縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

”What a Wonderful World” (ベトナムの話 その2)

2010-05-16 13:29:47 | もう一度行きたい
 ホテル・マジェスティックの屋上に眺めの良いバーがある。僕らは前回の記憶、心地良い風と冷たいビールで生き返ったことを覚えていて、今回もビールを飲みにやって来た。
 このホテルはホーチミンの中心部、ドンコイ通りの端にある。暑さが堪えたり、買い物で歩き疲れたりしたとき、休むのにはもってこいの場所だ。目の前にはサイゴン川、その向こうは住宅街であろう。渡し船が走っている。
 マジェステッィクは1925年創業、つまりフランスの植民地時代に建てられたコロニアル式ホテルである。ベトナム戦争中は海外のマスコミ関係者が多く滞在し、盛んに諜報活動も行われていたようだ。このバーはおそらく当時とあまり変わっていないだろう。向こうの席で米兵が騒いでいても 何の違和感も感じない、そんな空間である。

 『グッドモーニング・ベトナム』という映画がある。戦争映画にしては戦闘シーンの少ない映画である。というのも主人公がベトナム戦争当時の米軍放送の人気DJだからだ。彼の目を通し、戦争の現実とそのむなしさを描いた秀作である。
 映画の中でルイ・アームストロングの ”What a Wonderful World”(「この素晴らしき世界」)という曲が使われていた。主人公が最後の放送で流したのである。ご存じの方も多いと思うが、この曲は日々の何気ない生活や日常の他愛のない瞬間に喜びを感じ、それがずっと続くように、といった趣旨の歌である。とても戦意高揚には程遠い。が、主人公は敢えてこの曲をベトナムで戦う兵士達に贈った。そして、彼はベトナムを去った。
 ベトナムで戦い、その自然を破壊し、さらに多くの罪のない人まで殺害した米軍に ”What a Wonderful World” というのは痛烈な皮肉とも採れる。しかし、この曲、この映画は、自然の中で人間なんかちっぽけな存在に過ぎない、つまらない争いや戦いは無意味だ、とやさしく僕らに語りかけている気がする。
 マジェスティックのバーで、のどかな風景を眺めていると、ふと『グッドモーニング・ベトナム』と ”What a Wonderful World” のことが思い出された。

 ところで、アメリカに侵攻され多大な被害を被ったにも拘わらず、ベトナム人の対米感情は悪くないらしい。経済発展のためにはアメリカとの友好関係が不可欠との判断のようだ。
 ベトナム戦争の終結が1975年、まだ35年しか経っていない。戦争で家族を失った人もいれば、枯れ葉剤の影響で未だに苦しんでいる人もいるだろう。国の政策として親米というのはわかるが、国民レベルではどこまで親米なのだろうか。
 ベトナム滞在中、ごく普通のベトナム人に、アメリカとフランス(旧宗主国)と中国(かつてその支配下にあり、近年も国境紛争あり)で、どの国が一番嫌いかと訊ねてみたかったのだが、残念ながらその機会がなかった。勿論言葉の問題もあるし、それに政治的なことをぶしつけに聞いて良いのかわからなかったのである。どなたか、ベトナムの事情に詳しい方がいらしたら教えて欲しい。

 が、しかし、ある意味、日本もベトナムと同じかもしれない。日本から仕掛けた戦争とはいえ、アメリカとの戦争で甚大な被害を被った。原爆の後遺症は今なお続いている。にも拘わらず、国も国民も総じて親米である。日本で戦後35年といえば1980年、まさにアメリカあっての日本、といった時代だった。
 ベトナム人の方が日本人よりしたたかというか複雑な気がするが、いずれにしろ戦後20、30年も経てば記憶は風化する、いや、人は悲惨な過去を乗り越えて次に進むのであろう。
 やはり、戦争など無意味だ。

ウチのホンダはスズキだ (ベトナムの話 その1)

2010-05-09 18:35:00 | 最近思うこと
 9年振りにベトナムに行ってきた。前回はホーチミンだけだったが、今回は中部を回ってきた。とはいっても高々3泊5日、駆け足でフエ、ホイアン、ミーソンと、世界遺産を巡る旅だった。

 さて、今日はまず乗り物の話をしたい。ベトナムではバイクのことを“ホンダ”という。ホンダのスーパーカブが広く普及しており、そこから バイク=ホンダ となったそうだ。今でもホンダはバイクで9割近いシェアを占めている。このためタイトルのような「ウチのホンダはスズキだ」「私のホンダはヤマハよ」といった文が成立するのである。

 余談はさておき、ホーチミンの交通の主役はなんといってもバイクである。人を乗せる、モノを運ぶ、日本では想像のできない使われ方をしている。バイクの2人乗りは当たり前、ときには3人乗りもいるし、一度は4人乗り(ハンドルに固定したシートに2、3歳の子供、母親=運転手、5、6歳の子供、一番後ろに中学生くらいの子供の順)まで見た。
 その数も凄い。片側2車線以上の道路なら、右側1車線は必ずバイクでつぶれている(注:ベトナムは日本と逆、右側通行である)。つまり日本的に考えると、走行車線をバイクが走り、追い越し車線をもっぱら車が走っているイメージだ。

 ここで右折するのは至難の業。川の流れのように延々と続く走行車線のバイク。信号があれば良いが、ない交差点ではひたすらタイミングを待つしかない。一方、左折も左折で一苦労。対向車線の車は途切れても、バイクの波は途切れることを知らないからだ。
 ところで車が追い越し車線を走っていて前の車をどうやって追い越すかであるが、これは原則無理。3車線以上、つまり車の使える車線が2車線以上ないと追い越しはできない。
 もっとも田舎だと奥の手がある。平然と対向車線を走るのである。対向車がいる・いないに拘わらず、取り敢えず対向車線に出てみる。クラクションを鳴らされれば戻るし、鳴らされなければ相手がよけるものと判断し(or 思い込み)、そのまま進む。正直、結構怖かった。

 バイクとの駆け引き、追い越し等々、長年の経験というか、あ・うんの呼吸というか、ベトナムのドライバーの技術は本当に凄い。称賛に値する。ベトナムでは国際免許が使えず、車を運転するには現地で免許を取得する必要があるが、自動車教習所には何か特別な講習があるに違いない。

 続いて、タクシーの話、乗って良いタクシーと乗ってはいけないタクシーの話である。
 初めに後者、ダメなタクシー。ガイドブックを見ると、タクシーはメーター制とのこと。空港から市内まで20分、8万ドン(約400円)が目安とある。これを見て安心し、タクシーに乗った。が、運転手はメーターを入れず、ホテルまで米ドルで10ドルだという。「ドルは持ってないし、メーターを入れろ。」と言うと、「じゃあ、20万ドン(約1,000円)。」とのたまう。「(バカヤロー(注)心の叫び)5万だ!」「(ふざけるな(注)彼の心の叫び)15万だ。」「よし、8万だ。嫌ならメーターを入れろ。」「うーん、10万。」「OK。」
 金額的には大したことないのだが、日本人がなめられてはいけないと思い、頑張った。このタクシーは「サイゴン・ツーリスト・タクシー」だった。
 で、タクシーの中でガイドブックを見ていた妻が一言、「ねえ、サイゴン・ツーリスト・タクシーはトラブルの多い会社なので注意って書いてあるよ。」乗る前にガイドブックをよく読めば良かった。

 翌朝、6時の飛行機に乗るため、4時半にタクシーを呼んでもらった。で、来たのが、なんと「サイゴン・ツーリスト・タクシー」。で、案の定、メーターを入れない。そして今回は「米ドルで20ドル。」とおっしゃる。メーターを入れろ、嫌ならホテルに戻れ等々の友好的な会話を経て、結局、昨日と同じ10万ドンに落ち着いた。やれやれ。

 最終日の夜、ホーチミンの空港に戻ってきた。幸い日本への飛行機にはまだ時間がある。我々は市内に食事に行くことにした。で、乗ったのが、ヴィナサン・タクシー(Vinasun Taxi)。何も言わないのにメーターを入れる運転手さん。たまたま帰りも同じヴィナサンだったが、この運転手さんも当然のようにメーターを使っていた。素晴らしい。ホーチミンにいらした際は是非ヴィナサンを。
 ただ Vinason とか、車体や屋根にある表示が微妙に違うとか(注:ヴィナサンは38 27 27 27 と電話番号が書かれているが、その末尾が違う数字になっている)、まがい物も多いらしいのでご注意あれ。