸術をひとかけら
 お盆明け、周りはまだ夏休みの人も多く、なかなか仕事に気合が入らない。よし、今日は早帰りだ、久々に映画でも見て帰ろう、と思い見つけたのが『あの日のように抱きしめて』(渋谷のBunkamura ル・シネマ)。

 戦争で引き裂かれた夫婦の物語と聞き、ヴィヴィアン・リーの『哀愁』やソフィア・ローレンの『ひまわり』が頭に浮かんだ。が、あとで知ったが、監督はヒッチコックの『めまい』を撮りたかったとのこと。そう、この映画は女性が入れ替わる話。僕が思い描いた哀しいラブストーリーではなく、ミステリーなのであった。

 まずは簡単にあらすじを。
 ときは1945年6月、第二次世界大戦直後のベルリン。元歌手のネリーは顔に大怪我を負いながらもアウシュビッツの強制収容所から奇跡的に生還した。顔の再建手術を受け、元通りとはいかないが、以前の自分に近い姿になった。そんな彼女の願いは、ピアニストだった夫ジョニーを探し出し、幸せな二人の生活を取り戻すこと。ネリーはなんとかジョニーとの再会を果たすが、彼は容貌の変わったネリーに気づかない。そして、なんと収容所で亡くなった妻になりすまし、遺産を山分けしようと持ちかけてきたのである。
 ネリーは戸惑いながらも、夫が自分に気が付き、また昔のように愛してくれることを信じ、その提案を受け入れる。ネリーは自分自身の偽物を演じることにしたのである。しかし、次第に彼女の中に「夫は本当に自分を愛していたのか、それとも裏切ったのか。」との疑念が芽生え、そして・・・。

 ところで、この映画の原題は“Phoenix”である。僕は、ラブストーリーのような『あの日のように抱きしめて』より、Phoenix(フェニックス、不死鳥)をそのままタイトルにした方が良かったと思う。なぜなら、この映画のテーマは「再生」だからである。
 破壊されたネリーの顔の再建、アウシュビッツで失ったネリーの人間性、尊厳の回復、さらには戦争で甚大な被害を被ったドイツという国の再生、等々。ネリーとジョニーの関係の行方については映画を見てのお楽しみ。

 この映画を見てしみじみ思ったこと、それは、やっぱり女性は強いな、ということ。
 ネリーが最後に下した結論は明示されておらず、観客一人一人の判断に委ねられる。僕には、最後の彼女の姿に、アウシュビッツでの筆舌に尽くしがたい経験や、そこで唯一の心の支え、生き抜く力になったジョニーとの幸せな生活を取り戻すという目標・希望を忘れ、つまり辛い過去ときっぱり決別し、未来を生きて行こうという彼女の強い決意が感じられた。
 ラストシーンで、ドイツから米国に亡命したユダヤ人作曲家クルト・ヴァイルの名曲「Speak Low」が心憎く使われている。ネリーが歌う「Speak Low」は、初めはか細い声で彼女の脆さ、弱さが表れているが、次第に声は力強く熱唱となる。彼女の再生に向けた強い意思表示のように聴こえた。