縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

舞台化された『ショーシャンクの空に』

2013-11-10 20:39:12 | 芸術をひとかけら
 あの『ショーシャンクの空に』が舞台になったというので観てきた。

 『ショーシャンクの空に』は1994年に公開されたアメリカ映画である。無実の罪で投獄されたエリート銀行員が、腐敗した刑務所の中でも自分を見失わず、そして希望を捨てることなく生きて行く姿を描いている。絶望の中にあっても諦めることなく、今、何をすべきかを考えることで、ささやかな自由、満足感を勝ち取り、最後に本当の自由を手に入れるという話である。
 刑務所の悲惨な状況は『ミッドナイト・エクスプレス』を彷彿させる一方、自由を手に入れるまでのストーリーは『スティング』のどんでん返しに相通じるところがあり、なかなか面白い映画である。特にイケメン俳優が出ているわけではないが、なぜか、女性に人気のある映画だ。

 さて、肝心の舞台であるが、よく出来ているな、思いのほか楽しめた、というのが僕の正直な感想である。
 まず、この舞台が映画から独立して存在できるようにとの工夫、つまり映画を観ていない人でも舞台を楽しめるようにとの工夫が心憎い。主人公アンディーの入れられた牢の壁には映画女優のポスターが貼られていた。ポスターはリタ・ヘイワーズに始まり、マリリン・モンロー、ラクエル・ウェルチと続く。舞台では彼女達を実際に登場させ、ナレーターというかMCの代わりに使っているのである。また、アンディーの親友レッドが、仮釈放後、アンディーの自伝を書く設定になっており、それが話の筋の確認を助けている。
 もう一つ、刑務所で暮らす囚人、特に終身刑を言い渡された囚人の心の葛藤が、映画よりも上手く描かれていた。何十年もの間、毎日毎日同じことの繰り返しが続き、外の世界からは取り残され、ただ老いて行くのみ。希望を持つことなど出来ず、仮釈放になったところで、時代に、世の中に付いて行けないのではとの不安。こうした焦り、不安、諦めを感じているレッドなど囚人達との対比で、ぶれない、諦めないアンディーの価値、稀有な存在であることが、より際立っていたと思う。

 もっとも、この人物の内面表現へのフォーカスは、場面を簡単に切り替えることのできない舞台の制約に依るのかもしれない。舞台は刑務所の中をメインにしており、主に塀の外で起きるどんでん返しのおもしろさは、この舞台ではよく分からない。若干登場人物の説明に頼る部分があり、そのおもしろさがストレートに伝わって来ないのである。ここがこの舞台の弱点といえる。
 もちろん、内面の葛藤を採るか痛快な展開を採るかは好き好きなので、舞台の方が人物表現に深みがあって良いという人がいるのかもしれないが。

 東京は今日、10日の公演で終わりだが、来週以降、週末を中心に大阪、福岡、名古屋そして松本で公演がある。『ショーシャンク』ファンの方はご覧になるとおもしろいと思う。そして、もし映画をまだご覧でない方は、まずDVDを借りて映画を観よう。その方が舞台を10倍楽しめること請け合いだ。

 

「八ツ場ダム」を憶えていますか?

2013-11-04 11:58:51 | 最近思うこと
 先日、八ツ場ダムの建設予定地に行った。もとい、偶然訪れた。

 僕らは、関越道を渋川伊香保ICで降り、国道145号を通って草津へと向かっていた。その途中、車は、ナビ上では145号を外れ、道なき道(?)をずんずん走っている。ウチの車のナビが古いため、新しくできた道を認識していないのである。いくつかトンネルを抜け、ふと見ると「道の駅 八ツ場ふるさと館」の看板が。そうか、ここがあの八ツ場ダムの場所だと気付いた。なるほど、道理で新しいトンネルや橋、立派な道路、そして道の駅にしては洒落た施設が出来たわけだ。

 ふるさと館の裏から吾妻渓谷を見ることが出来るが、八ツ場ダムの建設場所やダムの規模はよくわからない。しかし、草津からの帰り道、今度は国道145号の旧道を走ってみたが、するとその規模の大きさがよくわかった。旧道は吾妻川の川沿いを走っており、ダムが出来るとこの区間の多くが水没するという。おそらく4、5kmは水没してしまうのではないだろうか。このため2年前新道(八ツ場バイパス)が作られたのであった。
 旧道は、所々周りの草が伸び放題であったり、また廃墟となった家屋が散見されたりと、忘れ去られた、取り残されたといった感じが強くした。ダム建設のため将来の生活に展望が持てず、この地を去った方が随分いるのであろう。なかなか一つの集落が消えることの実感は湧かないし、うまく理解できないが、やはり目の前の現実は重い。

 ご存知のように八ツ場ダムは、前民主党政権の「コンクリートから人へ」のスローガンの下、無駄な公共事業の代表として話題になった。民主党はいったん建設を中止したものの、その2年後、一転ダム建設継続を表明し、現自民党政権もその方針を受け継いでいる。その治水効果、利水効果を考えれば、事業継続の効果が費用を大きく上回るとの判断である。が、実態としては、地元・群馬県長野原町の反対や、既に多額の資金を拠出している関東の1都5県の反対に依るものであった。

 八ツ場ダムの建設が決定したのは1967年。ダム建設により川原湯温泉はじめ340世帯が水没することから地元住民は建設にこぞって反対した。源頼朝が発見した川原湯温泉や美しい吾妻渓谷の大部分が水没しては観光業が、生活が成り立たないからである。
 しかし、補償の問題、代替地の提供、道路整備や観光業支援などダム建設後の生活基盤再建に向けた提案や交渉が長い間続けられ、地元住民は建設を受け容れるに至った。その間、四半世紀近い月日が経っていた。住民の方にしてみると、ダム建設の是非はともかく、動きようのない現状から抜け出したい、時計の針を動かさないといけない、といった思いだったのであろう。

 そして、実際に工事が動き始めたのは1994年。本来であれば、この時点で事業の費用対効果を十分検証すべきだった。ダム建設は高度成長期に決まっているが、90年代半ばには、今後の人口減による水需要の減少が見込まれ、また堤防等の整備により治水の効果も当初より薄れていたと思う。おそらく交渉が長期に亘って継続、硬直化する中、当初の建設目的だった治水や利水の効果に代わり、ダムを作ること自体が目的になっていたに違いない。
 長良川河口堰にしろ、諫早湾干拓にしろ、政府が一度決めると、その後の環境や経済等状況の変化に拘わらず、やらざるを得ないのだろうか。

 ある意味、ダム建設中止を決めた民主党の判断は正しい。ただ問題は遅きに失したことである。既にダム建設後の生活に向け歩き始めていた地元住民をいたずらに混乱させてしまった。
 八ツ場ダムを教訓とし、政府には既成事実や慣習に囚われず、やめるべきはやめる、改めるべきは改めることを期待したい。