縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

WSET Level 2 に合格しました!

2017-08-29 20:14:34 | 最近思うこと
 ある日唐突に「ワインを英語で語れるおじさま(注:“おじさん”ではない!)になろう。」と決意し、WSETのLevel 2を英語で受験することにしました。
 WSETというのは “Wine & Spirit Education Trust” の略で、イギリスに本拠を置く、ワインの教育や資格認定を行う世界的機関です。19の言語により世界60カ国以上で教育、試験が行われています。日本でワインの資格というとソムリエやワインエキスパートが有名ですが、これは㈳日本ソムリエ協会の認定資格。ワインの国際的な資格としては断然WSETということになります。

 WSETの資格はLevel1~ 4の4種類。Level 3までは日本語でも受験できますが、Level 4からは英語のみとなります。難易度等は概ね以下のイメージかと思います。
  ・Level 1 : 初心者向け、ほぼ全員受かる。
  ・Level 2 : 初級者向け、スクールに通って勉強すれば大体受かる。
  ・Level 3 : 中級者から上級者向け、ソムリエ並み(それ以上?)の知識が要求され、かなり難しい。
  ・Level 4・ディプロマ : 上級者・プロ向け。英語が得意なワインスクールの先生など日本で30人程度しかいないらしい。
 さらに、この上にマスター・オブ・ワイン(MW)があって、こちらはもうほとんど“神”レベル。世界29カ国でわずか356人(2017/3)、日本人に至ってはたった2人しかいません。
 「な~んだ、Level 2って大したことないじゃない。」との声が聞こえてきそうですが(事実そうなのですが)、この年で新たな挑戦をしたということでご容赦ください。

 僕は4月から「アカデミー・デュ・ヴァン」のWSET資格取得コースに通いました。2時間の授業が8回あり、その後に試験です。講師はスコットランド出身のイギリス人。彼のスコットランド訛りのせいか、はたまた僕の英語力のなさのせいか(後者の可能性極めて大)、正直、授業はあまり聴き取れませんでした。僕以外はほとんど帰国子女と外国人で、皆普通に先生と話していたのですが・・・。一人だけ疎外感。
 ただ「ワインを英語で語る」という当初の目的に関しては、毎回のテイステイングで彼のコメントを繰り返し聴き、最低限の表現のコツをつかむことができたと思います。

 8月2日が試験でした。実はその直前に前々から海外旅行の予定が入っており、真剣に勉強したのは旅行前の1週間だけ。テキストを読み、ノートをまとめ、自分なりの暗記表を作成。赤・白別に、縦にブドウ品種、横に国名の表を作り、各々の欄に産地や銘柄、ワインの特徴等をまとめました。これは我ながら秀逸な出来栄えです。色使い等体裁を良くすれば、他の受験者に売れるかもしれません。
 しかし、この完璧な表を作ったことで満足し、その後はあまり勉強しませんでした。ずっと英語を見ていてもなかなか頭に入りません。すぐに飽きるし、疲れてしまいます。が、練習問題はそこそこ出来ていたし、それに僕には長年飲んだくれて来た経験と実績があるから、試験は合格するとの自信(過信?)がありました。

 試験は4択が50問。試験時間は60分で、正答率55%以上が合格です。試験開始。最初の20分で一通り回答し、15分で見直しをしました。わからない問題や迷った問題もありましたが、6割の回答には自信があります。合格には3段階あって、正答率55~69%が“可”、70~84%が“良”、85%以上が“優”となっています。6割にどれだけ正解を上乗せできるか、試験を終え、優はちょっと厳しいが良に届けばいいな、といった感触でした。

 昨日、結果が届きました。蓋を開けてびっくり、もとい実力通り(?)堂々“優”で合格です。合格証書と襟章をもらいました。これで僕もいっぱしのワイン通。
 と思ったものの、俄か勉強は忘れるのも早い。試験から1カ月弱、日に日に薄れ行く記憶。「ワインを英語で語れるおじさま」となる夢は遠のき、ただの“飲んだくれおやじ”に陥る危機。おまけに、そもそも英語は読めるけど語れないとの噂も・・・。昭和の英語教育の典型的申し子です、まったく。まずは英会話学校の方が先だったかな。

『熊本地震被災地応援ファンド』を知っていますか?

2017-08-16 22:44:32 | お金の話
 物は試しと、最近話題の“社会的インパクト投資”をやってみました。経済的利益プラスα、世のため人のためにもなる投資のことです。ひょんなことから『熊本地震被災地応援ファンド』の存在を知り、その中の一つ「通潤酒蔵 新しい物語ファンド」に投資をしてみたのです。

 『熊本地震被災地応援ファンド』は、平成28年の熊本地震の被災から立ち上がる事業者を、出資を通じて応援しようというファンドの集まりです。ミュージックセキュリティーズという会社が運営しています。同社は、元は音楽ビジネスから始まった会社ですが、今は“セキュリテ”というファンド事業がメインのようです。ベンチャ-キャピタルのほか、政投銀や電通も出資していますので、それなりにしっかりした会社だと思います。

 さて、実際の投資の手続きは、この“セキュリテ”のWebサイトで簡単に行うことができます。
 まずはファンド選び。『応援ファンド』として、現在9つのファンドが出資を募集しています(その多くは9/29までの募集)。テーマは、農業、食品、酒、ホテルなど様々です。
 僕はファンド紹介を一通り読み、“プラスα”としての地元への波及効果と、地震による被害の大きさの観点から皆を比較し、「通潤酒蔵 新しい物語ファンド」に出資することにしました。フランスのシャトーに負けない酒蔵を作り、地元・山都町への観光客誘致、活性化に貢献したいとの通潤酒蔵さんの想い、あの益城町と同じ上益城郡にあり地震の被害がとても大きかったこと、この二つがポイントでした。
 また復興をメインとする事業者が多い中、通潤酒蔵さんは復興から更にその先(世界に通用する日本酒〝シャトー”を目指す)を見据えていらっしゃるのも選ぶ決め手になりました。いや、酒蔵だけあって、もれなくお酒が貰える!というのが一番の決め手だったかもしれません(笑)。

 各ファンドとも、事業計画、分配金のシミュレーション、事業リスク等を説明していますが、正直そこはあまり見ませんでした。元々『応援ファンド』は、投資額の半分は事業者への寄付となり、残り半分が投資という設計になっています。そう、投資した時点で元本が即半分になるのです。事業が大成功すれば元本の全額回収も夢ではありませんが、現実には難しいでしょう。
 では、どこに投資する目的、理由があるのでしょうか。それは自己満足だと思います。事業に共感し、その事業の成長を見守って行くことに喜びを見い出せるからこそ、『応援ファンド』延いては“社会的インパクト投資”全般に投資できるのです。「この事業の成功の陰には俺の助けがあったんだぜ。」と妄想に耽ることができる、たくましい想像力(?)も必要かもしれませんが。

 などと偉そうに書きましたが、今回僕は大した金額を投資していません。精々“飲んで終電を逃してタクシーで帰った夜”程度の金額です(因みに投資は1口10,800円からできます)。
 皆さんも、清水の舞台から飛び降りる的な意気込みではなく、ごく気軽な気持ちで“社会的インパクト投資”を始めてみませんか。ふるさと納税と違って返礼品を頂くことはできませんが、ある種の満足感は得られるはずです。



パリの巷を徘徊する(バスク旅行その2)

2017-08-15 21:25:36 | もう一度行きたい
 パリはモンパルナスに宿を取った。シャルル・ド・ゴールとオルリー、どちらの空港へも直通バスが走っているからだ。トランジットで1泊するだけなので交通の便以外は考えなかった。
 それが例のHOP航空のストライキによりパリの滞在が思いのほか長くなってしまったのである。想定外の事態。観光するつもりはなかったのでガイドブックは持っていない。あるのは宿でもらった市内地図のみ・・・。

 そんな中、妻がランチにエッフェル塔そばの“Les Cocottes”(レ・ココット)に行きたいと言い出した。知り合いから、料理が美味しい、最近評判の店だと聞いたらしい。まだ時間が早いから、地下鉄でサンジェルマン=デ=プレまで行き、買い物がてら歩いて行こうと言う。地図を見る限り結構距離がある気がするが、時間つぶしにもなるし二人で歩くことにした。
 妻に店の住所を尋ねると、エッフェル塔とボスケ通りの間あたり、たぶん行けばわかると宣う。相変わらず楽観的なやつだ。住所くらい控えておけよと思いつつも、気を取り直し、唯一頼りの市内地図を見ながら、エッフェル塔方向に歩いた。パリの6区から7区にかけたこの一帯は、落ち着いた雰囲気で、街並みを見て歩くだけで楽しかった。パリにいるんだという実感が湧いて来る。

 ボスケ通りを渡り、この辺かなと二人であたりをキョロキョロ。あっ、ありました、“Les Cocottes”。適当に歩いてもちゃんと着くものだと妙に感心。お店はパリらしくお洒落な店だった。レストランというよりビストロかワイン・バーの趣き。前菜2品とワインを頼んだ。ロブスターのビスクが濃厚で美味しい。それに何と言ってもパンが旨い。わざわざ歩いて来た甲斐があった。

 次にボン・マルシェ(老舗デパート)の別館 = 食品館に行くことにした。泊まったホテルの近くにあり、目を付けていたのである。案の定、こちらも住所がわからない(住所を控えてなかったのは私です、はい)。地下鉄セーヴル・バビロン駅の近くとしか覚えていない。しかし“Les Cocottes”発見で自信(根拠ない?)を付けた二人は、再び地図を片手に歩き出した。
 途中、ボスケ通りの食品専門店“Black Cat Delicatessen”で買い物をし(なんと日本好きのご主人だった)、“Jardin Catherine Labouré”(カタリナ・ラブレの庭園)でトイレをお借りし、そして遂に目指すボン・マルシェを発見。偶然とは、それも続くとは恐ろしい。海外では迷うことの方が多いが、どうも今回の旅は違うようだ(と、願いたい)。

 食品館は、肉、魚、惣菜、お酒、お菓子等々、本当に品揃えが豊富だった。じっくり見ていたいが、飛行機の時間もあるし・・・と思っていたところ、素敵なイートインを見つけてしまった。魚屋さんに併設されたお店。海老と貝の盛り合わせに、きりりと冷えた白ワイン! う~ん、至福の時。
 が、悲しいかな、のんびり余韻に浸っている暇はない。夜遅く着くビアリッツでの夕食にと、ロティサリー・チキンと赤ワインを買い、後ろ髪引かれつつ食品館を後にした。幸いホテルはパリ随一の高層ビル(59階建て)モンパルナス・タワーの目の前にあり、今度も迷うことなくホテルに着いた。

 ホテルで荷物をピックアップし、すぐさまチキンやワインをスーツケースに詰めた。そしてタクシーでオルリー空港へ。なんとオルリー空港へのタクシーは30ユーロの定額料金だったのである(注:パリ左岸からの場合。これに送迎料金 4ユーロが掛かった)。初めはバスで行くつもりだったが、二人で24ユーロ。10ユーロ増の贅沢に負けてしまった。

 ストライキで思いがけず延びたパリでの滞在、行き当たりばったりだったものの、それなりに楽しく過ごすことができた。“バスク旅行”と言いつつ、なかなかバスクに着かず申し訳ないが、次こそバスクです、たぶん・・・。